どうでもいい四百字 第二中間貯蔵施設

どうでもいい四百字 2999

ナイフに罪は無い。罪を認識し意思決定するのは、必ず人間である。神様に責任転嫁する人もたまに居るが、それはそれで決定の一つの形とも言える。現代に人文科学、社会科学が担わねばならない役割は、それに尽きる様な気がする。昨今即戦力になりそうな理系分野へ教育投資が向かいがちである。政財界人諸氏が自分の出身学部を省みて「我々の様になるな」と云う老婆心からそうしているのかも知れないが、それで役に立つ人材が育つと思っているなら止めた方が良い。善とは何か、悪とは何か、理不尽で不条理なヨノナカをマシにする方法とは何か、に対する思想の心棒が通っていないと、無垢なナイフは容易に誰かの道具に堕する。有史以来背負わされっぱなしの宿題であり、この先も答えは出ないのだろうが、時代に合わせた解釈は出来る。ただそちら方面に偏ると批判ばっかりで何もしない私の様なのが量産される弊害もあるので、何事もバランス感覚が重要なのである。

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