風景は思想を決定する。
なので、
食卓の、どの椅子に腰掛けるか、
は、何を食べるか、と同じくらい大切かも知れない。
レストランでだったら、わたしは断然、窓のある席を所望する。
で、画像は、我が家での、わたしの定席からの風景です。
信じられないかもしれませんが、
7~8メートル先の、視線の終点は、衛生陶器。
途中にある引き戸は、たいていフルオープンが普通です。
いい風が通るし、もともと、建具はほとんど閉めないタチ。
使用中は別ですが・・・。
この衛生陶器、もうここまで進化すると、従来の不潔感はゼロ、
その上、オブジェとして充分美しい。
閉じて隠して知らん振り、
するのがご不浄(ごふじょう、トイレの上品な呼び名)だとしたら、
逆に、ありのまま見せて、
せめて洗面ボウル等と同ランクに扱って、さりげなく共生したい。
実は、住んでみるまで、この革新的な風景には気づかなかったのですが。
朝日が斜めに射す時間、壁と梁(?)が3重の入れ子状に重なって、
その函の奥に、白い陶器がそっと据えられている、
なんて、ちょっとロマンティックではないでしょうか。
なので、
食卓の、どの椅子に腰掛けるか、
は、何を食べるか、と同じくらい大切かも知れない。
レストランでだったら、わたしは断然、窓のある席を所望する。
で、画像は、我が家での、わたしの定席からの風景です。
信じられないかもしれませんが、
7~8メートル先の、視線の終点は、衛生陶器。
途中にある引き戸は、たいていフルオープンが普通です。
いい風が通るし、もともと、建具はほとんど閉めないタチ。
使用中は別ですが・・・。
この衛生陶器、もうここまで進化すると、従来の不潔感はゼロ、
その上、オブジェとして充分美しい。
閉じて隠して知らん振り、
するのがご不浄(ごふじょう、トイレの上品な呼び名)だとしたら、
逆に、ありのまま見せて、
せめて洗面ボウル等と同ランクに扱って、さりげなく共生したい。
実は、住んでみるまで、この革新的な風景には気づかなかったのですが。
朝日が斜めに射す時間、壁と梁(?)が3重の入れ子状に重なって、
その函の奥に、白い陶器がそっと据えられている、
なんて、ちょっとロマンティックではないでしょうか。