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イタリアのおばちゃんとオット´s 日記

イタリアのおばちゃんが語る、ローマでの平々凡々な人生&オットの腎移植体験記と透析生活回想録

上歯も、、、

2008-05-11 05:21:04 | 自分の健康のこと
矯正がとうとう始まった
前回の検診の時もらったアポは5月5日子供の日だったけど、工事現場監督業で召集がかかった為、3日延期して5月8日装着。。。
下歯の矯正ブリッジ着けたときの痛みを思い出して、決死の覚悟をして重い足を引きずる思いで行ったら、、、今回は下歯の時に比べてずっと痛みは少ない
ただ、食事、おやつ、つまみ食い・・・なんでも一口食べただけでブリッジ中に食べかすが引っかかってすごいことになっちゃう
100年の恋もイッキに醒めちゃう...って感じ


コンピューター化のおかげで・・・

2008-05-08 06:21:39 | できごと
昔のお友達との再会が続いてる。。。
クラスメート探しの目的でとある某サイトに登録し、知ってる人を何人か見つけて、メールを送ってみた
しばらくしたら、覚えてくれてなかったら・・・?と私からは勇気が出なくってメールが送れなかった中学の同級生がメールをくれ再会となり、別の某紹介制コミュニティに招待してくれた。
そして昨日、メールを送った高校の部活の先輩が返信をくれた
この先輩とは、卒業後、ほとんど直接の交流はなかったのが、就職した会社のお得意様の奥様として電話で思わぬ再会をしたのがもう二十?年前。。。よって今回再々会なわけ
このブログを始めた直接のきっかけも、もとはといえば、、、昔の空港で一緒に働いてたタコちゃんが私のこと探してくれて先日再会を果たし、彼女がブログを書いてるのにカンカされて勇気を出したからだったし。
コンピューター化で手紙を書かなくなった・・・ことは確かに残念なことだけど、手紙だとついつい筆不精な私に昔のお友達との再会を果たしてくれたネット時代には感謝すべきだと思う


時間は確実に過ぎていく・・・

2008-05-05 15:14:44 | 行事
嬉しい時間も悲しい時間も、楽しくても寂しくてもいつも同じように。。。
日本のゴールデンウィークはまだ今日明日と2日間あるけど、イタリアのメーデーによる飛び石連休は昨日で幕を閉じました。
お昼のニュースから既にリターン渋滞の中継をやってました。
渋滞が大っ嫌いな私達(特に運転手のオット)は、、、
5月1日、習慣としてソラマメのナマとカプリーノ(山羊乳)チーズを食べるのですが、前の日の夕方八百屋に行ったら売り切れで、当日はバァさん´家に行く道すがら道路わきでトラックで売ってるのを期待してお出かけしたけど、、、儚い期待に終わり、手ぶらでバァさん´家に行く羽目となりました。今年は、とても早くから(パスクワ頃からもう食べてた)出てたので最近のはもう硬くて調理しないとナマでは美味しくない位だったから、『これでヨシ』とすることにしました。
5月2日、私はピエトロのお葬式に参列、オットは息子の手術(男の子の大事なタマタマが大きすぎくならないように動脈をくくるんだって)に付き添い、と1日別行動。
5月3日、父母の49年目の結婚記念日、実はすっかり忘れかけてたけど出掛ける前のトイレで思い出して電話で『おめでとう』 午前中は、インテリアショップに借りてた色のサンプルを返しにおマチに出掛け、帰りに新しいお家(工事は休みだけど)チェック入れに覘き、午後は、バァさんを迎えに行ってお義姉さん´宅に預けて来ました。(月/火曜日と続けて病院で検査があるんで)
エンリコマンマがもう片方の腰の手術をしました。
5月4日、エンリコマンマのお見舞いに行って来ました。
実の息子とその嫁は、海の家に行っちゃってるので。。。
(手術が決まる前からジェノヴァから友達が泊りがけでバカンスしに来る約束がしてあったのですっぽかすわけにはいかない・・・と弁解してたけど、、、噂によると長男の嫁、姑の手術の日に付いてて上げないもんだから、タタリで風邪引いて海の家で寝てたらしい。。。)



悲しい出来事・・・

2008-05-01 05:18:21 | できごと
ピエトロが亡くなった。
先日、彼の頼みで日本語の家庭教師を引き受けた大学生の生徒がピエトロの容態が悪くなった、、、来週にでも会いに行こうかと思ってる、、、って言うんで、是非一緒に行こう。。。と話してた矢先で彼は何をそんなに急ぐ必要があったのか・・・?待っててくれなかった。
ピエトロは、イタリアツアーでの随分年上の同僚だって、ランチ友達でもあったし、困ったことがあったら彼に相談すればほとんどのことは解決してくれた。
会社が危なくなった時、“ワシは、もう定年間近だから再就職するにも難しすぎることだし、成り行きに任せるしかないけど、あんたはまだ若いし、幸いイタリアツアー暦も短いから損害も少ないので早いとこどっか探しなさい”。。。と忠告してくれた人だった。
しばらく忙しさにかまけてご無沙汰した後、結婚のお知らせをしに久しぶりに連絡を取った時、病に冒されていることを教えられてびっくりした。
でも、本人があまりにもアッケラカンと語るので『絶対良くなるもんだ』と信じてた。
結婚式にも来てくれたし、翌日のパーティーにも来てくれたし、私が事故に逢った時病院にお見舞いにも来てくれたし、退院した時には即行で家にも会いに来てくれた。“今日は奥さんは一緒に来れなかったから、次回は必ず連れて来る”と言って。そしてそれが最後にピエトロと会った日となってしまった。
私は確かに事故に逢って大怪我を負って、長いこと入院生活も送ったけど、治った。ピエトロは快方に向かうばかりの私をいつも気にしてくれ、自分の方がずっと病気のくせに最後まで『見舞う』側だった。