台湾に行って考えたこと
昨年の年末から年始にかけて台湾へ行ってきました。4泊5日の長めの日程でしたのであちこち行きましたが、印象に残った場所の一つが台湾南部にある、建設当時は東洋一の規模を誇った烏山頭(うさんとう)ダムでした。
このダムはすでに日本統治時代が始まっていた1920年に着工し1930年に完成しましたが、台湾南部の台南市を一大農業地帯に変貌させ、人々の暮らしを豊かにしたダムとして知られ、またダムの建設に多大な貢献をした日本人技師の八田與一(はったよいち)は、台湾の人々の間で今も一番有名な日本人です。
この功績により、ダムのほとりには八田與一の銅像が建立され、台湾の中学生の教科書にはこのダムと共に八田與一が紹介されています。
私がダムを訪れた日はとても天気もよく、ダムの遠景まで望め、八田與一の銅像はその偉業の大きさとは対照的に静かに物思いにふけっているかのような銅像でした。
当時は日本領とはいえ、故郷からはるか彼方の地で10年以上にわたり格闘した日々(このダム事業はその規模により難工事でしたが、資金繰りも非常に苦労したそうです。)をまるで思い返しているかの様な印象を受ける銅像です。
また、ダムを訪れた翌日に烏山頭ダムに行ったことを台湾の人に話したところ、とても嬉しそうな顔をしていた事が強く印象に残っています。
最近の日本では台湾への旅行者が増え、親台感情も非常に高まっていますが、それでも八田與一の事を知る日本人が少ないという事実は日本と台湾において伝えられる歴史認識の違いがよく現れています。
戦後日本の教育では日本が東南アジアの各国に多大な被害を及ぼしたことばかりが教えられ、ほとんどの今の日本人は戦前の日本が侵略的で悪さばかりをしたと考えがちです。
もちろん今の感覚で考えれば、他国の主権を侵害する事は許されるものではありませんが、学校教育やマスコミが戦前の日本に関して、八田與一のようなエピソードに触れる事はほとんどなく、非常に稀です。
以前のエントリーでも触れたように、武力を背景に他国を制することは当時の国際的なルールに反した行為ではなく、西欧列強国が他国で普通に行った植民地政策と日本の帝国主義と言われた政策に違いはありません。しかし先の大戦に敗れた日本(とドイツ)は悪のレッテルを貼られ、GHQによる戦後教育で徹底的にこのことを教え込まれ、その結果、この国は過去について「とにかく悪かった、謝罪する。」という表面的な態度を繰り返す国となりました。ここで言う表面的な態度とは、何故そうした事をしたのか原因を知らず(もしくは知ろうともせず)、説明もしようともせず(もしくは説明もできず)、ただただ謝罪する態度の事です。
戦後の歴史教育だけでは、例えばほとんどの台湾人が感謝している八田與一という日本人を多くの日本人が知らないという状態では、何故未だに台湾に新日の人が多いのかということも全く理解できないことでしょう。もしかするとただ単に台湾の人は寛容だから、という認識しかないのかもしれません。
また、中国や韓国などの特定のアジア隣国以外の東南アジア諸国が新日的であることも理解できないでしょう。
これらの新日的な感情の源泉は、もちろん戦前日本の評価からくるものです。この時代の植民地政策(つまりごく普通に西欧列強国が行っていた徹底的な搾取です。)と日本のそれは全く違う考え(例えば今回訪れた烏山頭ダムのように大規模な投資事業を行いました。)でしたし、また先の大戦を日本が戦う事によって、このスタンダードな植民地支配の根源を支えていた白人至上的な傲慢な思想(例えば以前触れた「白人の責務」など)に、多少なりとも亀裂を生じさせた事が評価されているためです。
多くの日本人が考えるスタンダードなアジア諸国への罪の意識は、こうした事を踏まえるといかに表面的で軽いものであるかよくわかります。知ってもいない事を何故二度とやりません、と言い切れるのでしょうか。むしろ不真面目な態度と言えるでしょう。
しかしこうした事実を捉えて、だから戦前の日本は良かったとか、日本の評価を変えさせようとか、そういう事を言いたいのではありません。
そもそも当時の出来事を今の感覚で善悪の基準で評価すること自体が大それてた控えるべき態度であり、また明らかに不当な事実誤認は別として、他国に対してこうした評価を押しつけることも間違いです。それでは自分達の傲慢で残虐的な行為を隠すために、戦前の日本に悪のレッテルを貼った連合国と同じになってしまいます。
私が言いたいのは、今の日本でスタンダードに教えられ、信じられている歴史観はかなりバイアスのかかったものであり、自分達が過去の日本の歴史について知らな過ぎだと言うことを自覚することが大事だという事です。
そしてこうしたバイアスのかかった歴史観こそが戦後レジームの一端であると知るべきです。
多くの日本人が東京裁判史観の単純化された捻じ曲げられている歴史観を持ち、そのことに少しの疑いも持たないほどに洗脳されていることは、例えば今回の従軍慰安婦問題について朝日新聞などのマスコミが、真実を伝えていなかった事を謝罪するまで多くの時間がかかったことによく表れています。
日本を取り戻すことは、歴史を取り戻すことでもあり、こうした事を一つ一つ解きほぐしていくしかないと思います。
昨年の年末から年始にかけて台湾へ行ってきました。4泊5日の長めの日程でしたのであちこち行きましたが、印象に残った場所の一つが台湾南部にある、建設当時は東洋一の規模を誇った烏山頭(うさんとう)ダムでした。
このダムはすでに日本統治時代が始まっていた1920年に着工し1930年に完成しましたが、台湾南部の台南市を一大農業地帯に変貌させ、人々の暮らしを豊かにしたダムとして知られ、またダムの建設に多大な貢献をした日本人技師の八田與一(はったよいち)は、台湾の人々の間で今も一番有名な日本人です。
この功績により、ダムのほとりには八田與一の銅像が建立され、台湾の中学生の教科書にはこのダムと共に八田與一が紹介されています。
私がダムを訪れた日はとても天気もよく、ダムの遠景まで望め、八田與一の銅像はその偉業の大きさとは対照的に静かに物思いにふけっているかのような銅像でした。
当時は日本領とはいえ、故郷からはるか彼方の地で10年以上にわたり格闘した日々(このダム事業はその規模により難工事でしたが、資金繰りも非常に苦労したそうです。)をまるで思い返しているかの様な印象を受ける銅像です。
また、ダムを訪れた翌日に烏山頭ダムに行ったことを台湾の人に話したところ、とても嬉しそうな顔をしていた事が強く印象に残っています。
最近の日本では台湾への旅行者が増え、親台感情も非常に高まっていますが、それでも八田與一の事を知る日本人が少ないという事実は日本と台湾において伝えられる歴史認識の違いがよく現れています。
戦後日本の教育では日本が東南アジアの各国に多大な被害を及ぼしたことばかりが教えられ、ほとんどの今の日本人は戦前の日本が侵略的で悪さばかりをしたと考えがちです。
もちろん今の感覚で考えれば、他国の主権を侵害する事は許されるものではありませんが、学校教育やマスコミが戦前の日本に関して、八田與一のようなエピソードに触れる事はほとんどなく、非常に稀です。
以前のエントリーでも触れたように、武力を背景に他国を制することは当時の国際的なルールに反した行為ではなく、西欧列強国が他国で普通に行った植民地政策と日本の帝国主義と言われた政策に違いはありません。しかし先の大戦に敗れた日本(とドイツ)は悪のレッテルを貼られ、GHQによる戦後教育で徹底的にこのことを教え込まれ、その結果、この国は過去について「とにかく悪かった、謝罪する。」という表面的な態度を繰り返す国となりました。ここで言う表面的な態度とは、何故そうした事をしたのか原因を知らず(もしくは知ろうともせず)、説明もしようともせず(もしくは説明もできず)、ただただ謝罪する態度の事です。
戦後の歴史教育だけでは、例えばほとんどの台湾人が感謝している八田與一という日本人を多くの日本人が知らないという状態では、何故未だに台湾に新日の人が多いのかということも全く理解できないことでしょう。もしかするとただ単に台湾の人は寛容だから、という認識しかないのかもしれません。
また、中国や韓国などの特定のアジア隣国以外の東南アジア諸国が新日的であることも理解できないでしょう。
これらの新日的な感情の源泉は、もちろん戦前日本の評価からくるものです。この時代の植民地政策(つまりごく普通に西欧列強国が行っていた徹底的な搾取です。)と日本のそれは全く違う考え(例えば今回訪れた烏山頭ダムのように大規模な投資事業を行いました。)でしたし、また先の大戦を日本が戦う事によって、このスタンダードな植民地支配の根源を支えていた白人至上的な傲慢な思想(例えば以前触れた「白人の責務」など)に、多少なりとも亀裂を生じさせた事が評価されているためです。
多くの日本人が考えるスタンダードなアジア諸国への罪の意識は、こうした事を踏まえるといかに表面的で軽いものであるかよくわかります。知ってもいない事を何故二度とやりません、と言い切れるのでしょうか。むしろ不真面目な態度と言えるでしょう。
しかしこうした事実を捉えて、だから戦前の日本は良かったとか、日本の評価を変えさせようとか、そういう事を言いたいのではありません。
そもそも当時の出来事を今の感覚で善悪の基準で評価すること自体が大それてた控えるべき態度であり、また明らかに不当な事実誤認は別として、他国に対してこうした評価を押しつけることも間違いです。それでは自分達の傲慢で残虐的な行為を隠すために、戦前の日本に悪のレッテルを貼った連合国と同じになってしまいます。
私が言いたいのは、今の日本でスタンダードに教えられ、信じられている歴史観はかなりバイアスのかかったものであり、自分達が過去の日本の歴史について知らな過ぎだと言うことを自覚することが大事だという事です。
そしてこうしたバイアスのかかった歴史観こそが戦後レジームの一端であると知るべきです。
多くの日本人が東京裁判史観の単純化された捻じ曲げられている歴史観を持ち、そのことに少しの疑いも持たないほどに洗脳されていることは、例えば今回の従軍慰安婦問題について朝日新聞などのマスコミが、真実を伝えていなかった事を謝罪するまで多くの時間がかかったことによく表れています。
日本を取り戻すことは、歴史を取り戻すことでもあり、こうした事を一つ一つ解きほぐしていくしかないと思います。