翌朝、気球屋さんから電話があり、今夕フライトできるかもしれないので、6時に宿で待つようにと電話が入った。ガイドブックによればフライトは宿までの送迎時間も含め1時間半くらいらしいので、夕食はせっかくだから、きのうみつけた、宿泊候補だったホテルのレストランを7時半に予約する。きょうはワインのテイスティングをしてみたいととらおがいうので、いくつか醸造所を尋ねてみたが、皆午後からとか、留守のところが多く、大きなワインショップはテイスティングを受け付けていない。人の良さそうなおじさまが応対してくれた小さな所その他2,3カ所でようやくテイスティングをした後、ローマ時代の遺跡が数多く残るオータンの町へ出かける。町の中心部に車を停め、少し散歩すると、ロラン美術館というのがあったので入場しようとしたら、「後10分で昼休みだ」と言われ、次に開館するのは2時過ぎなのであきらめ、例によって近くの教会で少し涼んでから、車で遺跡のあるところまで行くことにする。大きな円形競技場は現在、スポーツ施設として使われ、巨大な門柱はローマ時代の建築技術の高さと発想の壮大さを物語っている。こうした文化財を目にするに付け、ねこまるは人類は紀元後、心身共に退化の一途をたどっているのではなかろうか、と思うことがしばしばである。
きょうも暑くて仕方ないが、フランスでは日本のスーパー、コンビニで当たり前のように売っている氷にお目にかかることは至難の業で、世界的なハンバーガーチェーン・マクドナルドならあるかと思ったが、冷たい飲み物にも氷はほとんどはいっていなかった。ボーヌへ帰る途中の町で昼食を済まそうとしたが、レストランはお休みのところが多く、それほど空腹でもなかったので、ボーヌの町のおいしそうなベーカリーでパンを買いホテルへ帰って食べ、夕方に備えて昼寝をする。そして、ホテルの入り口近くのテラスで気球屋さんを待っていると、ご主人がきて、気球屋さんからきょうは暑すぎてフライトできないので、明朝6時に待っているようにとの伝言を伝えるとともに、サッカーのワールドカップで日本が決勝に進出したことを祝ってくれた。気球は上空の空気の温度が高すぎると、高さや方角を制御できず、危険らしい。明朝がラストチャンスか。というわけで、予約したレストランに食事に出かける。プールサイドの席に案内され、料理とワインを頼む。ワインはさすがに良いものを揃えていたが、料理は、魚のホイル焼きは奇妙な味で、鴨のローストは塩がきつくパサパサしており、完全にワインに負けていて、やはり宿で、あえてお薦めしていないレストランだけのことはあると、2人で感心した。おまけに急に風が強くなったせいもあるのだろうが、9時をすぎると、バタバタとパラソルや、プールサイドの椅子をしまい始め、回りのテーブルのお客さんが、席を立つやいなや、クロスや椅子をすごい勢いで片づけるものだから落ち着かないことこの上なく、早く出て行けと言わんばかりである。これではいくらレジで愛想よくされてもチップを弾む気にもなれない。ボーヌ最後の夕食が何となく不愉快なものになってしまったのは少し残念だった。 実は故ベルナール・ロワゾー氏のコート・ドールというレストランももさほど遠くない場所にあるのでどうしようかと思ったのだが、暑さで胃腸が弱り気味で食欲も今ひとつだったので、見送ることにしたのだった。
風がでてきたので今夜は少し涼しく眠れるかと期待しながら部屋へ帰ったが、寝ようとしたとたん、風がぴたりと止んだどころか、空気がぴくりとも動かない完全に凪いでいる状態になってしまった。相変わらず鐘は鳴り響くがいつまで待っても風は吹かず、これほど寝苦しいのは初めてというくらいの一夜を過ごし、翌朝寝不足の目をこすりながら起きて気球屋さんを待つ。
6時過ぎにお迎えの車が来た。途中他のホテルや、高速道路のインターチェンジに寄って、他のゲストを乗せ、ようやく気球ツアーに出発だ。気球が準備されている広い空き地には他のゲストも到着しており、全部で8人だ。まず気球を広げ、大きなバーナーと送風機で温かい風を送り、気球を膨らませることから始まり、男性は皆協力しながら気球を広げたり、人が乗り込むための大きなかごを押さえたりしている。準備が整い、かごの外側に足を掛けながら中に乗り込む。全員が乗り込むと、ゴォーという轟音を響かせながらバーナーで下から熱風を送り、気球は離陸した。どこへ行くかは、当日の気温や風まかせなので、携帯電話で連絡をとりながら決めた着陸地点に、車がお迎えに行くというシステムだ。熱風の送り具合で高さを調節しながら、ときには地面すれすれに、ときには上空高く気球はふわふわと漂う。快晴とはいかなかったが、大空をゆっくりと散歩しながら葡萄畑や建物を眺めるのはとても不思議な気分だった。草原に寝そべっていぶかしそうに空を見上げる牛、空に向かって吠え立てる犬や大慌てで茂みに逃げ込むウサギをみたり、葡萄畑の中をトラクタで作業中の人達と手を振りあったりしながら、やがて着陸地点に向かう。その際、地面についても合図があるまで絶対にかごから降りないよう言われた。というのは、気球がしぼむ前に皆が降りてしまうと、勝手に舞い上がってしまうかららしい。どすん、という衝撃とともに着地し、気球がしぼむと順番にかごから降り、今度は後かたづけである。気球を畳み、丸めて、バーナーなどの道具と共に車に積み込む。こうして一緒に作業しているとなごやかな雰囲気になってきてなかなか楽しい。皆我々が日本から来ていることを知ると口々に日本チームがワールドカップの決勝トーナメントに進出したことを祝ってくれる。当の本人達は関心が今ひとつだが、それでもうれしい。最後にシャンパンが振る舞われ、記念の乗船証明書をもらってから、ホテルへ帰ると9時半近い。1時間半どころかその倍はかかったことになり、やはりガイドブックの情報は再確認する必要がありそうだ。
遅めの朝食をとってからチェックアウトし、ディジョンへと出発する。古い農家を改築した建物も部屋もなかなか趣深い宿だったが、一晩中鳴り続ける鐘や傍らを走る列車の音が気になるのと朝食のパンやジャムの質が今ひとつなのが難点であった。
ディジョンへ行く前に、とらおがもう一度ロマネ・コンティの畑をみたいというので、炎天下の畑を再訪する。この強い陽射しの中で育つ葡萄の木の強さとともに、この気温の高さの中で過ごせる欧州人の体の丈夫さに感心する。
明日は帰国なので車はきょうディジョンで返す予定だ。途中有名なワイン醸造所や、そこが経営する、ミシュランの星つきレストランなどの建物に立ち寄ったりして、のんびりドライブしながら、長い旅のお供をしてくれた車と名残を惜しみつつディジョンに向かう。レンタカーだからガソリンを満タンにして返さねばならないのだが、律儀なとらおは、できるだけレンタカー会社の近くで入れたいというので、ディジョンの町中まで行ったは良かったが、やはり都市は混雑しているうえ、道も複雑でなかなかホテルもガソリンスタンドもみつからない。ようやくホテルをみつけ、とりあえず荷物を部屋に入れるが、前回の旅行のとき同様、とらおはどうもディジョンにくるとくしゃみがでてしまうようで、ホテルのベルマンに「行儀悪いよ」といわれてしまう。フランスでは人前で大きな音をだして鼻をかむのはかまわないが、くしゃみをするのはマナー違反になるらしい。たいがいの習慣には合理性を感じ、納得するねこまるだがこれだけは理解できない。鼻をかむのは何とか遠慮しながらできるものだが、くしゃみを我慢するのは難しいし、体にも悪そうだ。花粉症の人は症状のでる時期はフランスへ行くのは控えた方がいいかもしれない。
ともあれ、車を返しに出かける。無事故でドライブを終えそうなことにほっとしたとたん、2,3台のスポーツサイクルが目の前を横切りひやりとしたが、それは警察で、救急車のサイレンらしき音も聞こえると思ったら、バイクが横倒しになり、その傍らに人が倒れていた。都市の交通事故が日常的であるのも万国共通なようだ。早くガソリンをいれて車を返さねばと焦るが、スタンドがどうしてもみつからない。しかたないので、結局ディジョンへと向かってきた幹線道路をボーヌ方面へ引き返したが、肝心なときにはなかなかみつからない。車はどんどんボーヌへと近づいていく。とらおがいくらワイン好きだからとはいえロマネ・コンティの畑に3度詣でることになるのだろうか・・・
ようやくスタンドに巡り会い、ガソリンを入れて、ディジョン駅近くのレンタカー会社に車を返し一息ついた。フランスは高速道路がほとんど無料で、移動の経費はほぼレンタカーとガソリンの料金だけなので、交通費がとても安いし、高速を自由に乗り降りしてその町のレストランを尋ねることもできるのでとてもうらやましい。日本は道路公団関係に必ず利益が入るようになっているような気がして仕方ない。もう少しシステムを改善して、列車のように区間の乗り降り自由にすれば、地方都市も活性化するのではないかと思うのだがどうだろう。
さて、休憩する前に、駅で明日のパリ行きの乗車券を購入しなければならない。日本で代理店を通じて買えたのは指定席特急券だけで、乗車券は現地で購入するよう言われている。とらおが「男性の方が親切だから」というので、男性のいる窓口に行き、22ユーロの特急券を見せて、乗車券を売ってくれるよういうが、英語が通じない上、その特急券をみてけげんな顔をしている。結局傍らの女性を呼んでいろいろ聞いている。親切なのは良いのだが、この国の男性には母国語以外の語学はほとんど期待できない。そして2人ともこの券だけでTGVに乗ることができると言い張り、乗車券を買う必要はないという。疑念を抱きつつ、駅を後にし、カフェで冷たい飲み物と軽い食事をして、今回もディジョン名物のマスタードを買う。日本で冷たい飲み物を手軽に買える自動販売機に慣れきってしまっているせいか、どんなところにも自動販売機を置かないフランスの頑ななまでの風土に、暑さも手伝っていささかうんざりさせられる。しかし同時に、24時間営業や自動販売機が野放しな日本は地球温暖化防止という観点からみると、ヨーロッパ諸国から非難されても仕方なく、今の日本にはこのくらいの頑固さが必要なのかもしれないとも思う。
前回の旅行でディジョンの印象が悪かったのは気候や天候の関係かと思ったが、好天に恵まれた今回も、うるさく物騒な町にしか思えないので早々にホテルに引き上げる。
そして久しぶりに冷房のある部屋でくつろぎながら、2人であらためて考えたが、いくらフランスの鉄道料金が安いからといって、パリ・ディジョン間を1人22ユーロで行けるはずがないという結論に達した。フランス国営鉄道の駅には改札がない代わりに、列車内での検札は日本と違ってとても厳しく、目的地まで正規のチケットを持っていないと、不正乗車としてかなり高額の罰金を科せられるらしい。途中でTGVから飛び降りるわけにもいかないので、やはり念のため、明朝早めにホテルを出て乗車券を買うことにした。
次に夕食の検討をしたが、ガイドブックによれば、このホテルのレストランの野菜料理がおいしいらしい。胃腸も疲れ気味なうえ、暑い中出かけるのもおっくうなので今夜はここで軽めの食事をとることにして、テーブルの予約を入れた。荷物の整理をしてシャワーを浴び、例によって昼寝をしていると突然部屋のドアが開く気配がしたので、飛び起きると、「失礼」という声がして誰かが立ち去っていった。ねこまるは帰国前夜は少々高くても、いろいろサーヴィスを受けられるホテルを選ぶことにしているので、ここはディジョンの中でも比較的グレードが高いはずだし、ドアは読みとり式のカードキーだが、一体何がどうなっているのやら・・・
地下のレストランは石造りのカーヴ風のインテリアで薄暗く、強い陽射しに疲れた我々にはちょうど良い雰囲気であった。しかしながら、料理は特筆すべきものでもなく、他に1組しかお客がいなかったことが、そのことを如実に表していた。どうやらまたもやガイドブックの情報とは事情が変わってしまったらしい。
今回もつくづく痛感したのは、確かにガイドブックで情報を得ることも大事だが、あまり過大な期待や信用を寄せるのは禁物だということだ。事実この旅で深く心にに刻まれたのは、三つ星オーベルジュ、ミシェル・ブラスとラギオール地方の自然、ランジェックの美しい町並み、ボーヌへ向かう途中の田舎のレストランと、いずれも主要ガイドブックにはまったく載っていない場所であった。だからスケジュールはすべてガイドブックに頼らず、日程に多少ゆとりをもたせて、現地へ行ってからよさそうな場所へ出かけるほうが、ハプニングもあるかもしれないが思い出深い旅になると思う。
冷房のきいた部屋で涼しく眠れるのは良いのだが、空調の音がかなり響く。我々は日頃、「静かすぎて眠れない」という苦情をいうゲストがいるくらい、あまりにも静かな環境で暮らしているので、騒音に対する耐性が低いのかもしれない。
きょうも暑くて仕方ないが、フランスでは日本のスーパー、コンビニで当たり前のように売っている氷にお目にかかることは至難の業で、世界的なハンバーガーチェーン・マクドナルドならあるかと思ったが、冷たい飲み物にも氷はほとんどはいっていなかった。ボーヌへ帰る途中の町で昼食を済まそうとしたが、レストランはお休みのところが多く、それほど空腹でもなかったので、ボーヌの町のおいしそうなベーカリーでパンを買いホテルへ帰って食べ、夕方に備えて昼寝をする。そして、ホテルの入り口近くのテラスで気球屋さんを待っていると、ご主人がきて、気球屋さんからきょうは暑すぎてフライトできないので、明朝6時に待っているようにとの伝言を伝えるとともに、サッカーのワールドカップで日本が決勝に進出したことを祝ってくれた。気球は上空の空気の温度が高すぎると、高さや方角を制御できず、危険らしい。明朝がラストチャンスか。というわけで、予約したレストランに食事に出かける。プールサイドの席に案内され、料理とワインを頼む。ワインはさすがに良いものを揃えていたが、料理は、魚のホイル焼きは奇妙な味で、鴨のローストは塩がきつくパサパサしており、完全にワインに負けていて、やはり宿で、あえてお薦めしていないレストランだけのことはあると、2人で感心した。おまけに急に風が強くなったせいもあるのだろうが、9時をすぎると、バタバタとパラソルや、プールサイドの椅子をしまい始め、回りのテーブルのお客さんが、席を立つやいなや、クロスや椅子をすごい勢いで片づけるものだから落ち着かないことこの上なく、早く出て行けと言わんばかりである。これではいくらレジで愛想よくされてもチップを弾む気にもなれない。ボーヌ最後の夕食が何となく不愉快なものになってしまったのは少し残念だった。 実は故ベルナール・ロワゾー氏のコート・ドールというレストランももさほど遠くない場所にあるのでどうしようかと思ったのだが、暑さで胃腸が弱り気味で食欲も今ひとつだったので、見送ることにしたのだった。
風がでてきたので今夜は少し涼しく眠れるかと期待しながら部屋へ帰ったが、寝ようとしたとたん、風がぴたりと止んだどころか、空気がぴくりとも動かない完全に凪いでいる状態になってしまった。相変わらず鐘は鳴り響くがいつまで待っても風は吹かず、これほど寝苦しいのは初めてというくらいの一夜を過ごし、翌朝寝不足の目をこすりながら起きて気球屋さんを待つ。
6時過ぎにお迎えの車が来た。途中他のホテルや、高速道路のインターチェンジに寄って、他のゲストを乗せ、ようやく気球ツアーに出発だ。気球が準備されている広い空き地には他のゲストも到着しており、全部で8人だ。まず気球を広げ、大きなバーナーと送風機で温かい風を送り、気球を膨らませることから始まり、男性は皆協力しながら気球を広げたり、人が乗り込むための大きなかごを押さえたりしている。準備が整い、かごの外側に足を掛けながら中に乗り込む。全員が乗り込むと、ゴォーという轟音を響かせながらバーナーで下から熱風を送り、気球は離陸した。どこへ行くかは、当日の気温や風まかせなので、携帯電話で連絡をとりながら決めた着陸地点に、車がお迎えに行くというシステムだ。熱風の送り具合で高さを調節しながら、ときには地面すれすれに、ときには上空高く気球はふわふわと漂う。快晴とはいかなかったが、大空をゆっくりと散歩しながら葡萄畑や建物を眺めるのはとても不思議な気分だった。草原に寝そべっていぶかしそうに空を見上げる牛、空に向かって吠え立てる犬や大慌てで茂みに逃げ込むウサギをみたり、葡萄畑の中をトラクタで作業中の人達と手を振りあったりしながら、やがて着陸地点に向かう。その際、地面についても合図があるまで絶対にかごから降りないよう言われた。というのは、気球がしぼむ前に皆が降りてしまうと、勝手に舞い上がってしまうかららしい。どすん、という衝撃とともに着地し、気球がしぼむと順番にかごから降り、今度は後かたづけである。気球を畳み、丸めて、バーナーなどの道具と共に車に積み込む。こうして一緒に作業しているとなごやかな雰囲気になってきてなかなか楽しい。皆我々が日本から来ていることを知ると口々に日本チームがワールドカップの決勝トーナメントに進出したことを祝ってくれる。当の本人達は関心が今ひとつだが、それでもうれしい。最後にシャンパンが振る舞われ、記念の乗船証明書をもらってから、ホテルへ帰ると9時半近い。1時間半どころかその倍はかかったことになり、やはりガイドブックの情報は再確認する必要がありそうだ。
遅めの朝食をとってからチェックアウトし、ディジョンへと出発する。古い農家を改築した建物も部屋もなかなか趣深い宿だったが、一晩中鳴り続ける鐘や傍らを走る列車の音が気になるのと朝食のパンやジャムの質が今ひとつなのが難点であった。
ディジョンへ行く前に、とらおがもう一度ロマネ・コンティの畑をみたいというので、炎天下の畑を再訪する。この強い陽射しの中で育つ葡萄の木の強さとともに、この気温の高さの中で過ごせる欧州人の体の丈夫さに感心する。
明日は帰国なので車はきょうディジョンで返す予定だ。途中有名なワイン醸造所や、そこが経営する、ミシュランの星つきレストランなどの建物に立ち寄ったりして、のんびりドライブしながら、長い旅のお供をしてくれた車と名残を惜しみつつディジョンに向かう。レンタカーだからガソリンを満タンにして返さねばならないのだが、律儀なとらおは、できるだけレンタカー会社の近くで入れたいというので、ディジョンの町中まで行ったは良かったが、やはり都市は混雑しているうえ、道も複雑でなかなかホテルもガソリンスタンドもみつからない。ようやくホテルをみつけ、とりあえず荷物を部屋に入れるが、前回の旅行のとき同様、とらおはどうもディジョンにくるとくしゃみがでてしまうようで、ホテルのベルマンに「行儀悪いよ」といわれてしまう。フランスでは人前で大きな音をだして鼻をかむのはかまわないが、くしゃみをするのはマナー違反になるらしい。たいがいの習慣には合理性を感じ、納得するねこまるだがこれだけは理解できない。鼻をかむのは何とか遠慮しながらできるものだが、くしゃみを我慢するのは難しいし、体にも悪そうだ。花粉症の人は症状のでる時期はフランスへ行くのは控えた方がいいかもしれない。
ともあれ、車を返しに出かける。無事故でドライブを終えそうなことにほっとしたとたん、2,3台のスポーツサイクルが目の前を横切りひやりとしたが、それは警察で、救急車のサイレンらしき音も聞こえると思ったら、バイクが横倒しになり、その傍らに人が倒れていた。都市の交通事故が日常的であるのも万国共通なようだ。早くガソリンをいれて車を返さねばと焦るが、スタンドがどうしてもみつからない。しかたないので、結局ディジョンへと向かってきた幹線道路をボーヌ方面へ引き返したが、肝心なときにはなかなかみつからない。車はどんどんボーヌへと近づいていく。とらおがいくらワイン好きだからとはいえロマネ・コンティの畑に3度詣でることになるのだろうか・・・
ようやくスタンドに巡り会い、ガソリンを入れて、ディジョン駅近くのレンタカー会社に車を返し一息ついた。フランスは高速道路がほとんど無料で、移動の経費はほぼレンタカーとガソリンの料金だけなので、交通費がとても安いし、高速を自由に乗り降りしてその町のレストランを尋ねることもできるのでとてもうらやましい。日本は道路公団関係に必ず利益が入るようになっているような気がして仕方ない。もう少しシステムを改善して、列車のように区間の乗り降り自由にすれば、地方都市も活性化するのではないかと思うのだがどうだろう。
さて、休憩する前に、駅で明日のパリ行きの乗車券を購入しなければならない。日本で代理店を通じて買えたのは指定席特急券だけで、乗車券は現地で購入するよう言われている。とらおが「男性の方が親切だから」というので、男性のいる窓口に行き、22ユーロの特急券を見せて、乗車券を売ってくれるよういうが、英語が通じない上、その特急券をみてけげんな顔をしている。結局傍らの女性を呼んでいろいろ聞いている。親切なのは良いのだが、この国の男性には母国語以外の語学はほとんど期待できない。そして2人ともこの券だけでTGVに乗ることができると言い張り、乗車券を買う必要はないという。疑念を抱きつつ、駅を後にし、カフェで冷たい飲み物と軽い食事をして、今回もディジョン名物のマスタードを買う。日本で冷たい飲み物を手軽に買える自動販売機に慣れきってしまっているせいか、どんなところにも自動販売機を置かないフランスの頑ななまでの風土に、暑さも手伝っていささかうんざりさせられる。しかし同時に、24時間営業や自動販売機が野放しな日本は地球温暖化防止という観点からみると、ヨーロッパ諸国から非難されても仕方なく、今の日本にはこのくらいの頑固さが必要なのかもしれないとも思う。
前回の旅行でディジョンの印象が悪かったのは気候や天候の関係かと思ったが、好天に恵まれた今回も、うるさく物騒な町にしか思えないので早々にホテルに引き上げる。
そして久しぶりに冷房のある部屋でくつろぎながら、2人であらためて考えたが、いくらフランスの鉄道料金が安いからといって、パリ・ディジョン間を1人22ユーロで行けるはずがないという結論に達した。フランス国営鉄道の駅には改札がない代わりに、列車内での検札は日本と違ってとても厳しく、目的地まで正規のチケットを持っていないと、不正乗車としてかなり高額の罰金を科せられるらしい。途中でTGVから飛び降りるわけにもいかないので、やはり念のため、明朝早めにホテルを出て乗車券を買うことにした。
次に夕食の検討をしたが、ガイドブックによれば、このホテルのレストランの野菜料理がおいしいらしい。胃腸も疲れ気味なうえ、暑い中出かけるのもおっくうなので今夜はここで軽めの食事をとることにして、テーブルの予約を入れた。荷物の整理をしてシャワーを浴び、例によって昼寝をしていると突然部屋のドアが開く気配がしたので、飛び起きると、「失礼」という声がして誰かが立ち去っていった。ねこまるは帰国前夜は少々高くても、いろいろサーヴィスを受けられるホテルを選ぶことにしているので、ここはディジョンの中でも比較的グレードが高いはずだし、ドアは読みとり式のカードキーだが、一体何がどうなっているのやら・・・
地下のレストランは石造りのカーヴ風のインテリアで薄暗く、強い陽射しに疲れた我々にはちょうど良い雰囲気であった。しかしながら、料理は特筆すべきものでもなく、他に1組しかお客がいなかったことが、そのことを如実に表していた。どうやらまたもやガイドブックの情報とは事情が変わってしまったらしい。
今回もつくづく痛感したのは、確かにガイドブックで情報を得ることも大事だが、あまり過大な期待や信用を寄せるのは禁物だということだ。事実この旅で深く心にに刻まれたのは、三つ星オーベルジュ、ミシェル・ブラスとラギオール地方の自然、ランジェックの美しい町並み、ボーヌへ向かう途中の田舎のレストランと、いずれも主要ガイドブックにはまったく載っていない場所であった。だからスケジュールはすべてガイドブックに頼らず、日程に多少ゆとりをもたせて、現地へ行ってからよさそうな場所へ出かけるほうが、ハプニングもあるかもしれないが思い出深い旅になると思う。
冷房のきいた部屋で涼しく眠れるのは良いのだが、空調の音がかなり響く。我々は日頃、「静かすぎて眠れない」という苦情をいうゲストがいるくらい、あまりにも静かな環境で暮らしているので、騒音に対する耐性が低いのかもしれない。