Drマサ非公認ブログ

童心と『ああ無情』

本当に極私的なことを。

 Amazonで古本を買った。

 僕が子供の頃に読んだ本である。小学校2〜3年生の頃だったかと思う。

 ポプラ社が出版している「世界名作童話全集」のユーゴー作『ああ無情』である。第1刷が昭和39年。手に入れたのは、第66刷で昭和61年である。

 僕という人間を作った本だと考えている。小学校の僕は、この『ああ無情』で描かれている人間のありように、ペーソスを見たように思う。哀感とでも訳されるのか、僕にとっては、「もののあわれ」だと思う。

 早くに亡くした父親が買ってくれたものだ。どんな思いで買ってくれたのだろうか。内容を知っていたのだろうか。それとも「世界名作童話全集」なので、子供の教育になるとでも考えたのだろうか。聖書の次に読まれた本と言われるが、そういうことを知っていたのだろうか。今となっては、わからない。

 主人公のジャン・バルジャンは、常に不幸を抱えているが、正義の人物として描かれている。しかしながら、そこにはあまりにも人間的だとでも言おうか、罪から隠れながら生きようとしている。最期は幸か不幸かは判然としないのだ。ただ、そこに人間の生の暗さがあるように思われる。この暗さになぜか同時に祝福もある、そう考えている。

 僕はそういうもの、あまりにも人間的なものを抱えてしまったと言えるかもしれない。そういう風に子供の僕の心を動かしたのだ。

 僕はこの本で童心を抱え続けるきっかけを持ったのではないかと思っている。と同時に、童心から離れながら生きること、つまり大人になるきっかけである。童心とは人間が生まれながらにして備わっている心身のありようであり、心に嘘のない状態である。

 そう、うまく説明するのはよしておこうと思うが、童心と非童心(大人)両面を抱えるきっかけを作った本が、『ああ無情』ではないかと・・・

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