とのさま日記なるもの

思いのすべてを書きます

両親との思い出

2020-04-09 20:50:06 | 私の頭の中の何か
中学生の頃
母が胃潰瘍で3ヶ月入院したんだ

私は元町まで学校に通っていたんで家とは反対の電車に乗って母の病院に毎日行っていたのね

そして父が仕事が終わったら病院に来てくれて院内の食堂で三人で晩ごはん
母は食べられないから父と私の食べる姿をみているだけ

でもいろんな話をして三人で笑顔でね

面会終了まで一緒にいて
父の車で私は垂水の家にかえったの

朝ごはんは父が用意してくれて、私のお弁当も作ってくれたのね

毎日毎日

3ヶ月後に退院した母
まだしばらく養生しないといけないので
父は家政婦さんを頼んでくれました

お金もかかったと思う

朝ごはんは父と私が一緒に作るようになりました
お弁当は父

父は母のためにお米からお粥を作っていました

家政婦さんは掃除や洗濯、晩ごはんの買い出しをしてくれました
晩ごはんも作ってくれました

母も徐々に元気になり、家政婦さんは2ヶ月で終了
それから三人で頑張りました

父が一番頑張っていたのに

私にプレゼントをくれました

とても素敵な腕時計

なかなかこんな高価なものを持っている人はいなかったと思います

私は私立に通っていたのでみんな腕時計をしています

その日、父からのプレゼントの腕時計をしていくとみんなが素敵!って言ってくれました

父が
ママが居なくて寂しかったな、良く頑張ったって

そんな穏やかな優しい三人家族でした

今でも父が大好きです

ウェディングドレスも父と元町に買いに行きました

体の弱かった母の代わりに私にいろいろとしてくれました

父も私も母はたぶん先に亡くなるんだなって思っていました
そのくらい体が弱かったのです

でも、父のほうが先に亡くなりました
67歳

母は85歳の誕生日を何とか少しだけ生きてくれました

もう両親はいません

でも
楽しかった両親との生活は私の心に残っているし
もし、来世があるなら両親の子供に生まれたいと思います

子供の頃は兄弟姉妹の多い家族が羨ましかったけど

大人になって喧嘩して音信不通になるような兄弟姉妹ならいらないなって今は思います

私は両親に愛されて守られて幼少期を過ごし、娘時代も過ごしました

ありがたい人生でした

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