ある保育園に行ったら、副園長先生が、職員は「失敗してもいい権利」が奪われているのかもしれない。
それが、職員を、何をやっても認められていないという気持ちにさせているように思う、と話されていました。
OJTは大事だし欠かせないものだけれど、これまでの積み重ねと、先輩たちの、失敗しないように、失敗しないように、という行き届いた指導があると。
その結果、自分の頭で考えない、せっかくの創意工夫の気持ちをそいでいたかもしれず、もったいないことをしてきた様に思うとのことでした。
しかし、その失敗しないように、失敗しないように、とさせていたのは、実は自分たちの考え方でもあった、というようなこともおっしゃっていて、今は、何か必要品を買う時など、予算と決定権をその都度担当チームに持たせて、自由に発想し決定してもらうようにし始めたとのこと。
効果のほどは長い目で見るしかないが、会議の発言が少しずつ増えてきたとのことでした。
その話を聞いていた時に、私は自分の会社員開始の2年間を振り返っていました。
私の失敗話は数知れず、当時の同僚だった皆さんに会うと、いまだに笑い話のネタになるものがいくつかあって・・・
なぜか社内の階段もよく転げ落ちていました。
(実は地下鉄の階段も)
でも、大けがが一度もなかった!(教訓になっていない・・)
自分のバッグは何度網棚に忘れたか。
入稿原稿運搬中に、肝心の原稿を何度網棚に忘れたか。。
電車で本を読み続ける癖があって、今よりも責任感が格段になくて、目的地に着いたら本を読んでいる恰好のまま立ち上がり、電車を降りて、あっと気が付き、会社に電話して、終点駅まで原稿を取りにに行って・・・というのを、うーーん・・・数回してた。
電車やバスの乗り越しなんて、言えないほど。
今だと複数の路線が乗り入れているから、遺失物はとんでもない所に行ってしまうはず。
今の時代だったら、絶対絶対クビ。周りはあきれて相手にしてくれないはずだ。
当然、誰も、しようがないな~なんて言いながらフォローしたりはしてくれない。
もう同じ仕事はさせないだろう。ただ、
今書いた失敗は、かなり低レベルで、生活態度や責任感に問題ありで、とんでもないこと。
なおさら、今の私は、こんな人と一緒に仕事はできない。
が、やはり振り返れば、80年代はお気楽にしていられた平和な時代だった。
小中高を過ごした70年代だって、なんだかんだと言っても、周りの人は子どもに寛容だった。
やってみたいなーということ、それによって発生する失敗、少なくとも私はかなり経験してきている。
今の私の図太さは、大きい声で言うことでもないけれど、失敗の数の多さが関係しているのは事実。
つまり、奇跡的に私たちの年代は子ども時代から、個性を超えて「根拠なき自信」の土台を積み重ねることができたし、さらに社会人になってからは、失敗をしても、皆がよってたかって若者をフォローしてくれた気がします。
このトシになったら、もちろん、そんなことはなくなるのですが。
社内文書の半分以上が手書きで、ワープロは体裁を整えるために使っていた程度の時代の話です。
個性的な人たちが、あーでもない、こーでもないと試行錯誤できる時間がたくさん与えられていた時代。
失敗をしてもいい権利。確かに「権利」なのかもしれません。
効率、利益優先にせざるを得ない時代には、責任をとる立場の人の度量、力量がさらに試されるということになりますが。。。
現代社会は、一つの小さなマイナスが引き起こすダメージの範囲が大きくなったと思います。でも、こんなに多様な価値観が許容されていい時代に、最初から失敗しないように身を整えていたら、病気になってしまいます。
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