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海辺の暮らし

アドリア海に面した海辺の小さな町での生活日記

1周年

2010-09-23 | ひと(り)ごと
今日はブログを立ち上げてからちょうど1年になる日。

(といっても、立ち上げ後の1ヶ月は空白のままだったが)

自分はもとよりさんざん周りからも‘何日続くか。。’とあやしまれていたが

意外にも1ヶ月、3ヶ月、半年、、、そして1年続いた。

ということで(どういうことで?)


もうそろそろ、終わりにしようかと思う。



    





一宿一飯

2010-09-11 | ひと(り)ごと
長かった夏休みもようやく終わりを告げようとしている。
今年は日本に帰らなかったが、かわりによそへも出掛けたし、いろんな人も遊びにきてくれた。

海外で暮らしていると、親戚をはじめ友人・知人が泊まりにくることが多々ある。
今は田舎に住んでいるのでそれほどでもないが、かつて有名な大都会に住んでたときは
友人の友人など顔見知りでない人までよく訪ねて来て‘うちはB&Bか!’と錯覚したことも。

そういう私も今まで何人もの人にお世話になったことか。。

お世話をしたり、されたり、そんな中であった幾つかの(苦い)エピソード。


私がまだ学生の頃、当時ルームメイトと一緒に住んでいたアパートに訪ねてきた友人。
滞在中、自分の食べ物だけ買い込んで、自分の好きな時間に1人で飲み食いしていた。
(ちなみに私達が作るものは一緒に食べていた)

イタリア周遊旅行中に訪ねてきた友人。
どうやら彼女は各地にいる知人宅を回って経費をうかしているらしかったが、
驚いたのは、お世話になった前のうちからの頂きものを次の滞在先へお土産にしていた。
(私にまわってきたのはミラノのパネトーネだった)

電車で着く友人を車で迎えに行き、駅でずっと待っていた私と旦那。
電車が遅れたため到着はすでに夕食時間をまわっていた。で‘何か食べてから帰ろうか?’と言ったら、
‘私は電車で食べたからいい’
その後、私達がお腹をすかしながら家に着いたのが夜の10時近く。
彼女はそのまま疲れたからと寝室に行き、私と旦那はゴソゴソ台所でありあわせの食事をとった。

かと思えば、

地元のイタリアン・レストランに誘った時の友人、
食べている最中から‘あれは美味しかった’‘あそこが一番’と旅グルメ自慢話。
で、そう言いながらもすべて平らげたあと、、、‘あぁ~、ooxが食べたかったぁ’

(なぜかすべて食ネタになってしまったが、それほど食べ物の恨みはコワイ?!)

もちろんこれは私の友人(すでに疎遠になってる人も)でもごく一部の例だが、

彼らには1つの共通点があった。
それはあくまでも‘マイペース’
‘私はこうだから’を国(習慣)の違う人の家でもガンとして通すところだ。

また、いつかその1人に
‘私が加わるだけと思っていつもどおりの生活してて’と前置きされたことがあった。
気を使って言ってくれたとすれば有難いのだが、1つ勘違いが。
‘私が加わる(だけ)’ではなく‘私(も)加わる’ということ。
つまり1人でも何人でも、外から人が入ればいつもどおりの生活とはいかない。
‘ほっといてくれ’と言われればそれまでだが、じゃ、なんでうちに来たのか??
 
私は人が訪ねてくるとき、その人との付き合いが浅くとも深くとも同じように楽しみに待っている。
その人が何をしたら、食べたら、楽しいのだろうかいろいろ頭を巡らせもする。
たいしたことはできないが、受け入れる側として楽しい時間を過ごしていってくれたらと思っている。

そして私も、訪ねた人のうちではそうされてきたように思う。
なるべく気を使わせないようにと思っていても、結局なにかと気遣いしてもらっていた。


それを‘驕って’はいけないと思う。




日本には‘一宿一飯の恩’という言葉があるが、


いろんな人に泊めてもらって、いろんな人を泊めて、


この言葉の意味をしみじみかみしめた。。












暴動勃発!

2010-09-07 | ひと(り)ごと
新学期まであと1週間を前に、中学校のクラス名簿が発表された。

朝9時にリストが張り出された校門前は、すでに生徒&マンマ達でいっぱいだった。

一緒に行ったこばともすぐ友達を見つけて合流、みな新しいクラスについてかなり興奮気味のよう。


だけならよかったのだが、、、


よくまわりを見回すと、泣いている子や怒っている親?そう‘親たち’がいるではないか!


理由はもちろん‘希望した子と一緒になれなかった’である。



これ、たしか2月?にブログでも書いたと思うが、
中学に入る前に行われた説明会で、マンマ達がこぞって校長にしていた‘とんでもない’お願いであった。

あのときも、そんなお願いして通ると思ってるマンマ達と、
‘できるだけ考慮してみます’などと返事した校長にも思いっきり呆れたが、

やっぱりこの結果。 できるわけなかったのだ。

さらに運が悪いことに、怒っているマンマ達のクラスには学校きっての問題児も入っていた。


で、この怒り心頭に達してるマンマ達が出た次の行動とは

校長室に‘殴り込み’?!の勢いで談判に。

条件は‘うちの子を他のクラス(もちろん好きな子のいる)に変える、
もしくは問題児を外に出さなければ、不満のある者全員で他の学校へ変わる!’


さてさて、この交渉に校長がどう出たかはまだ定かではないが。。


子供の学校の問題に頭を悩ませる親はどこの国でも同じだろうが、

学校もさることながら、なぜ自分の子供にもっと目を向けないのだろうと思う。


残念なことに、この不満を持つマンマの中にはこばとと仲良しクループだった子もいた。
こばとが本人に転校の意志を聞いたところ‘マンマがそう言うし。。’

彼女には充分環境に対応する力があった。 というのも、
こばとと彼女がいたクラスにも問題児は何人かいたが、それにも支障なく今までしっかり勉強していた。
なのに今回‘あの子と同じクラスでは駄目になる’のような親の激しい動揺は
自分の子に対して自信がない、もしくは信頼してないことを子供に示してしまっている。




これから中学生になるこばと達。

小学生の時とは違って、もっとマンマ達の目、手、頭(脳)が届かないところへもゆくことだろう。

彼らの前には沢山の楽しい事と同じくらいの苦しい事も待っている。

それに少しでも自分の力で対処できるよう、
そして‘あなただったら大丈夫だよ’と自信を持たせるように仕向けていくのが
親の役目なんじゃないか、、と未熟な親ながら、そう思う。


渦中の子供たちが、マンマ達の暴動の犠牲にならないことを祈るのみである。














東の女(ヒト)

2010-09-03 | ひと(り)ごと
トリノから義兄が義母と‘彼女’を連れて遊びにきた。

私たちは主だった祝日をトリノで一緒に過ごさせてもらっているのでよく会ってはいるが、
義兄が自分の生まれ故郷であるヴェネトに来るのは4年ぶり。

彼は6年前に妻を亡くしたあと、それまで1人暮らしをしていた高齢の母を引き取り一緒に暮らしている。
ここ何年か入退院を繰り返している母を抱えていては外に出歩くのもままならなかったのだろう。 
そのとおり、端で見ている誰もが太鼓判を押す気の優しい孝行息子なのだ。

その彼に彼女ができたのが3年ほど前、
お相手は義母の世話や家のことを手伝ってくれていたルーマニア人のマリアである。

彼女がイタリアに来たのは6年前、
旦那さんを事故で亡くしたあと生活に困り娘とともに仕事を求めてやってきた、
つまり、今イタリアで多く働く東欧から来た‘介護人’の1人である。


イタリアで働く東欧の女性はかなりの数にのぼり、国別でいえばルーマニアがトップ、
次に旧ロシアの国々(ウクライナ、モルダバ)、ハンガリー、チェコなどがあげられる。
彼女達の仕事の8割がこの介護人か家政婦などだが、

奇しくも彼女達の貧しさと美しさが凶となり
若い娘の多くがナイトクラブ(ストリップ系)や売春に関わっているのが現状である。

そしてここ数年増えているのがこの東欧の女性と交際したり結婚したりするイタリア人男性達。

その多くは奥さんと死に別れた年配のイタリア男が若い東欧女性と再婚する例であったが
最近はまんざらそれだけではないらしく、
若いイタリア男の間でもあえて東欧女性を好んで付き合う人が増えているとか。

その理由を探るべく取材したドキュメンタリー番組を見たことがある。

番組側がある若い東欧女性に頼んで
新聞や交際クラブなどで知り合ったイタリア人男性とのデート現場を隠しカメラで追った。
まず彼女に対してどういう行動をとるか(外見的にも魅力のある東欧女性の体だけが目的?)確認。
たしかにそういう男もいるにはいた。
しかし思ったよりそうではなく、単に彼女を探している方が多かったのである。
ではなぜ東欧女性なのか聞いてみるとその多くの答えが

‘東欧の女性は何かしてあげると素直にとても喜んでくれる’

そう言われれば確かに、イタリア女性はかなり物質主義ではある。
また、男はこう、女は、のような意識のあるお国柄ゆえか、
社会的にも男に対していろんな義務や要求があり、プレッシャーもある。
にもかかわらず、女側はなかなかそれを評価しない。
そんな中、貧しい国から来た彼女達の反応(本物かどうか?!)に新鮮な驚きを感じるのは
とうぜんといえばそうかもしれない。

なにもこれは東欧の女性に限らず、
日本人男性が東南アジアの女性に魅力を感じるのと同じ原理ではあるが。。

と書いてて気付いたのだが、

イタリア、というか欧米にはまた‘違った’東の女信仰もある。

それは東も東、far east、つまり、火の出ずる国の女こと‘大和撫子’
海外に住んでいる日本女性なら1度はこういう信仰者に出くわしたことがあるであろう。

やたらと日本文化に傾倒しているような話を持ち出し(最近の若い子であればマンガおたく系も)
彼女本人に興味があるというより日本(一方的なイメージによる)の女性に興味があり
日本女性と付き合ってる(変り種のペットみたいな!?)ということだけにステータスを感じてるような男。
で、彼女が自分のイメージしてたのと違う(もしくは変化する)とビックリ仰天
             ‘OH!アナタ ガイジン ミタイネ’。。


ともあれ、


義兄の彼女ことマリアは明るく、逞しく、とてもいい人だ。

まわりのイタリア婦人団は‘気をつけた方がいいわよ’なようなことを義兄に吹き込んだりしてはいるが、

当時、悲しいことばかり続いて暗く沈んでいたトリノの家に太陽を運んできてくれたのは彼女であった。



東の女(ヒト)の魅力でイタリアの老人や男性もみな幸せになれるんだったら、

それはそれでいいんじゃないか、と私は思う。。




マイ・ペン・ライ

2010-08-27 | ひと(り)ごと
以前書いた‘英語’談を裏付けするわけではないが、、

私は昔、タイに1年以上も住んでいたにもかかわらずタイ語はまったく習得しなかった。
理由は、タイ語がそんなに簡単な言語ではないというのはおいといて、
仕事は英語と日本語のみ、回りもそれを使って話せる人ばかりだったので
まったく覚える必要も気も(いや、きっと能力が)なかったのである。

そんな私が唯一、そして今でも覚えている言葉がこれ‘マイ・ペン・ライ’

どんな意味かというと‘NO problem(問題なし)’‘気にしない’といったもの。


当時タイ人と仕事するにあたって何度も悩まされた言葉だった。

なにしろ、注文品が間に合わなくても、工事が遅れても、契約が違っても、
すべて(それも笑顔で)‘マイ・ペン・ライ’で受け流される。
ちっともマイ・ペン・ライでない日本人クライアントとの間に立って冷や汗を何度もかいた。

また簡単なミスを繰り返す社員に念を押しても、、、‘マイ・ペン・ライ’(どっちのセリフだ!)


仕事だけでなく、プライベートでのエピソードは書ききれないほどだが一例を挙げると、

*アパートの鍵がかからなくなった時、管理人(男)は‘マイ・ペン・ライ、私が家にいてあげるから’
*ご飯を食べに行ったレストランにて、料理に虫(ゴキブリっぽい?!)が入っていても‘マイ・ペン・ライ’
*黄熱病の予防注射をしに行って‘マラリア’の注射を、それも同じ日に2度されても‘マイ・ペン・ライ’
*ひと回りも歳の違う上司とバンコクの繁華街を歩いていたら、ひと目で客引きとわかる男に
 ‘遊ぶ?夫婦プレーOKよ’ ?!?‘NO、NO、 それに私たち夫婦じゃないよ’

                     ‘マイ・ペン・ラ~イィ’


ここまで続けて読んだあなたにもきっと‘マイ・ペン・ライ’が頭にインプットされたことでしょう!?



ところで何で今さらこんな昔話が出てきたかというと、、これを目にして


  旦那がこの夏真剣に読んでた本

     ‘ポジティブ・シンキング’

意外だと思うかもしれないが、お気楽そうに見えるイタリア人、
実際はそうでもなくクヨクヨ落ち込むタイプも多いのである。
(旦那は読んでる途中で昼寝していたが。。)


ここ数年、仕事や家庭の悩みを苦に自殺する人も増えてきた。

ラテンと思われてる彼らの口から‘NO problem(non c’e problema)’
を聞くことは驚くほど少ない。



いろいろ厳しいこの御時世、

‘マイ・ペン・ライ’精神は、タフに生きていくうえで案外役立つかもしれない。。