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戦後日本の歪んだ常識

2014年08月15日 | 歴史
戦後日本の歪んだ常識

毎年この時期は戦争に関する報道が数多くされます。大体が「先の大戦後の日本は反省し日本国憲法のもと軍国主義国家から平和主義国家へと生まれ変わった。」とする主旨の報道ですが、こうした報道を見るたびに「独立国から隷従国になっただけじゃないか」とうんざりします。
真の平和主義国家は「武力を行使できる能力があるが、正しい判断のもとでしか行使しない」というものであって、今の日本国憲法の9条をベースとした、何があっても武力を行使しないと言う平和主義は「武力を行使しない」のではなく、「武力を行使できない」若しくは「する気もない」といった独立心を持ち合わせないレベルの低い思想です。
つまり9条によって放棄したのは「戦争」ではなく「戦う事も辞さない正義心を持った生き方」と言えます。

ところでこの「軍国主義」と言う言葉も、かつて西欧列強が行った「帝国主義」のスケープゴートにされているところが多分にあり、戦後秩序と言われる戦後レジーム体制の価値観と先ほど触れた日本の思考停止した平和主義の一端をよく表している言葉であると思います。

軍国主義は主に戦前の日本に対して使用されることが多く(たまにナチスドイツを含みますが)、あたかも戦前の日本だけで発生した特殊な現象であるかのような含みがあります。その証拠に、多くの日本人はこの言葉を聞くと直ぐに戦前の自国のことを思い浮かべるでしょう。
では果たして日本だけが軍国主義国家だったのでしょうか。(今の日本も自衛隊があるから軍国主義国家だ、という妄想を披露するサヨクの意見は無視します。)

そもそも軍国主義とは、ある国の国力を軍事力強化のため集中投入する国家体制を指しますが、この軍事力の強化とは単に手段であって、それ自体が最終的な目的となる事は通常ありません。(軍事力強化を一種の公共事業とみなす場合もあり、その場合は目的化することがあるかも知れませんが一時的なものです。)
つまり何かの目的のために軍事力を強化するのであって、戦前の日本に対してこの言葉が使われる時は、他国に対しその軍事力を背景に覇権的な振る舞いを行うという意味まで含まれます。
しかし、軍国主義にこうした侵略性の意味までを含めるとしたら、産業革命後の19世紀中期以降から第2次大戦後まで続いた、近代西欧諸国の帝国主義と軍国主義はどこか違うのでしょうか。

近代西欧諸国は「無知で野蛮な民族や国を、西欧の近代国家がその能力で進歩させる事は、最終的に世界中に秩序をもたらし平和が広がる。」という大変身勝手な思想から、他国で植民地や租界を武力によって獲得するという乱暴狼藉な侵略行為を世界中で繰り広げました。
これがいわゆる帝国主義です。
こうした思想は進歩主義・啓蒙主義などの西欧近代思想を根底とし、そこから西欧諸国は「白人の責務(The White Man's Burden)」としてこの帝国主義の野蛮な行為を正統化しました。
(その他こうした傲慢なスローガンは、某国が原住民であるインディアンを迫害し入植を進める時に掲げた「明白なる使命(Manifest Destiny)」なんてものもありました。)
この「白人の責務」の対象となった民族や国は、第2次世界大戦後まで決して独立・近代化することをできなかったばかりか、白人の搾取の対象でしかなかったのです。
西欧の帝国主義は、こうした西欧近代思想の傲慢性が生み出したものと言わざるを得ません。
「白人の責務」とは随分とふざけた言い草です。

一方日本における帝国主義の起源は明治開国までさかのぼります。
開国以前の日本も西欧諸国からみれば無知蒙昧な国と考えられていたため、いつ植民地化されてもおかしくない状況でした。つまり「白人の責務」の対象であった訳です。
しかし、先人達は殖産興業・富国強兵などの実経済政策や廃藩置県・憲法制定などの国づくりなどを必死に進め、日本はアジアで最初の(物理的な)近代独立国家となりました。
こうして、幸いにも独立を維持できた日本ですが、自らを変えるべく行った近代化の努力が、一方で日本にも帝国主義をもたらすことにもなりました。
何故なら「日本の近代化」とは「日本の西欧化」とイコールであり、日本は「世界列強に伍する」ため彼らの「責務」をお手本としたからです。
当初は、日本国の独立を保つと言う切羽詰まった目標から出発した日本の近代化の努力が、帝国主義へと繋がった事は、近代日本が西欧近代的価値観を取り入れ邁進することが必要であった事を考えると不可避的な事であったと思いますし、その結果、こうした野蛮な当時の世界秩序に巻き込まれたとも言えるでしょう。

「西欧諸国も同じ事をしていたのだから日本の帝国主義・軍国主義は悪くない」などと言いたいわけではありません。
日本に軍国主義のレッテルを貼ることは、戦前を反省している訳でもなんでもなく、現代の日本人が勝手に当時の日本政府や軍部を悪者に仕立て上げ責任を押しつけて、自分をその責任から安全圏に逃して思考停止しているだけです。また、当時の殺伐とした弱肉強食な世界情勢を理解できず、戦前の日本=悪、西欧諸国=正義という単純な二元論にも陥ることにもなり、何故争いが起こったのかという事を本当に理解する妨げになる、という事を言いたいのです。(この二元論は、現在に続く戦後レジームとも言えます。)

もっと詳細に確認すれば、今回触れた西欧近代思想の傲慢性以外にも様々な時代背景があって先の大戦が起きました。その原因や背景に目を向けなければ、戦争を防ぐことなどできるはずもなく、真の平和主義から益々遠ざかる事になります。(9条をノーベル賞に、などは本当に子供じみた発想です。言葉だけで本当に平和が訪れると思っているなら苦労しません。竹島漁民の殺害やシベリア抑留、拉致事件などがあった戦後日本が平和かどうかわかりませんが、戦争がなかったのは単純に日米安保があったからです。別に親米派ではありませんが。)
だとすれば、戦前の軍国主義を反省し戦後日本は平和国家になったなどとする今の日本の一般的な常識はまったく褒められたものではなく、浅薄な、一部の先人たちに罪を着せる卑怯な考えである事がわかると思います。
こうした歪んだ常識を日本人は一つ一つ潰していかなければなりません。今世界中で起こっている問題の背景には、多くの日本人が頭から信じきっている近代主義の矛盾から発生しているかも知れないという発想に立ち、これを疑ってみるぐらいしなければなりません。