母は4年前の今日亡くなった。
母は肺がんと告知されてたが、痛みを和らげる貼り薬のお陰で、元気で痛みも全くなく、いつもにこにこ笑っていた。
怒った所を見た事がない位優しい母だった。
私にもいつも「ありがとう」と言ってくれる母だった。
亡くなる4ヶ月前、私は母を庇って、玄関のたたきから落ちて、左足の小指を骨折した。
その時は辛かった。自分が動けない上、母の介護をしなくてはならない。
その時の事は、後にブログに書いた。
「2017年10月頃の事ふたたび」(2020年12月31日)
そして、自宅近くのホスピスに入院する事になり、
初めは一週間の命と告知されたが、
母はそれから何と3ヶ月も生きてくれたのだ。
私の為に生きてくれたと今も思う。
私が食事の介助をすると母はいっぱい食べてくれた。
母とずっと一緒に過ごした3ヶ月は本当に楽しかったのだ。
その朝が最後の朝になるとは知らず、アイスクリームを少しだけ口に含ませた。
母はありがとうと言うように少し笑みを浮かべ、
その後、笑みを残したまま静かに目を瞑った。
ホスピスは延命はしない。
ゆっくりとゆっくりと呼吸が少なくなり、
夕方に呼吸が止まった。
安らかだった。
私はずっとそばにいて母の顔を見守った。
母の口癖は、いつも私が見守りながら眠る時「あ~極楽、極楽~」と安心した笑顔で言う言葉。
亡くなるその時も全く同じようだった。
「あ~極楽、極楽~」と言ってるような仏様のような顔だった。
お墓参りをゆっくりしてから、四首詠んだ。
☆母の忌の朝はあの朝偲ばるる 最期と知らず笑みし吾(あ)と母
☆須磨浦の光を望む六甲の山に守らる父母の墓
☆父母の墓を参れど現身(うつしみ)のそばにゐるやにいつもゐるやに
☆亡き母は山の端(は)にある朧(おぼろ)月 亡き父春の大海原や
「水曜サロン」には、
先週だったかに詠んだ寒雀の三首を出詠しようと思ってたが、
せっかくだから、今朝のこの短歌にしようか、どうしようか考えている。
* * * 追記 * * *
最後の歌
初め
☆亡き母は山の端にある残月に 亡き父春の海の光に
でしたが、
「残月」は初め残る月の意味で使いましたが、
正しくは、朝になっても残っている月で、
元々「月」は全て秋の季語でしたので、
朧(おぼろ)月に変えました。
朧(おぼろ)月は春月(しゅんげつ)でもあり、
皎々(こうこう)と照る秋の月より母のイメージに近く思います。
立春を過ぎれば、寒くとももう春ですもんね
母は肺がんと告知されてたが、痛みを和らげる貼り薬のお陰で、元気で痛みも全くなく、いつもにこにこ笑っていた。
怒った所を見た事がない位優しい母だった。
私にもいつも「ありがとう」と言ってくれる母だった。
亡くなる4ヶ月前、私は母を庇って、玄関のたたきから落ちて、左足の小指を骨折した。
その時は辛かった。自分が動けない上、母の介護をしなくてはならない。
その時の事は、後にブログに書いた。
「2017年10月頃の事ふたたび」(2020年12月31日)
そして、自宅近くのホスピスに入院する事になり、
初めは一週間の命と告知されたが、
母はそれから何と3ヶ月も生きてくれたのだ。
私の為に生きてくれたと今も思う。
私が食事の介助をすると母はいっぱい食べてくれた。
母とずっと一緒に過ごした3ヶ月は本当に楽しかったのだ。
その朝が最後の朝になるとは知らず、アイスクリームを少しだけ口に含ませた。
母はありがとうと言うように少し笑みを浮かべ、
その後、笑みを残したまま静かに目を瞑った。
ホスピスは延命はしない。
ゆっくりとゆっくりと呼吸が少なくなり、
夕方に呼吸が止まった。
安らかだった。
私はずっとそばにいて母の顔を見守った。
母の口癖は、いつも私が見守りながら眠る時「あ~極楽、極楽~」と安心した笑顔で言う言葉。
亡くなるその時も全く同じようだった。
「あ~極楽、極楽~」と言ってるような仏様のような顔だった。
お墓参りをゆっくりしてから、四首詠んだ。
☆母の忌の朝はあの朝偲ばるる 最期と知らず笑みし吾(あ)と母
☆須磨浦の光を望む六甲の山に守らる父母の墓
☆父母の墓を参れど現身(うつしみ)のそばにゐるやにいつもゐるやに
☆亡き母は山の端(は)にある朧(おぼろ)月 亡き父春の大海原や
「水曜サロン」には、
先週だったかに詠んだ寒雀の三首を出詠しようと思ってたが、
せっかくだから、今朝のこの短歌にしようか、どうしようか考えている。
* * * 追記 * * *
最後の歌
初め
☆亡き母は山の端にある残月に 亡き父春の海の光に
でしたが、
「残月」は初め残る月の意味で使いましたが、
正しくは、朝になっても残っている月で、
元々「月」は全て秋の季語でしたので、
朧(おぼろ)月に変えました。
朧(おぼろ)月は春月(しゅんげつ)でもあり、
皎々(こうこう)と照る秋の月より母のイメージに近く思います。
立春を過ぎれば、寒くとももう春ですもんね
3首とも良い歌ですね、
自分に引き付けた短歌が胸を打つようです
一般的な詠題は誰でも詠めるので、これやこれの我が歌を目指したいと思っています
4首とも素晴らしい短歌ですね。
私は4首の中で1首だけと言われれば、迷わず
「父母の墓を参れど現身(うつしみ)のそばにゐるやにいつもゐるやに」選択します。
父が亡くなって45年、母が亡くなって16年ですが、全く同じ気持ちでいます。私といつも一緒に行動しているような、すぐ側にいるような気がしています。小さいですが私の書斎の机の側に仏壇と位牌を置いて拝むというよりいつも一緒です。
ありがとうございます。
俳句は自分ごとで詠むのがよい俳句と師に教えられますが、短歌も同じなのでしょうね。
親を詠むのは、全くの自分ごとですし、心情も思い切り込める事ができるので、癒しにもなりますね。
ありがとうございます。
本当に、親は亡くなっても、いつもそばにいてくれていると思いますよね。
いつも優しく見ていてくれて、応援してくれていると思います。
私の母も、私が子供の頃、そんな話をしてくれた事がありました。
きっと自分が死ぬ時も、母が亡くなった時の事を思い出し、ちっとも怖くないと思います。
ありがとうございます。
父と母は優しくて、子供の私を尊重してくれて、あまり私は怒られませんでした。
反抗期はありましたが、いい関係だったとは思います。
亡くなっても今もいつもそばにいてくれると思ってます。
でも今、いい心がけで生きてるとは全然自信がないですよ~
スポーツは好きですが、実はぐうたら主婦なんですよ~(笑)
今夜もまたみっちっちさんの「お母さんに対する愛」の深さを強く感じました。
そして過去の記事(2020年12月31日など)も読ませていただきましたが「自分の身よりも母親を・・」や「自分の身よりも娘を・・」というお互いに利他の精神をも強く感じました。
みっちっちさんは体の痛みよりも「不安」を中心とした心の痛みが大きかったのでしょうね。
一方、お母さんはみっちっちさんとの時間を大切に
考えておられたのでしょう。
告知された時間よりも遥かに長い時間を二人で過ごせたことでさらに多くのそして大きな幸せの思い出を作ることができましたね。
きっといつも、いつでもみっちっちさんの傍にいらっしゃると思いますよ、
ありがとうございます。
母が余命より長く生き抜いてくれた事で、私は大きな幸せをもらいました。3ヶ月間、本当にありがたい幸せで、何と楽しかった事でしょう。最後の最後まで、母は私に笑いかけてくれました。母は私に、今を生きる命の大切さ、命の輝きを教えてくれたのだと思ってます。私も命を大切に生き抜こうと思いました。
コメントありがとうございました。
「親思う心にまさる親心」ではありませんが、お母様との濃密な3か月は、
なにものにも代えがたい日々であったことと思います。お母様にとっても…。
お母様の忌日に「お墓参りをし、ゆっくりと母を偲ぶ一日」を過ごされた故、
娘として、何よりの親孝行と思います。娘にとって母の存在は、逝って後さらに
大きな存在として残るものと思います。
折に触れ母との日々が偲ばれ、「母恋」にも似た想いが湧くものと思います。
そんな想いを詠み、みっちっちさんの切々とした想いの籠る味わい深い詠歌は、
泪を誘います。
「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。
ありがとうございます。
母は亡くなった後もいつも私のそばにいてくれて、いつも守られてるのを感じます。
だから私は元気に過ごせているのだと思います。
短歌は、俳句と違い、季語や17音の縛りもなく、自由に心情を語れるのでとても楽しく詠める事ができますね。
これからももよろしくお願いいたします。