![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/92/80ee03762cde30abf301e491809f1fc7.jpg)
午後から雨、の予報を気にしながら、おっちゃんは“鉄道模型の会”へ出かけた。
一般車両立ち入り禁止の、路線バス駐車スペースへ、だからそれはイケナイというのに、
かならず夕方迎えに来て、と頼むのは、
雨の中、大風呂敷に、膝に乗り切らないサイズの自作を包んで、持って帰ることになるから、だった。
わたしは教会のゴスペルコンサートへ。
吉本新喜劇の元座長・故・岡八朗さんのご長女、市岡裕子さんが歌う最初の曲、
アメージング・グレースに、のっけから打ちのめされた。
いきなりの号泣って、どういうことか。
コンサートホールというより、保育園の講堂、の、教会堂。
なので、すぐ目の前で、ライブが繰り広げられる。
わたしの席のすぐ横は、グランドピアノのくびれ部分、そのせいか、
大久保かずえさんのジャズピアノが腹に響く。
田中券吉さんのベースは、わたしの肩に降り積もる。
何曲聴いただろうか、いつものタオルじゃなくて薄いローンのハンカチは、くしゃくしゃになって、涙の飽和状態。
教会でのトークは、“証し”というのだけれど、市岡さんのそれは壮絶だった。
奥目の八ちゃんの、と、いちいち冠詞をつけるのは如何かと一応躊躇するけれど、
やっぱり、岡八朗は、市岡さんの背後に影のように立っていた。
当時の吉本新喜劇は、毎日曜日のお昼にテレビで中継されていたけれど、
今の圧倒的にメジャーな“吉本”資本はなかった。
日だまりの田舎芝居のような、ゆるんだ温い芸、垢抜けない究極のローカル劇場。
だからなおのこと、お茶の間で親しまれていた。
岡八朗は、そのトップスターだった。
往々にして、強大な光源の裏の影の深さは計り知れない程のもの、らしい。
父娘の激動の人生は、以前、NHKでドキュメントとして放送された。
が、とにかく、実際のゴスペルコンサートは、烈しいのです。
ゴスペラーズのコンサート、とは違って。
一般車両立ち入り禁止の、路線バス駐車スペースへ、だからそれはイケナイというのに、
かならず夕方迎えに来て、と頼むのは、
雨の中、大風呂敷に、膝に乗り切らないサイズの自作を包んで、持って帰ることになるから、だった。
わたしは教会のゴスペルコンサートへ。
吉本新喜劇の元座長・故・岡八朗さんのご長女、市岡裕子さんが歌う最初の曲、
アメージング・グレースに、のっけから打ちのめされた。
いきなりの号泣って、どういうことか。
コンサートホールというより、保育園の講堂、の、教会堂。
なので、すぐ目の前で、ライブが繰り広げられる。
わたしの席のすぐ横は、グランドピアノのくびれ部分、そのせいか、
大久保かずえさんのジャズピアノが腹に響く。
田中券吉さんのベースは、わたしの肩に降り積もる。
何曲聴いただろうか、いつものタオルじゃなくて薄いローンのハンカチは、くしゃくしゃになって、涙の飽和状態。
教会でのトークは、“証し”というのだけれど、市岡さんのそれは壮絶だった。
奥目の八ちゃんの、と、いちいち冠詞をつけるのは如何かと一応躊躇するけれど、
やっぱり、岡八朗は、市岡さんの背後に影のように立っていた。
当時の吉本新喜劇は、毎日曜日のお昼にテレビで中継されていたけれど、
今の圧倒的にメジャーな“吉本”資本はなかった。
日だまりの田舎芝居のような、ゆるんだ温い芸、垢抜けない究極のローカル劇場。
だからなおのこと、お茶の間で親しまれていた。
岡八朗は、そのトップスターだった。
往々にして、強大な光源の裏の影の深さは計り知れない程のもの、らしい。
父娘の激動の人生は、以前、NHKでドキュメントとして放送された。
が、とにかく、実際のゴスペルコンサートは、烈しいのです。
ゴスペラーズのコンサート、とは違って。