今COVID19、新型コロナウィルス に世界が脅かされている。僕ごときがわざわざ言う必要もないことだ。
天災のように我々に降りかかっているようにみえても、実際は僕たちが作り出した病気でもある。詳細議論は専門家に委ねることであるが、少しだけ「病気は文明がつくる」との事実を確認しておこうと思う。
気管支炎の原因はなんだろうか。きっとその人間の気管支が弱いとか、そういう遺伝的な要因もあるに違いない。しかしながら、気管支炎が遺伝的な要因においてのみ発症するかといえば、そんなわけはない。当然環境の問題が重なってくる。
いわゆる遺伝と環境の問題だ。少しわかりやすく、気管支喘息を想定すればいい。気管支喘息は当然公害病とも言われる。産業の発達による空気の汚染、自動車排気ガスがその環境となったがゆえに、気管支喘息になりやすくなった。産業化された中で安価で便利な工業製品を使用し、自動車で移動の自由を獲得したがゆえなのである。その意味で、気管支喘息には文明によって引き起こされたという強い一面がある。
交通傷害、ガン、精神疾患、職業病、生活習慣病なども含めて、文明がこれら病気を引き起こしてきたわけだ。結核、性感染症などの感染症、コレラやSARSのような急性伝染病もまた病原菌やウィルスがあるからといって、病気が生じるというわけではない。僕たちはこれらの病原菌やウィルスを病気の“犯人”とみなしがちだが、それは短絡的な思考というものだ。ここで詳細論じる気はないが、構造主義を理解していれば、当然見えてくる世界である。
まとめれば、病気は自然的因果もあるが、人間自身が作った文明によっても引き起こされる。特にその文明、あるいは社会のありようが病原菌やウィルスを繁殖させる条件となって、そこで病気という現象を引き起こすわけである。
今回のCOVID19に対抗するために「三密」が重要視されるのは、当然繁殖の社会的条件を制御しようということである。いちいち指摘するまでもないことだと思うが、それでも確認し、自らの行動を決めていかなければならない。
テレビを見ていたら、英国のスーパーに並ぶ人たちが必ず2メートル間隔をとっていた。一人買い物を終えると、そこでやっと一人中に入れるわけだ。それと比較して、現状の日本はどうだろうか。じつは今日(4月14日)、私もスーパーに行ったのだが、スーパーは午前中とはいえ混んでいて、レジには行列ができていた。誰も間隔も取ろうともしない。両者の違いに愕然としている。
当然衣食住のあり方が病気を決める。食事のメニューがどのような病気になりやすいかを決める。ファッションだって、同じである。真冬だというのにミニスカートの女子高生は彼女の身体のありよう、将来の健康と病気のありようの影響に気づくことなく、ファッションを謳歌する。各自のスタイルが人々の病歴を作り出していく。冷暖房のあり方が、人々の健康に影響するなどなど。社会と文明がその成員の病気の構造を傾向づける。
そして、文明の交流は病気の交流にもなる。物や人が世界規模で流通する。それを我々は進歩として、ベルギーのおしゃれなチョコレートを消費し、それを豊かさや幸せと位置付ける。と同時に、目に見えないけれど、それに連れて病気も動く可能性がある。
そういえば、ペストの流行はルネサンスをもたらしたとも言われる。ゆえに病気は思想も変える。神に願ってみてもペストの悲惨から逃れることはできなかった。ゆえに神ではなく人間の力でとのフマニタス(人間中心主義)をもたらした。この思想は近代の端緒となったし、科学技術の発展、つまり自然のありようを人間の都合で変化させる技術を全的に開花させた。
今回の疫病もまた文明が作り出し、そして社会や思想を変えるのかもしれない。そんなことを漠然と感じてもいる。繰り返しを含むが、科学技術の発展、つまり自然のありようを人間の都合で変化させる技術の全的な開花もまた病気の条件である。
医療の進歩は神話なのかもしれないと・・・穿った見方がもたげてしまう。