白馬の人気らーめん屋「髙橋家」。
その敷地内にワックス空間が設けられ
知る人ぞ知る重鎮が作業を行っている。
恭平の親父。
いまはそう呼ばれるほうが多い。
80年代のスキーブーム時代に三井物産でスキーの
ロシニョールやラングの輸入に関り、トップ選手
たちのサービスマンとしてワールドカップを転戦。
スキーの大先生たちからすれば恭平の方が
「物産(に居た)の髙橋さんのお子さん」。
そんな大御所が70半ばにして「最後に」と
現役のプレイヤーたちと言葉を交わせる場に立つ。
先日わざわざQUESTのある栃木まで来てくれて
「バスに乗ってたら、エッヂがボロボロのスキーを
持った学生が居てね。こんなんで練習してたって
上手くなんねぇから、オジさんが研いでやるよ。
みたいな話になってね」と。
大昔、小山のクライミングジム「ロッククラフト」に
恭平を連れて行ったときに「白馬?髙橋?もしかして
お父さんの名前は〇〇さんじゃないよな?」と言う
向井さんに「そうですけど、お知り合いですか?」と
恭平が言ったら「オレは君のお父さんにスキーの
メンテナンスとか教わったんだよ」と喜んでいた。
不思議な縁だけど、なんか面白い。
「白馬にそんな場所ができて、そんな人が居る」
と記憶の片隅に入れておいてください。
昭和の職人ですからね。そこはお忘れなく。
その敷地内にワックス空間が設けられ
知る人ぞ知る重鎮が作業を行っている。
恭平の親父。
いまはそう呼ばれるほうが多い。
80年代のスキーブーム時代に三井物産でスキーの
ロシニョールやラングの輸入に関り、トップ選手
たちのサービスマンとしてワールドカップを転戦。
スキーの大先生たちからすれば恭平の方が
「物産(に居た)の髙橋さんのお子さん」。
そんな大御所が70半ばにして「最後に」と
現役のプレイヤーたちと言葉を交わせる場に立つ。
先日わざわざQUESTのある栃木まで来てくれて
「バスに乗ってたら、エッヂがボロボロのスキーを
持った学生が居てね。こんなんで練習してたって
上手くなんねぇから、オジさんが研いでやるよ。
みたいな話になってね」と。
大昔、小山のクライミングジム「ロッククラフト」に
恭平を連れて行ったときに「白馬?髙橋?もしかして
お父さんの名前は〇〇さんじゃないよな?」と言う
向井さんに「そうですけど、お知り合いですか?」と
恭平が言ったら「オレは君のお父さんにスキーの
メンテナンスとか教わったんだよ」と喜んでいた。
不思議な縁だけど、なんか面白い。
「白馬にそんな場所ができて、そんな人が居る」
と記憶の片隅に入れておいてください。
昭和の職人ですからね。そこはお忘れなく。