Drマサ非公認ブログ

新型コロナ検査は科学的にどう?

 新型コロナウィルス の検査について、少しばかり私見を述べさせてもらう。

 日本政府は検査に積極的ではないように見える。他国と比較すると、確かにそういう印象を持ってしまう。韓国などではドライブスルー検査をしているので、そういう方法論と比較すると、確かに日本は検査に後ろ向きだ。

 さて、コロナに対してはPCR検査が行われる。この検査方法によって、陽性か陰性かがわかるというが、詳細は専門家ではないので省略させてもらうが、感度が40%程度である。それほど確かな検査方法ではなく、感染しているか否かは総合的な判断が必要であることがわかる。

 インフルエンザの検査でさえも、時間経過に伴って感度が異なるが、100%ではないのは当たり前。感度60とか、80とか、検査条件によって違う。おそらく調査によっても異なってくることが予想される。医療は人間を扱うので複雑であり、物理でリンゴを手から離すと、100%落下するという科学的知見とは違うのである。当然である。ちなみに特異度という尺度もあるが、省略する。

 次に当たり前の当たり前だが、検査しても病気は治らない。検査は病気の状況を知るための手段でしかない。そうすると、検査するか否かは恣意的な判断でしかない。そこで医者が検査するか否かを決め、患者に選択してもらうことになる。

 コロナの場合は、検査してもしなくても、コロナ用の治療はない。そうすると、検査の必要性はそれほど高くない。対処療法的な治療をするだけである。熱があれば熱に対して、咳があれば咳に対して、肺炎があれば肺炎に対しての投薬や呼吸器が用いられる。

 ちなみに抗インフルエンザ薬も熱が出るのが1日短くなるだけ程度の効果しかない。インフルエンザであるといって、薬に頼るか否かはそうすると恣意的判断になる。結局、人間が持つ自然治癒能力が主役であり、この場合、薬や医療は実は脇役である。

 コロナの場合、検査が必要かいなかはそうすると総合的な判断をしてからというのが通常の対応になるかと思う。日本政府の対応に不満もあるが、おおよそこのような判断からの対応として理解できる。

 では、他国で検査を積極的に行っているのは意味がないことだろうか。そうではない。社会全体にどれだけ感染が広がっているのかを把握するためには、できるだけ多くの人の検査をした方がいい。それでもなお、検査の感度を考慮に入れると、完全な把握はできない。そのことは確認しておきたい。

 しかしながら、実態を完全に把握するのは難しいにしても、把握に接近して行くためには検査は積極的に行う方が合理的だろう。統計も発達している。そこで有意な統計的な感染者数の把握と今後の予測ができれば、どのような医療や政策をするべきかという方向性を見出しやすことになる。

 このように整理してみると、検査するのがいいのかはよくわからないのだ。科学が発展すると、実はこのような困難が生じる。科学の発展が人々を幸福にするというよりは混乱を生じさせることが多いのである。そこで科学は政治性を帯びる。

 1人を対象として検査の合理性を判断することと、社会全体を対象として検査の合理性を判断することは別の事柄なのである。そこで必要なのは政治的な判断である。医療崩壊という要因や他様々な要因もあるだろう。それらを総合的に考察し、これまでに打ち立てられている法律とその精神を考察しつつ、政策が決定されなければならない。

 

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