贅沢な時間~ goo.gl/jztVmL
— Ruri (@lapislazuli1940) 2016年6月28日 - 02:54
相変わらず寂しそうな顔をしているクルミ
今日は今年最初の、「青い麦の家」のスタッフミーティングの日でした。
麦の家に来ている皆さんの、現在の状態の説明がありました。
今以上に状態が悪くならないようにとの、スタッフの方たちの熱意が伝わってきます。
完治することは無くても安定して、今以上に悪くならなければ良いですね~
ミーティングの後はPC教室で、今回の編集長のIさんと、「うり新聞」の編集をしました。


夏休みの終わり、気分を一新させて…。と思って髪をカットしに美容院に行きました。
最近は電車で立っていると「どうぞ」と席を譲ってくださる方が増えました。
おかげさまで、それなりに年を取っているようです。
そろそろ又、海外に行きたくなりました。
又、イギリスに行ってみたいとの思いながら、
英国のコッツワールドの写真と
ハーフティンバーの様式の、お伽の世界の家のような家を眺めて、懐かしんでいます。
行かれなくても、写真が有りますから、それを眺めながら、あちこち旅をするのも良いかもしれません。
「ひまわり会」の皆さんと、10月21日&22日に、2011年3月11日に起きた、東日本大震災地の南三陸町に行ってきました。
その時より2年半が過ぎましたが、当時の津波の爪痕が、あちらこちらに残されていました。
復興にはまだ時間がかかりそうです。
木や電柱の10m以上のところに「ここまで」と、津波にのまれた時の高さが記されていましたが、10mも海水に沈んだのですから、ひとたまりもありません。
おまけにその水は凄い速さで流れていましたから、建物は根こそぎ持って行かれ、残っていたのは鉄骨のみとなりました。
水の驚異は、筆舌に表すことはできません。
風も地震など、自然の驚異は並みのものではありません。
たくましく粘り強い東北の方々は、黙して語りませんでしたが、被害はことの他大きかったようです。
現地を訪れて、地元でお買い物をすることが、復興のお手伝いになるのだそうです。
そこで、ひまわり会の皆(21名)は、沢山の買い物をしました。
帰って来て、いろいろお土産を食べましたら、どれもこれも美味しくて、それらを販売していたお店に、再注文しました。
実際に現地を訪れて感じたことは、「百聞は一見にしかず…。」と言うことでした。
良い旅を企画してくださった、ひまわり会の方に感謝しています。
宿泊した宮城県の南三陸「ホテル観洋」
津波で1、2階が浸水したので、3階以上がホテルとなったいました。

ホテルの部屋の真下は海でした。



「こんにちは」カモメが窓際でご挨拶です。


仮設住宅の売店。三陸の海山物などが売られていました。

東日本大震災で町職員ら42人が犠牲になった、宮城県南三陸町の防災対
策庁舎が見えて来ました。


「防災対策庁舎」の鉄骨のみが残されていましたが、津波の怖さを物語っています。
この姿を、残そうとの考える方と、取り壊そうと考える人と、意見が対立していたようですが、11月には取り壊すことになったようです。
現在は、津波の被害の怖さを物語ながら、「防災対策庁舎」は無残な姿を晒しながら、被害に遭った方たちを、鎮魂しているようでした。

バスに乗り「防災対策庁舎」をあとにしました。


津波で家が流された跡地には、雑草が茂ったり水浸しになった住居跡地が点在しています。
この地に住居が建てられるようになるのは、遥か先のことだそうです。
あまりの悲惨な姿を目の辺りにして、言葉を失った旅でした。
その時より2年半が過ぎましたが、当時の津波の爪痕が、あちらこちらに残されていました。
復興にはまだ時間がかかりそうです。
木や電柱の10m以上のところに「ここまで」と、津波にのまれた時の高さが記されていましたが、10mも海水に沈んだのですから、ひとたまりもありません。
おまけにその水は凄い速さで流れていましたから、建物は根こそぎ持って行かれ、残っていたのは鉄骨のみとなりました。
水の驚異は、筆舌に表すことはできません。
風も地震など、自然の驚異は並みのものではありません。
たくましく粘り強い東北の方々は、黙して語りませんでしたが、被害はことの他大きかったようです。
現地を訪れて、地元でお買い物をすることが、復興のお手伝いになるのだそうです。
そこで、ひまわり会の皆(21名)は、沢山の買い物をしました。
帰って来て、いろいろお土産を食べましたら、どれもこれも美味しくて、それらを販売していたお店に、再注文しました。
実際に現地を訪れて感じたことは、「百聞は一見にしかず…。」と言うことでした。
良い旅を企画してくださった、ひまわり会の方に感謝しています。
宿泊した宮城県の南三陸「ホテル観洋」
津波で1、2階が浸水したので、3階以上がホテルとなったいました。

ホテルの部屋の真下は海でした。



「こんにちは」カモメが窓際でご挨拶です。


仮設住宅の売店。三陸の海山物などが売られていました。

東日本大震災で町職員ら42人が犠牲になった、宮城県南三陸町の防災対
策庁舎が見えて来ました。


「防災対策庁舎」の鉄骨のみが残されていましたが、津波の怖さを物語っています。
この姿を、残そうとの考える方と、取り壊そうと考える人と、意見が対立していたようですが、11月には取り壊すことになったようです。
現在は、津波の被害の怖さを物語ながら、「防災対策庁舎」は無残な姿を晒しながら、被害に遭った方たちを、鎮魂しているようでした。

バスに乗り「防災対策庁舎」をあとにしました。


津波で家が流された跡地には、雑草が茂ったり水浸しになった住居跡地が点在しています。
この地に住居が建てられるようになるのは、遥か先のことだそうです。
あまりの悲惨な姿を目の辺りにして、言葉を失った旅でした。
ノウゼンカズラ(凌霄花)の花

ノウゼンカズラの花が咲き始めると特集号の編集にかかります。
今年も何時の間にか、この季節に成ってしまいました。
アジサイの季節は沢山のアジサイ見物の方が訪れていましたが。これからは海水浴の人々で改札が賑わう事に成ります。
アッと言う間に時が過ぎて、どんどん年を取って行きますが、今の所は元気で頑張って居ます。

ノウゼンカズラの花が咲き始めると特集号の編集にかかります。
今年も何時の間にか、この季節に成ってしまいました。
アジサイの季節は沢山のアジサイ見物の方が訪れていましたが。これからは海水浴の人々で改札が賑わう事に成ります。
アッと言う間に時が過ぎて、どんどん年を取って行きますが、今の所は元気で頑張って居ます。