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政治、経済、歴史、その他

今の景気低迷は消費税増税のせいアベノミクスではない

2014年11月19日 | 経済
今の景気低迷は消費税増税のせいアベノミクスではない
国内総生産(GDP)が2四半期連続のマイナス成長となり、また、衆議院の解散総選挙を実施する事とあいまって、政治に関する報道が熱を帯びてきました。

野党は今回の選挙には大義がないなどとして、今の景気低迷を招いたのはアベノミクスが原因だと異口同音に舌戦を開始していますが、どう考えても昨今の景気低迷は、今年4月の消費税率引き上げが大きな要因だとしか言えません。消費税増税とアベノミクスは違います。
一部の心ある経済評論家は消費税増税による景気後退の危険性をかなり早くから指摘し、経済成長による税収増を目指すべきだと主張していましたが、財務省や御用学者の言うことを鵜呑みにしたマスコミはこうした主張をほぼ無視し、3党合意の時も、今年の8%への引き上げの際も、社会福祉の予算問題や国債の信用が低下し暴落するなどのデマ報道により国民の不安を煽り、増税推進の報道ばかりを行っていました。

話は戻りますが、野党が現在の景気低迷をアベノミクス原因説で攻撃することは、選挙の対抗軸を作るためにはある意味不可避的ではあると思います。また、現政権もアベノミクスの運用を成長戦略という第3の矢(成長政策)に偏重し、今のこの国の経済と安全保障に資する第2の矢(財政政策)をないがしろにしてきたという点には多分に問題があるため、「アベノミクスガー」と言う野党の反応も一概に間違っているとは言えないところはあり、聞くべきところがあるような気はします。

ただしこれを報じるマスコミは別です。
そもそもアベノミクスの第3の矢に一番踊っていたのは彼らマスコミです。スポンサーである経済界の後押しを受け、「今の日本に必要なのは構造改革や規制緩和、グローバル化だ!」と連日声高に叫びながら第3の矢の政策を要求し、本当の景気対策に必要な第2の矢を非難してきました。
第3の矢とは成長戦政策だと銘打っていますが、マスコミ(及びマスコミのスポンサーたる経済界)が要求している成長政策は単なる構造改革と規制緩和です。これまでも本ブログでいろいろと述べてきましたが、これは人の嫉妬心に付け込んだ醜悪ともいえる子供じみたプロパガンダ以外の何物でもありません。これまでこうしたプロパガンダでどれだけの国益を損なったでしょうか?
こうした構造改革や規制緩和は、企業にとって有利になるような目線だけで設計してしまうと、その分国民が損をする事になります。
今回の消費税増税も法人税減税とセットで語られていますが、単純に言えば企業の税金が減った分の財源を国民へ転化してるだけではないですか?企業が減税分を全て国内投資や賃金アップに回してくれれば良いのですが、そんな保証はありませんし、過去に法人税減税を実施してもそんな事は起こりませんでした。(橋本政権時に法人税減税を実施しましたが、日本はデフレへ突入していきました。)

さて、マスコミがアベノミクスが失敗だとする報道を垂れ流すのであれば、具体的にアベノミクスのどの政策が景気低迷につながったのかマスコミは指摘し説明すべきですが、街角インタビューで「景気の回復を感じない。」などといった声を取り上げるのが精一杯のようです。しかもアベノミクスと消費税増税の影響を恣意的に混同させて報道しています。
どう考えても今の景気低迷は、マスコミがこぞってやるべきだと叫んでいた消費税増税が引き起こしたものであり、この消費税増税はいわゆる所得再分配政策であって、アベノミクスのメニュー(金融政策・財政政策・成長政策)ではありません。

自らが主張した事に責任をとらず、反省もせず、発言内容はブレブレで感情的、長期的視点を持たずに刹那的な事しか言わず、権力を叩く事に終始するマスコミの様子を見ていると、その不真面目な程度の低さに心底呆れかえってしまいます。
論理的な主張なく、ただアベノミクスが失敗したという印象を植え付けるがために、繰り返し繰り返し野党のコメントを垂れ流す様子は、およそ言いがりのレベルです。

繰り返しになりますが、現在の景気低迷の原因は明らかに消費税増税です。
そして消費税増税を推進、決定したのは民主党政権時の菅、野田内閣です。マスコミは共犯です。
その野田元総理は、今回の再増税延期に早々と賛成し、民主党自体もこれに追従しています。
ここにはまったく触れず、景気低迷をアベノミクスのせいだと報道するのはあまりにも公平性を欠いた、不誠実でいい加減なマスコミの世論操作と言えます。

安倍政権のアベノミクスの運用が第2の矢をないがしろにして、第1と第3の矢に重心がおかれていることは私も不満です。
しかし公平な評価は必要だと思いますし、こうした無責任でいい加減な事を平気で行うマスコミの思うがままに世論が流れてしまうのであれば、この国の将来に対し、大いに危機を感じます。

今回の消費税増税を延期するにあたり景気条項を削除することを安部政権は明言していますが、これこそ今の景気低迷の原因を素直に振り返れば、一番の争点とするべきことではないでしょうか?
消費税増税延期だけでは、景気は回復しません。
一部の野党はこの景気条項の削除の問題を指摘していますが、恐らく今回の選挙では財務省を気にして、マスコミも候補者も争点の中心にはしないでしょう。
その結果、選挙が終了した後何もしなければ、2017年4月に増税が実施されることになり、今回、消費税増税延期がされたとしても、日本経済の再デフレ突入の危機が続くことになることを絶対に忘れてはならないと思います。

世界恐慌を生み出すグローバリズム

2013年10月14日 | 経済
世界恐慌を生み出すグローバリズム

「世界恐慌」
資本主義が発展し,国際分業と貿易に基づく世界市場での各国の結びつきが強化されるに伴い,資本主義諸国を世界的規模で連鎖的に襲う過剰生産恐慌。
出典:百科事典マイペディア
  http://kotobank.jp/word/%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%81%90%E6%85%8C

世界恐慌は、1929年10月24日のウォール街の株式市場の大暴落(暗黒の木曜日)に始まり世界中に波及しました。
アメリカの株価は80%以上下落、工業生産は1/3以上低落、失業者数1200万人、失業率25%となり、その結果、世界経済は1929~1932年の間で貿易規模が70.8%減少、失業者は5000万人に達するほどでした。
その後、各国は自国経済を守るため封鎖的な経済圏(ブロック経済圏)政策や為替政策(自国通貨安政策)をとり始め、それが各国間の軋轢を生みだし、最終的に1939年9月のドイツのポーランド侵攻に始まる第2次世界大戦へと繋がっていく事になりました。

このような大戦を引き起こす経済的な原因となった世界恐慌は、冒頭に引用したように、「国際分業と貿易に基づく世界市場での各国の結びつきが強化」(グローバル化「過剰生産恐慌」(デフレによって発生したものです。
この2つの原因のうち、デフレは何となく世界恐慌の原因となった事について想像し易いと思いますが、グローバル化はどうでしょうか?
グローバル化には主に次の三点で問題があります。
 ①海外の安い製品により国内のメーカーが低価格競争にさらされデフレが深化する。
 ②海外の安い労働力を求め、海外への工場などの投資が進み国内の雇用が失われデフレが深化する。
 ③海外と密接な経済関係となることにより他国の経済危機に対して自国経済への影響が出やすくなる
つまり、「行き過ぎた」グローバル化はデフレ圧力を高め、各国の経済のシステムを弱体化させます。

なお「行き過ぎた」グローバル化とは、「自由な」グローバル化とも言えます。もしくは無秩序な、理性のないグローバル化とも言えると思います。
規制のない自由な貿易ルールとは結局、法による秩序を弱めるという事です。
その時々の状況を考慮せず、原理原則的に自由を強要することは、無秩序を生み、人々に不自由を強いる事になります。
例えばある人が他人に「俺の自由だからお前を殴らせろ!」と言われたら?
あるいはもっと具体的な例としては「俺の国の車をもっと売りたいから、軽自動車に関する税の優遇をやめろ!」と言われたら?
この例が示すように誰かの自由は他の人の不自由で成り立っています。その国の国民ができる限り公平に「良質な」自由を享受出来るようにルールを定めたのが法律です。
つまり「良質な」自由とはある程度の規制や保護のもとで成立するものです。自由な事がそれだけで良い事だという今の日本の風潮には何か想像力に欠けた幼稚な姿勢を感じます。

行き過ぎたグローバル化の問題は上記のような問題を考慮せず、イデオロギー的に自由貿易を至上のものだとする態度から生まれます。
とくに現在の日本はデフレ経済であり、グローバル化を推進する事は非常に相性が良くないため、最大限の注意を払うべきですが、政府はウルトラ・リベラリズムとも言えるTPPの推進に向け一直線です。
こんなものが本当に年内にまとまるとは思えません。一体日本をどうしたいのでしょうか。

かつて世界恐慌発生から10年後に第2次世界大戦が勃発しました。
一方リーマンショックは2008年に発生しましたが、まだ10年を経過しておらず、世界経済は依然として低迷しています。

今、道をあやまれば取り返しのつかないことになる可能性は十分にあります。

そうならないために今最も必要なのはデフレを脱却すること、そのためにはTPPに参加することよりも民間の投資マインドを再び活性化させるような有効需要を喚起することが大事なのです。
しかし、現状は長年のデフレ経済により民間企業は投資を控えて内部留保を積み上げ、また人々の消費(=需要)に対するマインドは完全に冷え込んでいます。国内の民間部門はデフレを脱却するのに有効な需要を生み出す主体として期待できません。
その他に需要を生み出すものとしては、海外への輸出が挙げられますが海外の経済も残念ながら低迷しています。
(なお、TPP推進論者は、輸出を拡大しデフレを脱却するために海外に打って出るんですなどといきまいていますが、TPPに参加しなくともアメリカの日本に対する関税は既に充分に引き下げられていて、またアメリカを除くTPP参加国の経済規模を眺めてみれば輸出を伸ばすという事が単なる妄想であることは一目瞭然です。)

そうすると政府だけが、支出を増やしデフレ脱却を牽引できる唯一の経済主体です。(「小さな政府論」の反対の「大きな政府論」です。)
そうした視点で、現在の政府の政策メニューを眺めれば、現在ないがしろにされている第二の矢こそが日本経済復興の鍵となるはずです。
現実的に考えてもインフラの老朽化や防災減災の必要性が高まっている今こそ政府はこのことを国民に広く説明し、積極的に財政政策を実施していくべきです。


限定正社員とサッチャリズム

2013年05月26日 | 経済
限定正社員とサッチャリズム

政府が設置している規制改革会議で限定正社員の雇用改革制度改革について骨子案がまとめられたそうです。
簡単に言ってしまえば限定正社員を解雇しやすくする内容のようですが、そもそも限定正社員とはなんでしょうか?

「5/14東京新聞」http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013051402000143.html
政府の規制改革会議の雇用ワーキンググループ(座長・鶴光太郎慶応大大学院教授)が近くまとめる雇用改革の骨子案が十三日、明らかになった。職種や勤務地、労働時間が限られる「限定正社員」の解雇ルールの整備を求めることが柱で、正社員よりも解雇条件を緩和することを目指す。
(中略)
<限定正社員>職種や勤務地、労働時間などが限定された正社員。地域限定正社員や短時間正社員などがあり、長時間勤務や転勤のある正社員に比べ、子育てや介護との両立がしやすい利点がある。派遣社員や契約社員といった非正規労働者が、雇用期間の定めのない限定正社員に転換することで、より安定した処遇を得られると期待されている。ただ正社員より賃金水準が低いことが多く、正社員からの切り替えは待遇の引き下げが懸念される。

最近の報道でたびたび取り上げられていますが、少なくとも限定正社員制度の更なる拡充の方針は、6月に発表される予定のアベノミクスの第3の矢「成長戦略」に盛り込むようです。
但し、5/24の衆院厚労委員会で「解雇権の乱用は法律上許されていない。限定正社員の首を切りやすい法律を新たに作ることを(規制改革会議は)考えていないと思う」と田村厚生労働相が答弁している事から、限定正社員の雇用制度についてどこまで踏み込んだ提案がなされるかはまだわかりません。

しかし、どういう人達が雇用制度改革を進めたいと考えているのかは容易に想像できます。
このブログでこれまで非難してきた竹中平蔵氏を始めとする新自由主義者達です。
今回、政府が限定正社員の拡充方針にとどめるとしても彼らは決してあきらめず次の機会を狙って雇用制度改革を推進しようとするに違いありません。
彼ら新自由主義者たちの主張はこうです。

彼らは「産業発展のための労働の流動化」という錦の御旗をかかげ、労働力需給のミスマッチを解消しなければならない、と主張します。つまり社員が法律によって必要以上に守られ、なかなかクビにできないという事が既得権益につながり経済成長を妨げている大きな要因だ、などと言うのです。
はい、いつもの「既得権益ガー」です。

しかしこうした労働者の権利を抑えることは、需要が不足しているデフレ時において、雇用が安定せず、その結果、人々は消費を抑えてしまうため、需要が更に冷え込んでしまいデフレを悪化させます。

これまで構造改革やら規制緩和などと叫んできた新自由主義者たちは、特に小泉政権時代に、郵政民営化や非正規雇用の促進、タクシー業界などの産業規制緩和、公共事業の削減などを進め、デフレであえぐこの国でデフレを促進する政策を次々と進め、日本経済を破壊してきました。
「需要<供給」となっているデフレ下において必要なのは上記のような規制緩和や構造改革などといった供給を増やすようなサプライサイドの政策ではなく需要をどうやって創出するかが大事です。
モノが余っているデフレ下において、それを買ってくれる人を増やさないでモノをさらに増やしてどうするんだという話なのです。

まあ小泉元首相は「自民党をぶっ潰す!!」と公言していましたので決してだまし討ちでもなんでもなく国民が自ら選んだ道だったのですが、未だにこうした小泉政権時代の間違った政策の総括がされない事がこの国の政策が正しい方向に向かない一番の原因だと思います。小泉政権の系譜である安倍政権が、来月に発表される成長戦略にどの程度の雇用改革メニューを載せてくるのかまだわかりませんが、一抹の不安はぬぐえません。

ところで、先月亡くなった「鉄の女」ことイギリスのサッチャー元首相はその政策が新自由主義的で「サッチャリズム」と言われていました。日本では何となく肯定的なイメージがあると思いますが実態はどうだったのでしょうか?
最後に紹介しますので知っていただければと思います。

「サッチャリズム」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0 ウィキペディアより
『サッチャー政権の経済政策は「規制緩和」と「民営化」による「大きな政府」から「小さな政府」への転換が核心である。フリードリヒ・ハイエクに傾倒していたサッチャーは新自由主義に基づき、官営であった電気、水道、ガス、水道といったパブリックセクターと空港、航空とといった大規模産業を民営化した。それまでロンドンのシティが牛耳っていた金融部門も規制緩和によって外国資本の参入を認めた。いわゆるビッグバン政策であるが、この政策により市場を外国資本に奪われ、国内企業が競争に敗れるという結果を招いた。そのためウィンブルドン現象とも言われる事態が発生した。また所得税減税を進める一方で、付加価値税(消費税)を増税し国民に勤勉と倹約と促した。しかしこれは付加価値税には逆進性があるため高所得者層に有利に低所得者層には不利に働いた。インフレ抑制のために金利引き上げを行った(失業率が上がったためにリフレーション政策に転換した)。雇用面においては、賃金が下がり、失業率も上がり、国民の中に大きな批判が起こった。イギリス沈没を救ったサッチャーだったが、伝統的な福祉政策が犠牲になり貧富の差が激しくなった点と、人頭税導入において国民の不満が爆発し、サッチャー政権は終わりを迎えた。』

新自由主義に基づいた規制緩和,民営化,小さな政府(=公共事業削減),所得税減税(日本の場合は累進課税が緩和されてきました),消費税増税の結果、どうやらイギリスの国民経済は滅茶苦茶になったようです。節度のない市場主義、新自由主義路線(規制緩和、民営化、小さな政府)は単に国際金融資本のエジキになるだけで、多くの国民は犠牲になるだけだという事は既に歴史が証明しています。
関税や非関税障壁の撤廃(=規制緩和)を強いられるTPPも同じ結果を招く可能性は大いにあります。

よく「歴史は繰り返す」と言われますが、私は「歴史から学ぶ」という言葉を大事にしたいです。

時代遅れな構造改革者たち2

2013年04月25日 | 経済
時代遅れな構造改革者たち2


前回のエントリーの続きです。

竹中平蔵氏をはじめ新自由主義者はよく「イノベーションによる経済成長」という言葉を使いたがります。
アベノミクスでいうところの「成長戦略」です。

しかしこの成長戦略の具体的例は、「TPP」といったグローバルルールに身を晒すノーガード戦法や、「民営活力を利用する」といった公的インフラの民営化路線や、「経済特区」という規制改革のシュミレーション、などであり正直非常に不安になるものばかりです。

前回のエントリーで書いたように、竹中氏は成長戦略の一つだとして労働ソリューションの人為的な振り向けについても提案(しかしその具体的で有効な方法については一切説明してません。)していますが、仮に、労働ソリューションをうまく振り分ける方法があったとしても、
そんなに不安定な労働環境で果たしてイノベーションが生まれるのでしょうか?

上記のような成長戦略の主張に大きく欠けている思想は「安定」と「蓄積」で、彼らの頭の中は「グローバル」「改革・革新イデオロギー」で充満しています。

「日本は世界に誇るべき技術があるのだから、これからはグローバルな世界でどんどん日本企業が成長すればいいんですよ」と豪語している竹中氏ですが、その誇るべき日本の技術は、果たしてこうした不安定な環境で生まれたものなのでしょうか?

「誇るべき日本の技術」が生まれた背景には安定的で長期的な資本、具体的には間接金融が大きな役割を果たしてきました。
金融市場から資本を調達する直接金融とは違い、金融機関からの融資により資本調達を行うという間接金融は、企業が長期的なビジョンを持って安定的な企業活動が行える下地を提供してきました。
(日本独自の慣行と言われた、「株の持ち合い」という安定株主を生む方法も、調達手段は株の売買というものですが、長期的な資金を調達するという意味で効果は間接金融と同じです。)

企業成長のための「イノベーション」には基礎研究や技術開発といった長期間にわたる地道な企業努力が必要ですが、必ず結果に結びつかないという点で、経済合理性で言えばかなり非合理な活動です。
しかしそうした努力の積み重ねが日本の誇るべき技術を生み出し、日本の労働に対するイメージもこうした努力に価値を置くものでした。
なんだか抽象的精神論的な話の進め方になってしまいましたが、なんとなくみなさんの腑に落ちる話だと思いますし、具体的な事例もあります。
かつての日本の主力産業であった繊維産業で、今も有力企業として君臨している東レは、炭素繊維の開発を50年以上続けていました。当初、利用方法もあまりないまま、それでも何十年も研究が続けられた炭素繊維は、その後釣竿、ゴルフクラブのシャフトへと利用される事となり、今や航空機の材料として利用されるまでになっています。こうした長期に渡る継続した研究開発が実を結ぶのは製造業界では百に一つといわれています。

ところが企業の資金調達方法が直接金融へシフトし金融市場が成長するに従って、投資家として株主の存在が大きくなり、企業は「所有と経営の分離」が進みました。その結果、株主と経営者の分離、もしくは対立が起こるようになり、企業は長期的で安定的な企業活動を積み重ねることが難しくなってきました。
いわゆる「物言う株主」などとも言われますが、彼らは会社を単なる所有物として扱います。そんな彼らが会社に一番求めることは(彼らのいうところの)「経営の合理化による企業価値の向上」(と言えば聞こえはいいですが)、とどのつまり彼らは保有する株のキャピタルゲインが欲しいだけであり、強欲な利益至上主義者達です。

必然的に研究や開発といった(彼らにとって)ギャンブルのような、もしくは結果に結びつくのに長期間かかるような非合理的な企業活動は一番認められないところとなります。

また会社の社歴に比べ、圧倒的に短い時間感覚しか持たない彼らは、時間の連続性という感覚がなく、会社は社会の公器という考え方が希薄です。

その結果、会社という器がその社員やひいては社会に貢献するということよりも、彼らの目先の利益のための企業活動の効率化や合理性が一番の関心事になります。(最近の事例でいうと西武鉄道の路線廃止騒動などでしょうか。)

日本人であれば、意識的にも無意識的もなんとなく彼ら物言う株主は「他人がよその家の事に口出しをしていて、品がないなあ。単なる腰掛の分際でなんでああも自信たっぷりに会社の方針に口を出せるんだ?」というイメージを持っていることだと思いますが、彼ら株主には企業の未来に対する責任感がまったくありません。
しかし経営における責任は、正にこの会社の「未来」に対して負うべき責任であって、彼らがこうした責任感を持ち合わせていないのであれば経営に口を出せるような権利は有していないはずです。
(最近の日本でも現代の錬金術として創業者利益を狙って起業する経営者が出てきている始末ですが。)

ちなみに、世界で一番古い1000年以上続く会社は日本の会社で、また日本には創業200年を超える企業が3146社あり世界最多となっています。こうした会社を継続させ、安定した社会を築いてきたのが本来の日本社会の考えであったはずです。

ところが金融のグローバル化が進み、投機的なホットマネーが世界中で駆け巡るようになった現代社会では、日本の起業後の会社の平均寿命が短くなっています。 80年代には30年といわれていた会社の平均寿命も、今では確実に10年を切ったといわれています。

かつてケインズは世界恐慌(そして世界恐慌の主因はやはりグローバリズムの席巻でした。)の前夜である1920年代に「将来に向かっての次の一歩は、政治的扇動とか時期尚早の実験にとって生ずるのではなくて、思想から生じるに違いない」と述べていましたが、昨今のグローバル経済の行き詰まりを見ていると、この思想とはかつての日本的経営をさしているのではないかと思います。

かつて「日本型経営」と言われた、高度成長を支えた日本型ビジネスモデルは年功序列ということばかりがクローズアップされがちで、硬直的な組織・労働市場を指す代名詞で時代遅れのネガティブなイメージがついて回る言葉ですが本当にそうでしょうか?
安定的な社会状況をベースに、組織の信頼、知識、人間関係といったものを積み重ね、継承する事ができる経営方法として今こそ見直されるべきものだと思います。

グローバル化を助長するようなTPPや社会の安定を脅かしかねない安易な規制改革や構造改革が、必ずしも成長につながるとは思えず、これらはむしろ過去からつながってきた有形無形を問わない社会的インフラを崩すことになり、社会の成長や安定を阻害するものだと思います。
もちろん、時代にそぐわなくなった制度や仕組みは変えなければなりませんが、昨今の報道を見ていると規制緩和や構造改革が、それ自体で何かメリットを生み出すかのような論調がかなり目立ちます。

規制改革や構造改革はあくまでも成長のための「手段」であって「目的」ではありません。
安易なグローバル推進や構造改革論は、思考回路が停止しているとしか言いようがなく厳に慎むべきです。
時計の針を元にもどすことはできませんが、これらがもたらした弊害をよく分析してその弊害を克服できるような戦略を練ることが本当の成長戦略につながるんだと思います。


時代遅れな構造改革者

2013年04月12日 | 経済
時代遅れな構造改革者

安倍総理の経済政策「3本の矢」のひとつである成長戦略を話し合うために産業競争力会議が設置されていますが、この会議のアイコン的な存在である竹中平蔵氏は、4/6東洋経済オンラインでアベノミクスについてインタビューを受けています。

4/6竹中平蔵、アベノミクスを語る
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130406-00013341-toyo-soci

インタビューで、竹中氏は相変わらずの新自由主義者ぶりを発揮して「構造改革」「規制改革」といったキーワードを連発していましたが、その中で「規制改革では、労働市場改革にどこまで踏み込むかも注目されています。」という記者からの問いかけに対し次のように回答しています。

『国が抱えており、民間にやらせていない部分を解き放つことがすごく重要だ。たとえば、(一時休業などをした企業に賃金の一部を支給する)雇用調整助成金。本来なら、職業訓練を受けて、新しい職場に移って、経済成長していく分野にリソースを振り向けていくべきなのに、政府が補助金を出して抱え込んでいる。解雇規制も変えるべきだ。解雇規制を変えるというと、労働者をどんどんクビにしていいのか、という極端な議論をする人があるが、これは趣旨を歪めている。』

冒頭の回答は、正にレントシーキングを主張していますが、別の場所でも竹中氏は空港や上下水道といった公的資産までも、その運営権を民間に売却するべきだと主張しているようです。(4/5朝日新聞デジタルhttp://www.asahi.com/politics/update/0404/TKY201304030575.html

国が抱えている「公的資産=社会インフラ」を上記のように、民間に任せ運営することは果たして正しく上手く事が運ぶ方法なのでしょうか。

一例として挙げておきたいのが去年12月に発生した笹子トンネル崩壊事故です。
この事故の原因は、未だ特定が難しく、原因究明まで長期化する様子で、国の統一的な見解はでていません。
しかし道路公団民営化によるコスト削減が行きすぎていた可能性は否定できないどころか、事故が発生した原因のかなりの割合を占めそうです。

なぜなら今回の事故調査で、昭和52年に完成し35年以上経過し老朽化が進んでいる建築物であるトンネルに対し、打音検査を実施していないなどの実態が明らかになっているからであり、どう考えても運営管理上の問題が無かったとは言えない状況であるからです。

民間企業のような効率化や合理主義といった思想で活動する組織は、発生する可能性が低いものは除外して考える傾向があります。
発生する確率が低いものとは、絶対に発生しないとは言えないという事でもあるのですが、効率化や合理主義ではこれらの事故は「想定外」と呼ばれがちです。
最近でこそBCPなどの考えが広まってきましたが、たとえば確率が低いが必ず発生しないとは言えないテロなどに対し、どれほどの企業が真剣に対策をとっているでしょうか。
たとえば今世間を騒がしている北朝鮮のミサイルに対しては?

何も民間企業は悪だ、と言いたいわけではありません。
民間企業が効率化や合理主義を目指すのは経済活動をしているためであり、至極当たり前のことです。
私が言いたいのは、民間企業が全ての場面で絶対に正しいわけではないと言いたいだけです。

こう書いてしまうとすごく当たり前のことなんですが、「構造改革」やら「○○民営化」やら「自由競争」やら「成長戦略」とか言った言葉によって包装されてしまうと、民間に開放していこう、という事がなんの疑いもなく何か良いことのような響きを持つから不思議です。

本来、道路や上下水道といった社会インフラは経済活動や国民生活を支える土台であり、効率化や合理化よりも安全性を重視すべきものであるはずで、だからこそ国がその役割を担うべきものなのです。

また、後半の労働者に対するコメントも疑問を感じざるを得ません。

「労働者を経済成長分野に振り向けていくべき」という主張は一見合理的で正しい考えのようですが、その経済成長分野がなんであるかわからないと竹中氏のコメントには全く意味がありませんし、そもそも誰がどうやって振り向けるのでしょうか。

もし振り向ける際に政府が関与するのであれば、それこそ竹中氏の言う「国が抱え込む」事になり矛盾しているんじゃないでしょうか?
それとも労働者自ら経済成長分野を判断しろとでも言いたいのでしょうか?自己責任の名において。

つまり、竹中氏のコメントは頭の中が「改革イデオロギー」しかなく、単なる言葉遊びをしているようにしか思えません。その結果どうなるか?という事に関し非常に無責任な態度であると言えます。
(小泉政権時に竹中氏が進めたタクシー業界の規制緩和は酷い結果に終わりました。)

経済学者として日本経済を成長に結びつけようとして様々な革新的な政策を提案する、というのが竹中氏の一般的なイメージかも知れませんが、結果に対し責任を持たず、「とにかく変えればいいんだ」「変えなきゃダメなんだ」ということのみが全てのモチベーションとなっている、というのが彼の本当の姿じゃないでしょうか?

今の日本に役立つ、生きた、実践的な意見を彼が持っているとは思えません。
ただあるのは思考が停止した自由・改革原理主義者の抜け殻です。
一見新しいことを言っているようで、実は時代遅れなのではないでしょうか。
自由化、民営化、規制改革というのはここの所この日本でずっと叫ばれていたイデオロギーです。

果たしてそれで日本の経済は良くなったでしょうか?

とにかく平和、平和とずっと叫べば平和が実現する、と思っているサヨクの方々のお花畑思想に何か通じるところがあると思います。

PS 
TPP交渉参加に関し、どうやら日米事前協議が合意に至ったとの発表が明日されるようです。
先月のTPP交渉参加表明以来、非常に私自身いろいろと揺れています。
竹中氏やサヨクの方々のように思考を停止させないで、盲信はせず、しかし反動に身を任せるような軽はずみな事もせず、考え続けなければならないと思います。