Drマサ非公認ブログ

岡潔の言葉から

 岡潔は日本の最高の数学者で、そして単なる数学研究者ではなく、思想家である。いつも日本を憂いていた。

 僕が岡先生を論じるのは、おこがましさの極みだが、思想的には違う部分があると考える。しかし、僕は彼の言葉に耳を傾け、何か掴み取って生きたいとの情緒が生じている。

 今コロナ禍にあって、医療及び科学の力が試されている。科学信仰といってもいい態度もあれば、陰謀論のようなものまである。

 岡潔はアインシュタインを語る中で、次のように指摘する。

「だいたい自然科学で今できることと言ったら、一口に言えば破壊だけでして、科学が人類の福祉に役立つとよく言いますが、その最も大きな例は進化論は別にして、例えば人類の生命を細菌から守るというようなことでしょう。しかしそれも実際には破壊によってその病原菌を死滅させるのであって、建設しているのではない。」(P 55〜56)

 この文章の中で、進化論に意義があると言っているのは、人が単細胞から20億年以上もかかって進化したことに、どのような意味を見出すかということだ。この20億年以上という長い年月に思いを馳せれば、人間が今あることに、どのような思いを抱くかは必定である。つまり謙虚な心である。

 「自然科学は建設を何もしていない」というのは重い言葉である。再生医療などというが、再生に成功していると言えるだろうか。仮にあるとしても、そこには破壊がある。そして破壊の側は見ないでおいたり、損得勘定で無視する。

 僕たちはコロナ禍にあるのだが、人が科学的に理解したとか、乗り越えられると言ったところで、それは自然から見れば、ほんの小さなもので、自然は人間の想定する、あるいは理解するスケール以上の大きさを持つ。

 このような自然の人間に対する超越性を前にして、人間とは何か、私とは何か、心とは何かということを考え直していくには、謙虚さが前提となる。自然科学はそれほどのことを達成していない。

 コロナの前でも同様かと考える。

 コロナの前で日本を憂う。

 久しぶりに岡先生の言葉に触れ、僕の方が少しばかり成長していて、その言葉を受容可能な姿勢を身につけていたのだと思う。

参考)小林秀雄・岡潔『人間の建設』新潮文庫

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