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政治、経済、歴史、その他

特攻を美化することは軍部と同罪なのか?

2014年10月26日 | 歴史
特攻を美化することは軍部と同罪なのか?

『特攻70年:「神風」犠牲4000人 9機に1機だった命中率』10月24日 毎日新聞
http://sp.mainichi.jp/feature/news/20141024mog00m040005000c.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

この記事でも伝えられているように、ちょうど70年前の1944年10月25日、神風特別攻撃隊がフィリピン沖で米海軍の艦艇に初めて特攻をしました。

記事では、特攻隊は「9機に1機の命中率」であったため、「特攻は日本の恥部。美化することは、それを命じた軍当局と変わらない。」と伝え、また命中率の低い特攻は非合理で無謀な作戦であり、この作戦を美化し肯定することは再び同じような作戦が繰り返されることになる。特攻隊を美化してはならないと主張しています。しかし私はこの考えには全く賛同出来ません。

そもそもこの記事で多用されている「美化」という言葉使い自体がおかしいと思います。
恐らく靖国神社へ参拝している人々などを指しているのでしょうが、彼らは特攻という「作戦」そのものに賛同して参拝しているのではなく、特攻隊の自己犠牲の「行為」に何かを感じずにいられず参拝していることは、常識を少し働かせれば直ぐにわかる事です。
「特攻は素晴らしい作戦だった。もっとやるべきだった。もう一度やろう。」と言う人を私は寡聞にして知りません。
そしてむしろ、英霊に感謝の念を抱く人々ほど、彼らの不可逆的な悲運に対して憤りやある種の申し訳なさを感じ、このような作戦が再び繰り返されない様に強く願うと思います。

「(特攻)隊員を思うと涙を禁じえず、軍司令官や参謀には怒りを感じる。十分な検証がなくては、同じような過ちを繰り返してしまう。」と彼らへ思いを寄せるような文章も記事には書いてあります。
しかし、この記事はただ単に命中率が低かったから美化してはいけないといっているだけで、それならば命中率が高ければ美化しても良いということでしょうか?
まともな神経をもっていれば特攻という「作戦」を肯定してはいけないということは、わざわざ「検証」しなくとも直ぐにわかります。

この記事は、特攻という「作戦」と「行為」を意図的に混同させ、英霊達の尊い犠牲を貶め、話題にする事すらを封じ込めようとする悪意に満ちた記事です。彼らの自己犠牲の精神から何かを汲み取ろうとする人として当たり前の気持ちを全く感じません。
もし仮に意図的に混同させたのではないとしたら、この記事の記者や記事で紹介されているジャーナリストは、想像力に欠けた近視眼的な物のとらえ方しかできない、思考停止に陥っている人間であると言え、それこそ「前線に行かず戦争を美化する」たぐいの人間と同列なのではないでしょうか。
私はこうした軍部(記事では特に軍部のエリートを指しています)にだけ戦争の責任を押しつける考え方は大いに間違っていると思います。
この記事に見られるような、いわゆる「戦争指導者」批判を行う態度は、自分を埒外に置き傍観者を決め込む卑怯な人間の典型的な態度です。とてもまともな思考や心をもっている人間であるとは思えません。

この記事は、一見すると平和を謳ったかのような記事ですが、実際は国のために尊い犠牲を払った英霊を利用しただけの醜悪といえる類の記事です。
ただ単に、愛国心を牽制し、旧日本軍やエリートを糾弾したいがために作文しただけでしょう。
(「『海軍のバカヤロー』と叫び、突入した隊員もいる。」という「秘話」をこのジャーナリストは披露していますが、何故突入した隊員がそう言ったとわかったのでしょうか。詳細は不明ですが、普通に考えれば不自然な話です。もしかすると従軍慰安婦レベルのねつ造なのではないのでしょうか。)

特攻隊の出来事を「作戦」などという視点から検証するのではなく、人類稀に見る自己犠牲という高い徳を表現して見せた「行動」そのものが特攻隊の真髄であるという事を感じ、そこに合理主義や個人主義といった近代思想とは違う考えや道徳観がある、という事を知ることが大事です。
そして、この考えや道徳こそが、恐らく戦後日本が一番失ってしまった部分だと思います。

ところがこの記事はそういったことには触れず、「繰り返してはならない」と言う薄っぺらい、わかりきった事を最後に主張するだけです。

この国の悠久の歴史を支えてきた、こうした先祖たちの尊い犠牲に対し、この記者やジャーナリストは何も感じないのでしょうか。

戦後日本の歪んだ常識

2014年08月15日 | 歴史
戦後日本の歪んだ常識

毎年この時期は戦争に関する報道が数多くされます。大体が「先の大戦後の日本は反省し日本国憲法のもと軍国主義国家から平和主義国家へと生まれ変わった。」とする主旨の報道ですが、こうした報道を見るたびに「独立国から隷従国になっただけじゃないか」とうんざりします。
真の平和主義国家は「武力を行使できる能力があるが、正しい判断のもとでしか行使しない」というものであって、今の日本国憲法の9条をベースとした、何があっても武力を行使しないと言う平和主義は「武力を行使しない」のではなく、「武力を行使できない」若しくは「する気もない」といった独立心を持ち合わせないレベルの低い思想です。
つまり9条によって放棄したのは「戦争」ではなく「戦う事も辞さない正義心を持った生き方」と言えます。

ところでこの「軍国主義」と言う言葉も、かつて西欧列強が行った「帝国主義」のスケープゴートにされているところが多分にあり、戦後秩序と言われる戦後レジーム体制の価値観と先ほど触れた日本の思考停止した平和主義の一端をよく表している言葉であると思います。

軍国主義は主に戦前の日本に対して使用されることが多く(たまにナチスドイツを含みますが)、あたかも戦前の日本だけで発生した特殊な現象であるかのような含みがあります。その証拠に、多くの日本人はこの言葉を聞くと直ぐに戦前の自国のことを思い浮かべるでしょう。
では果たして日本だけが軍国主義国家だったのでしょうか。(今の日本も自衛隊があるから軍国主義国家だ、という妄想を披露するサヨクの意見は無視します。)

そもそも軍国主義とは、ある国の国力を軍事力強化のため集中投入する国家体制を指しますが、この軍事力の強化とは単に手段であって、それ自体が最終的な目的となる事は通常ありません。(軍事力強化を一種の公共事業とみなす場合もあり、その場合は目的化することがあるかも知れませんが一時的なものです。)
つまり何かの目的のために軍事力を強化するのであって、戦前の日本に対してこの言葉が使われる時は、他国に対しその軍事力を背景に覇権的な振る舞いを行うという意味まで含まれます。
しかし、軍国主義にこうした侵略性の意味までを含めるとしたら、産業革命後の19世紀中期以降から第2次大戦後まで続いた、近代西欧諸国の帝国主義と軍国主義はどこか違うのでしょうか。

近代西欧諸国は「無知で野蛮な民族や国を、西欧の近代国家がその能力で進歩させる事は、最終的に世界中に秩序をもたらし平和が広がる。」という大変身勝手な思想から、他国で植民地や租界を武力によって獲得するという乱暴狼藉な侵略行為を世界中で繰り広げました。
これがいわゆる帝国主義です。
こうした思想は進歩主義・啓蒙主義などの西欧近代思想を根底とし、そこから西欧諸国は「白人の責務(The White Man's Burden)」としてこの帝国主義の野蛮な行為を正統化しました。
(その他こうした傲慢なスローガンは、某国が原住民であるインディアンを迫害し入植を進める時に掲げた「明白なる使命(Manifest Destiny)」なんてものもありました。)
この「白人の責務」の対象となった民族や国は、第2次世界大戦後まで決して独立・近代化することをできなかったばかりか、白人の搾取の対象でしかなかったのです。
西欧の帝国主義は、こうした西欧近代思想の傲慢性が生み出したものと言わざるを得ません。
「白人の責務」とは随分とふざけた言い草です。

一方日本における帝国主義の起源は明治開国までさかのぼります。
開国以前の日本も西欧諸国からみれば無知蒙昧な国と考えられていたため、いつ植民地化されてもおかしくない状況でした。つまり「白人の責務」の対象であった訳です。
しかし、先人達は殖産興業・富国強兵などの実経済政策や廃藩置県・憲法制定などの国づくりなどを必死に進め、日本はアジアで最初の(物理的な)近代独立国家となりました。
こうして、幸いにも独立を維持できた日本ですが、自らを変えるべく行った近代化の努力が、一方で日本にも帝国主義をもたらすことにもなりました。
何故なら「日本の近代化」とは「日本の西欧化」とイコールであり、日本は「世界列強に伍する」ため彼らの「責務」をお手本としたからです。
当初は、日本国の独立を保つと言う切羽詰まった目標から出発した日本の近代化の努力が、帝国主義へと繋がった事は、近代日本が西欧近代的価値観を取り入れ邁進することが必要であった事を考えると不可避的な事であったと思いますし、その結果、こうした野蛮な当時の世界秩序に巻き込まれたとも言えるでしょう。

「西欧諸国も同じ事をしていたのだから日本の帝国主義・軍国主義は悪くない」などと言いたいわけではありません。
日本に軍国主義のレッテルを貼ることは、戦前を反省している訳でもなんでもなく、現代の日本人が勝手に当時の日本政府や軍部を悪者に仕立て上げ責任を押しつけて、自分をその責任から安全圏に逃して思考停止しているだけです。また、当時の殺伐とした弱肉強食な世界情勢を理解できず、戦前の日本=悪、西欧諸国=正義という単純な二元論にも陥ることにもなり、何故争いが起こったのかという事を本当に理解する妨げになる、という事を言いたいのです。(この二元論は、現在に続く戦後レジームとも言えます。)

もっと詳細に確認すれば、今回触れた西欧近代思想の傲慢性以外にも様々な時代背景があって先の大戦が起きました。その原因や背景に目を向けなければ、戦争を防ぐことなどできるはずもなく、真の平和主義から益々遠ざかる事になります。(9条をノーベル賞に、などは本当に子供じみた発想です。言葉だけで本当に平和が訪れると思っているなら苦労しません。竹島漁民の殺害やシベリア抑留、拉致事件などがあった戦後日本が平和かどうかわかりませんが、戦争がなかったのは単純に日米安保があったからです。別に親米派ではありませんが。)
だとすれば、戦前の軍国主義を反省し戦後日本は平和国家になったなどとする今の日本の一般的な常識はまったく褒められたものではなく、浅薄な、一部の先人たちに罪を着せる卑怯な考えである事がわかると思います。
こうした歪んだ常識を日本人は一つ一つ潰していかなければなりません。今世界中で起こっている問題の背景には、多くの日本人が頭から信じきっている近代主義の矛盾から発生しているかも知れないという発想に立ち、これを疑ってみるぐらいしなければなりません。

サンフランシスコ講和条約第11条と歴史認識の呪い

2014年02月06日 | 歴史
サンフランシスコ講和条約第11条と歴史認識の呪い

2月1日に行われた、維新の会の党大会の橋本共同代表による冒頭あいさつで、彼自身の歴史認識について以下の主旨を述べていました。
「日本はサンフランシスコ講和条約を受け入れたのだから、東京裁判を認め、侵略戦争をしたという事実を世界に向けて受け入れた事になる。もしこの事実を受け入れないのであればこれを破棄するしかない。破棄できないのであれば、先の大戦は日本の侵略戦争だったという評価は受け入れざるを得ず、そうではないとする歴史認識の主張を為政者としてするのは無駄であり、自衛戦争だったなどという主張は歴史家にまかせれば良い。」

私は、彼のこの発言は、非常に見識が狭い意見で、この問題をミスリードするものだと思います。

橋下氏が取り上げているサンフランシスコ講和条約の原文には、第11条に次の様に書かれています。
”Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East~”
上記原文の外務省訳では「日本は極東国際軍事裁判所の裁判を受諾する」となっています。

橋下氏は、この外務省訳の「裁判の受諾」という表記をもって、サンフランシスコ講和条約で日本が極東国際軍事裁判所(いわゆる東京裁判)の正統性を世界に向かって認めた証拠だ、と主張しているのです。
ちなみにこの論法は、田原総一郎がよく使い、「サンフランシスコで東京裁判を日本は受け入れたのだから、A級戦犯が祀られる靖国神社へ首相が参拝するべきではない」というテンプレに続きます。(参拝はしましたが、小泉元首相も同様の主旨の発言をしています。)

しかしこれには対論が存在します。
それは原文中の”judgments”という単語の解釈に端を発します。
judgmentsという複数形では、通常「裁判」とは訳さず「諸判決」と訳す方が自然だからです。そもそも裁判を受諾した、なんて言い方は変です。
この解釈では、「日本は東京裁判は認めないが、判決は受け入れる。」という姿勢を示すことができ、つまり東京裁判を丸ごと受け入れていない、という事を主張することができます。
これをもっと具体的に言えば「東京裁判の判決は決まったことだから執行はするが、東京裁判の正統性や、先の大戦は日本の侵略行為だったとする、いわゆる東京裁判史観は認めてない」という事になります。
ご存知の方も多いと思いますが、この東京裁判は、勝者の政治ショーとも呼ばれ、その法的根拠が一切なく、平和に対する罪(いわゆるA級犯罪)等、当時は存在しない犯罪を事後にでっち上げ、不十分な証拠で罪人を作り上げた、裁判とは名ばかりの単なる敵国の復讐劇です。
では本当に当時の日本人が東京裁判史観を受け入れていたのでしょうか?

くだんのサンフランシスコ講和条約の第11条の条文の意味について、当時の日本の外務省は以下のように発言し見解を示しています。
「平和条約(サンフランシスコ講和条約)の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向かって効力を失い、裁判がまだ終わっていない者は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。従って、11条はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第1段におきまして、日本国は極東軍事裁判所その他連合国の軍事裁判所によってなした判決を受諾するということになっております」(西村熊雄外務省条約局長 昭和26年10月17日)

つまり、日本の連合国による占領が終わり日本が独立を回復したら、当時の国際法の原則では、当然に、占領下政策の一環であった東京裁判の「判決」は効力を失うため、この条文を入れて「判決」の効果(=刑の執行)のみを縛っただけだ、と「当時の外務省」が国会において答弁しているのです。
これでもサンフランシスコ講和条約を締結した当時の日本は、東京裁判史観を丸ごと認めた、侵略戦争を認めたと言えるでしょうか?

話しは戻りますが、橋下氏の主張を要約すると「日本は侵略戦争をした事を外交上認めなければだめだ。」という事になります。
彼の主張は、サンフランシスコ講和条約などを引用し、一見歴史的な事実のような印象をあたえていますが、実際には上記の疑義には一切触れず、単に彼の持論の補強に利用しているだけです。
日本が侵略戦争をした事を認めろ、という彼の主張は、まるでアジアの何処かの国々の主張のようです。
(なお、仮に「サンフランシスコ講和条約で日本が侵略戦争を認めた」という文脈にのったとしても、このアジアの何処かの国々は、そもそもサンフランシスコ講和条約に参加すらしていません。)

確かに戦後世界の中で、日本が安全保障を外国に依存している現状や、国内でも多くの日本国民が戦後教育に洗脳されているようでは、今の日本が、その正統性を世界に認めさせること(少なくとも日本の主張を知ってもらうこと)は、可能が低く、やる気もないため、橋下氏が言うように無駄な事かもしれません。
また、世界が統一的な歴史認識を持つことは不可能に近く、それは近代に近づけば近づくほど難しい作業となります。

しかし、本当に平和を求めたいのであれば、戦争の原因は日本の侵略行為によるものだとする、戦争を善と悪という幼稚な2元論で評価することをやめ、何故先の大戦が起こってしまったのか、という事を当時の世界や国内情勢を踏まえ、その原因を真剣に考えない限り、また同じ過ちを繰り返すことになるでしょう。(私が思うに、戦争を誘引した世界的情勢は、列強国による帝国主義、グローバリズムの深化、経済不況、理性主義の席巻。国内的には経済事情、マスコミや言論人の猛烈な煽りによる国内世論誘導、だと思います。このことを少しでも知っていれば、単なるグローバル主義であるTPPやマスコミの偏向, 扇動報道に対して、耐性を持つことができるのですが・・。)
橋下氏の主張は、戦勝国の歴史観にすり寄る行為に等しく、戦争の真実や原因を知る可能性を永遠に閉ざすことになりかねません。

橋下氏の主張は問題があると思います。
この彼の主張を大勢の人が疑問を持たず、信じてしまえば、戦後日本の歴史認識という呪い、戦後レジームからの脱却は永遠にできなくなるでしょう。

失望された、極東の或る経済的大国

2013年12月27日 | 歴史
失望された、極東のある経済的大国

靖国参拝「失望している」…在日米大使館が声明 12月26日 読売新聞
在日米大使館は26日、安倍首相の靖国神社参拝について「日本は大切な同盟国だが、日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに米国政府は失望している」と批判する声明を発表した。
米政府が、日本の首相の靖国神社参拝を批判する声明を出したのは極めて異例で、日本政府関係者は「過去に同様な声明があった記憶はない」としている。
声明は、「日本と近隣諸国が過去からの微妙な問題に対応する建設的な方策を見いだし、関係改善することを希望する」と中国や韓国などとの関係改善を求めた上で、「首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する」と結び、安倍首相の対応を見守る姿勢を示した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131226-00000942-yom-int

上記の記事は本日安倍総理が靖国神社に参拝したことを受け、アメリカ政府が「失望した」とのコメントを発表した事を紹介した記事です。
靖国神社への参拝は朝日新聞が中国などを焚き付け、外交カードにまで発展させただけで、それまで日本の歴代総理は普通に参拝し、中曽根時代に中国に配慮して参拝を控えるまでは、そもそも何の問題もありませんでしたが、この辺りの経緯は多くの方がコメントされていますので今回はこの事を深堀りはしません。

それよりも、アメリカの「失望した」とのコメントについて、今後マスコミを中心とした日本の世論がどうなるかが気になります。

祖国のために尊い犠牲となった祖先のために哀悼の意をささげる事は、とても大事な模範とされるべき道徳的な態度であり、こうした行為に対し他国が反対することは、どう考えても非道徳的な態度であると言わざるを得ません。
ましてや「近隣諸国との緊張を悪化させるような行動」をとった事に失望しているという事は「直接自国には関係ないが口を挟んだ」と自ら認めている事であり、ますますこのアメリカの発言に関しては筋がありません。

美辞麗句を並べていますが、ただ単に、アメリカの国力の低下と中国の軍事力の拡大に伴い、東アジアにおける自国のプレゼンスの低下を自覚しているので「余計な行動はするな」というのがアメリカの本音でしょう。また、自国経済の回復に関し、日本より中国に期待してる(もしくは、日本なんてどうにでもなる、と思っている)ため、中国の肩を持つ発言をするのは当然といえば当然です。
もっと言えば、アメリカも中国も歴史国家ではなく、思想により作り上げた、国歴の浅い、人工国家同士という事もあり、先の大戦でも見られたように、もともと相性が良いという事も日本より中国を重視する背景であると思います。

戦後の冷戦時代の産物である日米安保体制を、時代が変わり、もはやアメリカ一極主義ではなくなった現代で、未だに信じている人にはこの辺の感覚は理解できないのかもしれませんが、このコメントに表れているように、今のアメリカにとって日本よりも中国の方が重要な国となっているのは、紛れもない事実です。日本がアメリカにとって中国よりも重要であった(利用価値があった)のは、冷戦時代が終結するまでです。もし、未だに中国より日本を重視し日本の立場や考えを理解しているのであれば「失望」なんて言葉は使わないはずです。

普通の感覚であれば、このアメリカの発言を受け、自分の身は自分で守らなくてはいけないという考えに至り、自主独立の機運(少なくとも何らかの反駁)が高まるはずですが、敗戦のショックにより自らの筋を封印し、平和憲法を金科玉条として信奉しているこの国は、逆に益々対米追従の世論が高まるような気がします。
そのうち、本件とは全く関係ないのに、アメリカのご機嫌を損ねたからTPPに参加しなくてはだめだ、とも言い出しかねません。

正論を発言することよりも、実現することは何倍も難しいことはよくわかりますが、かつての日本の筋を封印し先祖の魂をないがしろにしてまで進んできた戦後民主主義の結果が、先祖に哀悼の意を捧げただけで「失望した」との言葉を同盟国から浴びせられるような事態になった、という事を日本人がどうとらえる事ができるのか今後の世論を注目したいと思います。(あるいはこのことは見ない振りをして黙殺されるか、ただ単に忘れ去られるだけも知れませんが。)

上記記事の最後の部分の「首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する」とのアメリカの発言は、簡単に言えば「負けた国は負けた国らしく、戦勝国による戦後体制の維持に努めるべきだ。」と言っているだけです。彼らの言う「平和」とは「戦後体制の維持」であって、とりもなおさず日本の自主独立(戦後レジームの脱却)を願っていないという事になります。

この言葉を聞いて、私は三島由紀夫が自決する約半年前の昭和45年7月に産経新聞に寄稿した、「果たし得ていない約束―私の中の二十五年」という有名な文章を思い出しました。
最後に、この文章の終わりの部分を下記に引用します。
『このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。』




建国記念の日の「の」

2013年02月11日 | 歴史
建国記念の日の「の」

本日、2月11日は「建国記念の日」です。

昭和41年に祝日法改正により国民の祝日に加えられ、翌年より施行されました。
その目的は「建国をしのび、国を愛する心を養う。」とされています。

実はこの日は、明治時代に定められた「紀元節」(昭和23年に廃止)と同じ日で、初代天皇の神武天皇が即位したとされる日(2月11日)にちなんでいます。

つまり建国記念の日は、以前は紀元節と呼ばれていました。

紀元節が廃止された時期が戦後すぐであることからお気づきでしょうが、昭和22年、当時の片山内閣が祝日に関する法案で新たに建国を祝う祝日を制定しようとした際、GHQによって建国記念の日(法案では「建国の日」)が削除されたため、日本建国を祝う祝日は昭和23年に事実上廃止されました。その結果、昭和41年に建国記念日が、復活するまで日本人は20年近く自国の建国を祝う事ができませんでした。

人間で言えば、自分の誕生日が普通の日と変わりがない状態にされた事と同じで、ある意味人生の意味というか意義を取り上げられたようなものです。
「お前が生まれた日は、お前にとってなんでもない意味が無い日だ。祝うなんて必要ないだろ?HAHAHA~!それより脱脂粉乳とパンでも食っとけ。」と言われたも同然でしょう。(注 後半はかなり主観と悪ノリが入ってます。)
戦争に負けたので仕方がない事と言えば仕方がない事かも知れませんが、その当時の連合国が戦争に勝ったとは言え、いかに日本という共同体の団結力を恐れていたかを示す一例でもあると思います。その恐れは戦後GHQが実行したWGIP(War Guilt Information Program 戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画 )に繋がっていくことになります。

ところで、日本が独立を取り戻した昭和27年(1952年)から昭和41年の建国記念の日が復活するまで何故こんなに時間がかかったのでしょうか。
実はこの建国を祝う日の設置を定める法案は成立するまでの間、10回の国会提出と廃案を繰り返しています。

最初に法案が国会に提出されたのは昭和32年です。

その当時、野党第一党であった日本社会党は以下の理由で法案を批判し、賛成しませんでした。
「神武天皇即位の年月は、歴史上、科学的に根拠が薄弱である」
「神武東征の物語りが、征略国家として支那事変、大東亜戦争において利用され、偏狭なる忠君愛国の教育とも相待って、日本の進路を誤まらせた」

結局「建国記念日」を神武天皇が即位した日とすると、天皇を認める事になり、左翼の方々には受け入れられなかったようです。そのため、半ば言いがかり的な理由をつけ、反対していたのです。
国と歴史を軽んずる、左思想らしい軽薄な罪深い行為だと思います。

イエス・キリストを産んだ聖母マリアが処女懐妊したというエピソードを信じている人はほとんどいないでしょうし、それを科学的に証明することに何の意味もありません。神話とはそういうものなのです。
また神武天皇の東征に触れているくだりは完全にWGIPによる戦後自虐史観に基づいた思考回路です。(その割には大東亜戦争という言葉を使っていますが。)
この後の9回に及ぶ法案提出、廃案の繰り返しも上記のような議論がテンプレになったものと容易に推測できます。

そしてやっと昭和41年に「建国記念の日」が制定されるわけですが、この時もすんなりとはいかず、やはり法案に記載された「建国記念日」という名称が問題となり、最終的に「の」を挿入し「建国記念の日」として『建国されたという事象そのものを記念する日』であるとも解釈できるようにし、左派の反対勢力も妥協したそうです。(共産党は未だに反対しているそうですが。)


「2月11日は建国記念の日です。建国記念日ではありません。」とやたら強調する学校の先生(間違いなく日教組)がいるそうですが、はっきり言って気持ち悪いし、それを教わる子供達もかわいそうです。
「今日はあなたたちが生まれた日じゃないけど、一緒に誕生を祝いましょう!」と言われているのと同じですよ?

今の日本は国内だけでも一刻も早い震災復興、デフレ脱却による経済復活、領土問題、防災減災、エネルギー安全保障等いろいろな問題が山積しています。
正にこうした様々な国難を抱えるなか、いろんな意味で日本はいま瀬戸際に立たされていて、こういう時こそ国民が一致団結し問題解決に向けて力を合わせなければならない、本当に大事な時だと思います。
WGIPに汚染され、自虐史観の反動で個人主義を勘違いした「左翼」の代表とも言えるマスコミを始めとした反日の人々は、この国の将来にとって有害でしかありません。

戦後日本が主権を回復してもなお、国内の戦後自虐史観に汚染された反対勢力によりなかなか成立しなかった建国記念の日のエピソードは、今のこの国の戦後レジームの問題点、左翼思想に汚染され、日本という国体に対する意識が希薄化している今の日本の状況をよく表していると思います。