地球時代の生き方

地球という生命体の視点から物事を眺めてみる異色ブログ

新しい縄文時代に突入⑤(弥生以降 善悪対立の文明)

2024-05-03 11:03:00 | 人文社会

「善悪」の対立

「善悪」の発生です。善と悪に分ける必要がないことをわざわざ善悪に分けたがります。

もうこうなってくると、その集団に属する人間は、まるで夢遊病にかかったように、勧善懲悪を望むようになります。それが集団への帰属意識を表すものだからです。

基本的な構造は、隣村との水利権の争いと同じです。それぞれの正義を押し立てて、自分は善で相手は悪と決めつけ、争いの心を膨らませていきます

結局、力が善ということになります。勝者の歴史です。したがって、歴史を学ぶ時に注意すべきは、勝敗、善悪の視点で見ても、マトリックスのループから脱却できないということです。


この「善悪の対立」という思考の枠組みは、

国内では「分断」を増幅させています。

米国でも、欧州でも、日本や韓国でも、SNSのエコーチェンバー効果で、リベラルと保守の双方が「自らを善、対立者を悪」とする「分断」の溝は深まっているように思います。

社会を良くしたいのであれば、相手の意見の良い点に目を向けて話し合えばいいのに。。。


国際的には、プロテスタントとカトリック(ドイツ三十年戦争)、啓蒙主義者と旧体制(フランス革命)、白人と未開(白人支配)、英米仏と独墺土(第一次世界大戦)、共産主義者と旧体制(ロシア革命)、連合国と枢軸国(第二次世界大戦)、資本主義と共産主義(東西冷戦)、自由民主主義と権威主義(米中対立)という「対立の枠組み」が設定され、世界を巻き込む紛争を巻き起こしてきました。

そこに生きる民衆を対立で煽動して巻き込みつつ。

その構図は、近代以降に顕著ではありますが、洋の東西を問わず、大なり小なり六千年間変わっていないと言えます。必ず「大義」を立て、大義の前では平和や人命の尊さ、さらには地球の自然という宇宙的な産物など殆ど意味も持たないかのような錯覚を引き起こしてきました。

この「大義」は、先述の善悪対立の「善」です。『孫子』でも大変重視します。

基本構造は、近代も古代中国も同じで、いずれも左脳的な思考の癖を基盤としています。様々な宗教戦争や民族紛争も同じです。


その結果、大局的には誰の得にもならない「戦争」が起こります。核兵器を持っている中での戦争は、地球と生命圏を致命的・不可逆的に破壊してしまう危険を孕んでいます。人間にとっても自滅行為です。


何も現代に特異な問題ではなく、この大本は、左脳による情報処理のバグです。

それゆえ、これは、六千年前に発生した左脳文明の帰結です。人類は、左脳文明を乗り越える必要があります。

「その「大義」は、宇宙138億年の産物である地球や人間、あらゆる生物への甚大な被害を肯定できるほどの価値があるものなのか」、一度、別の角度から考える必要があるのではないでしょうか。

右脳は、融合で全体をとらえます。対立でとらえることは苦手です。


「対立」に潜り込む「憎悪」

左脳的な思考の癖である「対立」について見てきました。

もう一つ観点を付け加えるとするならば、物事を理解するための対立概念の設定だけであれば、紛争や戦争は必然ではないということです。

つまり、対立概念を通した理解というのだけであれば、深刻な問題を起こさず、むしろ双方にとって気づきを得て、国民の幸福度その他が改善することも考えられます。


しかし、この「対立」には何故か、「憎悪」が潜り込んでくることが多いです。単なる対立項が「善悪」にすり替えられた時が要注意なんだろうと思います。

その時点で、「こちら側は完璧だ」と、謙虚に自らの課題や問題を考える姿勢を捨て、相手の劣っている点や問題点を声高に論うようになってしまうのではないでしょうか。


さらに、対立が憎悪し合う二大陣営の様相を呈してくると、片方につかなければ、生存を維持できなくなります。

また、相手側はこちらを敵と見なしますから、浸透工作を仕掛けてきます。こうなると、安易に宥和的な態度を取ると、味方の不信感を募らせ、敵の思う壺で浸透されてやられ放題となります。


対立と憎悪が自走して拡大するフェーズになってしまいます。

元を辿れば、「対立概念」がいつの間にか、憎悪が乗った「善悪の対立」にすり替えられたことが始まりです。


ここに至ると、「憎悪の対立は嫌だ!」「戦争は嫌だ!」「平和が一番!」という念を出すという、波動次元での解決しかないだろうと思います。波動次元でのストーリーが変わっていくそうです。


つづく