地球時代の生き方

地球という生命体の視点から物事を眺めてみる異色ブログ

戦争が起こる時、「心」で何が起こっているのか?②

2022-04-24 21:05:00 | 人文社会

前回は、世界大戦が起こる時、膨大な数の国民の無意識下で、

①不安・不満(個人レベル)、

②集団的コンプレックス(集合的無意識)、

③集団的怒り(集合的無意識意識)という現象が起こっていると考察しました。


これは、第一次世界大戦でも同じです。

①産業革命以降の急速な格差拡大(貧困層の増大)による不安や不満

②コンプレックス列強間の大競争とナショナリズム(汎ゲルマン主義、汎スラブ主義など)の激突

③民族主義的な怒り

という構図で、各勢力が鬩ぎ合うバルカン半島で③が暴発します。



後ほど考察しますが、現在も同じような現象が見られます。それが、今回のブログ記事を書いている動機です。(結論的には、こーゆー時こそ、『愛』の波動が大切になります。)


その前に少し補足します。


〈補足 マズローの欲求階層説〉

上述①は「マズローの欲求階層説」で説明可能です。よく知られているので、説明は省略しますが、の下に行くほど土台、基盤だというのが重要です。


自己実現欲求(自分らしさ)

承認欲求(誰かに承認されたい)

所属欲求(他人とのつながり)

安全欲求(身の安全)

生理的欲求(生命維持)


1929世界恐慌は、世界中の多くの人の「生理的欲求」をぐらつかせる状態に至らしめました。その結果、先ほどの①不安・不満は、非常に強いエネルギーを持ちました。

の下方が満たされないほど、①不安・不満のエネルギーは大きいと推察できるでしょう。(貧困国からテロリストがたくさん出るのも同じ理由と考えられます。)


この不安・不満は負の波動を持ったエネルギーです。

膨大な数の人たちが、同じような負の波動を発信することで共鳴現象が起こり、

そのネガな揺れが、②の集団的コンプレックスを浮かび上がらせるのかも知れません。


脱線になりますが、人類の将来を考えた時、

マズローの「生理的欲求」が損なわれないような社会システムをどう作るか?

は、極めて重要なテーマだろうと思います。


これは、重要なテーマですが、「お金とは何か?」の考察を経ずには論じられないですので、後日ブログ記事にしたいと思います。


〈補足 正義の反対は悪ではなく、別の正義〉

上記の①、②、③が大戦争の水面下で起こっている現象ですが、水から上では、国家リーダーたちによる「正義の衝突」が起こっています。今のウクライナ戦争を見れば明らかです。


これは、左脳の世界です。それぞれの世界観(論理体系)を背景に正義を捻り出します。

そもそも左脳的な認識は、物事を「対立させて」理解するという特徴があります。善悪などその典型です。

大陸文明は、左脳的ですから、元々「対立」が埋め込まれているようなものです。


東西冷戦、先進国と途上国、南北問題、富裕層と貧困層、国民と国民以外、成人と未成年、男性と女性、東洋と西洋、、、全てそうです。物事を対立的な構図にわざわざ放り込んで、対立的に理解し、対立を助長します。自縄自縛になります。


念のためですが、ロシアを擁護するつもりは、さらさらないです。今を生きる人類の一人として、こうした構造を理解しておいた方がいいと思うだけです。


戦時下の国家リーダーは、「正義」を振りかざします。これは、①不安・不満、②集団的コンプレックス、③集団的怒り、と整合するものが好まれます。これらに、左脳的な言語表現を与えることに躍起になります。

特に③の状態を持続させることで、戦争継続についての国民の支持を取り付けます。

良い悪いではなく、これが戦時下の特徴として理解していただくと嬉しいです。




さて、補足は終了しました。今起こっていることです。


①不安・不満は、コロナ前より増大しています。リモート化や人との飲食の機会が減少することでコミュニケーションが減少し、心の病や自殺まで増えています。

私の周囲でも、少し仲間と飲みに行けば気が楽になるのに、ストレスを溜め込んで、退職まで考えてしまう人が増えているように感じます。


そもそも、「コロナで死ぬかも」という情報がメディアから流され続け、安全の危機を感じていた人も一定数います。

さらに、今後、エネルギー不足や食糧難が進むと、不安・不満のエネルギーが一気に増幅するだろうと思います。

既に、中東や中南米で主食の小麦不足から暴動が起こり始めており、注視が必要です。


SNSの時代になってから、エコーチェンバー効果(自分と似た考えのSNSを選んで見るため、一定の考えが増幅する現象)が人々の考え方に影響を与えています。

また、SNSは、怒りの感情にアピールすることでバズるとの指摘もあります。悪魔ではない相手を『悪魔化』してしまいます。

この二つが組み合わさることで、言論空間の分断は簡単に起こります。


怒りを含んだ「ナショナリズム」がこの10年でスクスクと育っています。

私もかつては、ネットの保守系論壇を心強く思っていましたが、彼らは最近は少し感情的に走っているように思います。また、彼らは「地球」という視点がありません。

リアリズムから離れて劣化が激しい左翼は論外ですが、ただ彼らが存在する意義はあるでしょう。ナショナリズムからの軍拡まっしぐらというのも、ちょっと怖い未来です。


中国政府には警戒するのは当然ですが、一般の中国人まで悪魔化していないでしょうか。彼らは、中共政府の一番の被害者です。彼らへの思いやりの気持ちは持っていたいです。


『波動』に注目したとき、怒りの暴走はNGであり、極力穏やかな気持ちを維持する工夫が大切だろうと思います。

武力を蓄える目的は、「防非止悪」であり、悪感情であってはならないです。古来の天皇の御戦さも、感情ではなく、悪を止めることに重きが置かれていました。


この点、SNSは「怒り」の方がバズる(金になる)ので、中国への怒りベースの言論空間になりつつあるのは、極めて危険な現象であると思います。


③は、まだですが、上述の通り、すぐに『怒り』を暴発させる準備は、この10年で整ってきたように見えますので要注意です。



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戦争が起こる時、「心」で何が起こっているのか?

2022-04-17 21:46:00 | 人文社会

これまで、戦争の発生に関しては、「こういう事件があったから戦争が起こったんだ」と説明され、なんだか納得した気分にさせられてきました。


今、ウクライナで戦争が起こっています。我々の生活にも影響を与えています。諸国間の緊密度が増している中、外交安保面でも、経済面でも影響を受けます。

特に気になるのが、第三次世界大戦に発展し得るのかという点です。


では、過去の世界的な戦争の時に何が起こっていたのでしょうか。


学校で学ぶのも、学者が研究するのも出来事のつながりです。○○事件が起きて戦争が始まったとか、○○事件に至るまでこういうことがあったとか。

学者は、それに加えて、国のリーダーたちがどういう考えを持っていたか、といったことを書簡やスピーチその他を読み込んで研究します。

それはそれで意味のあることですが、本当にそれだけで、世界的な大戦争が起こるものでしょうか。


結論から言いますと、私は違うと思います。巨大なうねりが起こる前には、膨大な人間の想念が動いていると感じます。それも、無意識のレベルで。。


第二次世界大戦の前には、①不安・不満が増大し、続いて、②民族のコンプレックスを刺激する状態が起こり、そして、③怒りの爆発へと至りました。


①は、世界的には、世界恐慌があり、街に失業者が溢れました。仕事のある人も、誰もがいつ自分が失業するか分からない不安を抱いていました。

これは、個人レベルの無意識に暗い影を落とします。


また、ドイツにおいては、第一次世界大戦後の終戦処理で莫大な賠償金が課せられ、ハイパーインフレが起こってしまいました。


日本においては、ABCD包囲網や石油金融その他によって、物資の欠乏が国民の心に暗い影を落としていました。


こうした個人レベルの無意識下での暗い影(①)は、やがて民族的な集合的無意識の中かを呼び覚ますようです。


ドイツでは、アーリア民族至上主義を叫ぶヒトラーが国民を扇動しました。この時点のドイツは明らかに負け組となり、プライドを踏みにじられ、「劣等感」が無意識下に横たわっていました(②)。


「本来のドイツ人はこんなはずじゃない」という思いがモヤモヤとうごめいていていました(②)。


こうした時に、ヒトラーは、富裕ユダヤ人への『怒り』をかき立てました。「国際金融資本が全て悪い」と扇動し、「全てユダヤ 人が悪い!あいつらを迫害しろ!」と。

実際、ユダヤ 人への迫害が起こり、やがて悲惨な虐殺へとエスカレートしていきます(③)。


日本では、第二次世界大戦の前に日中戦争が起こりましたが、盧溝橋事件の後は1週間程度の戦闘で停戦しました。

しかし、その後、通州事件という、中国在住ほ日本人が残虐に凌辱されて虐殺されるという事件が起こり、これを朝日新聞をはじめとするメディアが扇動的に報道することで、国民の『怒り』が噴出し、「暴支膺懲」(暴虐な支那人を懲らしめる)というスローガンの下、泥沼の日中戦争へと突入していきます(③)。


また、その後の日米開戦でも、ABCD包囲網があり、「鬼畜米英」が喧伝されて、国民の『怒り』がかき立てられて、戦争へと突入していきました。


アメリカでは、「リメンバー・パールハーバー」です。それ以前に世界恐慌で失業者が街に溢れ(①)、その前後、日本人移民の勤勉さゆえの成功へのジェラシーから日本人移民を規制しています。また、大日本帝国のアジアでの領土拡大など、新興国日本の台頭へのジェラシーのようなものがあったと考えられます(②)。

それを経ての真珠湾攻撃(最初の一発)で、アメリカ国民に『怒り』がかき立てられました(③)。その『怒り』は人類の最大級の蛮行である原爆投下を正当化してしまうくらいの熱量になってしまいます。


こうして、どの国でも、国民レベルの無意識では、①不安・不満(個人レベル)、②コンプレックス(集合的無意識)、③怒り(集合的無意識意識)という変化を経て、莫大なマイナスのエネルギーが、巨大な戦争を起こしました。


見方によっては、この国民の①②③こそが主役であり、国家やメディアは、そのマイナスのエネルギーを助長するレバレッジ装置としての役割を果たしたと言えるだろうと思います。


いわば、国家やメディアの悪魔の役割です。膨大な人間の負の感情を減らすのではなく、むしろレバレッジをきかせて、マイナスを加速度的に増幅させるということが行われました、


今の時代、大丈夫でしょうか?それは次回見ていきたいと思います。



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戦争は地球も痛めつけている

2022-04-10 21:25:00 | 人文社会

普段、我々はあまりにも人間の視点でしか物を見ていないので、戦争の被害報道も、人的被害と建物の被害に限られています。


地球環境について「啓蒙」している国連も、ウクライナ戦争は地球環境破壊を進めるからいけないという話はしません。環境についてうるさい市民活動家も、このことについては何も言いません。


(もっとも市民活動家は、中国や北朝鮮による人権侵害には大人しいので、彼らの掲げるきれいごとは、いつも。。。)



人間に害のあるものは、当然、自然にも害があります。


核兵器は、地球レベルの甚大な悪影響を生じさせます。


しかし、それ以外にも様々な兵器が様々な影響を生じさせます。


例えば、原発への攻撃は核兵器に準ずる放射能汚染をヨーロッパの広範な大地にもたらすことは確実です。


我々は、人間の視点でのみ見ることに慣れてしまっていますが、これは、地球の視点で見れば、地球のそれだけ広範なエリアを負傷させるようなものです。


汚染された大地で育った植物は汚染され、それを食べた虫たちや動物たちも汚染され、奇形や機能不全に苦しむことになるでしょう。



土地の精霊からしても悲しむべきことです。


日本では、建物を建てる前に「地鎮祭」を行うのが一般的です。

これは、土地の精霊、あるいはその土地に関連した生きとしいけるものに、感謝を捧げ、土地に手を入れることを許してもらうものです。


建設での土地への負荷と、戦争でミサイルや砲弾が爆発した時の負荷を想像してみてください。後者の方が遥かに酷いものです。


建設ですら地鎮祭を行うべきレベルですから、戦争では何を行ったらいいのか、分かりません。人間の都合で、いろんなモノな生き物に迷惑をかけることだけは確実です。



物質界レベルの話に戻しましょう。


化学兵器が動植物に悪い影響があるのは容易に想像がつきますが、パイプラインの破壊はどうでしょうか。

soxnoxといった有害物質が除去されない排ガスは、どんな影響をもたらすでしょうか。酸性雨で広範な大地を汚染するでしょう。それ以外にも様々な傷を 大地のみならず、大気層や水層を含んだ地球に与えそうです。大気や水の汚染は、気づかぬうちに様々な生物の健康を蝕むだろうと思います。


これも、多種多様な生物を育んでくれている母なる地球にとっては悲しむべき事態でしょう。


ミサイルや爆弾などの様々な爆発も、地球の皮膚で起こっているのです。。。


戦争の長期化も言われていますが、長期化するということは、それだけの間、地球を苦しめ続けることになります。そうなると、地球は耐えきれなくなって、地震その他の天変地異で戦争を止めさせようとするかも知れません。


地球にとって、人類とは何か?文明とは何か?我々は地球に役立っているのか?



戦争が地球に与えるダメージは、近代以降、急速に指数関数的に大きくなったことは明らかです。

火薬、銃器、大砲、ミサイル、生物化学兵器、核兵器と、ダメージ度は飛躍的に増大しています。


弓矢で戦っていた時代には、ほとんどダメージはなかったことでしょう。


だからなのでしょうか、


戦争は「人間同士の営み」に過ぎない


という戦争観が形成され、

地球に与えるダメージが大きくなった現代でも、その戦争観を脱却できていません。あたかも核戦争のみが地球にダメージを与えると錯覚されがちですが、現代の物理的な戦争は全て地球にダメージを与えています。


戦争による地球へのダメージ度は、その文明による日常的な地球へのダメージ度に比例しているように思います。


戦争の時に、近代以降、その文明が地球を破壊する力が集中的に顕著に出現するであるととらえることができるでしょう。


つまり、これまでの近代文明は、地球へのダメージ度が大きい文明であるということです。


我々の日常的な生活は、資源を掘り起こし、地球が何十億年かけて築いてきた大地や水や空気を化学物質や放射能で汚染しています。そして、その恩恵を私も含めて現代の文明生活を送る人々が享受しています。これは、もはや「業」というべきものでしょう。


一方で、日々、資源、食物で我々に恵みを与えてくれ、宇宙からの紫外線、放射能、隕石から守ってくれている「地球」に対して感謝するということが少ない時代です。

そういう大切なことを習わない時代です。(昔の日本人は、学はなくとも、こうした大切なことは教わっていました。)


これは、日本人的な生き方から離れてしまっているように思います。


伊勢の神社は、命の源、太陽、土、水、風、山などの神々を祀っています。

これは、日本人は伝統的にこうした地球・自然への感謝を大切にしてきたことを物語っています。これは、縄文時代から形を変えながらも続いてきた伝統でしょう。


一つのボタンで地球を破壊しかねない現代、今一度、先人たちの「感謝の祈り」を思い出して実践してみるのもいいかも知れません。



〈ウクライナの祈り〉

ウクライナの人たちが、幸せ、笑顔、豊かさを取り戻した。

ロシアの反戦市民たちが、幸せ、笑顔、豊かさを取り戻した。


〈地球の祈り〉

太陽、大地、海、山、岩、土、水、川、湖、池、雨、湿気、大気、草木、虫たち、動物たち、菌類たちに感謝

地球が癒された


祈りは、完了形


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物質文明(量子論の衝撃)②(祈りの効用を信じる)

2022-04-03 23:38:00 | 人文社会

前回のブログは以下のような内容でした。


(物質文明である)近代文明は何十年も前から行き詰まりを見せている。


近代文明を超克するアプローチとして、物理学からヒントを得られるのではないか。


「物質」に照準を合わせるのではなく、「波動」に照準を合わせた世界観が示唆的。(色即是空)


「波動」には、(電波などと同様)「情報」が畳み込まれている。


畳み込まれた「情報」には、全宇宙の情報が含まれている。(ホログラフィック宇宙論、華厳経)


畳み込まれた「情報」には階層構造があり、中途の階層には「無明」もあるが、最奥には「神仏」がいる(神性、仏性がある)。

(この「階層」は「次元」と言い換えても良いでしょう。)


というのが、これからの世界観のベースになっていくのではないか。


また、この世界観は、様々な分野のアプローチを激変させる可能性を秘めているのではないか。


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いきなり難しい話で恐縮ですが、、

波動が人間に及ぼす影響ということで、まず思い起こすのは、「至誠、天に通ず」や「至誠にして動かざるは未だこれなきなり」です。こらは、吉田松陰ら明治の志士が大切にした箴言です。


この箴言は、何かあると思わせるものですし、心の奥深くを奮起させるものです。このなんとなく何かあるという感覚は大切だと思います。


「至誠」という情報は、良い波動なのでしょう。


それは、上述の「畳み込まれた情報階層」の最奥(神仏)に近い波動であり、それゆえ、人の心の最奥に近いところから響いてくるのだろうと思います。


だから、人を動かすだけでなく、神仏をも動かし、時代を動かす力強い動きになるのではないかと思います。


「あのビジネスが来そう」だとか、「あの技術が来そうだ」で終わっている限り、何も残らないでしょう。


そういう人、周囲にいませんか。技術に振り回されて、新しいカタカナ文字を振り回すけど、本質を忘れている人。ホリモンなど、私などにはその典型のように見えます。


巨大マネーの周囲には当然、情報が付着しているのですが、その情報は見極めが大切になっている時代だと思います。これは、現代を生きる上で大切な分別ですので、改めて別の項目で書きたいと思っています。


「至誠」であることが、本当は一番重要であろうと思います。


ただ、ここで言いたいのは、「「至誠」で生きよう」という、自分でも全く出来ないことを提唱することではありません。


これまでは、人生哲学や人間学のジャンルの話だったものが、実は科学で解明できる時代にいるということです。

日本は、文系と理系という壁を設けていますが、これは大学運営の都合、受験の都合に過ぎません。


人に役立つ学問、時代に役立つ学問という視点で見ると、

人間の意識が現象に影響を与えることを見つけた量子論や関連科学が出現した時点で、文系と理系の壁を乗り越えた探究がとても大切になっているように思います。


量子論の出現で、物質と精神を分けたデカルト由来の近代のコンクリートのような人工的な基礎にヒビが入り、大地が垣間見えているのですから、


現代において、人間の精神活動を量子論などの物理学の視点から解明することは、本当は極めて重要なのではないか、それが近代の超克の近道なのではないか、と思います。


というか、今の日本の学者先生は単純に学問をもう少し楽しんでみたらいいのではないか、と思います。「探究」の原動力は「楽しみ」なのですから。孔子曰く。


量子論的に人間の精神活動を探究したら面白い事がたくさん発見できると思います。その結果として、人類の文明を良い流れへと転換させることが出来たら、大した貢献じゃないかと思います。


日本の先人たちは、先ほどの「至誠」以外にも、人間の精神活動に関して良質な素材をたくさん残してくれています。日本は素材の宝庫です。



少し脱線しましたが、誰にでもできることとして「祈り」があろうかと思います。


2022 年1月〜3月まで放映されたアニメ「平家物語」は、日本的な美学が底流に流れ、良質なアニメだったと思います。

その中で主人公が自分には何ができるのだろう?の解として「祈り」ならできるという志を立てていました。


「祈り」の力については、対照実験した学者がいて、実験の結果、遠隔地の患者の病気の治りに有意な差が確認されています。


「祈り」は、科学です。

多くの人が、身近な人の大切なとき(手術だったり、受験だったり)、思わず祈っていると思います。

祈りは、宗教を問わず、古今東西のどこにでもある精神活動です。


これを宗教の専売特許にしておくのは間違いだと思います。積極的に「祈り」を人生に取り入れることは、世界や地球、宇宙にまでつながる行為だろうと思います。


例えば、ウクライナの人のために、何らかのことを祈るということは、科学的に効果のある結果をもたらすはずです。


戦争の早期終結や、傷ついたウクライナの人たちの心の平安、建物やインフラの復興、生活の復興、病院の復興、負傷の治癒、ウクライナの大地、草木、生物たちの再生などなど、祈る内容は人それぞれだと思います。

あるいは、ここまで具体的でなくとも、ウクライナの人たちの幸せを祈るというのもいいことだと思います。


祈ることで、何かが変化するはずです。(俗な言い方をすると、世界線が変わるはずです。)


義援金や物資支援は限界がありますが、「祈り」は限界がありません。お金がなくとも、積極的にウクライナに関わることができます。

祈る側にも心の平安が訪れるというプラス作用が働きます。(これは無意識の為せるわざです。)


世界が愛や思いやりの祈りで結ばれると、これはすごいことだと思います。


量子論的には、可能性領域(未来の様々な選択肢が渾然一体となっている状態)から、ここに一定の意識・無意識を向けることによって、一定の現象の出現可能性を増すという現象です。


多くの人たちの「祈り」の波動・情報が空間に集積すると、それが国際情勢等を動かす現実的なパワーになり得る。


まだまだオカルト的に聞こえると思いますので、別の角度からも見ていきたいと思います。


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