miciaは学生の頃、美術部に入っていました。
....と、以前の記事にも書いた記憶があります。
顧問の先生は、ちょっと変わった方で、あまり美術の技術について論理的な真面目なご指導は、まだされませんでした。もちろん✋を入れるという事はありましたが
自由にのびのびと好きなように作品を制作してよかったクラブだったので、心底楽しんでいました。
だから何故こんなもの作ったのだろう?というヘンテコなものばかりでしたが、でもやはりどうせ作るのならもうチョットマシなもので、良いものをと、いつも思っていたのでした(その当時はアカデミズムとかアカデミーとかそういう存在はなんとなく感じてはいても知る由もなく、それ程重要でもなかったわけです)。
どうやったら川の流れのたっぷりと流れる美しさを描けるのか、
よく見て色を重ねていったり、ということはしていました。
まさに自然から学ぶということですか? でも描きたかった美しい川は、近くにはなく、ドブ川を見てはドナウ川を妄想して絵を描く始末です。良いお手本とか見本に接する機会はごく稀で、模倣するににもそのものが身近になかったわけですから、全くゼロの地点に立たされていたといえるでしょう。その頃は、皆そうだったのであります。
そして、今みたいに美術展もそう盛んに開催されていませんでしたので、部活では浮世絵などを観に行っては、実践で印象派の様な技術をやりたい。。。という具合で、実際に仕上がった作品はスーパーRealityを超えたものになって先生からは、「何じゃこれわ~」と言われたリ、部活員の大爆笑が絶えなかったこの倶楽部の時間が大好きでした。
そんなこんなで果敢な時期に自由に制作させていただく時期を中学生から過ごしていたのですが、やはり高校生になったらすぐその先の進路調査という事があり、そこでmiciaも真面目に真剣考えることになりました。
高校一年生の時、進路を美術系に…ともほんの一瞬考えていた矢先の夏休み開けに、部活の担当の美術の顧問先生が、突然亡くなられてしまいました。
そしてそれと同時にmiciaが美術系の道に進むかもしれない、という極めて確率の低い夢は、miciaがそれまで描いてきた絵と同様に何処かに消え去って行ったのでした。