先日「お金で買えるものには価値がない」という話をさせてもらった。今回その続き。
同じく、神野直彦『経済学は悲しみを分かち合うために』岩波文庫2018年から
神野先生の母親の教えは「お金で買えるものには価値がない」ともう1つある。それは「偉くならない」である。とはいえ、神野先生は東大名誉教授だし、政府の経済諮問委員など行ってきたわけだから、十分に偉いのだが。
その意味は「偉くなること」を目的としないということである。仕事は役割だから、演技のようなものだ。だから、演技をするだけであって、地位役職は成り行きであって、その役割を機能的に果たすだけであるから、やっぱり演技のようなものだという。そういうことなんだろう。
神野先生の祖父は財産を築いたが、戦争やその後の混乱で没落したという。ただ祖父はお金を気にしないで生きてもらいたいと考えていたようで、その経済的変動にも関わらず、母親は祖父の意志を守ったという。やっぱり、カッコいい母親だ。
以前にも書いたのだが、神野先生の母親に「くに」(国家ではなく故郷)を想起してしまう。これぞ日本の母親。子供の自発的な意志のもと、人間としての成長を望む母親。
勉強して、いい大学に行って、いい就職しないと・・・という親といかに違うのか。考えなければならないと思う。
神野先生が経済学を志し、知識人として、つまりは「知識」を売り歩く「知的技術者」ではなく、真に知識人になろうとする。そして「悲しみを分かち合うために」学問があると考えたのだから、その姿勢に敬服するのみである。