最後に蛇足です。⑤の仏教伝来を中心に、今の表ではびこり『洗脳』について少し触れたいと思います。
日本史の教科書は、(竹田恒泰さんのを除き)
○世界最古の特殊な文明である『縄文文明』については「未開文化」扱いで2ページ程度、
○あたかも日本の歴史は卑弥呼の朝貢から始まったかのような扱いをし、
○更には、
①蘇我氏と聖徳太子が『仏教』を導入し、
②藤原氏が『仏教』をどんどん取り入れ、
③聖武天皇に至っては大仏も造立し、
④最澄と空海に代表される遣唐使が中国から最新の『仏教』を持ち帰って、やっと日本も恥ずかしくない文明国になりました
というトーンで書いていて、昔から、とても違和感がありました。
こうした歴史観を疑わない高学歴者が今の日本社会の表を形成しているのです。
私としては、
○優れた文明は全て外来のものという明治以降の根性は憐れむべき病弊で、かつ事実とかけ離れていると思いますし、
○弥生以降の芸術性が劣化した左脳文明より、
縄文という世界最古、かつとても特異で、芸術性が高く、自然と共存し、穏やかで戦争のなかった文明について掘り下げて知りたいですし、
○卑弥呼という謎の女性祭祀王?の記事よりも、
聖徳太子が隋帝国に直球勝負の対等外交でぶつかった歴史の方が遥かに好きだし、知恵に満ちているように感じますし、
○仏教導入で「日本らしさ」が失われたような気がしていました。
ほぼ教義をぶっ飛ばした鎌倉仏教は認められるものの、
飛鳥・奈良の仏教はカルト宗教との違いが分からないし、
平安仏教は難しい漢字知識を競うかの如く衒学的に過ぎると思っていました。難しいものを分かりやすく説いて初めて偉いのですから。
それに、結局、坊主は貴族にしか説法しなかったけど困窮する民衆を救えたの?奈良平安を通じてどんどん農民の税負担は重くなっていったんじゃないでしょうか。。
そもそも大金のかかる大仏も国民にとって迷惑でしかないだろ?と。。
「岩戸閉め」の啓示によれば、こうした直感は正しかったのだと思います。
さらに言えば、
教科書を書いた学者先生、
これに基づいて疑問持たずに教える学校や塾の先生たち、
疑問を持たずに教わった高学歴者、
教科書史観を撒き散らすメディアや観光業界、自治体の役人たちは、
一種の『洗脳』に気づいていないのではないか。。
岩戸開きとは、『脱洗脳』プロセスでもあります。
気が向いたらオマケが続くかも知れません。