史跡ハンター 臥龍

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真難受~

2008年11月24日 | ひとり言
11月24日(月)
おいおい…「昨晩」も「隣り」は「1時」ごろまで盛り上がってたじゃんかよ…
ホントに「オネーちゃん」らは「ヤツ」に言ったのか?それとも「注意」されても「シカト」してるのか?
ちゃんと言ったのか「確認」する「必要」があるな…
まぁ…でも今日は「右腕」が痛くて、ほとんど「眠れなかった」んですよ~
これは、もう「ダメ」だ…5:00に起きてしまいましたよ。
今日は「授業」を休んで「病院」に行くことにしました。
この「痛み」のせいか、「平熱」以上の「熱」があり…もう「最悪」ですね。
「授業」に出る気は無かったけど、いつもと同じ「時間」に下り、「教務課」にどこの「病院」に行けばいいのか聞きに行きました。
そして昨日は、最近「ネットの掲示板」で知り合った子に「付き添い」をお願いしておいたんです。
実は今「北京」には「ネット」で知り合った子が「3人」います。
「1人目」は、「青州」にいた時からの「知り合い」ですが、「青州」時代は全然「連絡」していませんでした。
ここ「北京」に来てから「連絡」をしたんだけど、今「彼女」は「就職活動」の真っ只中で「付き添い」は「無理」でしょう…
「2人目」は、「北京」に来てから「ネットの掲示板」で知り合ったんだけど、最近「就職」が決まって「仕事」が忙しいのか「Messenger」に「サインイン」して来ないんだよね…
「3人目」も同じく、ある「掲示板」で最近知り合ったんだけど、「彼女(Kさん)」は今「無職」で「ロシア語」を「勉強」してるんだって。
あぁ、もう頼れる人は「3人目の彼女」しかいない…って事でね。
この「3人」って、まだ一度も会ったことが無いんだけどさ…でも「3人」共「日本語」が話せます。(だから通訳を頼むんだけどね…)

まず「教務課の馬先生」から、いくつか「病院」を「紹介」してもらいましたが、「中日友好医院」に行くことにしました。
それから「オネエさん」に「青州」から「離職証明書」が届いたか「確認」しに行くと、「金曜」に届いていたようでした。
「中日友好医院」も「ビザ書き換えの事務所」も同じ「地下鉄10号線」沿いなので「1日」で「両方」を片付けられるぞ。
8:30ごろ「Kさん」に「電話」をしたら、まだ寝てたようで…スミマセン。
そして9:30に「中日友好医院」で待ち合わせをしました。

9:00「学校」を出て、9:25「芍薬居」に着きました。
ここが「朴さん」が住んでる「芍薬居」かぁ…あまり開けてないね…

ここから「中日友好医院」まで歩いて行くんだけど…「高速?」や「線路」をどこから越えられるのか分からず、迷ってしまいました。
こりゃ、9:30に着かないぞ…って思ったら「Kさん」から「メール」が来て、「渋滞してるので、10:00に会いましょう」と。
これは「助かった」ぞ…俺も「芍薬居」から、こんなに「不便」とは思わなかったからね。

10:00「中日友好医院」に着きました。

初めて会う「Kさん」だったけど、「携帯」があるのは「便利」だね。
そして、やっぱ「日本語」を話せる「中国人」に付き添ってもらうのは、本当に助かりました。
「中日友好医院」と言っても「日本語」で「案内」があるワケでも無いしね…
まず「受付」で「お金」を払い、「骨科」で「レントゲン」を撮るように言われたけど、まず「お金」を払ってからだし、「診察」後「ギプス」を作るのにも先に「お金」を払いに行ってからなんです。
だから3回「会計」に行きましたね。
俺ら「留学生」は「健康保険」に「加入」してるんで、「治療」が全て終わってから「いくらか」返って来るのかな?
「レントゲン」によると…「骨折」はしていないようでした。
でも「2週間」ほど「固定」しておかねばならないようで、「ギプス」をされました。
「石膏」を「想像」してたんだけど…「違う」んですね。
また「2週間」後に診せに行くけど…ずっと「ギプス生活」かぁ。

12:00ごろ「中日友好医院」を出て、近くで「昼食」を食べました。
「Kさん」は「朝食」も食べずに来てくれたらしいんでね。
俺が「右手」を使えないこともあって、一緒に「粥」を食べました。
そして次は「呼家楼」に行くんだけど、「バス」で行くことになりました。
「Kさん」は「地理」にも詳しいんで助かりました。
昔は「中日友好医院」の近くに住んでたらしいし、「呼家楼」の「京広中心(ビル)」も知ってたしさ。
「バス」を「2台」乗り継いで、13:40ごろ「京広中心」に着きました。
そして「ビザ書き換え手続き」をして、14:25ごろ「京広中心」を出ました。

「京広中心」は高すぎて「写真」に撮れなかったけど、近くの「CCTVビル(右)」です。
そして14:30「Kさん」と別れて、「呼家楼」から「地下鉄10号線」に乗り、15:15ごろ「学校」に帰りました。
「Kさん、今日はホントにどうもありがとう。まだ知り合ったばかりなのに、こんな事に付き合ってもらって…完全復活したら、美味しいモノご馳走しますよ」

これが今の俺の「状態」です。
「右手」だから「字」も書けないし…「服」を着たり、「食事」をしたり…「困難」ばかりだよ…
「夕飯」は「学食」に行きました。
こんな「格好」してると、「バス」でも「席」を譲られるわ、「学食」でも「オバちゃん」が「料理」を「テーブル」まで運んでくれるわ…
でも当分「北京散歩」は出来ないかな…「右手」で「カメラ」を構えることも「困難」なんだもん…
また「腕」が治ったら「Kさん」には「中国語の先生」になってもらおうかな。
俺は「日本語」を教えられるし…しかも「朝鮮族」なんで「韓国語」も話せるらしいんで「朴さん」にも「紹介」してあげようかなぁ。
「2週間」後「ギプス」が取れればいいんだけど…当分何食って「生活」しようかなぁ…?
じゃ、またね。


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