腎臓内科の病院に行って1週間後、入院した病院に診察に向かった。外来受診ははじめてである。
この時も仕事を少しばかり早く切り上げた。予約は16時30分である。私の仕事の都合でこの時間設定になっている。この日一番最後の予約患者である。
受付して、事前に決まっていた検査に向かう。胸部X線と採血である。入院していた病院ではあるが、外来扱いの対応ははじめて、少しばかり新鮮な感じで、はじめての病院のような気がする。
ここの病院では、外来患者はほぼ1階で用足りる。とはいえ、大きな病院である。循環器に特化した病院ではあるが、320床の規模を誇る。
1階奥には17程度の診察室があった。20分程度そこで待っていると、看護師が私を呼びに来て診察である。待っている間気づいたのだが、ダウン症の子供をちらほら見る。そういえば心臓疾患の合併症で命を落とすことが多いと聞いたことがあり、死と隣り合わせの場所であることを思い出させてくれる。寄り添う母親の顔を見てしまい、なんか切ない気持ちを抱いてしまう。
さて、診察室に入る。はじめて会う医者である。入院していた時の担当医から心不全診療部門長が担当となった。どうも鬱血性心不全と病名をつけられたが、原因を特定できるわけではないので、専門中の専門にとの配慮だそうだ。年齢的には私と同年代であろう。挨拶をして、病状の説明が始まった。
ここではじめて自身の胸部X線の写真を見ることになった。入院時と先ほど撮影した写真などいくつかを見せてくれるのだが、素人目にも入院時の私の心臓は肥大しているのがわかるほどだ。先ほどの写真と比較すると、誇張なしに2倍の大きさである。この肥大は鬱血のせいである。
医者の説明によると、確かに入院時はひどい状況であったが、現在は通常の大きさに回復しているという。心不全自体は病名というよりも心臓の不調であり、症状であると考えた方がいいという。ということからすれば、回復しているということもいえるが、付随する高血圧との関連、心臓の筋肉が通常より太くなっていることが問題であるという。それゆえ心不全状態なわけだ。
ただ血液の流れ、血管の状況、心臓の弁に問題はないとの説明である。できることは生活習慣の改善、薬による血圧コントロール程度である。そこで、こちらからこの2点に関して医者にアドバイスしてもらうために通院するという理解でいいのか聞くと、「そういうことです」とのお答えである。何か特別な治療方法があるわけでもないので、医者を健康のアドバイザーとするという理解を共有することができたと思う。
新たに担当となった医者は入院時担当となった医者より年長者であり、当然キャリアもあるのだが、落ち着いている。正直に言おう。確かに医療的知識を患者に生かすことはできても、医者ができることは限られている。医者はそういう事実を明確に言明することは少ないのだが、そういうニュアンスが感じられる医者という印象を持った。
2つ印象に残っていることがある。
1つ目は「また心不全で、症状が悪化したとしても、必ずわたしが治しますから」というのである。大変心強い。リスクを気にして、後ろ向きなことしか言わない昨今の風潮が嫌いは私としては、仮にリスクが現実化としても、医者になんの不満もない。
そもそも心不全を悪化させたとすれば、私の生活習慣の問題が主な原因であるわけで、なんで医者に責任があると責める必要があるというのだろうか。
2つ目は薬の副作用を含む人体への悪影響を聞いたところ、「寿命が長くなる方で薬を使用するか否かを提案します」と明確な基準を伝えてくれた。
薬には問題もある。しかしながら、そこで使用する基準を寿命に位置付けているので、その基準が気に食わなければ、こちらからやめればいいだけである。医者としての選択基準を明言するのは誠実であると思われた。
1ヶ月後の診察を提案されたが、通院は面倒なので少し遅らせ、1ヶ月半後に伸ばし予約をして病院を後にした。退院した時と同じバスに乗り、帰途に着いた。10月の終わり頃である。
(つづく)