電通の女子社員の過労死は検察の書類送検をうけての社長の辞任発表で幕引きとなるのだろう。国交省からの天下りを役員として引き受けることが取引条件のような印象を受ける。
電通は官公庁系の仕事が多く、納期が厳しいうえ朝令暮改の案件が多いと聞く。それが社員全体の過重労働の大きな原因だとしたら国にも責任の一端があるだろう。そして私たち自身に責任はないだろうか。
顧客サービスという理念の下での24時間営業への慣れ、より迅速な配送の要求や遅延への不満、ささいな落ち度への過剰反応やゆすりにも該当する要求。これらが過労、ストレスの蔓延を産んでいる。
私もかつては時間にルーズな人や誠意のない対応に狭量なリアクションをしていた。今振り返ると自分にゆとりがなかったと反省するばかりである。理不尽なことに対する申し立ては必要だが、ささいなことにはできるだけ寛容でありたい。
寛容は想像力によって養われる。荷物が時間通りに届かないのは事故が起きたか何か事情があるのかもしれない。店員の態度が悪いのは恋人と喧嘩でもしたのかもしれない。
一人一人が少しずつ寛容になることによって社会は変わり、過重労働も残業も減っていくのではないだろうか。電通一社がどう頑張っても取引先の理解が得られなければ過重労働はなくならない。社員は好きで残業しているわけではないのだろうから。
今年も寛容という心のポケットを広げるよう努めたいと思う。
それにしても、労働基準監督署の皆さん、国の各機関、特に財務省の労働時間をチェックしなくて良いのですか?