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川瀬有希の時の旅


「今日は何の日」と題し、過去のその日に起こった出来事を、自由気ままに語るブログです。

2014(平成26)年4月の出来事

2014-04-30 22:00:00 | 2014(平成26)年

(4月1日)消費税が8%に増税される

1997年に3%から5%になって以来、17年ぶりの増税。
今回は5%になった時よりも、初めて導入された1989年の時の様子に近いように思う。
義務づけされていた税込価格をやめ、本体価格に税率を適用するようになった為、とにかく買い物のたびに計算が面倒なのと、明らかに便乗値上げをしてる店舗が増えたことが、あの頃の感覚に似てるから。
しかも、来年10月には更に10%になることが決まっている。
税金は低い方がいいが、どうせ上げるなら、はじめから10%に設定した方が混乱を招かず済んだのでは、とまで考えてしまった。

まぁ、それより大事なのは、本当に公共の福祉に限って使われるのかね?
それが問題だ。

日本の財政が歳入不足で、決して健全でないことは分かってる(他国ならとっくに破綻してるレベル)。
不足なら上げる他ない現実も理解しているが、無駄な出費を抑えるのが先決なのは誰もが指摘するところ。
果たしてその努力は本当に行われているか、極めて怪しいと言わざるを得ない。
要は順番が逆なのだ。

とりあえず、すぐに出来ることから着手してもらいたい。
まずは、政党助成金の廃止。

政治には金がかかる
→ 政治家が金集めに奔走し、政治に集中出来ず、不正も減らない
→ ならば税で足りない分を補完し、金に悩むことのない環境を整えればいい……

こういう理屈でスタートしたように記憶するが、それで問題は解決したか?
今なお金権腐敗が横行してるではないか。
つまり政党助成金は、制度として用をなさないことが証明された訳だ。
だったら、即刻廃止すべきだろう。
この件を筆頭に、やるべきことは山ほどある。
増税はあくまで最終手段であることを忘れるな。


2014(平成26)年3月の出来事

2014-03-31 22:00:00 | 2014(平成26)年

(3月8日)マレーシア航空370便が消息不明になる

マレーシアのクアラルンプールから中国の北京に向かっていたマレーシア航空370便(乗員・乗客合わせて239人)が同日、タイランド湾上空で消息を絶った。
事故説、テロ説、果てはパイロットの犯行説まで入り乱れる何とも不可解な事態が今なお継続している。
3月31日現在、破損した機体の一部が発見されたとの報道もいくつかされているが、これだけテクノロジーの発達した現代に於いて墜落現場の特定にかなりの時間を要し、また、事件か事故かの最終結論もいまだ下されていない。
乗員・乗客の悲惨さもさることながら、その親族らにとってはこれ以上ない残酷な状況が、ゴールも見えないままに続いてる訳で、もし自分が関係者なら耐えきれないだろう。

いずれ真実は明らかとなる。
しかし、どういう結末を迎えても、それを否定する陰謀説が流れるような気がする。
そして(自分も含め)この件が、メディアなどで大きく取り上げられはするものの、日本国内では社会問題化する程の重要案件に(少なくとも一般国民の間で)なってないのは、やはり乗員に日本人がいない為だろう。
どこか距離を置いた姿勢で事態を見守る雰囲気なのは、誤解を恐れず言えば、当事者意識が欠けているからである。


2014(平成26)年2月の出来事

2014-02-28 22:00:00 | 2014(平成26)年

(2月5日)佐村河内守氏のゴーストライター疑惑が発覚

全聾という障害がありながら数々の楽曲を制作し、音楽業界だけでなく世評も高かったが、実際は佐村河内氏の自作ではないことを、ゴーストライターを務めた新垣隆氏が『週刊文春』誌上で告白、その記事が掲載されることが発売前日にあたるこの日に発覚。
そこから、単なる代作疑惑にとどまらず、聴覚障害を疑われる事態にまで発展。
2月末現在、浮上した数々の疑惑の真相は依然解明されておらず、また、予告された本人による記者会見も行われていない。

>作曲以前に譜面もろくに書けなかったのでは?

>身体障害者手帳交付には医者による診断が不可欠だが、担当医師もグルだったのか?

>妻は何も知らなかったというが、彼女の筆跡を疑われる文書もあり、実は全て把握していたのでは?

>取材したマスコミ各社は今になって、前からおかしいところがあったと弁明しているが、本当は耳が聴こえることなどを知りつつも自らの意思で真実を封印していただけなのではないか?

……挙げれば切りがない。
本人にとどまらず、その周辺も含め、正に疑惑のオンパレード。
各々の細かい追及は今後の報道に委ねるとして、ここでは〈作品の評価〉という点に絞り、論じてみる。



音楽評論家やメディア関係者、そして一般大衆は果たして、佐村河内氏がつくったとされる曲そのものを、これまで評価してきたのか?
聴覚障害者でなく、被爆2世でなく、『HIROSHIMA』というタイトルがつけられてなくても、あの交響曲を絶賛していたか?
いや『HIROSHIMA』だけでなく、その他の曲も手放しで褒め称えていたか?
僕はかなり怪しいと睨んでいる。
作品そのものでなく、作品や作曲者が身に纏う〈背景〉或いは〈物語〉に惹かれていただけではないのか?

実に厄介な問題を孕んだ事件だと思う。

まず、先に挙げた障害や被爆といったキーワードは、我が国に於いてはある種のタブーを帯びている。
誤解を恐れず言えば、それらに纏わるものに関しては何ら疑いを差し挟んではならないような風潮すらある。
途中でおかしいと思っても口にはしない、そういった誤った自制心が働く状況が多々あり、このたびのケースでは、それが彼の暴走を手助けしたと言っては言い過ぎか。

そして、今回はクラシックの世界で起こった事件だが、音楽だけでなく芸術分野全般に於いて、純粋に作品そのものを批評することは可能なのか、というより根本的な問題も浮び上がった。
本当に作品の良さそれ自体は変わらないというのなら、佐村河内氏がどうなろうと、また実際の作曲者が誰であれ、曲は絶対に残しておくべき筈が、今のところそんな機運は見受けられない。
それどころかCDは出荷停止、コンサートも全てキャンセル、ゴールドディスク認定も取り消された。
曲の価値が不変であるなら、この動きは明らかにおかしい。
どんな理由があろうと、真に価値ある作品なら、これからも高く評価し続けていくべきなのに、あれだけ絶賛していた人々の誰一人もそれを訴えようとしない。
要するに、誰も〈音楽〉を聴いてなかったのだ。
持ち上げてきた人々は、一体何に心を奪われたのか。



今後どういう決着を見るかは分からないが、これだけははっきりと言える。
この事件で佐村河内氏が明らかにしたのは、自らの偽りだけでなく、この世の中の、価値あるものとされる存在の疑わしさである。


2014(平成26)年1月の出来事

2014-01-31 22:00:00 | 2014(平成26)年

(1月16日)小野田寛郎死去

終戦から30年以上もフィリピン・ルバング島に潜伏し〈戦争〉を続けていたことで有名な小野田寛郎氏が、入院先の都内病院で亡くなった。
享年91。

1942(昭和17)年12月、応召。
1944(昭和19)年9月、スパイ養成機関として有名な陸軍中野学校の二俣分校(静岡県)に入学、ここでゲリラ要員となる教育を受ける。
同年12月に予備陸軍少尉としてフィリピンに派遣され、ルバング島に着任した。

過酷な状況でも任務を遂行すべく特別な訓練を受けたことが、長年に渡るゲリラ戦に耐えられた物理的要因と思われるが(普通の兵なら餓死するか、絶望して自決するか、或いは投降する)、それ以上に精神的に支えたのは、配属となった第8師団の師団長・横山静雄陸軍中将の「玉砕は一切まかりならぬ」との訓示が大きいと考える。
上官の命令には絶対服従の帝国陸軍にあって、どんなことをしてでも生きろというこの訓示がなければ、全く違う成り行きになっていた筈だ。
そういう意味で小野田氏は上官に恵まれたと言えるし、また、30年以上それを守り続けるとは、恐ろしいまでに規律正しい軍人だったとも言える。
実際、1974(昭和49)年に冒険家の鈴木紀夫と接触しても直ぐには心を開かず、上官の命令があれば帰国すると告げ、宮崎県で本屋を経営していたかつての上官・谷口義美元少佐が現地にまで赴き、任務解除を命じたことで漸く帰国の途に着いた程だ。
1972(昭和47)年にグアムから帰国した横井庄一氏が、どこか庶民然とした印象があるのに比べ、帰還直後の小野田氏に生粋の軍人魂を感じるのは、ぼろぼろになった軍服に身を包み敬礼するあの姿の影響ばかりではないだろう。

1974年3月12日、無事日本に帰国するが、マスコミによる過剰な取材攻勢や実家の両親とのいざこざ等に嫌気が差し、兄(小野田家次男、寛郎氏は四男)の住むブラジルに移住し、牧場を営んだ。
が、ずっと行ったきりという訳ではなく、日本とブラジルを行き来する日々を送り、その中で、1984(昭和59)年に『小野田自然塾』を開校。
30年に渡るジャングルでのサバイバル経験を活かし、子供達に野外教育を施した。
極めて特殊な状況下を生き抜いた彼の目に、戦後の日本の子供達にはやはり何か足りないものを感じていたのかも知れない。

最初に帰国した時、僕はまだ幼かったので当時の記憶はまるでなく、後年、テレビで先の自然塾が紹介されるのをたまに見かけるというかたちでしか知り得なかったが、そこにかつての帝国陸軍軍人の面影はなく、どこにでもいる(と言っては失礼だが)本当に優しそうなお爺さんという佇まいだった。
この、温和な表情を浮かべる御老人のどこに、あれだけの強靭な精神力があるのか、疑わずにはいられなかった。
人はどんな存在にもなり得る、そして、環境が人をつくるのだという真理を垣間見た思いがした。