地球時代の生き方

地球という生命体の視点から物事を眺めてみる異色ブログ

文明の大転換期

2022-05-29 23:29:00 | 人文社会

今は、欧州に始まった近代文明が衰退し、新しい文明が構築されつつある時代です。


近代文明は、精神や感性より物質や論理(法律・科学)、右脳より左脳、無意識より意識、道義よりお金といったものが優先される文明でした。


『資本主義』は富の偏在で歪みや貧困を生みまくり、『共産主義』はエリート主義で権力集中の果てに人命や人権を軽視し続けました。

いずれも、左脳が生んだシステムです。

さらに、左脳は物事を「対立」的に理解するため、左脳文明は初めから「対立」が埋め込まれている文明と言えます。冷戦、米中対立、東洋と西洋。


『民主主義』は堕落し、母なる惑星地球のことは置き去りにして、人間、それも一部の人間の都合を優先するシステムになりました。『独裁・専制政治』は論外です。


個人の尊厳などを置き去りにしてきたのが、近代文明です。


これらの左脳的な「○○主義」を人々の意識の中からスパッと断捨離するのが近道です。

新しいイメージは、古いシステムへの盲従を捨てないと、頭の中に入ってきません。

だから、一番大切なのは、どれだけ多くの人が、旧システムや近代文明への盲目的な信仰を捨てることではないかと思います。


新しい文明のキーワードになりそうなものは、

波動(高低)

量子論、ゼロポイントフィールド、ホログラフィック宇宙論、空(仏教)

無意識、唯識(仏教)

精神、目に見えない存在、縄文時代

助け合い、ワンネス

といったのが代表的なものだと予感しています。


近代文明だけでなく、これまでの文明を根底から変えていくと思います。


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「お金」というシステムからの脱洗脳③

2022-05-23 00:18:00 | 人文社会

「お金」システムのメリット

・安心して様々な物やサービスを「交換」でき、経済活動が活性化する。豊かになる。

・上手く使えば、「創意工夫」を刺激できる。


「お金」システムのデメリット

・お金が尺度になり、「市場価値」のつきにくい福祉や教育は、本来尊いのに正当に評価されにくい。

・「利権構造」が出来上がると、地球や大多数の人にとって良い「創意工夫」が圧殺される

・お金の偏在が起こり、「貧困層」を生む。貧困層は犯罪や紛争の温床になる。

・お金を得られないと生活できないので、「個性や才能を押し殺し」て学歴を獲得し、

 就職後も使い捨ての恐怖から、やはり個性や才能を押し殺す。

・金利収益のためには「成長」が必須のため、無駄なく成長に追い立てられる。(それも、そろそろ成長限界)

・お金の獲得を巡って、小は個人から、大は国家に至るまで「争い」が起こりやすい。


要は、「数字」に振り回され続ける社会、

人間の生命や個性、尊厳よりも「数字」が大切だという『洗脳社会』が出来上がったのです。


一方、

お金以外の価値

・家族の幸せ、仲間の幸せ、団らん

・愛、愛情、思いやり、励まし、信頼、感謝、喜び、嬉しさ、許し、笑顔

・風景、自然、きれいな空気や水、花、草木の成長、虫たちや動物たちの日々の生命活動、エメラルド色の地球

・生命育成の素になる火、気、水、土の働き

・地球の自転と公転、太陽の光線、星の煌めき

これら全て、お金を媒介しません。


我々はお金がない恐怖から、こうしたものの価値を軽く見がちですが、お金を経ずに得られる幸福というのは結構あるものです。


例えば、週末の過ごし方として、

豪勢にお金をかけて一流ホテルに滞在して美味しいものを食べるのと、

家族や気の合った人と家の近くのきれいな自然を見て食事はおにぎりやサンドイッチを食べるのと

どちらが幸福感が高いでしょうか。

経験してみると、本当に甲乙つけ難いものがあると思います。家族3人で、前者は10万円、後者は千円です。

幸福度は、使ったお金に比例しません。

私は若いうちは前者もなんか富豪になった気がして楽しいと思いましたが、今となっては家族の愛情を感じたり、自然の美しさを感じる方が幸福度が高いです。


つまり、10万円で得られる幸福度より千円で得られる幸福度の方が高いということが起こり得ます。

お金に幻惑されているうちは、「高い方が幸福度が高い」と思い込もうとしたと思います。

就職氷河期世代(ロスジェネ)の中には、お金をかけずに幸福度を高める才能がある人がたくさんいるようです。例えば、仲間の誰かが車を持っていて、その車でピクニックに出かけて楽しむとか。先ほどの後者と同じです。ガソリン代は割り勘。


あれやこれや考えると、お金に幻惑されている状態では、数字で「比較」して「これだけお金を使ったから幸福なはずだ」という幻影を追っているだけで、自分の本当の心には向かっていないことに気づかされます。だから空しかったりもします。

得られるのは幸福感ではないです。

ホテルの誰かが考えた「これなら幸福」という商品を買っているだけです。幸福は誰かから買えるものではないので、そこに幸福はありません。「幸福商品」とそれを買ったという事実があるだけです。

私は、今は神社に参拝したり、川べりを歩いて自然(の変化)を眺めるだけで、とても幸せだと感じます。これは「幸福商品」では得られない幸せです。


お金って何なのでしょうか。


今の世の中、お金があると選択肢が増えるのはたしかではあります。

さらにお金が本当に少ししかないと食うに事欠いてしまい、いつも不安と恐怖に震えなければならないでしょう。


「幸福」をお金で買うことはできませんが、お金がないと、不安が先に立って幸福を感じられないということは言えると思います。


金欠が不安を連れてくるのは、(この点が重要なのですが)今の世の中が『お金』システムの上に成り立っているからです。

生活物資を得るにはお金がどうしても必要な世の中です。

逆に、生活物資を得るのに『お金』が必要でなければ、金欠は不安を連れてきません。


先ほど、以下を挙げました。


お金以外の価値

・家族の幸せ、仲間の幸せ、団らん

・愛、愛情、思いやり、励まし、信頼、感謝、喜び、嬉しさ、許し、笑顔

・風景、自然、きれいな空気や水、花、草木の成長、虫たちや動物たちの日々の生命活動、エメラルド色の地球

・生命育成の素になる火、気、水、土の働き

・地球の自転と公転、太陽の光線、星の煌めき


これらは、先程の「幸福」と同じで、『お金』で得ることができないものばかりです。そして、人間や地球にとって、とても大切なものばかりだと思います。


『お金』システムは一見、完璧に見えるけど、こんな大切の事が全て、システムの外側にあります。このシステムの化けの皮が少し剥がれました。


日月神示系の預言だと、このシステムは、近いうちに崩壊し、『お金』が不要な世の中に移行するらしいです。我々は、人類史の大転換の時代を選んで生まれてきたようです。



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『お金』というシステムからの脱洗脳②

2022-05-15 16:26:00 | 人文社会

『お金』のシステムとしては、共産主義に比べると、資本主義は多くの点で優れたシステムではありました。


例えば、「創意工夫」です。

共産主義国家では、頑張っても怠けた人と同じ報酬なのでアホらしくなり、「創意工夫」は発揮されることはなく発展は止まりました。

資本主義国家では、頑張ると報われるので、至る所で次々と「創意工夫」が行われ、産業は発展していきました。

東西ドイツ、南北朝鮮を比べれば、その差異は明らかでしょう。自動車産業、半導体産業など、その典型です(東ドイツのトラバントと西ドイツのベンツやフォルクスワーゲンなど)。


自然を大切にする環境技術も西側で発達し、東側は立ち遅れもいいところでした。今の中国を見れば、自然を大切にしようなんて意識は微塵も感じられないですね。

強欲さで言えば、東側には、権力も富もいずれをも掌中に独占する強欲な一部の者たちがいて、秘密警察を使って、大多数の人間の生命や人権を踏みにじっていました。人が配分する仕組みの陥穽です。ベストセラーとなった人新世の本を書いてる人は、このあたりの洞察がどうなのか?残念な気がしてなりません。


共産主義は、1990年前後に完全にオワコンになり(注:中国や北朝鮮は、もはや共産主義ではありません。)、資本主義もそれと前後してオワコンへの道をまっしぐらに走り、ゾンビ化している状態と言えるのではないでしょうか。


それぞれの長所は、

共産主義は、

理念としては、貧しい人を失くそう、人間を労働力としてだけ見て尊厳を踏みにじるような人間疎外をなくそうという点、


資本主義は、

人間の創意工夫を大切にし、頑張った人が報われるようにしよう、それによって社会全体に恩恵を及ぼそうとする点、

人間が配分するのではなく市場の配分機能に委ねようとする点

かと思います。


短所は、

共産主義は、

頑張った者が報われず、創意工夫が生かされない点、

人が配分するので、配分する側が多数の人たちの生殺与奪権を握ってしまう点、

また、全知全能でない人間による計画経済は失敗が多く、その失敗を批判する者を権力者が弾圧しがちである点(何千万人が粛清された歴史)

自然を大切にしない点、


資本主義は、

市場の配分機能が人間の欲に依さているので狂うことが内在化しており、食えない貧困層が大量に出現してしまう点、

関連して市場には精神的な尊さを測る機能がないため、精神面が無視される点(福祉など)、

所有物に対しては責任がある反面、所有していない物には無責任になるので、自然破壊をもたらしやすい点、

成長が大前提なので、金利収益を得る資産家が富む一方で、大量の貧困層(搾取される者)を発生さてしまう点、

貧困層をなくすための福祉政策に膨大な公費を要し、財政破綻を起こす点、

さらに、その貧困層を狙い、犯罪者集団が触手を伸ばす点

かと思います。


つまり、『お金』のシステムは、共産主義も資本主義も、いずれも失敗しています。

失敗しながら、国内に蓄積する不安や不満をナショナリズムを煽ることで、外に向けているのが、現在の地球の人類社会がはまっている陥穽ではないでしょうか。

(なお、残念なことに、ナショナリズムの暗部はSNSの感情増幅機能(エコーチェンバー効果)により増幅されているように思います。)


人類が、母なる地球と共存しながら、人間の尊厳を大切にするには、この『お金』のシステムを超克する必要があるように思います。


しかし、生まれた時から水や空気のように存在しているシステムと異なるシステムを考案するのは超難題です。

これは、様々なジャンルの人たちが知見を持ち寄って試行錯誤をする必要があるでしょう。そうした、問題意識を持った人たちのネットワークの広がりこそが、新しい文明、新しいシステムを創り出すのだと思います。


何か思いついたら、このブログ記事で書かせていただきますが、どうか皆さん、暖かい目で見守っていただき、みなさんも何かアイデアがございましたら、コメント欄にいただけると有り難く存じます。



ポチッとな。。。よろしくお願いします。




『お金』というシステムからの脱洗脳①

2022-05-15 16:23:00 | 人文社会

現代に生きる我々にとって、『お金』というシステムは、水や空気といった自然物と同じくらい、あまりにも当たり前のものです。


しかし、『お金』は、自然物ではなく人工物です。自然界には、『お金』に類似したものは存在しません。

例えば、身体の細胞は、何かと交換に、酸素や栄養を受け取るのではありません。

つまり、『お金』は人工物です。しかも、本格的に経済社会の基盤になったのは、ほんの数百年のことです。

例えば、日本で本格的にお金が社会経済の基盤になるのは明治時代以降です。江戸時代もお金は存在していましたが、人口の大多数が住む農村では、物々交換や共同作業が物やサービスの交換の中心でした。「お金」は介在しません。武士も貨幣ではなく、米で俸禄をもらっていました。


そう考えると、『お金』は、科学や自由・民主主義と並んで、物質重視の近代文明の主要な特徴の一つであると考えられます。


今のように、殆どの物とサービスが『お金』に換算されるようになったのは、戦後、いや都市化で人間関係が希薄になってからでしょう。この半世紀程の事です。山田孝之主演のドラマ「勇者ヨシヒコ」で魔王を追っていたら都会に出た(ネタバレごめんなさい)というのは、なかなか深いです。


それはさておき、それまでは地縁血縁のコミュニティが金銭を媒介せずに負っていた様々なサービス(介護、子育てなど)は、どんどん金銭を媒介するようになっていきました。

共働きでベビーシッターや家事代行のニーズは高まっています。これまで無償だったものを『お金』のシステムの世界に引っ張り出すと、、GDPが増える、つまり「経済成長」するというマジック。。。


物やサービスの価値が『お金』の尺度だけで決まってしまうというのも、極めて違和感があります。


「「家事労働」を金額換算すると」というのは、本当にクラクラ来ます。いつから妻や子の笑顔はプライスレスじゃなくなったのでしょうか?笑顔は「家事労働」じゃないことくらいは分かっています。でも、「家事労働」っていう用語自体が何か大切なものを忘れてないか?と思います。

なぜ尊い家庭での営み(その奥には相互の『愛情』『感謝』という、人間としてかけがえのないものがある!)を「家事労働」という使用者と労働者のドライな関係を連想させる用語に「誤訳」し、しかも『愛情』『感謝』という尊いものに比べてレベルの低い金銭に換算しようとするのか?私には、こうした発想ができる人はサイコパスではないかとすら思えてしまいます。

(脱線気味ですが)『言霊』は大切です。

「家事労働」という言霊は、「愛情と感謝のないドライな家庭」という概念を内包し、これを世の中に広めることになります。フランクフルト学派、マルクーゼ、家庭破壊、といった言葉が頭を駆け巡ります。「金額換算」は、そのダメ押しです。


ここから見えてくるのは、『お金』は物やサービス(特にサービス)の価値を測る真の尺度たり得ないということです。


これは、看護師さんや介護士、保育士さんの給与を見ても明らかでしょう。日々、命や他人の人生と向き合う、大変尊いお仕事です。神の代行、菩薩の働き。彼らがいなければ、今の日本社会は根底から崩れてしまいます。

でも、看護師さんの平均年収は492万円で、日本人の平均年収(445万円)より1割高い程度。介護士さんに至っては約350万円、保育士さん約340万円で、日本人の平均年収の8割にも満たない水準です。

いかに『お金』が、『愛情』『感謝』『利他』『笑顔』といった精神的な価値を無視しているかを物語る好例です。『お金』の、こうした精神的な価値を切り離すドライな姿はデカルト以降の近代文明そのものです。


「マネーロンダリング」に見られるように、犯罪で得た巨額のお金も、うまくやればその保有が許されてしまいます。犯罪だから、誰かの不幸を生んでいます。例えば、麻薬とか、ギャンブルとか、売春、殺人、武器取引などです。

つまり、『お金』のシステムは、善悪を区別しません。ずる賢さを歓迎します。


これまで述べてきた『波動』という面から見れば、『お金』システムでは無償や低廉と評価される「家庭の営み」や看護師さん、介護士さん、保育士さんのお仕事は、たくさんの『愛情』『感謝』『利他』『笑顔』の波動が込められ、とても価値の高いものになっています。(日月神示や大日月地神示では、(お金の世が去り)「上下ぐれん」としています。価値の高いものが高く、低いものが低く評価される世の中が来るということです。)



『お金』に関する「洗脳」とも言える状態を解くことが、新しい社会の姿をおぼろげにでもイメージする必須条件です。


このブログ記事で時々取り上げる日月神示でも、「金で世を治めて、金でつぶす」とあります。

「お金」というのは、管理・統治に適した仕組みである側面があります。電子マネーになるとますますその性格が出やすくなるでしょう。


『お金』というシステムは、便利だから、資本主義、共産主義問わず瞬く間に広まりました。

『お金』システムが行き渡った社会では、金銭を得ることが出来なければ、生きることもままならないです。ホームレスです。

金銭を多く得るには(資産家に生まれるのでなければ)「学歴」が必要で、「学歴」が高くなるには、小学校から大学までのロボット化教育を受けなければなりません。個々人の『個性』は、なるべく減らし、『尊厳』には目を向けません。

中卒の俳優と高卒以上の俳優を比べると、唐沢寿明、山田孝之、宮沢りえのような中卒の俳優さんの方が個性的で、演技の幅が広いように思います。東大まで行くと。。。

頑張って「学歴」を高めた人たちは「洗脳」が進んでおり、社会システムに従順で、これを擁護する側にいます。しかし、彼らには、いつでもスペアがいます。システムに従順でなければ、スペアに替えられることでしょう。


つまり、自由を大切にしているように見えながら、それぞれの人間の生命の奥底から発する尊厳など、、、というのが「金で世を治める」の一側面です。

そのピラミッドの上層には、グローバル企業や統治機構の幹部がいます。「上級使用人」として。。。少し考えれば、国のリーダーや大企業の社長ですら、スペアがいることは明白でしょう。

その上層にいるのが「使用者」です。それは金融資本家など巨大マネー・資産を有する複数の家族であるのは論を待たないです。



なぜ「洗脳」なのか?

このシステムが永遠に続くと思っている時点、『お金』を前提に考える癖がついている時点で、明らかに「洗脳」ですよ。。。「洗脳」は気づかないから「洗脳」なのです。


また、オワコンの資本主義を未だに信奉し続けている信者が多いですね。(既に三十年以上前にオワコンになった共産主義を持ち出すマル経インテリもどうかと思いますが。。)


資本主義は、「成長」が必要です。

なぜなら、資本主義は「マネー成長」主義だからです。金融機関が企業に金銭を貸して、金利を上乗せして返してもらうのが資本主義の本質ですから、金利以上に成長しないといけないです。


まず俯瞰すると、1980年代以降、巨大マネーが、自ら泳げる「成長分野」を探し続けたのがこの40年近くに起こったことです。サッチャリズムなどのNew public management、新興国投資、脱炭素や移民など。。そして、それももうネタが尽きかけています。


1980年代の低成長のイギリスでは、それまでは政府や公的企業が担ってきた分野まで市場に開放することによって、巨大マネーの行き場を確保しようとしました。「サッチャリズム」と言われる構造改革の始まりです。

「新自由主義」の始まりです。

この動きはアメリカに飛び火して「レーガノミクス」となります。

経済No.1をアメリカと競っていた日本には、他の意図(日本弱体化と新興国育成)も追加されながら、かつ超円安とともに、何波かに分かれて上陸します。橋龍の行革と、小泉構造改革です。


この時、既に、資本主義はオワコンだったのです。無理して「成長」を創り出そうとした結果、格差がどんどん広がり、貧困層が増えていきます。1対99と言われる問題の始まりです。「個人の尊厳」の問題です。


その後、冷戦の終結により、資本主義(マネー成長主義)は一息つきました。

それは、「マネー成長」のフィールドとして、新たに旧東側諸国などの「新興国」が出現したからです。IT技術の発達も世界市場の形成に寄与しました。

しかし、新興国それぞれの足かせ(縁故主義、賄賂横行、低学歴など)がリスクになり、金利で儲けるよりも貸し倒れリスクの方が高くなってきた2010年前後に、また、マネーは成長の場所を失いました。


近年は、脱炭素(新エネルギー)、移民・女性活躍(受入国の経済成長)、AI・5G(新産業)などが喧伝されています。私には、「マネー成長」の分野を探しているようにしか見えないです。しかし、これらの成長は副作用も大きく、どれも上手く行ってないんじゃないでしょうか。


(次回に続きます。)


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戦争をなくすため、「心」で何を起こすか③(警戒と憎悪の違いについて)

2022-05-08 23:34:00 | 人文社会

〈『警戒』と『憎悪』の違い〉

『警戒』は重要であることも触れました。

混同されがちですが、『警戒』と憎悪』は違うものです。『憎悪』は、むしろ無くすべきものです。これは、後に述べます。感情にうったえかけるSNS時代にとても大切なことだと思いますので。


人間や地球・自然への愛を忘れてはならないと思います。

「中国」を見るとき、

「中国政府」や「中国共産党」と、

彼らによって虐げられた「中国人」や、汚された「中国の大地・水・大気」、「チャイナ文明の歴史」

を区別する必要があります。


「中国人」は剽軽で陽気な人、勉強熱心な人が多いです。彼らを認めることは、心の豊かさにつながります。今の時代、この「つながり」の感覚こそが大切です。

また、中国人の歴史は大きな文明を作り上げ、継承してきました。地球文明の多様性の一つです。

「中国の自然」は、様々な美しい景観で人間を育てました。

「チャイナ文明」は、政治に関しては警戒が必要ですが、老荘、孔孟、孫呉などが発し、チャイナ仏教を育みました。日本文明と相性の良い禅もインド文明がチャイナで熟成して日本に入ってきました。

(注)中国人でも、政府と関係が深いほど騙そうという心を秘めていることは警戒すべきだし、一般の中国人は家族第一・朋友第二でそれ以外は、「生き残るために騙してもいい人」という特殊なサバイバル観を持っていることは注意すべきであることは付言します。


日本に誇りを持つことは、とても大切なことです。

しかし、それは「排他的な誇り」であってはいけないでしょう。他者を見下す誇りは、なんらかの劣等感の裏返しかも知れません。

日本の先人たちは、様々な文明に敬意を払って、それを吸収し、消化して日本化してきました。あの文明のあれが悪い、これが悪いではなく、あの文明のここが良い、あそこが良い、という方が日本的です。 


戦後の『自虐史観』の反動で、我が国の言論空間では、この10年くらい殊更に日本を持ち上げ、周辺国を侮蔑したり、憎んだりという風潮があり、私も一時期そうでした。しかし、最近は、意図的に周辺国にも良いところを見つけるようにしています。

『地球文明』の多様性の一つとして、良いところ、悪いところを見極め、良いところは良いと見ていけばいいと思います。そういう精神も、日本人の誇りだろうと思います。


『警戒』と『憎悪』は、似ているようで全く異なるものです。日本では、昔から「罪を憎んで、人を憎まず」という良い言葉がありますね。

大自然の猛威である災害を『警戒』することが大切なのは誰も異論はないでしょう。それに対しては、起こることをよく研究して、『備える』というのが正しく、大自然を『憎む』というのは、何の役にも立ちませんよね?それどころか、『憎悪』は『警戒』より悪い結果をもたらしそうです。

『警戒』と『憎悪』の違いは、それと同じです。

『憎悪』は、集団の無意識の③怒りであり、戦争につながる道です。決してよくありません。『憂国』という言葉がありますが、日本人全員が『憂国』になったのを想像してみれば、これも良くないことが分かります。

愛と感謝を持ちながら『警鐘』を鳴らすというのが良いのでしょう。


『警鐘』を鳴らしておられる保守論客の方々は尊敬しています。ただ、ビジネスモデルがSNSを意識しすぎて、怒りや憎悪の感情に訴えかけるのは、ちょっと良くないことだと思います。

今起こっていることは、これまでにないことですので、これまでと違った心の持ち方が鍵になってくるはずです。


侵略者や侵略の意図を持っている者に『憎悪』を抱くのは、至って当然の感情です。この感情を抱かない方がおかしいと思います。侵略者たちは、普通の人々の日常生活を奪い、悲しみに突き落とすのですから。

だから、保守論客は、至って当然の感情を吐露しているだけです。


では、『憎悪』は減らす必要があるのか?


『憎悪』が、「何とかせねば」のエネルギー源になる可能性はあります。それは良いと思います。なぜなら、もはや『憎悪』でなくなっているからです。

『憎悪』を警戒する必要があるのは、ネガティブな波動はネガティブな結果を招来するからです。ネガティブなことの多い世界線に移ってしまうと表現した方が良いかも知れません。一種の物理法則です。

「何とかせねば」は、もはや『憎悪』ではありません。前向きな波動です。冷静に情報を集めて分析し、どういう手を打つべきか、場合によっては行動に結びつきます。

保守論客の中でも、江崎道朗氏は、そういう類の方だと思います。

一方、延々と侵略者の悪口を述べて、大衆を扇動していくのは、ちょっと微妙です。これはヒトラーが使った手法ですね。


江崎氏に学ぶべきは、感情に振り回されずに未来にどういう仕掛けをするのかにエネルギーを向けていくという点です。低い波動を高い波動に変えていくコツだということかと思います。知恵のある方だと思います。


では、百人が百人、江崎氏みたいになれば良いのかと言えば、それは全く違います。この点はとても重要なことです。

ネガティブでない波動を発信すれば良いのです。


そのために、まずテレビの報道番組は見ない方がいいでしょう。コロナ然り、ウクライナ戦争然り、テレビが喜んで流すのは、波動を下げる内容ばかりです。

むしろ、笑ったり、ゆるキャラや自然、いい絵画を見るなど、自分に適した『平安』を保つ工夫をすることにより、その『平安』の波動を発信することです。


それだと現実から逃げている感じがするのであれば、

『ウクライナの人たちの癒し』

『ウクライナの自然の復活』

を祈るのも良いでしょう。

さらに、

『ロシアの良き人たちの幸せ』

を祈るのも良いと思います。

ロシアの若者は、今回の戦争を批判していて逮捕された人たちも大勢います。日本で活躍するロシア人YouTuberも、ほぼ皆さん、悲しい表情でロシアによる侵略を批判していました。このことは忘れてはならないと思います。彼らは『良き人たち』です。


何にしても、『愛』を感じるような『祈り』が大切だと思います。一人一人の波動が、地域、国、地球の波動に影響を与えます。

今の時代、愛の波動を発信することは、とても重要だと思います。


前のブログ記事でも書きましたが、『愛』や『祈り』は、弱者の言い訳ではなく、波動の世界を決定的に変える具体的なパワーです。それゆえに、身近な人に何かあったら、自然と『愛ある祈り』を行うのです。心は知っているからです。

逆に、「『愛』と『祈り』なんて負け犬の遠吠えだ」という人たちは、気の毒なことに何も知らないか、それとも、このパワーを恐れる理由があるかのいずれかでしょう。


私は、キリスト教徒ではありません。教会というものが欺瞞に満ちているように感じるからです。でも、イエスは信じます。今の時代が見えていたイエスが、今の我々に送った知恵が『愛』と『祈り』なのです。このことの意味はとても大きいと思います。

彼は、決して『憎悪』を説きませんでした。


『日月神示』や『大日月地神示』でも、魔には神仕組みの中のある役割を果たしているとし、「(魔は)抱き参らせよ」とあります。愛です。とても深い意味があると思います。

ロシアや中国、北朝鮮などの悪も、何らかの役割を果たしているのでしょう。

少なくとも日本人を国防に覚醒させつつあります。日本の中でこれらの国とつながった者たちや集団を炙り出しています。ただ、これは地球や人類全体から見れば小さな話です。


コミンテルンを継承するこれらの国家は、人命軽視、人権無視、虐殺、陵辱、詐欺、剽窃、臓器売買、人体実験、悪魔的な支配システムの構築など、悪魔と見まごうばかりの所業を重ねています。

そもそもコミンテルンと関係の深い三カ国です。第二次世界大戦の大量死のみならず、粛清による大量死などを平気で行ったコミンテルンです。

中でも、中国は、人口の半分が死んでも丁度いいくらいだから、核兵器を使いたい、という趣旨のことを言って、ソ連(フルシチョフ )をすらドン引きにさせた毛沢東を開祖とする帝国です。

大躍進政策で何千万人の餓死者を出し、文化大革命でも何千万人の命を奪い、今でも人命や地球環境を軽視し続ける国です。


こういう、明らかに悪い国の役割は何か。

『人類を瀬戸際まで追い詰めること』ではないかと思います。人間、追い詰められないと気づかないもんですから。


そこで、人類はどうなるのか。。。

今の破滅的な文明から脱皮するジャンプはあるのか。そうした『ジャンプ』が起こる舞台を作っている一方が、彼ら中露朝です。

中露朝という悪役がいなければ、大半の人類はカルマの解消はできないし、『ジャンプ』の必要性に目覚めたり、気づたりすることもないでしょう。

そう考えると、中露朝も、知らずに、新しい文明への『ジャンプ』を手伝う役割であり、大変お疲れ様な感じがします。

(注)ちなみに、この時代を選んで生まれてきた我々はほぼ全員、これから何が起こるのか、物質的身体に入る直前(生まれる前)は知っていたはずです。

これが、『抱き参らせよ』の意味なのか。。


以上、『警戒』を持ちつつ『憎悪』を減らす方法について考察しました。


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