なるほど・・・という、スウェーデンの若者政策について、たっぷり勉強した数時間となりました。
施設の視察の様子はさておき(にするしかありませんが)、社会の根底に流れる国の理念と、それを実現させている市民に感服。
「生まれた時から社会の一員」
「若者は未来の市民ではなく現在も市民。だから社会に必要な存在」
こういうかっこいいフレーズは、言葉で言ったり書いたりするのは簡単だけれど、この概念をちゃんと日常に反映させて、社会全体に根づかせるのは、ものすごく難しい。
と、日本に暮らす私たちは途方に暮れるのですが、スウェーデンではどんな風に、それを社会に根づかせているのか、に大いなる関心を抱かざるを得ませんでした。
ひと言で表現すれば、スウェーデンでは、若者を社会の資源として位置付ける社会的合意を意識的に、1950年ごろから時間をかけて形成し、現場に権限を与えてきめ細やかにサポートできる態勢を作ってきました。
子どもはもちろんのこと、若者を子ども扱いして、一人前として認めない日本は、18歳に選挙権を認めようという盛り上がりが、今もって、ありません。
子どもの定義は18歳までなのに、成人は20歳から。選挙権やその他も19歳まで認められていません。
ちなみに、スウェーデンの子どもは0歳~12歳、若者は13歳~25歳と定義されています。
日本の何かの番組の街頭インタビューで、日本の場合大人は30歳くらいからとしたほうがいいんじゃないの?子どもだもんねーという高齢女性の言葉が忘れられません。
人は任せなければ、育ちません。
任せないから、能力が発揮できません。特に若者たちは。
どこまで半人前扱いすると気がすむの?と、個人的には相当深刻になりましたが。
スウェーデンには、18歳の国会議員もいます。
この国では、子ども時代からグループワークの中で議論する機会が多く、さまざまなテーマで集まる際に「代表」を務める機会がたくさんあります。
若者は街の中の「カフェ」で市民や政治家との対話に加わります。
その場合には、大人たちは「スモールマウス、ビッグイア」に徹し、若者の話にとことん耳を傾けるそう。
「デモクラシーカフェ」と呼ぶそうですが、子どもも若者も、大人も、社会を良くする存在として対等に、フラットに話し合う民主主義の訓練の場が、日常の中にあるんですね。
ゆえに18歳の若者も、社会を変える活動に参画することが、あたりまえにできます。
もちろん、スウェーデンにもドロップアウトしたり、うまくいかない若者は少なくないようですが、日本と決定的に違うのは、
「誰も落ちこぼれさせない」という社会的常識です。
「ヤングクリス」という施設のこと、この視察で通訳を務め、当日もスカイプで参加していた「たっぺい」くんのブログを読んでいただくといいですね。
日本の場合は、残念ながら「わかんない存在は排除」がさらに進行中。たぶん。
「うるさいのも嫌い」。たぶん。
世田谷区内では、新たに保育園を作ろうと住民説明会を開くと、反対する住民がいないことは、まずありません。
過疎化が進んでいる地方でこの話をすると、最初は信じてもらえません。
ところで、
私は、日本の若者たちが大いに能力があることを、実体験として教えてもらった一人です。
もう4年近く前。
この視察&報告会にも深く関わっている現RRRプロジェクトの3人が高校生だった頃、その仲間たち数人と共に、自分たちの居場所づくりをこうしたいという報告書を作り上げるというプロジェクトを、一緒に体験させてもらいました。
「居場所!いばしょを考える」のP.6~24
今回の視察の、静岡県立大のYEC(若者エンパワメント委員会)の人たちの視点も素晴らしかった。
若者発の社会参画の実績を、これまで以上にどんどん社会に示していってもらえそうな予感。
頑張ってほしいです。
最新の画像もっと見る
最近の「NPO」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事