milima父のブログ/トルコ・ヨルダン・その他

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メルハバ通信その17(2007年6月)

2012年05月27日 | メルハバ通信

メルハバ通信その17

ここカマンの日本庭園では色とりどりの花々が咲き乱れ、サクランボやエリッキ(日本の梅に似た樹木、トルコ人が非常に好んで食べます)の実がたくさんなっている。私も時々口にするが、なかなかのものである。特にサクランボはパザール(青空市)で買うのと遜色ない程だ。梨やリンゴ、そして去年は春の急激な寒さのために、全く実がならなかったクルミやアーモンドも、たくさんの実をつけている。カマンでは今年は実りの年になりそうだ。私のボランティアの仕事も実りの年になるよう、そろそろラストスパートを掛けていきたいと思っている。

さて、ようやく先月出来上がった藤棚に主役の藤やツタを巻きつけた。次々と葉を出し、寂しかった藤棚も短期間で見違えるようになった。ここトルコでは夏場の日照時間が長く、植物の成長も日本と比べると驚くほど早い。1日1日その成長を眼にすることができる。日本では1年を通して、同じ場所で庭の手入れをしていなかったので、その成長振りには非常に驚かされている。

《藤棚も格好が付いてきた》

現在の日本庭園の作業は、低木の刈り込みと同時に、エンジンの草刈機でびっしりと生えている雑草を刈っている。この草刈機はアンカラのウルス地区で購入した。しかし、中国製(値段も驚くほど安く、日本やドイツ製は6、7万円するのだが、15,000円程だった。)なので、エンジンの回転数を上げるとすぐにへばってしまう。5分か10分程度エンジンを回せば、15分か20分は休ませるために他の作業をしなければならないといった具合だ。

また、せっかく雑草を刈って綺麗にしても、半月もするとまた延びてきている。だからと言って、そのまま放って置く訳には行かない。いたちごっこであるが、手入れの行き届いた庭をお客さんに見てもらいたいので、一生懸命刈っている。

6月初めから、日本庭園も一般客に開放された。天気のいい日にはたくさんの客が訪れる。日本人の私を見つけると、一緒に写真を撮って欲しいとせがまれることもしばしばだ。私と知り合いの子がいれば、必ずといって良いほど、ヨシー!と声を掛けられる。そこはサービスに努め、持ち前の満点?の笑顔で応対している。

《サービス精神旺盛なヨシー》

5月19日はトルコ国内で大々的な“若者とスポーツの祭典”があった。この日は初代大統領、アタチュルクを記念した祝日でもある。ここカマンでもサッカー競技場で盛大な催しが執り行われた。

《開会を待つ市長、カイマカン、警察署長etc.》

《セダの妹のエダ(右)も競技場の外から見物》

いつものように笛や太鼓の音楽に合わせたパレードの後、厳粛な雰囲気の中、トルコ国旗を掲揚する。続いて、ビリセム(私のデスクがある学校)の音楽の先生が音頭を取り、トルコ国歌斉唱。そして、綺麗な民族衣装で身を固めた子供たちによるトルコダンスの披露だ。当日は男女混合と女子の二組のグループが披露した。

《トルコ国旗を先頭にパレード開始》 

《男女混合のトルコダンス》

《男性の民族衣装》

女の子のみのグループではビリセムの隣にある高校で、仲の良いギュルスンやビリセムの生徒で私と同期のSさんのマスコット的存在のヨンジャもメンバーの一員だ。他にも顔なじみの娘がたくさんいる。いつもは幼さが残っていたり、明るくふざけてばかりいる彼女たちが、真剣に踊っていた。凛々しく踊る姿に、親心とでも言うか、私まで嬉しくなった。

《出番を待つ、ギュルスン(左下)》

《我らのアイドル、ヨンジャ》

トルコダンスの後は、各学校の女子生徒が現代的なダンスを華やかに踊った。また、男子生徒は組体操を披露した。すべてカマンにある学校の生徒達による出し物で、その若さと熱気に感動した次第である。この日のために、みんなは一生懸命練習に励んでいたことだろう。こんな若者がたくさんいる限り、トルコの将来は明るいぞ。明るい未来に向かって、みんな頑張れ!!。

《男子生徒の組体操》

《催しが無事に終了した》

アンカラのウルスに草刈機を買いに行った時、近くにあるローマ浴場跡を訪れた。アンカラの街は紀元前3世紀、ヨーロッパ北部からやってきたケルト人によって作られた。その後、ローマ、ビザンチン、セルジュク、オスマン時代を経て現在に至っている。ローマ時代の遺跡であるローマ浴場跡を訪れてみると、その規模の大きさに驚愕すると共に、当時の人々がここを憩いの場所として楽しんでいた様が目に浮かぶ。日本の健康センターを大きくしたような感じだ。浴場に隣接してスポーツを楽しむ場所もある。スポーツで汗をかいた後、浴場で汗を流し、飲み物を飲み、おしゃべりに興じたことであろう。 

《ローマ浴場跡》

久し振りに家族とアンカラ城に登った。このアンカラ城もケルト人が作ったものだ。アンカラの市内が見渡せ、私の好きな場所の一つである。登り口には古いキリムや絨毯の布で作ったポシェットを売っている店があり、私達はこのお店ではもう常連である。日本への一時帰国の時にもここでたくさんのポシェットを購入し、非常に喜ばれた。

さて、アンカラ城では子供たちが城壁の上で凧揚げをしていた。娘も凧揚げに参加させてもらい、はしゃいでいた。 8時頃になってようやく太陽が西の空に傾き、空は鮮やかな紅色に染まりました。

《アンカラ城で凧揚げ》

《夕陽に染まるアンカラの街》

 

 


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