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やすら木

朗読・オーディオブック制作「やすら木」のページです。
朗読ご希望作品はコメント欄にてどうぞ。

年賀状の季節

2016-09-29 13:40:51 | Weblog

郵便局から年賀状の予約がきたので、窓口受け取りで申し込んだら、配達に切り替えてもらえないかといわれた。

年賀状販売に関する配達担当のノルマのためらしい。

現在の状況では年賀状の事業自体は赤字だろう。物があふれる現代、お年玉年賀はがきの賞品がどれだけ喜ばれるか疑問である。

年賀状自体は廃止せずとも、普通の葉書に年賀と赤字でスタンプすれば良いわけだし、年賀スタンプと一体になった年賀用の切手を売り出せば次の年も使える。

利権に絡む印刷業社のためにやめられないと疑われる年賀葉書事業。民間なら事業存続や形態を検討すべきところを、社員にノルマを課してそのしわ寄せをするのは民営化の弊害である。

 

 


アメリカ大統領

2016-09-21 15:31:03 | Weblog

アメリカの大統領選挙についてはその手法の是非が分かれるところでもあります。

しかし、アメリカの大統領制度の素晴らしい点は2期8年以上は認めず、再度の立候補もないということです。

政治的後進国においては権力を握った者が自らに都合の良いように制度を改悪し、その座に居続けようとします。

それを独裁者と呼びます。独裁者は演説は上手ですが、他人の意見を聞いて議論を深められない思考停止型のコミュニケーション障害の人ではないかと思われます。こういう人は指導者になってはいけません。

先進国と言われるどこかの国でも似たような話がちらほら・・・


素敵な個展・武田史子版画展

2016-09-09 08:33:11 | Weblog
武田 史子 展
Fumiko TAKEDA solo exhibition
2016年9月3日[土]-9月17日[土]
September 3 - September 17, 2016
11:00AM - 6:30PM
日曜祝日休廊/ close on Sundays and Public Holidays

「ゆらぎ ~Waterlily~ 」46.8×31.5cm/銅版画・手彩色/ED.30/2015
お問い合わせは gtsubaki@yb3.so-net.ne.jp

ギャラリー椿

http://www.gallery-tsubaki.net/2016/fumiko_takeda/info.htm
http://www.takedafumiko.com

喧噪と熱気がうずまく町の一角に、夜の深遠が香り立ち微かな羽音が心を震わせ、
画廊を出ると夢から醒める、そんな印象の展示会でした。

https://www.facebook.com/noharakei27/


安曇野の雨

2010-03-30 21:04:29 | Weblog
安曇野の雨は山と里の季節を紡ぐ。
 ぼったりと重く湿った「上雪」が冬の終わりを告げると、繭玉から引かれる絹糸のように、春雨が音も立てずに舞い降りて、木々の冬芽を揺り起こし、山葵の花の芽を覚ます。
 初夏の雨は種まき雨。若葉が弾くきらびやかな陽光の合間に降る雨は、黒々と耕された田畑をしっとりと潤す。里人は、蓮華の花絨毯の彼方に山々を仰ぎ、種のまきどきを伝える「種まき爺」や「代掻き馬」の雪形が、残り雪を抱く山肌に現れる日を心待ちにする。
 6月、白く可憐な「えごの花」から清楚な香りが漂い梅雨を呼ぶ。さわさわと衣ずれにも聞こえる音を軽やかに奏で、細い雨が萌葱色の田に畑に惜しみなく降り注ぐ。「天水」と拝まれる水の恵みを、土は黙々と蓄える。
 森や林の夏葉は雨と戯れ、飽くことなく楽しげに踊り続ける。明け方、気まぐれな太陽が強烈な陽射を注ぐと、踊り疲れて寝過ごした水の精霊が、慌てて土に還っていくように、青葉に連なる雨滴が我先に去っていく。絶え間のない雫が放つ一瞬のきらめきに、永遠の別れを想う。
 「ひと雨欲しいねぇ」この挨拶が交わされると、雷雨の出番。夏空の紺碧がみるみるうちに墨色に覆われ、山々とともに稲妻に鋭く切り裂かれると、地響きをたてて大粒の雨が激しく大地を叩く。雨を疎んじる者の身勝手に怒りをぶつけているかにみえる、すさまじい勢いは、乾ききった土の匂いをかきたて、地に根を張るもの達がつく安堵のため息と混じり合う。翌朝、からりと晴れた空の下「いいお湿りで」とあちらこちらで笑顔がほころぶ。2つの挨拶が交互に繰り返される年は、秋の実りに心が弾む。
 肩をかすめる風が涼を帯びると、厳しい日照りに意地を張りながら大地をつかんでいた薄が、いつしか優しい佇まいとなり、雨は絵を描き始める。楓の紅色、夏はぜの赤紫、落葉松の黄金色。風に宿る温もりを秋の色に移し、雨は柔らかな絵筆となって樹木を染め上げる。
 里人は、豊かにたなびく稲穂の波を刈り取りはぜをかけ、手塩にかけた輝く果実を、我が子の如く慈しんで掌に抱く。ひと雨ごとに山々の錦は模様を変え、収穫の明け暮れを癒し、冬支度を急がせる。
 やがて山から駆け下りた木枯らしが朽葉を吹き散らし、冬越しの白鳥が湖に羽を休める頃、雨は雪に包まれ、すっかり葉を落とした裸木とともにしばし眠りに就く。瑠璃色の空に凛と稜線を描く純白の冬山に見守られ、人々が知る由もない巡り来る季節の夢をみながら、雨はひっそりと安曇野の冬を眠る。

線の文化と円の文化

2009-07-15 14:17:17 | Weblog
若い頃から和服を一人で着られるようになりたいと思っていたところへ、「着物病」を自称する遠縁のご婦人と親しくなり、無料の教授料に加え、桐の箪笥一杯の着物・帯のおまけつきで着付けを習える幸運に恵まれた。ちなみに「着物病」とは気に入った着物はよほどのことがない限り手に入れずにはいられない病で、これにとりつかれると、高級車数台分の金額を一瞬にして消費することにもなりかねないので、くれぐれも注意が必要である。
 彼女の懇切丁寧な実践的指導の下、とにもかくにも慣れない手つきで着物の襟をあわせ、腰紐を結び、帯を結ぶべく後ろへ回した二の腕の筋肉痛をこらえつつ、上手下手の裁定はさておき、一通りの基本を覚えた。しかし、実際に外出するには着崩れしない立ち居振る舞いが必要になるのだが、少しの日常動作でどうしても着崩れてしまう。
 かつて日本人は着物で家事をこなし、舞い、歌舞伎のような激しい動作や、果ては斬り合いまでしてのけたのだからできないはずはないと考え、苦心惨憺の末たどり着いた「奥義」が「直線動作」であった。立つ、座る、手を出す、歩く、一連の所作を無駄のない直線的な動きを意識して行ったところ、着崩れしにくいことを発見した。
 こうしてみると着物の時代、日本の生活文化は「線と平面の文化」であったといえる。着付けのときに注意されたのが「帯の飾り部分を除き、とにかく皺をつくらないよう、折り紙のようにきちんと折り込むこと」であった。広げてみるとかさばる着物も、折り目正しくたためばきれいな長方形になり、この形に合わせれば箪笥も長方形になり、これを納める家も直線の間取りでなければならない。いきおい箪笥以外の家具も直線となる。
 これに対し、西洋の生活文化は「円と立体の文化」である。着物ではシワにあたるギャザーやフリルを多用したボリュームたっぷりのドレス、猫足と呼ばれるなだらかな曲線を描く足に円や楕円の天板をのせたテーブル、美しい曲線のチェストなど、立体感を感じさせる曲線のデザインが多い。この違いは何に因るのだろうか。
 四方を海に囲まれた日本の国土は狭く、暮らす人の数が多い。この事実を肌で感じていた先人は究極の合理性を生活文化に求めていったのではないだろうか。
 着物は一本の反物を無駄なく使って将来サイズを変えることもできるよう、小柄な人用には余った部分を縫い込んで仕立て、少々の体型の違いは着方で調節するようにした。そうすることにより、多くの人と共有できるため、資産としても流通した。戦後、物資の不足していた時代に、嫁入り支度で家が一軒建ったという話さえある。古着をほどけばすべて長方形の布となり、手拭い、雑巾、おしめなど様々な形で寸分無駄なく再利用された。不景気で多少反省されつつあるものの、現在の目を覆いたくなるような無駄とは対照的である。
 そして着る人にも合理性が求められた。女性には未婚・既婚・年齢に応じて着物の袖の長さや色遣いに暗黙のルールがあり、さらに江戸時代には士農工商の階級により、髪型、着物の着方、帯の結び方も決められていた。つまり、女性の着物姿を見るだけで性格・階級・年齢・婚姻の有無、資産状況までをおおよそ察することができたのであり、(「時代劇の将軍」のように容易に町人に化けることもできたのではあるが・・)少々味気ない気もするが、男女交際においても階級を意識させ、結婚を前提にした合理性を求めたと思われる。
 そしてこの究極の合理性が、日本人の情緒を大切にする気質を産んだのではないだろうか。寸分隙のない生活文化は時に息が詰まる。着物もすべて同じ型でつくられるのだから無地ばかりでは面白味がない。そこで、友禅、絞り、紬など、染・織りに技巧をこらした技術が発達し、布地に自然や四季のうつろいを表現し、同じ型だからこそ比べうる美が生まれていったのだろう。
 そして物事の解決においては、理に走らず、何より人の和や情を重んじ、曖昧ささえ容認した。行き場のない狭い国土に暮らす人々が争い続ければ、互いが滅んでしまう。もちろん民族間の対立という複雑な問題が少なかったことも、こうした考え方を可能にした大きな要因である。
 対してヨーロッパはイギリスを除き、広大な大陸が続いている。陸を辿っていけば、ロシア、中国、アラブ、インド、など遙か彼方まで国土を広げることができる。第2次対戦までのヨーロッパ諸国はそれぞれが広大な大陸を支配すべく、度重なる戦乱と和解に明け暮れた長い時代を経験した。契約という概念は戦争終結のための和解が礎となったといっても過言ではないだろう。民族問題を含め、衝突する利害をすり合わせて交渉をまとめるには理詰めの合理的思考が要求され、僅かな隙で自国の利益を逸することになる。もちろん時にはフランスで行われた美味しい料理とワインンによる「饗宴外交」といった情緒的試みが企てられることもあるのだが、日常的にこのような行為を繰り返している人々のストレスは、はかりしれないものがある。
 そこで無意識のうちに、生活文化には合理性ではなく、ゆとりや華やかな美しさによる心の癒しを求めることにより、精神的なバランスを保っていたのではないか。もちろんその根底には広大な領土を支配する野心が渦巻き、その象徴が各地に建設された壮大な城だろう。
 つまり、狭い国土に暮らす先人の知恵が作り上げた合理的な「線と平面の文化」が、日本人を情緒的気質の民族に育み、領土争奪を目的としたヨーロッパの「合理的思考」が、情緒的な生活文化として「円と立体の文化」を育んだと考えられるのではないだろうか。
 明治維新以降日本には物心両面でヨーロッパ文化が流入し、第2次対戦後はアメリカ文化が支配した。しかし、それはあくまで表面的な部分が変わっただけで、日本人の情緒的気質が大きく変化したわけではなく、従って社会構造に大きな変化も生じていない。物事の決定は理詰めの作業ではなく「根回し」という情緒的な気配りに左右され、事故が起きた場合は、責任の所在はともかく、とりあえず傷つけた側が謝罪をするという情緒的な反応が要求される。合理的思考の下では、「謝罪」は責任を認め、賠償をともなうものであるが、情緒的民族にとっては必ずしもそうではなく、単に「気持ちが収まらない」ということなのである。
 しかし、生活文化の一部は変わった。高層建築の技術が進み、容積の増大により、国土の狭さを克服し、家具や洋服など曲線かつ立体的な心癒され遊び心のある生活文化を取り入れることを可能にし、様々な利便性をも手に入れたことから、他人と助け合うプラス面での情緒的交流の必要性が薄れ、むしろその煩わしさ避けて互いに孤立してしまった。
 そして21世紀に入り、コンピュータの急激な発達とともに、経済面において国家間の壁が消失同然となり、「グローバル化」という名の合理主義の波が情緒的民族を襲った。コンピュータは合理性の象徴である。それに基づく社会を含めた組織のありようは合理性だけを追求される。その一端が成果主義であり、派遣労働システムによる労働力のコスト調整である。
 景気の良い時には沈んでいた、労働者と経営者の関係は金銭という数字のみで割り切られ、情緒的民族にはそこまでの覚悟や準備はできていなかった、という事実が昨今の金融危機で浮かび上がり、現在の混乱を引き起こしているといえる。グローバル化の波の間に難破船の乗組員が漂流し、かたや彼らをみつめながら、自分もいつ大海に放り出されるか不安を抱えながら航海を続ける乗組員が今の多くの日本人である。
 あらゆる生物は驚異的なバランスを保ちながら存在しており、人は最も複雑な構造であるため特にそのバランスは脆弱ともいえるほど微妙である。増大する不安が情緒を揺るがし、精神がバランスを失えば、心は活動を停止させるか暴走する。インターネットを含めたメディア上での情報・言動に対して自らの判断を放棄したような無節操な追随や、他人に対する無差別な攻撃がその一端である。
 揺るがされた情緒をコントロールするのは皮肉な話だが合理的思考である。自分の行動の根拠や意味、それがもたらす結果を理詰めでつきつめれば、無謀な行為は消失する。一方で、人と人との間に互いの生活を尊重しつつ分断された情緒的な交流を復活させることも必要であり、「隣人祭り」など、自立した人間関係のコミュニティを形成しようという最近の動きも、情緒的な交流を深めたいという意識の表れといえる。
 国家間の距離は近く壁は低くなり、互いにあらゆる影響を受けることが避けられない現代は、極端な合理的思考や情緒的思考では理解し合うのは難しく、様々な行き詰まりを見せている今こそ双方の良いところを取り入れたバランスの良い思考法を求めるため、日本は「線と平面の文化」が生んだ情緒的な「和の心」や「合理的生活」を、素晴らしい芸術文化とともに輸出し、「国際競争力」から「国際共存力」へと考え方をシフトさせるよう勤めるべきではないだろうか。
 染め、織り、縫い、それぞれの職人が心をこめて作り上げた黒地に桜の散る着物をたたみながら、ふとそんなことを考えた春の午後であった。

静謐なる詩情ーヴィルヘルム・ハンマースホイ展より

2008-12-22 11:47:07 | Weblog
静謐なる詩情ーヴィルヘルム・ハンマースホイ展より

 扉だけが描かれた誰もいない空虚な部屋。強い存在感を放つ家具や楽器に比べ、ほとんどが後ろ姿に描かれた人物の背中から放たれる寂寞に、部屋の空虚はさらに増幅する。
 ヴィルヘルム・ハンマースホイの絵に漂う共通した主題は「虚ーうつろ」ではないだろうか。
 画面の人物達の視線は交わることもなく、同じ方向を見るわけでもない。それぞれが、異なる場所へ視線を投げかけている。さらには実際に何かを見ているのかも疑わしい。視線を漂わせながら、心は別のところにあるようにさえみえる。物理的には同じ空間に在りながら、精神のある人間としては何の共有もない世界は、時代を超え、現代の疎外感をあまりに如実に表している。
 鋳物のストーブ、チェロなど、人の寿命を越えて存在しうる物を描くタッチは色彩と共に不自然なほど重厚感に溢れ、うつろいやすい人の営みを拒否しているかのようにさえみえる。それは、人との関わりを拒みながら生涯を終えた画家の内面を象徴しているかのようだ。
 人が暮らている以上、現実にはありえない、がらんどうの部屋を描くことにより、画家は、生命のはかなさ、生きることの虚しさを想い、開け放たれた扉の向こうにさらに開け放たれた扉が続く絵には、現実を超えた世界に想いを馳せたのかもしれない。

混ぜてしまえば

2008-09-16 08:54:59 | Weblog
アメリカ大手証券会社の破産が話題となっています。
サブプライム証券による負債が主な原因といわれていますが、これは粗悪な素材を「混ぜてしまえば判らない」という形で複雑に細分化して、良質な物に混ぜ込んだ結果起きた食中毒のようなもの。
 そもそも金融は経済の1部門として機能していたのが、最近は実態のない金融が肥大化し、経済を振り回しながら呑み込んでしまいそうな勢いでした。
 これは、経済や生活のとは何かという原点を考える良い機会かもしれません。
 

とらおとねこまるのフランス紀行ミシェルブラス編

2008-08-02 08:26:57 | Weblog
翌朝、朝食をとってから、部屋に帰りテレビをつけると、空港の様子が映ったが、すぐに天気予報に変わってしまい、フランスはきょうの午後あたりから雨らしい。我々が来る前もずっと雨模様だったがねこまるが来たとたん、お天気になったのだ。さすが天照大神の異名をとる晴れ女ねこまるである。大きな事故ならまたニュースで取り上げるだろうと思って荷物の点検をしながらテレビを見ていたが、特に大きな事件でもなさそうである。
 バゲージをころがしながら、駅に着くと、窓口は結構混んでいる。そこで券売機で乗車券を買うことにしたが、現金は使えず、クレジットカードしか受付けないので、VISAのステッカーが貼ってある機械で指示通りに操作したが、ディスプレイにはAMEXかDINERSしか使えないとでてしまう。何かの間違いかと思ってもう一度試すが結果は同じで、仕方なくとらおの持っている提携カードを探し出しAMEXで操作をするが、やはり乗車券は出てこない。機械性能が悪いのかと思い、別の券売機に行き、同じ操作をするがやはり券はでてこない。2人で冷や汗をかきながら焦っていると1人の旅行者らしき青年が近づいてきて、パリ・ディジョン間の乗車券を差し出すではないか。英語は通じず、一瞬なにがなんだか分からなかったが、どうやら我々が立ち去った後の券売機にチケットが出ていて、それを持ってきてくれたらしい。ということは・・・案の定目の前の機械の中にも乗車券が出ていて、自動券売機のスピードが日本並みではなかっただけのことだった。青年にお礼をいって、ともかくTGVのホームに向かう。フランスの乗車券は発券後2ヶ月くらい有効なので、場合によっては人に売ることもできたのに、わざわざ教えてくれて助かった。本当に最後の最後まで皆の親切に救われた、とらおとねこまるであった。
 そして無事パリ行きのTGVに乗り込むと、車内はかなり混んでいる。指定券の番号の席に行くと、若い男が2席占領して熟睡しているではないか。3度番号を確認してから声をかけると、面倒くさそうに身を起こし、一つ席を空けただけで、動こうとしない。さすがにねこまるがむっとしていると「あ、2つともなの」ととぼけながら、自分の席へ移っていった、と思ったら「ミー、アゲイン」とかいいながら網棚の荷物を取りに来た。座席のまわりは散らかしてあるし、まったく失礼な男である。途中で車掌が検札に来たが、日本の車掌が愛想良く低姿勢なのに対し、目つきは鋭くまさに「検札」という感じである。やはり乗車券を買っておいて正解だったようだ。

 パリに着くと早くも雨が降り出していた。シャトルバスでシャルル・ド・ゴール空港に到着する。混雑している空港内でしばしば目に付いたのが迷彩服に自動小銃を携えた目つきの鋭い警備員であった。これに比べると成田空港の警備はないに等しいような気もする。テロへの警戒からか前回来たときより空港の警備は厳しくなっているようだ。チェックインをして出国審査の列に並ぶが、何があったのかなかなか動かず、列は長くなるばかりである。後で知ったのだが管制官のストライキだったようだ。フランスでは公共機関においてもしばしばストライキがあるらしいが、これはストライキが労働者の権利として広く国民に理解されているからかもしれない。出発に間に合うか少し心配になってきたが、ようやく審査カウンターがみえてきた。と、1人の女性がせっぱ詰まった様子で審査官に何か訴えている。良く判らないが、あの焦りようとゼスチャーから、どうやらバゲージをすでに預けてしまっていて、列に並んでいては間に合わないということらしいが、審査官は聞き入れない。するとそのマダムは次に、列の一番先頭にいる日本人ツアーの添乗員になんとか順番を譲ってくれるよう交渉を始めたが、審査官は窓を叩いて彼女を制し、列の後ろへつくよう命令した。気の毒な感じもするがこういう状況で一つ例外を認めると大変なことになるからだろう。我々は何とか出発に間に合ったうえ、機内はとても空いていて、2人で3人分の席を使うことができ、ゆったり過ごすことができて助かった。
 それにしても気になるのは日本人ツアー客の行儀の悪さである。自分の周辺に全然気を遣わず、荷物が通行のじゃまになっていようが、座席の脇にしゃがみこんで狭い飛行機の通路をお尻でふさごうが、お構いなしに仲間内だけに気を遣い、おしゃべりに夢中になっている。同国人だけに余計腹が立つのかもしれないが、これでは海外で日本人の評判が下がるのは当たり前である。と同時に、自分の周囲に全然気を配らないのはとても危険なことであるようにも思う。

 今回は星付きのオーベルジュから、安宿までいろいろな所に泊まり、ほとんどの昼食をピクニックランチとカフェですましたが、費用は中位のホテルに泊まるツアーとほぼ同じくらいで、好みの良いワインが飲めた分だけ割安だったが、準備もかなり大変だったし、全行程をとらおが運転してくれたので結果的にはツアーの方が安上がりという感じである。しかし、ツアーとは比較にならない貴重な体験をし、とても楽しく有意義な旅行となった。

 フランスの食が文化となり得ているのは、レストランという場で食を通して楽しい時を過ごすという習慣が根付いているからだと思う。もちろんまず店側が料理を含め誠意あるサーヴィスを提供することが大前提であるが、ゲストも、お互い軽く挨拶をしあったりして周囲を気遣ったり、サーヴィスに対し感謝の意をスマートに表したりし、サーヴィスはゲストにいかに快適に食事をしてもらえるかに気を配り、お互いに、心地よい時と場所を創り出し、楽しもうという気持があるからではないかと感じた。最近、日本でも飲食に関する情報が増えたのは良いことではある。しかし、ブームと聞くやピラニアのように行列をなして群がり、評論家のまねごとをして、あげくにその店を潰したり、質を低下させたりしてしまうこともままあるようだ。
 若者が大人の真似をしたり背伸びをしたりして、そういう行動に走るのはまだ仕方ない面もあるが、少なくとも子供を持つような年齢にある人は、店を育てるくらいの気概が欲しい。自分好みの新しい店に出会ったら、料理やサーヴィスの良いところをほめながら、それとなく自分の好みやお客はどうしたら喜ぶかを、例えばカウンターのこじんまりした店に対し、ホテルのような慇懃なサーヴィスを求める的はずれな指摘ではなく、店の規模や質を見極めて適切に伝えていく。そうすれば店主はそのお客を歓待こそすれ、決して粗末にはしない。個性的な良い店は結局良いお客が育てるものだし、良いサーヴィスを受けたければ、やたらに評論家ぶった態度を取るのではなく、その場の雰囲気を心地よいものにする良いお客になることだ。最近、そのような「粋なお客」が少なくなってしまったのはとても残念なことである。この「粋」という文化をになっていたのが、壮年の殿方だったのだが、近頃この方々の食生活ほど悲惨なものはないらしい。大量生産大量消費の時代が終わった今こそ、皆で「粋」を取り戻したいものである。

 そして何といっても特筆すべきは、丁寧に道を教えてくれた紳士やマダム、駐車券を譲ってくれたマダム、ガイドまでしてくれたマドモワゼル、駅で切符が出ていることを教えてくれた青年など、多くの人々の親切である。慣れない異国を旅した我々にとって彼らの親切は何よりの温かいお土産となり、人間の本質は国によって異なる訳ではなく、単なる習慣の違いがときに摩擦を生むだけのことだと思った。また、欧州の中でもフランスは特に個人主義色の強い国であるが、真の個人主義とは、他人に無関心で、関わりを避けることではなく、公権力の介入を極力排するため、他人の行動を尊重しつつ、個々人が出来る範囲でお互い助け合うことではないかということも今回の旅を通じて教えられた。現に我々も、見知らぬ人から、しばしば時間を教えてくれ、とか、書くものを貸してくれとか、気軽に声を掛けられた。
 もちろん彼らの親切は我々が旅人であるがゆえで、隣人として利害を共有することになれば事情は変わってくるのかもしれない。しかし、もし、将来不幸にして日仏両国が争うことになっても、ねこまるは決して彼の国の人々を憎むことなく、両国政府の無能を呪うばかりだろう。

 こんなことを考えながらうつらうつらしていたら最後の機内食サーヴィスが始まった。日本そば、ご飯、チーズ、パン、ラザニア、果物、という献立に度肝を抜かれるが、日常ではなかなかできない体験ではある。
 こうして、旅の締めくくりにふさわしい「異文化の激突」、もしくは「ねこまるの頭の中(混沌)」のような食事を最後にフランス旅行は終焉を迎え、この紀行も幕引きとなった。
それでは皆様 C'est fini. Au revoir(これでおしまい。さようなら)!!

とらおとねこまるのフランス紀行ミシェルブラス編

2008-07-28 19:16:21 | Weblog
翌朝、気球屋さんから電話があり、今夕フライトできるかもしれないので、6時に宿で待つようにと電話が入った。ガイドブックによればフライトは宿までの送迎時間も含め1時間半くらいらしいので、夕食はせっかくだから、きのうみつけた、宿泊候補だったホテルのレストランを7時半に予約する。きょうはワインのテイスティングをしてみたいととらおがいうので、いくつか醸造所を尋ねてみたが、皆午後からとか、留守のところが多く、大きなワインショップはテイスティングを受け付けていない。人の良さそうなおじさまが応対してくれた小さな所その他2,3カ所でようやくテイスティングをした後、ローマ時代の遺跡が数多く残るオータンの町へ出かける。町の中心部に車を停め、少し散歩すると、ロラン美術館というのがあったので入場しようとしたら、「後10分で昼休みだ」と言われ、次に開館するのは2時過ぎなのであきらめ、例によって近くの教会で少し涼んでから、車で遺跡のあるところまで行くことにする。大きな円形競技場は現在、スポーツ施設として使われ、巨大な門柱はローマ時代の建築技術の高さと発想の壮大さを物語っている。こうした文化財を目にするに付け、ねこまるは人類は紀元後、心身共に退化の一途をたどっているのではなかろうか、と思うことがしばしばである。

 きょうも暑くて仕方ないが、フランスでは日本のスーパー、コンビニで当たり前のように売っている氷にお目にかかることは至難の業で、世界的なハンバーガーチェーン・マクドナルドならあるかと思ったが、冷たい飲み物にも氷はほとんどはいっていなかった。ボーヌへ帰る途中の町で昼食を済まそうとしたが、レストランはお休みのところが多く、それほど空腹でもなかったので、ボーヌの町のおいしそうなベーカリーでパンを買いホテルへ帰って食べ、夕方に備えて昼寝をする。そして、ホテルの入り口近くのテラスで気球屋さんを待っていると、ご主人がきて、気球屋さんからきょうは暑すぎてフライトできないので、明朝6時に待っているようにとの伝言を伝えるとともに、サッカーのワールドカップで日本が決勝に進出したことを祝ってくれた。気球は上空の空気の温度が高すぎると、高さや方角を制御できず、危険らしい。明朝がラストチャンスか。というわけで、予約したレストランに食事に出かける。プールサイドの席に案内され、料理とワインを頼む。ワインはさすがに良いものを揃えていたが、料理は、魚のホイル焼きは奇妙な味で、鴨のローストは塩がきつくパサパサしており、完全にワインに負けていて、やはり宿で、あえてお薦めしていないレストランだけのことはあると、2人で感心した。おまけに急に風が強くなったせいもあるのだろうが、9時をすぎると、バタバタとパラソルや、プールサイドの椅子をしまい始め、回りのテーブルのお客さんが、席を立つやいなや、クロスや椅子をすごい勢いで片づけるものだから落ち着かないことこの上なく、早く出て行けと言わんばかりである。これではいくらレジで愛想よくされてもチップを弾む気にもなれない。ボーヌ最後の夕食が何となく不愉快なものになってしまったのは少し残念だった。 実は故ベルナール・ロワゾー氏のコート・ドールというレストランももさほど遠くない場所にあるのでどうしようかと思ったのだが、暑さで胃腸が弱り気味で食欲も今ひとつだったので、見送ることにしたのだった。
 風がでてきたので今夜は少し涼しく眠れるかと期待しながら部屋へ帰ったが、寝ようとしたとたん、風がぴたりと止んだどころか、空気がぴくりとも動かない完全に凪いでいる状態になってしまった。相変わらず鐘は鳴り響くがいつまで待っても風は吹かず、これほど寝苦しいのは初めてというくらいの一夜を過ごし、翌朝寝不足の目をこすりながら起きて気球屋さんを待つ。
 6時過ぎにお迎えの車が来た。途中他のホテルや、高速道路のインターチェンジに寄って、他のゲストを乗せ、ようやく気球ツアーに出発だ。気球が準備されている広い空き地には他のゲストも到着しており、全部で8人だ。まず気球を広げ、大きなバーナーと送風機で温かい風を送り、気球を膨らませることから始まり、男性は皆協力しながら気球を広げたり、人が乗り込むための大きなかごを押さえたりしている。準備が整い、かごの外側に足を掛けながら中に乗り込む。全員が乗り込むと、ゴォーという轟音を響かせながらバーナーで下から熱風を送り、気球は離陸した。どこへ行くかは、当日の気温や風まかせなので、携帯電話で連絡をとりながら決めた着陸地点に、車がお迎えに行くというシステムだ。熱風の送り具合で高さを調節しながら、ときには地面すれすれに、ときには上空高く気球はふわふわと漂う。快晴とはいかなかったが、大空をゆっくりと散歩しながら葡萄畑や建物を眺めるのはとても不思議な気分だった。草原に寝そべっていぶかしそうに空を見上げる牛、空に向かって吠え立てる犬や大慌てで茂みに逃げ込むウサギをみたり、葡萄畑の中をトラクタで作業中の人達と手を振りあったりしながら、やがて着陸地点に向かう。その際、地面についても合図があるまで絶対にかごから降りないよう言われた。というのは、気球がしぼむ前に皆が降りてしまうと、勝手に舞い上がってしまうかららしい。どすん、という衝撃とともに着地し、気球がしぼむと順番にかごから降り、今度は後かたづけである。気球を畳み、丸めて、バーナーなどの道具と共に車に積み込む。こうして一緒に作業しているとなごやかな雰囲気になってきてなかなか楽しい。皆我々が日本から来ていることを知ると口々に日本チームがワールドカップの決勝トーナメントに進出したことを祝ってくれる。当の本人達は関心が今ひとつだが、それでもうれしい。最後にシャンパンが振る舞われ、記念の乗船証明書をもらってから、ホテルへ帰ると9時半近い。1時間半どころかその倍はかかったことになり、やはりガイドブックの情報は再確認する必要がありそうだ。

 遅めの朝食をとってからチェックアウトし、ディジョンへと出発する。古い農家を改築した建物も部屋もなかなか趣深い宿だったが、一晩中鳴り続ける鐘や傍らを走る列車の音が気になるのと朝食のパンやジャムの質が今ひとつなのが難点であった。
ディジョンへ行く前に、とらおがもう一度ロマネ・コンティの畑をみたいというので、炎天下の畑を再訪する。この強い陽射しの中で育つ葡萄の木の強さとともに、この気温の高さの中で過ごせる欧州人の体の丈夫さに感心する。
明日は帰国なので車はきょうディジョンで返す予定だ。途中有名なワイン醸造所や、そこが経営する、ミシュランの星つきレストランなどの建物に立ち寄ったりして、のんびりドライブしながら、長い旅のお供をしてくれた車と名残を惜しみつつディジョンに向かう。レンタカーだからガソリンを満タンにして返さねばならないのだが、律儀なとらおは、できるだけレンタカー会社の近くで入れたいというので、ディジョンの町中まで行ったは良かったが、やはり都市は混雑しているうえ、道も複雑でなかなかホテルもガソリンスタンドもみつからない。ようやくホテルをみつけ、とりあえず荷物を部屋に入れるが、前回の旅行のとき同様、とらおはどうもディジョンにくるとくしゃみがでてしまうようで、ホテルのベルマンに「行儀悪いよ」といわれてしまう。フランスでは人前で大きな音をだして鼻をかむのはかまわないが、くしゃみをするのはマナー違反になるらしい。たいがいの習慣には合理性を感じ、納得するねこまるだがこれだけは理解できない。鼻をかむのは何とか遠慮しながらできるものだが、くしゃみを我慢するのは難しいし、体にも悪そうだ。花粉症の人は症状のでる時期はフランスへ行くのは控えた方がいいかもしれない。
 ともあれ、車を返しに出かける。無事故でドライブを終えそうなことにほっとしたとたん、2,3台のスポーツサイクルが目の前を横切りひやりとしたが、それは警察で、救急車のサイレンらしき音も聞こえると思ったら、バイクが横倒しになり、その傍らに人が倒れていた。都市の交通事故が日常的であるのも万国共通なようだ。早くガソリンをいれて車を返さねばと焦るが、スタンドがどうしてもみつからない。しかたないので、結局ディジョンへと向かってきた幹線道路をボーヌ方面へ引き返したが、肝心なときにはなかなかみつからない。車はどんどんボーヌへと近づいていく。とらおがいくらワイン好きだからとはいえロマネ・コンティの畑に3度詣でることになるのだろうか・・・ 
 ようやくスタンドに巡り会い、ガソリンを入れて、ディジョン駅近くのレンタカー会社に車を返し一息ついた。フランスは高速道路がほとんど無料で、移動の経費はほぼレンタカーとガソリンの料金だけなので、交通費がとても安いし、高速を自由に乗り降りしてその町のレストランを尋ねることもできるのでとてもうらやましい。日本は道路公団関係に必ず利益が入るようになっているような気がして仕方ない。もう少しシステムを改善して、列車のように区間の乗り降り自由にすれば、地方都市も活性化するのではないかと思うのだがどうだろう。
 
 さて、休憩する前に、駅で明日のパリ行きの乗車券を購入しなければならない。日本で代理店を通じて買えたのは指定席特急券だけで、乗車券は現地で購入するよう言われている。とらおが「男性の方が親切だから」というので、男性のいる窓口に行き、22ユーロの特急券を見せて、乗車券を売ってくれるよういうが、英語が通じない上、その特急券をみてけげんな顔をしている。結局傍らの女性を呼んでいろいろ聞いている。親切なのは良いのだが、この国の男性には母国語以外の語学はほとんど期待できない。そして2人ともこの券だけでTGVに乗ることができると言い張り、乗車券を買う必要はないという。疑念を抱きつつ、駅を後にし、カフェで冷たい飲み物と軽い食事をして、今回もディジョン名物のマスタードを買う。日本で冷たい飲み物を手軽に買える自動販売機に慣れきってしまっているせいか、どんなところにも自動販売機を置かないフランスの頑ななまでの風土に、暑さも手伝っていささかうんざりさせられる。しかし同時に、24時間営業や自動販売機が野放しな日本は地球温暖化防止という観点からみると、ヨーロッパ諸国から非難されても仕方なく、今の日本にはこのくらいの頑固さが必要なのかもしれないとも思う。
 前回の旅行でディジョンの印象が悪かったのは気候や天候の関係かと思ったが、好天に恵まれた今回も、うるさく物騒な町にしか思えないので早々にホテルに引き上げる。
そして久しぶりに冷房のある部屋でくつろぎながら、2人であらためて考えたが、いくらフランスの鉄道料金が安いからといって、パリ・ディジョン間を1人22ユーロで行けるはずがないという結論に達した。フランス国営鉄道の駅には改札がない代わりに、列車内での検札は日本と違ってとても厳しく、目的地まで正規のチケットを持っていないと、不正乗車としてかなり高額の罰金を科せられるらしい。途中でTGVから飛び降りるわけにもいかないので、やはり念のため、明朝早めにホテルを出て乗車券を買うことにした。
 次に夕食の検討をしたが、ガイドブックによれば、このホテルのレストランの野菜料理がおいしいらしい。胃腸も疲れ気味なうえ、暑い中出かけるのもおっくうなので今夜はここで軽めの食事をとることにして、テーブルの予約を入れた。荷物の整理をしてシャワーを浴び、例によって昼寝をしていると突然部屋のドアが開く気配がしたので、飛び起きると、「失礼」という声がして誰かが立ち去っていった。ねこまるは帰国前夜は少々高くても、いろいろサーヴィスを受けられるホテルを選ぶことにしているので、ここはディジョンの中でも比較的グレードが高いはずだし、ドアは読みとり式のカードキーだが、一体何がどうなっているのやら・・・

 地下のレストランは石造りのカーヴ風のインテリアで薄暗く、強い陽射しに疲れた我々にはちょうど良い雰囲気であった。しかしながら、料理は特筆すべきものでもなく、他に1組しかお客がいなかったことが、そのことを如実に表していた。どうやらまたもやガイドブックの情報とは事情が変わってしまったらしい。
 今回もつくづく痛感したのは、確かにガイドブックで情報を得ることも大事だが、あまり過大な期待や信用を寄せるのは禁物だということだ。事実この旅で深く心にに刻まれたのは、三つ星オーベルジュ、ミシェル・ブラスとラギオール地方の自然、ランジェックの美しい町並み、ボーヌへ向かう途中の田舎のレストランと、いずれも主要ガイドブックにはまったく載っていない場所であった。だからスケジュールはすべてガイドブックに頼らず、日程に多少ゆとりをもたせて、現地へ行ってからよさそうな場所へ出かけるほうが、ハプニングもあるかもしれないが思い出深い旅になると思う。

 冷房のきいた部屋で涼しく眠れるのは良いのだが、空調の音がかなり響く。我々は日頃、「静かすぎて眠れない」という苦情をいうゲストがいるくらい、あまりにも静かな環境で暮らしているので、騒音に対する耐性が低いのかもしれない。