goo blog サービス終了のお知らせ 

MOCO'S

物を作ること、アートが好き。生きることを考えます。

私の欲しいもの

2021年03月23日 | 生きること

起業したら恐れていることの一つは夫との関係性。

夫はもともとハンドメイドで起業なんて儲からばない、馬鹿馬鹿しいと思っているようだ。

お金を稼げなければ無価値?

お金のために色々なことを我慢するの?

もう人生半分終わってる。半分くらい好きなように生きてみたいと思ってはダメ?

いつだって何かをしようと、買おうとすれば「高い」という夫。

生きていけないほどに困窮しているわけではないのに。

子供の習い事、おもちゃ、体験、旅行、家電、何かにつけてそう言うのです。

いつか、そんなに「高い」のが嫌なら、人生もう止めれば?と言ってしまいそう。そういうことではないとわかっているけれど。

起業などしたら上手くいく保証もなく

上手くいったとしても数年は赤字でしょうか。

稼いでいないから、と家事育児は全て妻の仕事となり、結局自分の時間を持てずに頓挫してしまうのかも。

もっとひどい想像は、夫が誰に食わせて貰ってると思ってるんだ、と言い始めるとか家から追い出されるとか?

でもこういう考えもやろうとしない言い訳かも?

 

もし夫がハンドメイドで起業したいと言ったら、別々の物を作って一緒に店やろうって思える。

ローンの支払いのためにあと何年かは二人で頑張って働こうと計算すればよいと思うし、

本当に貧乏になったら家を売る。

ああそうか、私は夫に応援してできれば仲間になって欲しいんですね。

応援されるようになるにはどうしたらよいかな。


好きなように生きてみたいのに

2021年03月16日 | 生きること

独身時代、週末起業のセミナーに参加しました。全く内容は覚えておらず「このセミナーは家事や起業の手伝いをしてもらえる妻がいる人向け」と感じたのでした。
当時ですら、働きながら全てを自分でしなければ起業できない自分には参考にならない、と感じてしまった。今はそこに育児も加わるんだろう。
起業に際してやるべき内容には参考にできる部分がおそらくあったのだろうけれども
今、細々と起業してくらしていけないかを考えると、あのときのセミナーへの拒否感が思い出される。

好きなものを作って人生後半を好きなように生きたいという想いは持っているけれども、

ぐちゃぐちゃの家で家事、育児、仕事、何もできないように思えるところから踏み出すのが困難に思われるのは、

ぐちゃぐちゃを維持して、できないままの状態にすることで

自分の力で生きていけそうもない

と前に進むことを怖がっているだけなのかしら?

 


イライラが抑えられない

2020年05月15日 | 生きること

夫と不平等なテレワーク。

有給休暇をどうしても使いたくないらしい夫。

毎年捨てることを目標に掲げているのだろうか。

 

私はストレスでうつになるか、

ストレス回避のために、自粛要請の出ている保育園に預けて

新型コロナウイルス感染リスクを上げるか。

どちらにしても、死んでしまいそう。

夫の姿勢は、ママは死んでも構わないと言っているように見え、

自分はもう死んでも構わないようにさえ感じられる。

 

育児関係の記事に、

「夫に助けを求めたりするのが苦手な女性が多いですが上手に依頼しましょう」

みたいなことが書いてあるんだよね。

育児や家事は、妻から一方的にお願いしなければいけないことなのですか。

妻の仕事は、その仕事を妻がしているという理由で

軽んじられないといけないのですか。

妻と同じ仕事をしている「夫」の立場の人の仕事は重要度が高いのですか。

 

 


轢き逃げ

2019年05月10日 | 生きること

轢き逃げ。小さな子供が被害者なのは特に胸痛い。

皆がどれだけ献花をしても、遺族の気持ちはわからないし遺族に取って受け入れ難いことだと思います。

私の場合、轢き逃げされたのは母親で、一体何故?と何度思ったか。
数年経って、母が亡くなった現場にようやく行く勇気が持て線香を手向けに行った。
もしかすると加害者家族が花でも手向けているかと思ったが、そのような痕跡は微塵もなかった。
事件直後から、贖罪の行動は感じられなかった。母が亡くなって危険運転致傷ではなく危険運転致死になって運が悪かったとでも思っているのか。一生、いや死んでも許さないと自信を持って言える犯人。

 

轢き逃げ被害者の方々が

天国で楽しく暮らし、いつかまた会える、

そんな場所にいることを願って。

 

 


追悼

2018年08月31日 | 生きること
誰かの訃報を耳にする度、両親の死を考える。そしていつか必ずやってくる自分の死を、生きることを、やりたいことを考える。
大事な人の死を誰かの死と比べても、意味がない。
両親よりも短命で亡くなった人もいるから、まあまあの人生だったのだと思おうとしても、悲しみが減るわけではないから。
母は突然に、命を奪われたのであり、轢き逃げ犯(危険運転致死罪で裁かれてはいるものの刑期数年と受け入れ難く、交通事故とは表示したくない)の罪がなければ今も生きていたに違いなく、やはり理不尽と思うし、寂しい。
母が生きていれば、倒れた父をすぐに発見することもでき、おそらく父もまだ生きていたに違いない。
そんなことを、またも考えながらさくらももこさんの死を想う。
小学生の頃、「りぼん」で読んだちびまる子ちゃん。真似して描いたまるちゃん。
友達二人でいたら、まるちゃんたまちゃんみたいと言われたこと。
そんな思い出も重なり、胸が傷みます。