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DUNIA

ケニア~青年海外協力隊~青少年活動~男子更生院~2年間限定

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2009-09-17 | In Othaya
シャンプーしたての髪の毛っていい匂い。
それに釣られてミツバチも寄ってくる。

今日で断水11日目。
残念ながら、もうハエしか寄ってこない。
そして私に止まってからの滞在時間が長い、しつこい、遠慮がない。
私は今、どんな臭いを放ち、どんな味がするのだろうか?
とても心配。

今回の断水はちょっと性質が悪い。
今までのように気まぐれにやって来ては、気まぐれに去って行くような、いわゆる自然現象的な断水ではなく、
今回の断水は水道会社が「栓」を閉めるという人的要因による断水なのである。

「栓」を開けてもらえばいいじゃん。

そう、その通りなのだが、開けてもらうには条件があるのだ。

ご存知のように、昨今の気候変動などによりkenya国内は深刻な水不足に陥っている。
Nairobiなどの都市部では水は有限有料という意識が浸透しているが、
私が暮らすOthayaのような田舎町では水は天の恵みであり、無限無料という意識が未だ根強い。
昨今の気候の異常化には気づいてはいるものの、
「来年は正常に戻ったらいいね。」
残念ながら、その程度の意識の人が多いのは事実である。
しかしながら、少し乱暴な言い方になるが、もともと田舎で自給自足を営む人達が、水に限らず地球資源を過剰に搾取することはほとんどなく、
彼らが普通に生活を営んでいる分にはkenyaの水不足等の要因にはならないだろうと私は考えるし、彼らもそう思っているだろう。
そもそも…、
ここで責任の所在について述べることは止めにして、
とにかく昨今の水不足を深刻に捉えざるを得ないのだろうkenya政府は全国で水を有料化する方針を定め、珍しく早急な対応を講じてきている。
各住居にmeterの設置を義務付け、定額制料金を廃止し、今まで料金を徴収していなかった住居も含めた全戸より適正な料金(使用量に見合った)を徴収する方針のようだ。

我が更生院ならびに更生院のcompoundの住居の全てが築50年以上の年代物で、
meterどころか、水道管の配置さえそれに対応できるようには設計されておらず、とても一筋縄では行かない。
compoundのほとんどの住居が無理やり壁で仕切りを作り、一つ屋根の下に強引に二家庭(仮称A、Bとする)が入居するつくりになっており、
water mainから分岐されたpipeが先ずAの住居内を通り、そしてAの住居内からお隣さんB宅内へ通じている。
もちろん私の「愛の巣」もそうだ。

個々宅にmeterを設置するのが理想だが、
その場合meter設置費の他に上記のような理由から水道管に係る改築工事も必須となり、その費用はmeter設置のみの費用に比べ天文学的数字になる。
改築を避けA、B宅合同で1つのmeterを設置した場合、各家庭で使用する水量が当分なわけもなく、料金の分割支払い方法にも問題が残る。
仮に料金をshareすることで合意しても、支払いの段で、どちらかが支払いを怠った場合、A、B両家への供給が止まる。
連日開催されたcompound会議では、様々な案が練られ、その都度ダメ出しが行われ、議論に行き詰ると、祈り、歌い、そして家に帰る日が続いた。
その行き詰った際に「祈り、歌う」と言う発想に痺れ、私も毎日真剣にお祈りを捧げ、バリトンを響かせた。
が、さすがに何の進展もない11日間を経過し不安を感じ始めていることは言うまでもない。
また、今までも断水の際には川の水で補填してきた経緯があり、最悪、川から水を汲んで来れば何とかなるという
雰囲気が漂い始めてきている。
おかげ様で、ハエが私のsecurity guardのようになって久しい。


Kenyaには水を汲むために毎日4時間かけて往復している人々がいるなかで、
たとえ週の半分であっても蛇口から水を得られること自体、大変な贅沢なのかもしれない。
私の場合、川は1時間あれば往復できる距離にあり、最長で22日間という断水の経験からも、今日現在は未だ11日目と言うことで、まだ行ける気もしている。
が、これがpermanentになると思うと、正直「キチィな」と弱気になってしまう。
魂込めて育てている畑の作物達も気になる。

(更生院にはmeterが設置される予定で、Boysは近日中に水を使えることになります。ご心配なく。)


水はなくても腹は減るし、喉は渇く。
飲食すれば催すし、じっとしていたって汗も掻く。
ちなみに、皆さんは5日間以上同じ靴下もしくは下着を身に着け続けた経験はあるだろうか?
私の経験から言うと、5日目を超えたあたりから履き心地に変化がみられ…。
とにかく、洗濯だってしなくちゃならない。
Kenya赴任当初は停電が何よりも怖かったが、今なら1ヶ月間の停電も笑い話で済ませる自信がある。
が、水はそうもいかない。

実例を挙げてご説明いたしましょう。

PEにclubと動きまくった一日。
腹の虫も大騒ぎ。
水浴びでもできれば、せめてタオルで身体を拭くくらいできれば、
さっぱりした気分で夕食の準備に取りかかれるのに、
50Lはあっただろう水のstockは、明日には川に補充へ行かなければならない程に減ってしまっている。
水浴びどころか、今晩の炊事もギリギリだ。
水浴びはあきらめて、夕食の準備に取りかかる。
「今晩は」というか、「今晩も」また「特製マコトカレー」。
材料はジャガイモとニンジンと唐辛子とニンニク。
調味量はマサラと塩。
不足した材料の穴を埋める如く、それぞれを大量に入れる。
きっと帰国して食べる日本のカレーライスに私は言葉を失うのだろう。
それだけを楽しみに今晩も「特製マコトカレー」を無言で頬張る。
不味くないけど、旨くもない…。
ニンニクだろうか、はたまた唐辛子だろうか。
辛いというか苦い。
日本に帰るまでの辛抱だ。
ドンマイ。



断水の際のカレーの利点は、洗い物が少なくて済むと言う点にある。
食後の一服分の「水」を残し、無事後片付け終了。

「さて、chaiでも入れて一服すっかな。」

そんな頃だ。
なんだか、下半身が火照る。
精力をつけると聞くニンニクは大量に入れたが、今回が初めてじゃない。
そうこうしている間にも、チ○コの火照りは治まるどころか、勢いを増す。
突如として起こったチ○コの異変にうろたえる私。
ハエを媒介とする「急性なんとかチ○コ」だろうか?と新型疾病疑惑浮上が私の不安を煽る。
冷静にあることに努め、ありとあらゆる可能性について思考を巡らせた結果、犯人が判明。
「カプサイシン」である。
唐辛子を触った手で、チ○コも触った気がする。
火照りを通り越してもう痛い。
一刻も早くチ○コを洗浄したいが、水が無い。
チ○コは非常事態だが、Chaiもどうしても飲みたい。
Chai or Chinko?
しばしの苦悶の末、我ながら名案が浮かぶ。

「マキロン!!!」

JICAから支給されているマキロンがあったはずだ。
が、こんな時に限ってマキロンが出てこない。
結局、私の全財産の詰まる2つのダンボールを引っくり返し、マキロン確保!
おかげ様でチ○コも一命を取りとめ、chaiも飲めた。

断水恐るべし。



「近い将来、「水」を巡った大規模な争いが勃発する可能性は高い。」
というある評論家の言葉を思い出す。
現に石油をはじめとした資源を巡る紛争や戦争は既に起こってしまっている。
もしそのような事態に陥った場合は、言わずもがな、私のチ○コ騒動どころの話ではないことは皆さんの想像にも容易いだろう。
Kenyaではこの度の全国的なregulationの実施で、meter設置に反対、もしくは設置するだけの余裕の無い農民たちが水を得るために水道管を破壊しているという話も聞く。


地球を一つの生命体と考えた場合、そこで生命活動を行う我々人類を含めた生物は地球の細胞とも言えるだろう。
その細胞である我々人類が、喉の渇きを理由に体内(地球)の水分を奪い合い、互いを攻撃し合う。
「人類」という細胞ばかりか、他の細胞(他の生物)もその争いに巻き込まれ、細胞は破壊され、組織は機能しなくなり、生体(地球)は生命維持に重大な支障を来たし死に至る。
そう考えると、我々人類はまるで悪性の細胞のようだ。
もし仮に、地球上で人類だけ絶滅したら、地球の寿命は延びるのではないだろうか?


「水」は人体の70%を占めるとされる。
2%~4%の水分を失うと強い喉の渇きを感じ、
6%以上の水分を失ってしまった場合には、医療機関での緊急処置を必要とすると聞いたことがある。
地球の71%を占めると言われる「水」。
地球は今、どれほどの水分を失いつつあり、どの程度の脱水症状にあるのだろう。
もしかしたら、すでに人体で言うところの6%以上にあたり、緊急処置を必要としているのかもしれない。

Benign or Malibnant ?
我々は生体(地球)にとって正常な細胞なのだろうか。
悪性細胞とみなされてはいないだろうか。
生体が自らをより良い状態に保つために引き起こされるという、生体により管理・調整されているアポトーシスを、
我々人類も生体(地球)によってprogramされてしまう日が来るのではないだろうか。

幸いなことに、このままでは近い将来に危機的状況が待ち受けていることを我々は知らされている。

であればね?

クドくなりそうだから、今回はこの辺でやめとこ。
「水」は大切だと思う。
以上。

高さについて

2009-09-09 | In Othaya

犬は人間のおよそ十分の一しか生きられない。
彼女の実年齢を人間の年齢に換算しても未だあどけない年頃の彼女だが、
おそらく彼女のこれからの犬生は、既に三十路を超えている私の今後の人生より短い。
彼女が赤いチャンチャンコを着た年賀状が送られてくることを心底願ってはいても、そのためには彼女は「前犬未到」の記録を打ち出す必要があり、
おそらく彼女の犬生は私の人生より短い。
単純計算すると、我々が感じている1分は、彼女にとっては10分であり、
我々にとっての一日は、彼女にとっての十日に当たる。
彼女を抱いた時に伝わってくる彼女の鼓動は、やはり我々のそれより遥かに早い。
千切れてしまうのではないか、とこちらが心配になるほどに尻尾を振っている時、
まるで永遠の別れかのような慟哭が彼女の小屋から聞こえてくる時、
もしかしたら、彼女はその時、我々が感じるそれの十倍もの分量の歓びや悲しみを感じているのかもしれない。



最近、寿命というか、個々人にあるその「生」の時間と言えばいいのか、「死」までの時間と言えば良いのか、
とにかく、その長さについてを考える。
ここで私が言いたいのは母親の胎内を巣立ち、土に還るまでの長さで、
輪廻・転生説に当てはめると、生まれ変わった後から、生まれ変わる前までのone cycleの長さについてだ。

Kenyaの新聞には日本のそれからは想像もできないほどに「お悔やみ欄」にはページが割かれ、その大半に写真が掲載され、生前の様子についてなどが書かれている。
同姓同名の多いkenyaではとても効果的な周知方法であると感心するとともに、
その人の容姿や生前の様子まで知ってしまうと少なからず感情移入をしてしまい、
余計なお世話だろうが、彼らの「長さ」ついて考えてしまう。

野球やサッカーを始める年頃に見える彼は、
ホームランを打った時の、もしくはダイレクトボレーが決まった時のような、彼が夢中になっていたことでの爽快感を味わうことができたのだろうか?

Teensであった彼らは、
恋人がシナモン入りのアップルパイが大好物と言うなら、
例えばそれが空から降ってきら気絶してしまうほど苦手だったとしても、
それを好きになるよう必死に努力しちゃうような、そんな恋人とは出会えたのだろうか?
そしてその恋人と世界中が二人を祝福しているかのような毎日を過ごすことができただろうか?
もしかしたらケンカ中だった彼らは、明日になったら、「ゴメン」と伝えるつもりだったのかもしれない。

Twentiesの彼らは、
来年には志望校への入学が決まっていたのかもしれない。
留学が決まっていたのかもしれない。
自分の稼ぎでの壮大な野望を描き始めたところだったのかもしれない。
やりたいことが見えたてきた矢先だったのかもしれない。


私自身は加齢臭を色気に変えるため鋭意努力中の30代前半なわけで、
日本人男性の平均寿命から言うと、ようやく半分に差し掛かかろうかといったところで、
あくまでも平均値から言えば、私の終着点はまだそれに怯えなければならないほど近いとは自覚していない。
むしろ、まだまだやりたいことは山積みで、それらを終えられるかどうかの不安の方が大きい。
日頃からそんな風に感じているからだろうか?
特に私より若くして他界してしまった人達について考えると、時に情緒不安定なのだろうかと自分でも心配になるくらい泣けてくる。

彼らは「彼らの長さ」に比例するだけの濃縮度での「酸いも甘いも」を得ることができたのだろうか?



個々に与えられた「長さ」については、自らが知る由もなく、例外を除きその「長さ」に関する決定権はない。
私の知る限り時間を遡る技術を人類は未だ得ておらず、つまり人生とは取り返しのつかない一瞬一瞬の連続である。
故にLife is preciousなのだろう。
そして個々人によりその基準は区々であろうが、多くが自身の「長さ」が有意義なものとなることを望み、
個人に委ねられたその過ごし方に葛藤し悶える。

私の場合、
人生における喜怒哀楽はそれぞれが相対的な関係にあるのかどうかという問題は別としても、
できれば、喜びは多く大きい方がいいし、悲しみは少なく深くない方がいい。
しくじるよりは上手く行った方がいい。
要領よくそれらを収め、回避するのではなく、それらと正面から対峙し、それらを受け止められるようにありたい。
何事も「言うは易く行うは難し」であり、実践躬行への道のりは遠く、私もまた悶えている一人だ。
いくら考えたところで、考えても分からないってことが分かるだけで、毎日失敗の連続である。
しかしながら、些か都合が良すぎる気もするが、「人生とはtry and errorの繰り返しで、果敢に攻めた者ほどerrorが多くて当然」としくじった自分を励まし、次の一瞬に臨む。
幸いなことに、愛読していた「少年ジャンプ」の影響か、私は「逆境」とか「ピンチ」とやらに俄然やる気の出るタイプらしく、逆境は超えるためにあり、ピンチは救うためにある、とも思っている。
自覚は無いが、「M」なのかもしれない。

「今、苦しいのはきっと上に向かって登っているからだ。」
私の愛用している手帳の後ろから4ページ目に擲り書きされている言葉だ。
誰かから聞いたのか?
何かで読んだのか?
自己に陶酔しながら書いた言葉なのか?
もうそれすら忘れてしまったが、私は気に入っている。


人生に「長さ」があるように、「高さ」もあるとしたら、
いつかその「長さ」を終える時、
その時こそが私の「高さ」のpeakでありたい。

grove

2009-09-04 | In Othaya
「森へ行かないか?」
あぁ、なんて素敵なお誘いだろう。

トトロに出会ってしまったらどうしよう。
プーさんが蜂蜜じゃなくて、鮭に貪りついていたらどうしよう。
眠りの森の美女がすげぇイビキを掻いてたらどうしよう。

ひとり先走って、一頻り見当違いな事を悩んだ私の返答はもちろん
「why not ?」



著しく社会性に欠ける。
私がこの更生院に着任後に感じたboysの印象である。
その原因はいくつも考えられるわけだが、
その一つに、閉鎖的な更生院内での生活を余儀なくされているため、communityとの関わりの希薄さが原因の一つであるのではないかと考えた私は、
term holidayになると、「遠足」と称して積極的にboysと更生院の外に出歩いた。
大統領邸見学に始まり(※南の国から 参照)、「Othayaの歩き方」の作成、「Othaya不思議発見!」等々、
見事なまでにパクりまくってboysと楽しんできたつもりだ。
遠足開催当初は、当日の身だしなみについて(顔を洗うこと、靴下は両足履くこと等)boysの耳にタコが出来るほど何度も何度も言い聞かせ、
「Othayaの歩き方」等の住民にinterviewが必要な遠足に至っては、数日前から教室でrole playを何度も行ってから当日に臨んだ。
残念なことに同僚からの関心は薄く、多い時でboys100名を私一人で引率してきた。

「所詮、俺の自己満かな?」
なかなか同僚からの理解と協力を得られず、卑屈になった私は何度も遠足実施を断念しそうになった。
しかしながら、遠足の翌日に私のofficeに恥ずかしそうに遠足の絵日記を持ってきてくれるboysが居ることや、
「boysがゴミを拾ってゴミ箱に捨てているところを見ました。褒めてやってください。」
とtownで会った人からの言葉に救われながら、半ば意地で今日まで継続してきた。

そして、私が着任して4回目のterm holiday を迎えた今日。
ほんのちょっとだけ同僚も「遠足」に興味を持ち始め、
もしかしたら「遠足」が更生院の定例行事になるかもしれない、
というphaseにまで達して来ている。

そして今朝のmeetingで同僚から
「森に行かないか?」
という遠足についてのromanticなsaggestionを頂戴したわけである。
いやぁ、嬉しかったッス。

「12時半に出発しよう。」
「OK。」
こんなにも爽快なmorning meetingが今まであっただろうか?



そして午後。
約束の時間は12時半。
私の時計が狂っていなければ、現在14時半…。
「おい、ふざけんなよ。14時半だぞ。」
peppermint candyのような今朝からの爽やかな気分も、もう既に炎天下での二時間の待機にグチョグチョに溶けてしまった。
例えるなら、正露丸を噛み潰したような気分であり、その口臭をお見舞いしてやりたい。
私の経験から言うと、boysは集中力のpeakを逃すと、その後はたいていダラダラと終始し、最悪の場合は事故にも繋がりかねない。
出発予定時刻から二時間が経過した今、体育座りをして動かなくなっているboysもチラホラ。
彼らの集中力のpeakはとうに過ぎてしまっている。
もちろん私もしかり。

「準備はできたかぁ?では森へ行こう!」

なんとも能天気な教頭先生の声。
準備はとっくにできてるっつうの。
つうか、もう若干めんどくせーぞ。
私と同様にboysの反応も良くない。

教頭:「森で鹿を捕まえて、今日の晩御飯は鹿肉にしよう!」
Boys:「Wooooooooooo!」

嘘も方便とはこのことを言うのだろう。
これから行く森にトトロもプーさんも美女も居ないだろうが、きっと鹿も居ない…。
が、boysの集中力は出発予定時刻12時半時点のpeakを遥かに凌駕し、まるで軍隊のように結束されてしまった。
さすがは教頭先生である。
なにはともあれ出発。


Boysの制服には茶色と青色の二種類がある。
私は青色の方が好きで、今日は私の独断で「青色」に統一してきた。
いい歳こいて恥ずかしいが、この制服の「青」と空の「青」のcontrastが好きだ。


教頭先生の話では、片道5Km。
と言うことは、おそらく片道10Kmはあるだろう。
教頭先生の話では、片道所要時間1時間。
と言うことは、おそらく片道所要時間は2時間になるだろう。
教頭先生の話では、今晩の夕食は鹿肉。
が、おそらく今日の夕食はいつもどおり「ゲゼリ」だろう。
ドンマイ。



170.2cmの私の身長とほとんど変わらないboysの背丈。
が、そのほとんどが私より腰の位置が高い。
従って彼らのほとんどが、身長は私と変わらないにも関わらず、私より足が長く、私よりstrideが大きい。
遺伝子情報の違いに不平を漏らしても仕方ないのだが、きっと私は彼らの1.5倍は歩いているだろう。
なんか悔しい。
遠足とはその道程での景色等を楽しむなど、「楽しむ」ということが主旨のはずなのに、
ゴールがあると思うとやはり一番がいいと思ってしまう私は損な性格なのかもしれない。
森の入り口に差し掛かるとそこはもう登山道だった。
そして先ほどまでの勾配のさして無い道程では劣勢だった私にもいよいよ挽回の機会が訪れる。

腰の位置の低い体型の利点を十二分に発揮し、一気に先頭集団に食い込む。
追いすがる後続を振り切り、全員を追い抜いたところで、やっと満足。
なんとも大人気無い。
ドンマイ。



「バナナ」はおやつに含まれるのか?
遠足ともなると常に熱く討論される永遠の命題である。
Kenyaで暮らす今の私にとって「バナナ」はおやつではなく、ご飯類に分類されて久しい。
ところで、「カロリー○イト」はおやつに含まれるのだろうか?

これが我々の今回の遠足のおやつ。
森のあちこちに実をなす、おそらく、野イチゴ?
信じられないくらい甘い一粒に驚嘆。
そして信じられないくらい酸っぱい一粒に絶句。
木々からの甘い一粒の選定に五感をフル稼働させる。
駄菓子屋さんで駄菓子を選ぶことも楽しかったが、これはこれで楽しい。




Kenyaというと、無条件に「サバンナに沈む夕日を背に雄大に歩くゾウの群れ」的な風景を想像してきた。
kenyaというと、ふくよかな体型の底抜けに明るい人々が貧しい生活であっても満面の笑みを浮かべながら楽しそうに、そしてreggaeに乗って踊るようにゆったりとした時間が流れる毎日を想像していた。
もちろん「サバンナに沈む夕日を…」的な風景はkenyaに間違い無く存在する。
が、kenyaでの生活を通じて、kenyaにも緑が鬱蒼と茂る「山林」があることを知った。
ふくよかな人々が多く、底抜けに明るい人達が居て、ゆったりとした時間が流れていることも事実である。
が、kenyaでの生活を通じて、貧しい生活のなかでの笑顔は稀少であり、その大半が無表情とも言える表情での生活を余儀なくされ、
その大半がゆったりと生活を営んでいるというよりはむしろ、すべきことがない、その機会すら与えられていないと言うことを知った。

貧困に関すること、
HIVに関すること、
民族紛争に関すること、
何もそんな難しいことばかりじゃなくてもいい、
10日以上、水が手に入らない時の不安を痛感し、
肥溜めの危険性を体感し(※ 残暑お見舞い参照)、
野イチゴの驚くべき甘さに驚嘆し、
人種、言葉、文化は違えど、誠意は誠意として受け入れられ、愛情は愛情として受け入れられることに激励され、
外国で暮らすことにより、日本という自分の国を素直に見直し始めている自分に気付く。
touristとしてその国での短期間を体験するのではなく、inhabitantとしてその国で生活することによって見えてきたことが多々ある。

Kenyanの言う12時半は14時であり、5kmは約10kmであり、所要時間1時間は所用時間2時間である。
この大雑把と言うか、いい加減と言うか、もしくは大らかと言えば良いのか、
kenyaのこういった風習、気質にculture shockを受け、腹を立てるばかりだった私も、
case by caseではあるが、最近は笑えるし、感心してしまう時すらある。
平たく言えば、慣れてしまったのだろう。
日本に帰国した際のcounter culture shockが今から少し心配でもある…。
先日帰国した先輩隊員が日本到着後に警察官から職務質問を受けたという話を聞いた。
あまりの人の多さに驚いてしまい、挙動不審に陥ってしまったらしい。
自身では帰国後のウラシマタロウ的感覚を楽しみにしてはいるものの、
例えば、えなり君が「長髪+無精ひげ」にイメチェンしてしまっていたような場合にも、挙動不審に陥らないよう心の準備が必要であると感じている。


「家に着くまでが遠足」と言うが、我々にとって学校兼家庭である更生院に無事到着したところで、遠足は終了。
残念ながら、「鹿肉」は入っていなかったが、「いつもどおりのゲゼリ」は四時間を歩いた後の空腹を満たすには十分で、
森から持ち帰った野イチゴはデザートとしてperfectだった。


明日boysと絵日記を書いて、同僚のところへ持って行こうと思う。

drip

2009-08-29 | In Othaya
時に、皆さんは「国勢調査」について興味があるだろうか?
「国の勢力を調べる調査」というのがこの調査の名前の所以らしい。
日本では「大規模調査」なるものが10年ごとに行われ、その中間地点である5年目に「簡易調査」なるものが行われる。
調査対象は全数調査となるため、日本(竹島ならびに北方領土を除く)に居住する者すべて(外国人やホームレス、皇族も含まれる)が申告の義務を負う。 
調査を拒否した場合は、懲役、罰金、過料が科される。
厳格かつ壮大な国を挙げた一大行事であり、その時期になると大々的に宣伝をしていたことを憶えている。


さて、上手い具合に首都での所用のfixに成功した私は、一週間程、首都Nairobiに滞在してきた。
長い間、ネット回線に不具合のあったOthayaで過ごしている間に日本では、
甲子園での熱戦に幕が下り、
新型fluが猛威を振るい、
のりピーがマンモスやばいことになっており、
世界陸上でのクドい程のニックネームの連呼が陸連からの要請を受けて自粛され、
衆議院が解散され、政権交代が真しやかに囁かれ始めている。
ということをNairobiの俊敏なネット回線を通じて知った。

私はと言えば、
某会幹事として次回総会の段取り、
JICAへの中間報告、
日本へ帰国されるお世話になった兄貴とも言うべき職員の送別会、
Ochiengのguardianとの面会、
kenya隊員による進学支援機構発足のための諸準備、
Ethiopiaからの同期隊員接待?
穴なく所用をfixしただけに忙しい毎日ではあったが、有意義な一週間だったと思う。
そして特筆すべきは24th/Monから始まった「census」。
そのkenyaらしさ、また十年に一度の実施という「そうそう立ち会える行事ではない」その実施時期にkenyaに居合わせるという幸運にも恵まれ貴重な体験をさせてもらった。


外食を済ませ帰りのタクシーに乗り込むと、一度聞いたら忘れられない独特な声色と口調が車内ラジオから聞こえてくる。
彼が意図的にそういった声色や口調を発しているのかはわかりかねるが、
特徴というよりは個性とも言うべき彼の話しぶりは、彼が一国の大統領として君臨するに重要な要素であったのかもしれない、
などとヘッドライトが照らし出す未舗装の道路を眺めながら、大統領のannouncementに耳を傾けた。
如何にして国家が発展していくべきか、そんなことが延々と述べられてはいるが、いかんせん途中から聞いているのでその主旨がわからない。

「これ大統領だよね?」
とdriverに尋ねると、

「明日は休日になるよ。Censusだってさ。」
とdriver。

日本に例えると、麻生総理が
「明日から国勢調査を実施します。したがって明日は休みにします。」
って発表していることになる。
私の記憶が確かな限り、ここ数日間、kenyanとの会話の中で「census」についてが話題にのぼったことはない。
明日からのcensus実施が初耳なのは私だけでなく、ほとんどのkenyanが同様なはずだ。
おいおい、そんな急で大丈夫か?
しかしながら、私の心配とは裏腹にdriverの様子を見る限り、どうやらkenya国民は大丈夫らしい。

明日はEthiopiaから同期隊員がkenya入りすることになっており、Nairobi観光の予定。
休日となると少なからずそのルートに影響がでることは必至で、若干の不安が過ぎる。
が、心配したところでどうにかなるわけでもなく、いつも通り夜は更け、空が白み始めると6:00amにはEthiopiaから親友がやってきた。

日本を出国してからご無沙汰している親友の彼は、
当然のように少し痩せ、
また多くの隊員がそうのように、感情を表現するに相応しい日本語への変換にしばらく梃子摺っていた。(彼は気付いていないだろうが)
彼の意向を聞き、大体の観光ルートを決めると、この日のために先日より洗濯を済ましておいた「おのぼりさん的一張羅」を取りこみに干し場へ向かう。
地方で暮らす私にとっても首都Nairobiは特別な場所で、さすがに更生院のグランド同様にジャージと言うわけにはいかない。
上ロビした際にはheavy rotationをかけている日本から持参したお気に入りのシャツが乾いていることを願う。

干し場ではJosephが朝からシーツやらバスタオルやらを手際良く干している。
Josephとは話好きでとっても気さくなドミトリーの管理人である。

「おはよう、Joseph。」
「おはよう。マコト。」
「Josephのおかげで今回のNairobi滞在も快適だよ。いつもありがと。」
賃金契約が前提にあるにしても、彼の仕事ぶりはperfectで、私の周りには稀なtypeのkenyanとも言える彼を私は大好きだ。
「マコト一人でもそう感じてくれてるんなら本望さ。」
こんな返事をサラッと返す彼はとてもsmartであり、その笑顔はとてもconsidrateに感じる。


「マコト、今日はcensusだってことを知ってるかい?今日の18時から22時までは原則外出禁止だよ。duka(お店)もhotelini(レストラン)も18時にはみんな閉まるよ。
今晩のtownは人っ子一人居なくなって危険だから早く帰宅しないといけないよ。きっとマコトたちも調査の対象になるからドミトリーに戻ってなくてはならないはずだ。」

「マジで?」
Nice!Joseph!
危うくお腹を空かせて路頭に迷うところだった。
今晩はEthiopiaからの同期隊員のwelcome partyを先日から探りを入れておいた店で盛大に行うつもりにしており、そこで夜を明かすつもりにしていたのだ。

「君のkenya訪問は、国賓扱いと認定されたようだ。」
と、そんな冗談を酒の肴に、結局はドミトリーでTilapia(白身魚)鍋を囲んだ。
肝心のEthiopiaからの客人は旅の疲れが祟ったか、発熱してしまい当初予定していた「漢呑み」の実施は自粛せざるを得なかったが、
彼がお土産として持参してくれたEthiopia coffeeにはほっぺたが落ちた。
彼曰く、Ethiopiaでは町のどんなに小さな店にもエスプレッソマシーンがあり、ほとんど「はずれ」無く美味しいコーヒーが廉価で飲めるそうだ。
ご存知のように、kenyaは茶葉同様にコーヒー豆も栽培が盛んで、私の暮らすOthayaでは畑の5割強がそのどちらかの栽培をしていると言っても過言ではない。
茶葉はchaiとして生活に定着しており、Othayaであればカップ一杯5ksh(約7円)でどこでも美味しいchaiが飲める。
しかしながらコーヒーはと言うと、Ethiopiaのように美味しいコーヒーが生活に定着しているとは言い難く、
価格はchaiの10倍、そしてserveされるのは白湯とインスタント粉末の入った缶という有様で、kenyaに来てからというもの、知らず知らずのうちにコーヒーは飲物から除外していた。


「僕はこれだけで満足だ。タバコとコーヒー。おしゃべり。君と僕と5$。」
そんなセリフを学生時代に観た映画で聞いた時から、
気の利いたジョークと500円玉を常にポケットに入れ、
ブラックコーヒーとマルボロをこよなく愛し、
女性を敬ってきた。
…はずだった。

kenyaでの生活に流され、忘れかけていた、その昔、私が心に刻んだはずの「いい男像」を、彼のお土産のEthiopia coffeeが鮮明に呼び覚ました。


今まで何をしていたんだ俺は。
コーヒーを飲もう。
インスタントじゃダメだ。
Dripだ。
やはり本物は本物を愛すべきだ。
タバコはマルボロじゃなくて良いのか?
5$じゃなくて5kshで良いのか?
そういった挙げ足を取るようなような質問は無視することにして、とにかくNairobiに居るうちに気が付いて良かった。
今なら、首都Nairobiでならコーヒー豆が手に入る。


コーヒー豆を買っただけで「男っぷり」が上がった錯覚に陥りながら、一週間ぶりに気分上々にOthayaに帰省した。
驚くことに、首都Nairobiはcensusのため休日となっていたのに、我が任地Othayaは平日。
「そうなの?」
と、みんなが口を揃えることにはもっと驚いた。
良く考えてみれば、Nairobiでのあの晩は誰一人調査に来た様子がなかった。
kenya、大丈夫か?


豆は買ったが、コーヒーメーカーも無ければ、あのフィルター紙も無い。
が、心配なかれ。
私にはペットボトルがある。




「タバコとコーヒー。おしゃべり。君と僕と5ksh。」
僕はこれだけで満足だ。

WILL

2009-08-10 | In Othaya
恥ずかしながら、先日、久しぶりに体調を崩した。
そして久々に体調を崩した私はちょっと寝込んだ。
先日の「choo choo train」で掻いた汗の始末が悪かっただろうか?(※ 汽車ポッポ 参照)
空想と言えど、やはり冬山はナメてはいけない。
ありがたいことに2日間で熱も下がり、関節痛等の諸症状も消えた。
久々の日光に若干の眩暈を感じたものの、部屋の外の空気は新鮮に感じられ、
砂埃舞い上がる空気を目一杯吸い込んだら、案の定、むせた。
ドンマイ。

解熱に反比例するかのように、食欲の座標は右肩上がり。
人間の摂理で食べれば当然、催す。
ほぼ完全復活に等しいconditionではあるものの、「排出」機構のみ未だ完全復調には至っていない。
特に「排ガス」時は、はっきり言って「一か八か」、「半か丁か」、の大博打を打つ必要がある。
打つ前から負けを想定した博打など、博打とは言わないのかもしれないが、
私はこの一世一代の大博打に負けた場合を想定して、半径20m以内にトイレ(草むら可。但し、hgt 50cm or above)の無い危険地帯への進軍の際は、
「スーパーサブ」をポケットに待機させている。

「薬飲めよ!」
そんな皆さんからのご提案は尤もで、当然私も伝家の宝刀「ラッパのマーク」と「ご当地most recommended」は既に試みた。
しかしながら、それらは私の排出機構に巣食う悪玉にとっては、まるで子供騙しのcandy程度なのだろう。軽く嘲笑われてしまっている。
Nairobiであれば「紙オムツ」も手に入るのだが、supply and demandの法則にもれるのだろう、ここOthayaでは手に入らない。
「紙オムツ」代替案として、近所のkioskで売られている女性用ナプキンの購入も考えたが、
「軍選抜試験合格」、「逃亡犯捕獲」(※recruitment 背中 参照)等のちょっとしたincidentのおかげで近隣住民から厚い信頼を寄せていただいている私は、
その購入が原因で、私の「異常な性癖」とも題された良からぬ噂が一人歩きした場合、
英語、スワヒリ語であればともかく、Othayaの部族語であるキクユ語しか話さないkioskに屯するsenior ladiesを相手に雪冤するだけの自信がない。
ほぼ毎日、煙草を求め近所のkioskには出向くわけだが、それを横目で眺める程度が精一杯で
「おばちゃん、それちょうだい。」
の一言が出ない小心者の私である。


舞台がグランドに移るPE時がもっとも危険な時間帯で、
普段は広大な敷地面積が自慢である我が更生院グランドも、最近は恨めしいばかり。
悪玉にゲリラ戦術に出られたら、Othaya record保持者の私(※ recruitment 参照) の全速力をもっても、shelterとも言えるbushまではおそらくもたない…。
「スーパーサブ」の本来の役目はピンチを救う、状況の好転を企図するものであるわけだが、
私のポケットにて待機している「スーパーサブ」はそれらの目的を担うだけのcapacityは無く、
しいて言うなら勝敗のついてしまった試合を穏便に消化するための「替え」でしかない。
また、私のパンツ全てには日本の友人から頂いた「氏名入りの衣類縫い付け用お守り」が縫い付けられており、
神様の面前での粗相など絶対にあってはならないわけで、
苦悩の末の解決策として、ここ数日はゲリラ戦に備え、bushまでダッシュ3秒という、広大なグランドの端っこでPEをさせてもらっている。
ドンマイ。


皆さんは「flying toilet」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
いかにもドラえもんのポケットから出てきそうな名前で、便利そうだ。
少々、値が張りそうだが、現在の私ならば、ローンを組んでもいい。「スーパーサブ」を持参する毎日とは一日も早く別れを告げたい…。
しかしながら残念なことに、この「flying toilet」とはそういった便利な道具の類ではない。
Kenyaの、特にslumでのトイレ事情を表した言葉であり、
排泄物の入ったビニール袋が飛び交う(住居外へ投げ捨てられる)という状態を表す言葉なのだ。
ここkenyaでは、トイレが居室と同じ屋根の下にある家屋は一般家庭には少ない。
もちろん下水道の整備もなされていない場合が大半で、トイレは汲み取り式というか、実際には汲み取らず、
地下10m程まで掘られた穴が一杯になったら、また違う穴を掘るという、
こういったトイレを「何式」と言うのかわかりかねるが、それだ。
この「穴」が、もとい、「トイレ」が住居の近くにあるに越したことはないのだが、あまりに近くては臭う。
従って、用を足す際には一度、家から出て、「離れ」とも言うべき場所にあるトイレまで赴く必要がある。
不便さだけなら、何も排泄物が飛び交うような事態にまでは陥らないのだろうが、
その他にも排泄物を飛び交わせるだけのfactorが存在する。

治安である。
離れであるそこは犯罪を実行するに売ってつけの密室であり、
またトイレでは誰しも悲しいまでに無防備に為らざるを得ない。
そこを狙った強盗、レイプ等の犯罪が後を絶たない。
共同トイレが近所に数軒しかないslumでは日常茶飯事でもあり、
トイレで9歳の女の子がレイプされ、妊娠してしまったと言う話を聞いた時には、
「ああ、神様。」
と、嘆くことしかできなかった。
彼女は10歳で母親になる。
まだ自分のことさえも間々ならない年齢であろう彼女が、
またslumで生活をせざるを得ない家庭環境にある彼女が、もしくは彼女の家庭が、これから生まれてくる赤子を育てて行けるだけの十分な生活力を持っているとは考えにくい。
レイプに及んだ鬼畜がHIV+の可能性だってある。
彼女への感染の可能性はおろか、生まれてくる子への母子感染の可能性だって否定できない。
神の存在を疑ってしまうような境遇にも関わらず、「神の意志に反する」との宗教上の理由で、このようなケースにおける中絶にも否定的であるようだ。
仮に中絶する意志があったとしても、医者に行くだけのお金があるだろうか?
おそらく無い。
(誤解を招くような発言だったかもしれないが、私は平素から中絶に肯定的な立場にいるわけではない。)

Slumでは衣類ハンガー(針金製)を胎内に自ら挿入し、そこを傷つけることで中絶を試みるという方法が現実に存在する。
生まれたばかりの赤子が、ビニール袋に入れて捨てられ、それに野犬が群れを為して貪っているという光景だって珍しくない。


「神様、彼女の出産があなたの御意思ですか?」



Kenyaでの生活で実感していることに、
「世界のeconomic hierarchyの底辺に位置する開発途上国は、上位の国々の経済影響がdirectlyに治安に反映される。」
ということがある。
1barrel当たりの石油の価格の上下で、彼女のような被害者がまた増える。


Surchargeが上がってしまい、楽しみにしていた海外旅行では思わぬ出費がかさむ。
恋人とのドライブは近場に変更、もしくは食事のランクを下げる必要が出てくる。
3000円あれば帰れるはずなのに、所持金ギリギリまで飲んで乗ったタクシーのメーターの上がりがやけに早い。
なんかポテチが少ない気がする。
新卒、中途に関わらず、いつだって「氷河期」な気がしてならない。
物価は上昇しているのに給料は据え置き、もしくは削減傾向。

全く以って不快だ。


全世界が連結している今日のglobalな経済システムにおいては、
今、例に挙げたように石油価格の上昇だけ見ても、それぞれの国で様々な影響が見られ、一国のみならず、全体においてvariousな不都合というか、不快感を催す。
その不快感の大小、不都合の逼迫具合の強弱をdevelopedだからどうとか、developingだからどうとか、そこにfocusしたいのではなくて、
例えば、石油価格の上昇がみられた際に、皆さんが催す不快感に、彼女のような、彼女がお腹に宿した赤子のような人間が増えてしまう可能性がある
ということもaddしてもらえたなら、少し違った「広義な世界平和」への解決策が見出せるのではないかと思っている。




尾篭な話が大半を占め、また最後はなんとも押し付けがましい物言いとなってしまい、
今更ながら、皆さんが気分を害していないことを願うばかりです。
さらに恐縮ですが、有り体に申し上げますと、お腹が猛烈に痛く、そろそろ限界のようです。
言いっぱではございますが、トイレに行かせてください。
今夜は最後の切り札である「虫下し」を飲んで寝ようと思います。
それでは今回はこの辺で。
おやすみなさい。


a plug

2009-08-06 | In Othaya
あなたの目の前に川が流れています。
その深さはどれくらいありますか?



1:足首まで 2:膝まで 3:腰まで 4:肩まで










これはあなたの情熱度を示すそうです。
「1:足首まで」のあなたは、あまり情熱のない人。
「2:膝まで」 のあなたは、あるにはあるけど、常に理性が先に立つ人。
「3:腰まで」 のあなたは、何にでも精力的で、最もバランスの良い人。
「4:肩まで」 のあなたは、情熱過多、暴走注意!な人。



「頭まですっぽり」と言う回答が真っ先に浮かんだ私…。
超ウザい。出来れば無人島で生活しててほしい。
そんな感じだろうか…。
ドンマイ。


若干、押し売り。
相当、叩き売り。
返品不可。
開封後はお早めに。
熱い、ウザイ、面倒くさい。
そんな 「情熱」 あります。
ご用命はO.R.S.まで。



汽車ポッポ

2009-07-31 | In Othaya
良い時代に生まれたものだ。
そう感じることがkenyaで生活するようになってからは多い。
電化製品と呼ばれる品が皆無に等しい私の生活では、日本から持参したPC一台のおかげで
どれほどkenyaでの生活に潤いが齎されているかは計り知れない。
PCに詰めてきた音楽データもその一つで、日本にある私のCD rackを丸ごと持って来たに等しい。
私はほとんど邦楽を聴かない。
正確に言えば、聴かなかった。
しかしながら、現在、邦楽がとても聴きたい。
自覚は全く以って無いのだが、nostalgiaにやられているのだろうか?
年末の歌合戦を真剣に見たことはなかったが、今の私にしたら三夜連続くらいでやってほしい。


「音質≦音量」派の私は、PCからのチョロチョロ出力では到底満足できず、イヤホンでの直聴きが多い。
日本を出てきてから全くと言っていいほど更新されていない音楽データに新鮮さを求めるため、最近はshuffle modeで聴く。
音楽データがどのくらいあるのか数えたともないが、shuffleにでもしないとこの先何年も再生されずにいるような曲達が居ることも事実で、そんな曲が廻り始めた時は思わず歓声を上げてしまう。
そして全力で歌い、夜の冷え込みに冷え切った身体を温め、メロディーに乗せてストレスを吐き出し、明日への活力を蓄える。

「マコは歌が上手いのね。」

とご近所さんから幾度と無く褒められ有頂天だった私だが、
あれはもしかしたら、とても気を遣っていただいた苦情だったのかもしれない、と「たった今」気付いた私。
幼い頃、父親が入浴中に近所迷惑も憚らず大声で歌うことが恥ずかしくて仕方なかったはずなのに。
ちなみに、ご近所さんはその父親の歌声を毎晩暴走族が走り回っていると勘違いしていたくらいだ。
血は争えないらしい。
ドンマイ。


あの晩もとても寒い夜だった。
雪国生まれのくせに寒いのは苦手で、雪質を上げてくれるゲレンデでの寒さは大歓迎ではあるが、
それ以外での寒い思いはゴメンしたい我儘な私であるから、その晩はフリース、ダウンジャケット、ニット帽というフル装備。
愛用のゴーグルとグラブがあれば、それも装着したいところだが、
生憎、kenyaでのスキーは想定しておらず、それらは日本に置いてきた。
そんな寒さに加え、久々の厚着も手伝ってか、私はスキーのwithdrawal symptomsを発症してしまった。

あぁ、視界を奪う程に舞い上がるパウダーが恋しい。
あぁ、膝を砕くほどのコブを攻めたい。
あぁ、リフトに揺られながら一服したい。
あぁ、頂上で冷やしておいたビールに酔いたい。

私の思考は崩壊寸前。
そしてそのタイミングを見計らったかのようにshuffle modeからは、「choo choo TRAIN」。
ゲレンデ定番曲が廻り始めたところで私の正常回路は、敢え無く完全崩壊。


そりゃもう「独り」EXILEでしたけど、グルングルンやりましたよ。
ゴーグルの代わりにサングラスを掛けたら、あるはずもないコブが見えてきちゃって、
ニット帽に覆われたはずの耳には「キュッキュッ」と雪の鳴る音まで聞こえてきちゃって、
もう完全にゲレンデへtripした私は、上村愛子ばりの「コークスクリュー」を決めましたよ。
座りなれた部屋の椅子も、良く見たらなんだか「一人乗りリフト」みたいな気がしてきて、休憩がてらにそこで一服つけましたよ。

もう「choo choo TRAIN」最高ッス。
明日も頑張れそうッス。



日本は今年、冷夏らしい。
今冬は雪の多い冬となるのだろうか。
地球温暖化が進んだら、「スキー」という言うスポーツも昔話になってしまうのだろうか。

地球温暖化には断固反対である。



日本晴れ

2009-07-27 | In Othaya
「光陰矢の如し」のごとく、七月が終わろうとしている。
八月がすぐそこまで来ている今日、私の周囲は少しソワソワし始めてきている。
来る八月の第2週にはkenya全国が終業式を迎え、約1ヶ月間のterm休みに入る。
Kenyaではboarding schoolが日本に比べ一般的で、結構な割合の子どもがboardingにて就学しており、
term休みともなると民族大移動とは些か大げさだが、かなりの数の学生・児童がそれぞれの実家に向け帰省する。
普段はsenior citizen がinitiativeをとるothayaもterm休みの間はteensで溢れかえる。
余談だが、この時期の首都Nairobiは閑散とするらしい。
さらに余談だが、この時期になると私は自身の姿を鏡で見る回数が増える。
Othayaで生活するようになり一年が経過してはいるが、外国人である私はまだteensの間では興味の対象であり、この時期だけは芸能人並に握手を求められる。
「キャーキャー」言われながら女子に囲まれるのはやはり悪い気はしない。
独特の体臭を放ち始めた男子に「押忍!押忍!」言われながら囲まれるのも、それはそれで悪い気はしない。
であるからして、普段は鼻毛の一本や二本など気にならなくなって久しい私ではあるが、
さすがにこのterm休み期間中だけは、鼻毛が出ていては曲がり形にも日本代表としての面目が立たないわけで、多少なりとも色気付いてしまうのである。
このようにtownへ繰り出す際は、自身は日本代表のつもりで、侍の末裔として、それに恥じぬよう鏡で鼻毛のチェック、ズボンのチャックの指差し確認を怠らない私ではあるが、
teensからは十中八九、

「china!!」

と声をかけられる…。
私が中国の方と間違われるのは別にいい、自身でも欧米人よりも東洋人顔であることは百も承知しているし、私もkenyaとugandaの人々の区別はおそらくつかない。
しかしながら、彼らが発する「china」には、中国の人々を蔑むようなニュアンスを含ませたうえで私を馬鹿にしていると感じられる時があり、それにはどうも気分を害す。
先term休みにも、上記したような「china!」に加え、
おそらく、覚えたてだったのだろう、使ってみたくて仕方なかったのだろう、
私に向けてピンと一本伸びた中指。
国によっては殺されかねない行為だ。
相手が私で良かったのかもしれない。
と言うと言い訳がましいだろうか、そういった悪質?な「からかい」にキレてしまった私は、teens相手にお灸を据えた。
どんなに「キレいごと」を言っても、結局は私が馬鹿にされたことに「キレた」ことが、一番の要因になるのだろうが、なんだろう、上手く言えないが、ああいうのはとても気分が悪い。
そしてそれ以来、私はothayaのteensから「ジェット・リー (アクション俳優)」と呼ばれているらしい…。
「日本人」であることを理解してもらうまでの道のりを険しくしてしまったのは紛れもなく私であり、
それについては自業自得以外の何物でもなく、また日本人としての品格を貶めた自身の行為には深く反省している。
今term休み中に万が一にも再度キレるようなsituationがあった場合には鉄拳ではなく、侍らしく竹刀か何かを使用しようと思う。
ではなくて、
「拙者、日本からの使いの者でござる。」
と「正しい侍」の姿の伝播に努めたいと思う。
もちろん笑顔で。

と、そんな昨今であるから、お子さんの帰省を楽しみにしている同僚、term休み中に旅行を計画している同僚たちの楽しそうな話のおかげで、
最近のchai time(お茶の時間)はネタには困らない。
更生院は基本的にgeneral schoolに準じた学期編成であり、O.R.S.も例外なく八月五日からterm休みに入る予定ではある。
が、更生院という特殊な性格を持つ施設のため、term休み中は授業の実施こそないものの、更生院自体がcloseされることはなく、
PEが実施されない以外に私の日常には特段変化は見られない。
むしろ、上記したような同僚たちの業務helpに入ることが多く、
また、授業もなく退屈した彼らが思いつくことと言えば、大抵「ロクこと」でないため、彼らを退屈させないためにも私は結構忙しい。
プロレスのタイトルマッチは連日のように開催されるし(※champion参照)、
朝から晩までサッカーなんて日も珍しくない。
彼らの無尽蔵とも言える体力には感心するばかりで、私もこの時期ばかりは自身の「体力強化合宿」のつもりで臨む。
彼らと過ごす時間が必然的に増えるterm休みを私は同僚たちとはまた違った意味で楽しみにしている。


私と同様、Boysもまたこのterm休みを楽しみにしているようだ。
毎日大好きなサッカーを存分に楽しむことができるし、何と言っても授業が無い。
家族(親戚、保護者含)が更生院へ面会に訪れてくる可能性もある。
そして何より、term休みはreleaseの時期にあたり、毎度数名のboysはこの更生院での生活を終え、家庭(親戚や保護者含)へ帰る時期にあたるのだ。



「マコ!マコ!マコ!」

と、releaseの決まったboysは満面の笑顔で私のところへ報告に来てくれる。
更生院で暮らす彼らにとってはこれ以上ないhappyな出来事であり、
彼らにとってhappyな出来事は私にとってもhappyであるはずなのに、

「そっか、良かったなぁ。」
と、ぎこちないほどの明るい声と、精一杯努力して作った「作り笑顔」しか出てこない。
そしてそれを隠すように、慌てて煙草に火をつける私。



「いつでも戻って来いよ。」
って言いたいのは山々だが、ここは更生院であり、彼らは二度とここに戻ってきてはならない。

「絶対ここには戻ってくんなよ。」
そう告げる頃には、もう「作り笑顔」すら無理な状態。
そしてまたそれを隠すように機関車のごとく煙を吐く私。

「いつでも戻って来いよ。」
と言ってやれない代わりに、私はreleaseされていくboysに20ksh玉を一枚、電話代として渡している。

「なんかあったらいつでも電話してこいよ。」
「うん。」




releaseが決まった彼は、更生院で大切に育てた鶏を売り、そのお金でサッカーボールを買って家に帰るそうだ。
そして町内でサッカーチームを作り、そこで選手兼監督をするのだという。

「サッカーで大切なものはなんだ?」
「UPとDOWN、グランド整備と道具の手入れ、一番はteammate。」

合格だ。
立派な選手兼監督になるだろうし、
今日の彼の立ち振る舞いから見ても、もうここに戻って来るようなこともないだろう。



「good-bye!」
「グッド バァァイ」と言う変な発音に救われ、ようやく自然に笑えた私の元をスキップで去る彼の後姿がとても輝かしく見える。


たまには俺のことも思い出してくれよ。
そんな少々押し付けがましい思いを煙と一緒に空へ吐き出す。
明日も晴れそうだ。
門出にはやはり日本晴れが相応しい。

射程距離

2009-07-20 | In Othaya
まるで合成写真のように近代建築と原始建築がアンバランスなまでに軒を並べ、
祖父母の時代に生産されたような車種から、先進国でも新車として発売されたばかりの車種が入り混じりながら完全舗装とは言い難い道路は慢性的な渋滞を病む。
毎日のように洗車された車で通勤をする人々がいる一方で、生活用水を求め毎日4時間以上かけて徒歩で川まで往復する人々がいる。
貴金属や香水で着飾った人々が買い物袋で一杯のカートを押して出てくるスーパーマーケットの隣では、
もう落とせないであろうほどに垢の染み込んだTシャツに裸足の人々が露天で商いを行う。
腰に巻かれたHolsterに収まる三台の最新型携帯電話が着信するたびに薄給を嘆く男性の座るベンチの脇では、
通行人からの小銭が入ったカップを握り締めた男性が遠くに視線を据えたまま動かない。
飴玉とアイスクリームを両手に駄々をこねる子どもの傍らでは、ストリートチルドレンがシンナーを片手に歪んだ笑顔を浮かべる。
娘の英語の上達を危惧する教員が教鞭を執る学校の子どもたちは自分の名前すらスワヒリ語で書くことが出来ない。
参列者達が家族の幸せを祈る週末のmassに参列する家族の顔すら知らない更生院の子どもたち。

東アフリカNO.1と言われるkenyaの首都Nairobi、そして私が暮らす片田舎Othayaで見られる人々の対照的な生活の営み。
水道から当たり前のように湧き出る水をdirectlyに飲める国で育ち、
中学生時点で月々のお小遣いを3000≒$30をもらい、
現在に至るまで約20カ国を訪れ、世界情勢には決して疎くないと自負してきた。
自分の置かれた生活環境は恵まれたものだと意識しながらも、
自身がこれまで訪れた国々やmediaから発せられる開発途上国の惨状は、ごく一部の限られた国々の特別な事だと思っていた節はある。
その特別な国々を援助するヒーローにでもなったかの如く私はkenyaに来たつもりだったのかもしれない。

世界には現在、約200の国があるとされ、そのうち開発途上国は約150カ国あり、世界の国々の8割を占める。
世界の人口は約65億人とされ、そのうち開発途上国の人口は約48億人おり、世界人口の7割を占める。
1日/1ドル≒100円未満の生活を強いられている人口は約11億人、
栄養が足りないとされる人口は約8億人、
安全な水を飲めない人口は約10億人、
学校に行けない子供たちの数は1億1500万人、
読み書きができない人々は8億7600万人、
そして、日本国の人口は1億2700万人。
特別な事だと思っていた開発途上国の現状は決して特別な事ではなく、むしろmajorityであり、minorityだったのはヒーロー気取りの誰かさんだった。

様々な社会的格差を生み出し、時に尊い命を奪う起因と為り得る「貧困」は、紛れも無くその国の、そこで生きる人々を「幸福」から遠ざける。
「潤沢たる経済」が必ずしも「貧困」の免罪符になるとは思ってはいない。
「魚を与えるのではなく、釣り方を教える」など、それを獲得するまでの支援過程についても重要視すべきと感じている。
しかしながら、それでもやはり「貧困」の解決を優先することが、大多数の人々の幸福を保証し得るものだという自らの思想は否定できない。

先般、「GNH」という独自概念に沿って走る「Bhutan」という開発途上国での国勢調査で、
「あなたは現在幸せですか?」という問いに、国民の九割が「幸せだ」と回答したそうだ。
同じ問いにGDP世界2位である日本の国民の九割は「幸せ」と回答するだろうか。
「GNP」や「GNI」、「GDP」の値では、一概にその国の「幸福度」を測ることはできない、という自身の思想に突きつけられた皮肉なまでのParadox。
どちらが「developed 」とclassifyされるべき国で、どちらが「developing」とされるべき国なのだろうか。


sterotypedしてしまった自己概念というフィルターを通し物事を見定め、
「developed 」と言われる国で育った自らの「幸福」のdefinitionがまるで万物万能な物かのように、自身の「基準」を基準とした尺度で他人の「幸福」についてを量る。
感傷的になることで、傍観を否定し、偽善を葬り、そしてヒーローを気取ってきた。


他人の幸福についてを理解できない。
これもまた人を不幸にしているのかもしれない。




今、彼のその視線の先にあるもの、
私より遥かに長い射程で見据える彼の視線の先にあるものが、
私には本当に見えているのだろうか?
彼が方位を失った時、私の指差す方向と彼のcompassが指す方向は一致するのだろうか?
最悪、それが見えず、方向が一致しなかった場合、その時私は自身の双眼鏡とcompassを疑うことができるだろうか?



「万能足りて一心足らず」そんなヒーローより、
泥臭くていいから「一心足りて万能足らず」そんな真摯たる男でありたいと思う。

MY BLESSING 2 U

2009-07-13 | In Othaya
いきなりのlove affairで恐縮だが、
現在、私は2名の女性からaggressiveなまでに交際を迫られている。 

yellow:「早くこっちに来て、私の作ったご飯食べてよ!今日はあなたの好きなゲゼリ(代表的ケニア料理)を沢山つくったんだから。」

beige:「マコはムキモ(代表的ケニア料理)が好きだったわよね。はい、ムキモ!沢山食べてね!」

yellow+beige:「もー、タバコなんて吸ってないで、どっちなのよ、はっきりしてちょうだいよ。」

そんな私を巡って声を荒げる彼女らを遠巻きに眺めながら、私は紫煙を燻らす。
煙草を揉み消した私は、重い腰を上げ、彼女らが私のために作ってくれた「ゲゼリ」と「ムキモ」を食べる。
食べると言うか、食べるふりをする。
そして食べ終えると、実際には一口も口にはしていないのだが、
「旨かったよ。」
とそれぞれに告げ、食卓から腰を上げると彼女らの口論から避難するようにまた煙草に火をつける。
彼女らと会うようになってからというもの煙草の本数が増えた。
今の私にとって煙草は都合の良い逃げ口上となっている。

私と彼女たちが知り合うまでは、
こんな風に一緒に食卓を囲むような関係になる前までは、
彼女たちは唯一無二の親友だった。
しかしながら、男女3人によって形成されたtriangleがequilateral triangleとしての体系をいつまでも維持していられるわけも無く、
いつしかそれは歪なまでに姿形を変え、友情が憎しみに取って代わり、平穏だった日々もやがて地獄絵図へと変容してしまった。
「私」と言う存在が彼女たちの友情にお互いが憎悪を抱くほどのcrackを入れてしまったという事実に自責の念を抱き、
また、彼女らに未だに真実を告げていないという良心の呵責に苛まされる私は、

「早い段階で真実の告白をしなければならない。」
と自悟してはいるものの、彼女らの屈託の無い笑顔を前にすると、
残酷なまでの真実の告白は到底出来る事ではなく、今まで先延ばしにしてきてしまっていた。
そしてついに、私が最も危惧していたその言葉を彼女たちの口から聞かされることになる。

yellow:「マコは私と結婚するのよね?」
beige:「私よね!?」

彼女たちが私に寄せてくれている好意は大変有り難いものであり、
二名の女性からの同時求婚とは、「ドン・ファン」というペンネームを持つ私としては栄誉の証でもある。
しかしながら、残念なことに私は既婚者であり、たとえそれが来世での話であったとしても、
来世においても私は現在の妻と結ばれることに決めており、残念ながら彼女らの申し入れを受けるだけのtolerant capacitiは見当たらない。

「は?ノロけ?キモイんですけど。」
という類の賛辞の声が聞こえたような気がするが、気のせいだろう。

傲慢な言い方になるが、万が一にも彼女たちにチャンスがあるとすれば、来々世になるのだろうか。
しかしながら、来々世は来々世で「滝川クリステル」を狙っている私。



yellow:「ご飯ができたわよ。今日はスクマ(代表的ケニア料理)よ。」
beige:「うちが先よ!マコ、今日はマハラグェ(代表的ケニア料理)よ!」

先ほど食べ終えたばかりなのに、もう食事の時間らしい。
煙草を揉み消し、食卓に向かう。
今度こそ真実を告げよう。
今日を以ってこの関係は終わりにしよう。
正直、もう疲れ果ててしまった。
意を決し、カラカラに乾いてしまった喉から絞るように、言葉を吐き出す。



「実は俺、結婚してんだ。」




yellow:「じゃぁ、私 karanjaと結婚しよー!」
beige:「じゃぁ 私はmwangiと結婚しよー!」

私:「じゃ、明日からしばらくお休みしてもいいかな?」

Africa特有の赤土で作られた「スクマ」と「マアラグェ」を前に、この関係に終止符を打ちにかかる私。


yellow+beige:「いーよー!」




彼女らのあの弾けんばかりの笑顔に後ろ髪を引かれる思いは否めないが、それでもやはり私には、「お飯事」よりも「サッカー」の方が性に合う。

「行ってらっしゃーい。」
の声に、

「行ってきまーす。」
と思わず答えてしまった私は、今更ながらに沸いてきた嫉妬心に、今日のサッカーでは「karanja」と「mwangi」を徹底的にケズる決意を決めた。
大人気無いと言うか、潔くない…。


出会いは偶然、別れは必然とも言う。
来々世での滝川クリステルとの「偶然の出会い」に期待することにしよう。

endeavor

2009-07-08 | In Othaya
言わずもがな、global wormingは深刻化の一途を辿っており、それが及ぼす気候変動は時に信じられないような現象まで起こしている。
まずありえないとは思うが、例えば、その気候変動により空から「cinnamon」が降ってきたら、
私はきっと意識を失い、息を吹き返す自信が無い。
私はそのくらい「cinnamon」が苦手であり、その他の好き嫌いはない。
猿の頭も美味しくいただくことができたし、芋虫も平気だった。
が、Apple Pie(with cinnamon) だけはどうしても食べれない。
おかげ様でkenyaではApple Pieを食す機会には恵まれず、本当にホッとしている。

kenyaでの食事については着任前の想像と、着任後の実際とはかなりの開きがある。
結論から言ってしまえば、私の任地othayaでは「肉」を食べる機会がほとんど無く、魚介類については皆無だ。
先日、回転寿司のレーンの皿に乗って、大好きなお寿司さん達に囲まれながら延々と廻り続ける夢をみた私の精神は既に臨界点に達してしまっているのだろうか…。
「cinnamon」は勘弁いただきたいが、もし「鰤」が空から降ってきたら…。
ピッチピチの鰤が空から降ってきて、今日も明日も明後日も鰤を食し、そして…。
これ以上は考えない方が良い。
そんなことは有り得ないのだ。
そう、有り得ない…。
しかしながら、「最後まで希望をすてちゃいかん。あきらめたらそこで試合終了だよ。」
と、安西先生も言っていたように、あきらめなければ、最後まで希望を捨てない限り…。


話題を変えよう。


私の任地であるothayaはケニアでも有数の農産地域であり、茶葉、コーヒー豆の他に色とりどりの野菜や果物がその旬ごとに市場に並ぶ。
日本でもおなじみの野菜、果物が多く、
トマト、ニンジン、キャベツ、ピーマン、ナス、ジャガイモ、アボガド、種類豊富な豆類、
バナナ(黄、緑)、オレンジ、マンゴー、リンゴ(青、赤)、パパイア、パイナップル等、
とても新鮮かつ日本では考えられないような価格でそれらは市場に並ぶ。
料理のレパートリーが貧弱な私は、これだけ豊富な食材にもかかわらず、片手で十分足りるほどのメニューを順番に回しているわけだが、その中にはもちろんケニア料理もある。
これは友人宅の食卓でご馳走いただくたびに憶えたというより、半ば強制的にご教示いただいた結果なわけだが、私はケニア料理が気に入っている。
ケニア料理は大変気に入っているものの、日本との食文化の違いについては戸惑ってしまうこともあるのは事実である。
kenyaの食文化として有名な、箸、スプーン等を使わず、右手でdirectに食べることに戸惑いは感じない。
むしろその所作には感心すらしてしまう。
着任より一年経過した今でも戸惑いを隠せないのは、ケニアの人々は何食でも同じ物を連続で食べることに飽きないらしいという点だ。

~例~
月曜日;朝 ウジ(お粥) 昼 ゲゼリ(豆、トウモロコシ等の煮込み) 夜 ゲゼリ(豆、トウモロコシ等の煮込み)+ウガリ(※遣隋使 参照)
火曜日;朝 ウジ(お粥) 昼 ゲゼリ(豆、トウモロコシ等の煮込み) 夜 ゲゼリ(豆、トウモロコシ等の煮込み)+ウガリ(※遣隋使 参照)
水曜日;朝 ウジ(お粥) 昼 ゲゼリ(豆、トウモロコシ等の煮込み) 夜 ゲゼリ(豆、トウモロコシ等の煮込み)+ムキモ(マッシュポテト+ゲゼリ)
木曜日;朝 ウジ(お粥) 昼 ムキモ(マッシュポテト+ゲゼリ) 夜 ムキモ(マッシュポテト+ゲゼリ)
金曜日;朝 ウジ(お粥) 昼 マハラグェ(豆の煮込み) 夜 マハラグェ(豆の煮込み)+ウガリ(※遣隋使 参照)
土曜日;朝 ウジ(お粥) 昼 ゲゼリ(豆、トウモロコシ等の煮込み) 夜 ゲゼリ(豆、トウモロコシ等の煮込み)+ウガリ(※遣隋使 参照)
日曜日;朝 ムカテ(食パン) 昼 マハラグェ(豆の煮込み) 夜 マハラグェ(豆の煮込み)+ウガリ(※遣隋使 参照) 

一度に大量に調理することで昼、夜が同じメニューになってしまうというわけでもなく、調理された物はその都度完食される。
使用される食材に多少の変化は見られるものの、仕上がり時の料理名は同じなわけで、味も見た目も代わり映えはしない。
盛り付けなども日本のそれとはまるで異なり、視覚効果が及ぼす影響等については全く考慮に入れられていないように個人的には感じている。
日本、kenyaの食文化にはどちらにも長短所があり、一概に良し悪しは言えないが、
そこにはそれぞれのお国柄が反映されており、食事が「文化」としてcategorizeされる所以を感じている。
日本の食文化と言えば、やはりお寿司様を差し置いては語れないだろう。
日本海側育ちの私の一番のrecommendationは「鰤」で、出世魚である「鰤」はワカシ、イナダ、ワラサ、ブリの順に呼び名が変わる。
寒ブリとも言われ、特に冬に美味なのだ。
刺身に限らず、煮物、鍋とも相性が良く…。


話題を変えよう。


そんな私の食生活であるが、最近、私は気付いてしまった。
どうやら私は「ぺペロンチーノ」の天才らしい。
先日の上ロビの際に、食のレパートリーの充実を目的にパスタを大量に買い込んで帰ってきた。
シンプルかつ大胆な「男のパスタ」を目標に、
というか、「シチリア風何とか」とか「ボンゴレ何とか」とか「カルボナーラ何とか」だか「何とかカルボナーラ」だか、そんな小洒落たパスタは作れるはずも無く、
あくまでも対象は私であり、OLではないと、自分に言い聞かせながら、「ぺペロンチーノ」を作ったみた。
結果、その日から約2週間、Nairobiから買い込んで来たパスタが尽きるまで、この「ぺペロンチーノ」ならぬ、「マコロンチーノ」を食べ続けた。

「それは「ぺペロンチーノ」じゃなくて、「焼きそば」だよ。」

と、某人物から指摘されたが、気にしない。
これは「ぺペロンチーノ」でもなく、「焼きそば」でもなく、
そう、「マコロンチーノ」なのだ。




「マコ、スパゲッティを食べてみたい。」

珍しく、Ochiengが自分から願い事を申し出た。
Ochiengとは、昨年度のO.R.S.の卒業生で、現在secondaryに通う18歳男子だ。
幼い頃に両親と死別した彼は、その後の11年をこういった更生院のような施設を転々としながら生きてきた。
昨年度のKCPE(全国進学試験、センター試験の高校版だと個人的に解釈している)をpassした、O.R.S.では極少数の進学権を手に入れたboyで、
本当に感心してしまうほどの礼儀正しさを弁え、
ルオ族であることを誇りに奏でるwadede(ルオ族伝統楽器)では全国大会3位、
180cmを超える長身から放たれるdiscus throwでは全国3位という
まさに文武両道を絵に書いたようなboyで、他のboysからの信頼も厚く、もちろん私も彼には全幅の信頼を寄せていた。
しかしながら、KCPEはpassしたものの、孤児である彼の進学費等の目処は立たず、かと言ってreleaseすべき家もなく、更生院としては八方塞がりの状態だった。
私が内心で当てにしていたJICA関連の奨学金制度も諸事情により活動を一時凍結しており、当てにならないことが判明。
私が私費で彼の学費を支払うことは簡単だった。
簡単というのは、金額の問題ではなく、彼の今後の可能性を拡げるための支援を私が行うことについてだ。
最悪の場合は、そうするつもりだった。
しかしながら、secondaryの修業年限は4年で、私の任期はその時点で一年半を切っていた。
「今、私が彼の学費を当たり前のように支払ってしまったら、私が帰国したあとの2年半は誰が支援する?」
「現状を鑑みても更生院からの支援は難しいうえに、国の提供するbursaryも当たる可能性は低い。」
「kenyaの人による支援を確保しなければ。」
毎週のようにmassにて住民に呼びかけた結果、僅かではあるが寄付金が集まり、
私の活動に理解を示してくれた人々からは友人等を紹介していただいた。
紹介いただいた方々と連絡を取り、面談のために幾度もOchiengとNairobiまで上京した。
誠意を持って話は聞いてくれるが支援までは至らないケースやドタキャンは数えられない程あった。

「マコ、もういいよ。ありがとう。十分だよ。」
Ochiengは言う。

十分じゃない。

「最後まで希望をすてちゃいかん。あきらめたらそこで試合終了だよ。」
安西先生の言葉だけを頼りに踏ん張った。

学費の支払い期限も目前に迫り、日本の家族に送金の準備依頼の連絡をした週、
ようやく1名の男性支援者(ケニア人)が見つかった。
本当に涙が出た。

その支援を承諾いただいた男性のおかげで、Ochiengは現在secondaryに通っている。
支援条件として課している成績もクリアーしており、今回のようにterm休みになると誇らしげに成績表を持ってO.R.S.に帰ってくる。
Ochiengは現在O.R.S.に収容されているboysの憧れの的でもあり、彼らの勉学等のモチベーションの向上にも一役買っていることは言うまでも無い。


私の1.5倍はある手で、タバコより短くなった鉛筆で毎日4時間の自習をする彼は、
いくら私が新しい鉛筆の買い出しに誘っても、「それは日本の家族との通信費に費やしてください。」と遠慮する。

そんな彼が、
「マコ、スパゲッティを食べてみたい。」
と言ってきたのだ。
そりゃもう、馬鹿みたいに大量に作った。
「魂」大盛りで。

が、Ochiengと言えば、「スパゲッティ」とは何たるものなのかすら見当も付かなかったらしく、
現に彼は「スパゲッティ」はsweety(甘いおやつ)だと思っており、調理過程を終始不安げに見入り、そして食すると言葉を失っていた。


世界は広い。
スパゲッティは旨い。

これからもっともっといろんな世界を見て、見聞を拡げて、そして自身の可能性を自身で拡げていってほしい。
そしていつか彼が日本に来た暁には、「鰤」っていう最強の味を教えてやろうと思う。
「鰤」とは、スズキ目の海魚で、全長1m、体は紡錘形。回遊魚で日本各地の沿岸に分布し…。

今日はこの辺で終わりにしておこう。



overcoming

2009-06-30 | In Othaya
※※※WARNING※※※
本投稿には、一部過激な内容が含まれます。
特に愛犬家の皆さまには忍び難い内容を含みます。
御閲覧後の感情処理については当方では責任を負いかねますことをご了承いただき、
ご希望される方のみ御閲覧ください。
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また、本投稿は長文構成となっておりますが、飛ばし読みだけはどうぞご容赦ください。
本投稿本来の持ち味が損なわれることが予想されます。
その場合につきましても当方では責任を負いかねますのでご了承ください。



前号でお伝えしたように、私の住むcompoundにて事件が起きた。
あれから数日経過したものの、事件前のような平穏な日々にまで回復したかというと、やはりそうではない。
夕食を済ませると申し合わせたように集まり、我家の玄関前にて行われていた奥様方の井戸端会議はあの日以来中断されているし、
部外者のcompoundへの訪問には皆、過敏だ。
私もothayaでの母親役のMucheruに

「19時までにはofficeから帰宅し、施錠の指差し確認後、歯を磨いて寝るように。」

と厳しく言われている。息が詰まりそうな毎日ではあるが、当然と言えば、当然なのかもしれない。
もう誰一人として失いたくないという皆の気持ちの表れなのだろうと思う。
生命保険というシステムが浸透していないkenyaにおいて、今回の事件において彼の家族に保険金が支払われたということは考えにくい。
職場からの福利厚生処置も期待できないだろう。
葬儀では参列者それぞれができる範囲でのcontributionを持参し参列するわけだが、それだってたいした額にならないことは想像に容易い。
家族でも親戚でもないご近所さん達が総出で炊き出しから洗濯まで、彼の故郷での葬儀のために留守にしている彼の奥さんの代行を勤め、
まさに全力で彼の家族の支援を行っている。
Boysも進んで使いに走る。
私はと言えば、炊事力、洗濯力等は全く持って信頼されていないため、専ら薪運びやら水汲みなどのpowerplayと幼い子ども達の子守を担当している。
非力ながらも、それでも何か役に立てているだろうことは私にとっても救いである。
ご近所さんの顔も知らずに暮らすことが当たり前になりつつある日本での暮らしからは想像も出来ないことであり、
日本が発展の過程で失いつつある大切な物がkenyaにはまだ存在する。
Kenyaの発展を望む私ではあるが、その方向性については見誤らないことを強く願う。


今回の事件を受け、警察より更生院敷地内の警護にあたる銃の所持を許可されたwordenの派遣が決定していた。
しかしながら、その派遣予定だったwordenが今回の事件に関与していたことが判明し、彼は逮捕され、その派遣はまた一からの調整ということになった。
警察も信用できないとなれば、いったい誰を頼れば良いのだろう。
この事実が判明した時、我々は既にため息すら出ないほどに落胆した。
しかしながら、この程度でへこたれるO.R.S.ではない。
我が更生院の教職員の総意で、いつになるかわからない次wordenの派遣を待つよりも、自らで警護要員を補充しようという結論に至った。
前以ってお伝えしておくが、これから公表する警護要員に関する概要はみんなが大真面目に考え出した案であることは承知いただきたい。



~概要~
補充人員:警護要員1名?1匹?
性別:女性?メス?
年齢:0歳?生後1ヶ月?


もうお気付きかと思うが、なんと、警護要員として犬を飼う事にしたのだ。
犬って…。
そんでもって仔犬って…。
成犬になりお役目を果たせるようになるまでの期間と、次のwordenの派遣が決定するまでの期間を比べたら、おそらく次のwordenが派遣されて来る日を待つ方が早い気がする…。
それでもみんな大マジなのだ。
そんな彼らだからこそ、私はkenyaを、そして彼らを愛して止まないのだろうとも思う…。

そして翌日、彼女は出勤してきた。
名前は私の反対を押し切り、boysの圧倒的多数で「Rex:レックス」に決定した。
「Rex」って…。
メスなんですけど…。
女の子に「竜太」って命名するようなもんだ…。

事の経緯はどうであれ、自称、甘等犬派の私は既に万歳三唱。
彼女の愛らしさと言ったら、もう衝撃的だ。
彼女であれば、たとえ狂犬病を感染されてもかまわない。


お待たせしました。それではいよいよ衝撃的映像の公開といたしましょう。
電源の残量、ディスプレイの角度、絶叫の準備は宜しいでしょうか?
それでは御覧あれ。










でしょ!ねっ?ヤバいっしょ!
私は既に失神寸前です。
彼女には警護なんて危なっかしい仕事は絶対させません。
そしてお嫁にも絶対行かせません。

Boysからの失笑も省みず、彼女の寝床用に愛用のバスタオルを献上した私。
まだバレていないことを幸いに、毎朝牛係りの目を盗んでは、彼女に絞りたての牛乳を与えている私。
Fox(以前から飼われているRexの先輩警護要員)にヤキモチを焼かれ、Tシャツを2枚引き裂かれた私。
ドンマイ。



情緒教育とでも言うのだろうか、彼女のおかげで最近はboysにも変化が見られる。
PEの時間であっても、クラブの時間であってもグランドまで連れて来ては、大好きなPEやサッカーにも関わらず交代しながら彼女の面倒を見る。
彼女を一人きり?一匹きり?にしてしまえば、カラスや猛禽類、ネズミ等の格好の餌食となってしまうのだ。
また夜半に雨が降りそうにもなると、彼女の小屋の屋根には草が敷き詰められる。
そして困ったことに、最近のboysは私に叱られる気配を感じると彼女を連れてofficeに来る…。
私も思わずこぼれてしまう笑顔では叱れない…。



彼女が更生院に来る以前からも、更生院では動物は飼育されてきたのだが、
彼女の先輩でもあるFoxは犬年齢6歳(推定)であり、更生院のboysが収容された時には既に成犬となっており(更生院収容年限が3年のため)、
実際のところ私以外にはあまり懐いていないし、ウサギや鶏もboysにより愛情を注がれ飼育されているのだが、これらはいずれboysの胃袋に収まることを目的として飼育されており、現在彼女に注がれている愛情とは「色」というか「臭い」というか、何か種類が違う。




家族を感じさせるような温かな愛情を注ぐboysの姿が、とても嬉しい。



boysも彼女もこのまま大きくならなければいいのにな。
最近はそんな自分勝手な想いを否定できずにいる。

明日にでも洗ってやった方がいいな。
彼女を抱いてからの体中の痒みに関する第一容疑者についても否定できずにいる…。



彼女のおかげで今回の事件でささくれ立っていた更生院にも、ようやく笑顔が戻りつつある。
期待されている「警護」という役割については、まだ当分果たせそうにない彼女ではあるが、
もう十分に彼女は彼女の役割を果たしてくれたようにも思う。

JOCVとしてkenyaに渡りちょうど一年が経過した。
自身の役割について、もう一度考え直してみようと思う。
残りの一年、私も彼女のような役割を担え、果たせたならたら幸いだ。




emotions

2009-06-23 | In Othaya
これで何回目になるのだろう。
Kenyaに暮らし始めてわずか1年足らず。
しかも、日本での生活とは比べ物にならない程に少数しか知り合いはいない。
にも関わらず、既に片手では足りない程の回数の葬儀に出席した。
病気、怪我、事故等、理由は様々であるが、その大半が若く、中には幼いと表現した方が良いケースも多々あった。
その親族が悲しみに暮れる様子を目の当たりにするたびに、私は判然としない感情に覆われる。

国立である我が更生院には、私のような更生院の職員の他に、警察、病院、学校といったその他の国立機関に勤める職員も更生院内のcompoundに住んでおり、
約20世帯が50m程の範囲に密集して暮らす。
今回は我家の二軒先に住む男性の葬儀だった。
とても礼儀正しい男性で、彼のcell No.はこのcompoundの住人に限らず、周辺地域の住民も知っているほど頼りにされているとても信頼の厚い男性だった。
常にrespectfulな立ち振る舞いの彼ではあったが、特に彼のkenya式挨拶はとても優雅でカッコ良かった。
私は自宅から勤務先(更生院)まで徒歩1分、駆け足20秒であるものの、
隣町に勤める彼が刻してしまうのではないかとこちらが心配になるくらいに毎朝丁寧なkenya式挨拶をしてくれた。
更生院赴任当初、私は彼のその優雅な挨拶流儀を真似たものだった。

その彼が先日、更生院敷地内compoundにある自宅へと更生院のゲートをくぐったところで、凶弾に倒れた。
事件の詳細についてはここでは割愛させていただくが、正義を貫いた彼を私は誇りに思う。
葬儀では立派過ぎるほどに毅然と振舞っていた彼の奥さんに
「I’m greatly proud of him.」
と告げた途端に泣き崩れた彼女を、ただただhugすることしかできなかった私はまたも判然としない感情に覆い包まれる。


Kenyaは世界でも有数の治安の悪さを有し、着任後もそれを思い知らされるような事件が多々起きており、新聞には毎日のように強盗や殺人事件のtopicが記載されている。
国を挙げた防犯の取締りが続くものの、状況の好転は困難を極めるようだ。
命までは落とす覚悟はないにせよ、そういった国で暮らすことにある程度の覚悟はしてきたつもりだ。
しかしながら、正直に言えば恐い。
先日グランドに迷い込んだラリポップとは次元が違う(※背中 参照)。
加害者の犯行遺留品(ゴム手袋)を目にした時には背筋が凍った。



compoundの住民による今後の治安確保についての会議が連夜にわたり開かれたが、
隣人が今回の事件を発端に異常なまでに怯え、
更生院のsecurityの甘さを糾弾し、今回の事件の全ての責任は更生院にあるような物言いで会は終始要領を得ない。
彼らの言い分もわからなくも無いが、憤りの矛先がまるで見当違いの方向へ向いているような気がしてならない。
なんか違う気がする。
そんな悶々とした気分で話を聞いていると、彼の家族の前で彼の帰宅時間の遅さが今回の事件を招いたと責める者まで出た。
これにはさすがにキレた。

「もしお前の愛娘がレイプされても同じこと言えんのか?娘にも非があったと認めることができんのか?」

私にはできない。
極言なのかもしれないが、非があるのは紛れもなくその加害者だと私は思う。

しかしながら、法律や人権については「ずぶの素人」でありながらも、こういった公の場で、また、こうして自己の価値観の押し付けとも言える言動をとってしまう自分に

「俺も恐くてイラついてんのかな?」

なんて思いつつも、言ってしまった後ではもう取り返しがつかない。
私の悪態にて白け切った場は、誰が言うもなく散会となってしまった。
彼の奥さんが泣きながらも微笑んでくれたことがせめてもの救いだった。

もう誘ってもらえないだろうと思っていた翌晩の会議にも声をかけてもらえたことに感謝し、昨晩声を荒げてしまった彼と会のメンバーに丁重に謝罪をした。
娘さんを引き合いにしてしまったことは、いくら詫びても詫びきれない最低のやり方だったと深く深く反省している。

我が更生院のmanagerがchairwomanを務めたその晩の会議は、昨晩までのものと打って変わりとても有意義なものだった。
警察を含めた関係各所が今回の事件を鑑み、更に治安保全のための最善を尽くすことを約束し、会は閉会となった。



今朝の新聞では、またいつものようkenya各地での事件のtopicが紙面の装飾のみを目的とするように記載されている。
そして、そんな本来伝えるべき事件の主旨から随分と距離が開いてしまっているような記事の内容を眺めていると、
やはりそれの出所とか、種類とか、合わすべき照準とか、自己では推し量りきれない判然としない感情が込上げてくる。


私はケニアが好きだ。
ケニアの人々も大好きだ。

好きだからこそ、エネルギーが向かう。
好きだからこそきっと、このような感情が湧いてくるのだとも思う。
マザーテレサ曰く、「愛の反対は憎しみではなく、無関心。」
何も感じなくなってしまった時、もしもそんな時が来たならば私はこの国を去った方が良いのかもしれない。

Let us pray over him.
May his soul rest in Heaven.



half-fledged

2009-06-19 | In Othaya
学生時代は「野球」、「バイク」、「旅行」という道楽にしか興味が無かった私は、
「学生の本分」とは程遠い学生時代を送り、バイトに明け暮れ、社会人になってからにも引けを取らない程の働き者だったように思う。
今更ですが、お父さん、お母さんゴメンなさい。

体力には絶対の自信があったし、報酬が良い上に「日払い」などという、当時学生だった私には有難い事この上ない制度があるのも力仕事系の特色で、
私は好んで工事現場、建設現場というようなバイトを選んだ。
でるからして、バイトをはじめとした上記の三分野に関するネタは十分すぎる程に事足る私ではあるが、
本来、講義にて学ぶべきだった分野に関しては気の利いた話の一つも出来ない私である。
お父さん、お母さん、本当にゴメンなさい。

愛知だったか、三重だったかの現場に2ヶ月間、住み込みのバイトに行ったことがある。
求人広告には「個室完備、食事付、都内からの送迎付」と謳われており、報酬も魅力的だったため、即飛びついた。
迎えに来たライトバンに乗り込み、おそらくこれからの2ヶ月間、仕事をご一緒するであろう既に同乗している面々を見て、

「ちょっと選択を間違えちったかな…。」

と、思ったことを憶えている。
車内には私のような学生は一人もおらず、私の直感から言えば、皆さん何かしらのご事情をお持ちのような方ばかりだった。
ようやく到着した事務所での面接時に

「兄ちゃん、何悪いことしたん?」

と、聞かれた時は、

「ちょっとじゃなくて、だいぶ選択を間違えちったな…。」

と、思ったことをこれもまた良く憶えている。
今思えば、「履歴書不要」なんて書かれている時点で少し疑問を持つべきだったのかもしれない…。
そして、その初日の入浴時のことだ。
風呂場は共同浴場で小型銭湯といった感じだった。
浴場への扉を開けると、黙々と湯煙が立ち込め、洗い場にある鏡の前では髭を剃ったり、身体を洗ったりしている人達がいる。
その風景は街中にある銭湯とほとんど変わらないのだが、決定的に違うのは、街中の銭湯などにはたいていその壁に富士山などのタイル絵があるわけだがここには無い。
その代わりと言ってはなんだが、鏡の前に座ってられる皆さんが色とりどりの立派な彫り物をショっていられる。
数名ではない。全員だ。
今でこそレーシックを済ませ、両眼共に視力2.0ある私だが、当時の私はコンタクトレンズを外すと視力は0.1以下だった。
視力の悪い人が目を細める仕草を皆さんはご存知かと思うが、入浴時にコンタクトレンズを外していた私は、
まさしくその仕草で、その俄に信じがたい光景を「二度見」ならぬ「三度見」くらいはしてしまったかもしれない。

「何見とんじゃ、ジャリ!」

確認するだけの余裕はもちろん無かったわけだが、おそらくその時の私のチ○コは見るも無残なほどに縮みあがっていたと思う。

「完全に選択を間違えた…。」

そう思ったことは言うまでもない。
そんな出だしではあったものの、皆さんからはとてもかわいがってもらえた。
どんな経緯だったかは忘れてしまったが、諸先輩方に英語を教えることとなり、僭越ながら「ABCD… 」から読み書きをご教示させていただいた。
その御礼と言うわけではないだろうが、毎晩のように連行されるネオン街ではアルファベットで書かれた看板の意味をいちいち翻訳させられ参った。
「Fright」というピ○サロの看板を見つけた時にみんなで大笑いしたことを憶えている。
おそらく「Flight」の間違いだったのだろう。
長いような短いような2ヶ月を終える頃には帰るのが少し寂しかったのも事実だ。


廃材処理場のバイト先では、これもアルバイト以上家族未満みたいにかわいがってもらえ、そこでも数々のハートウォームストーリーがある。
もうお嫁に行って久しいが、事務所を切り盛りしていた私の憧れだったY子さんは元気だろうか?


今思えば、自分の身分も弁えずに良くもまぁ と恥ずかしくなるが、
好きが高じたか、実は私が愛して止まない某ハンバーガー店でも、バイト経験がある。
が、どうしても「スマイル\0」が言えず、半日で退職させていただいた。


大好きなバイクに乗って走るだけでお金になるのならと、ピザ屋の配達のバイトもした。
時間帯も夜間で、昼間の力仕事の後でもさほど体力を必要としないこのバイトは我ながら気に入っていた。
密かに、来るクリスマスシーズンにサンタのコスチュームで配達することを楽しみにしていたくらいだ。
ある日、それまで一度も見逃したことのないドラマの最終回とバイトの日が重なってしまうと言う、当時の私としては最大のピンチが訪れた(私のシフト提出ミスによる)。
そのドラマは、毎週かなりの視聴率を記録し、男性がピアノを習いだすという社会現象まで起こしたドラマだ。
軟派な私達(私を含めた私の仲間達)も例外なく鍵盤ハーモニカを毎日練習した。
今となっては、当時のその軟派な動機のおかげでboysに鍵盤ハーモニカを教授できていることも事実であり、ドンマイとしておこう。
結局、その日は陳腐な嘘をついてバイトをズル休みした。
当時、溜り場になっていた私の部屋にはドラマ最終回の開始に合わせ続々と仲間が集まり始める。
「ピンポーン。」
鳴り止まないドアホン。
「開いてるよー。」
また一人仲間が来たのだろうくらいにしか思っていない私は、覗き穴も覗かずドア全開。
そして開け放たれた玄関のドアの前には、私のバイト先からの宅配ピザ…。
腹の減った誰かが、ピザを注文したらしい…。
しかも、「どうせ頼むならマコのバイト先から」というその日に限って、普段は利かない気を利かせて…。
もちろん、あれだけ楽しみにしていたサンタのコスチュームは着ることなくその職場を去ることになった…。


「思い立ったが吉日」を地で行くタイプだった私は、
何を血迷ったか、真夜中に全財産\3,000を握りしめ、「自分探し」と称し、日本一周のツーリングに出た。
そして、真夜中の秩父の山中で迷った…。
更に皆さんの期待どおり、秩父の山中でガス欠を起こし立ち往生…。
空が明るんで来た頃、警察の方に職質をしていただき命拾いをした。
その時の警察の方の温かなお心遣いは今思い出すだけでも、涙ぐんでしまう。
当面走れるだけの燃料、いつぞやの授業で配布された「日本全図」しか持っていなかった私に詳細なルートマップ、
更には朝食までも「餞別だよ。」とご提供くださった。
残念ながら、思いつき全開の「自分探し」には失敗した私ではあったが、他に見つかったものがあったように思う。


Philに旅行に行った時のことだ。
当時、既に入国して…

てな具合で、皆さんにお聞かせしたい話はまだまだあるのだが、それはまた別の機会にでも。

回想シーンが随分と長くなってしまい、私自身も何を言いたかったのか分からなくなってきているが、
つまりは、このように様々なバイト等を経験し、また社会人としての社会経験も人並みに積んできたつもりの私ではあるが、
どういうわけか「農業」というcategoryにはこれまで縁の無い人生であったのである。
私が現在暮らす更生院では「農業」は切っても切れない生活の一部であり、この「農業」ができないと一人前として扱われない。
鍬やフォークは、今まで幾度と無く振ってきた、スコップや鶴嘴、もしくはバットだと思って振れば然程違いは無いわけだが、
肥料の作り方、畝の作り方、苗の植え方、作物に関する知識等は、私の持ち合わせるpoorな知識では到底埋め合わせようがない。
ネットなどで調べることもできるが、それらはあくまでも「in theory」としての話であり、なかなか「in practice」ではうまいこといかない。
(私の知識、技術不足によるところが多分にある)
であるからして、私は「畑の時間」は半人前であり、boysと一緒になって鍬を振る。
先日もboysの自主的な作物の栽培を促すため、一人ひとりが植えたジャガイモの傍らにそれぞれのname plateを立てるという半人前以下の私の案件が通り、
「agriculture」の時間でそれを実行した次第だ。
端からみると、畑がなんだか墓地のように見えてしまうのが難点であはるが、数ヶ月後のcropsが楽しみである。


新しいことを知るという事は何とも言葉に表し難い喜びがあるものだが、殊にこの「農業」に関しては、それが一際強い私。
自分たちが汗水流して栽培する作物たちが日に日に大きくなっていく様子には「愛しさ」すら感じてしまう。
そして、いずれはそれを自身で食べれる日が来るのだ。
産地直送なんてもんじゃない。目の前で、たった今収穫したものを、その場で調理し、食すのだ。
なんて贅沢なんだろうと思う。
そしてそれは当然旨い。
皆さんは自身で釣った魚を自身でさばいて食べた経験はあるだろうか?
これもやはり、申し分無く旨い。
何よりも自身で釣ったということが最高の味付けになるのではないかと私は思うわけだが、
「農業」の場合はそこに加えて、自身でそれを栽培したという過程がプラスされる。
専門的に糖度がどうとか、そんなことはどうでも良い訳で、とにかく「旨い」というか「嬉しい」のだ。

どんな職種においても素晴らしい点は多々あり、その職種から得られる喜び等の報酬は様々であると思うし、
その職種に就く当人次第で、そこには上限の無い多面的要素が含まれるものだとも思う。

食料自給率の低い日本において、「離農」についての警笛が響き始めて久しい今日。
更生院という職場に配属になり、この職種から得られる多くの喜びに日々驚嘆し、この職種に魅力を感じている私ではあるが、「農業」という職種にも強烈に惹かれつつある。
一見、まるで接点の無いような職種同士のようで、実は共通点が多いからかな?などとも思うわけだが、
どちらにしてもまだまだ半人前以下の私には偉そうな事は言えない。



それにしてもだ。
これではジャガイモが育たないということは農業半人前以下の私にも分かる。
Mutindaよ。
せめて、土くらい被せてやってくれ…。


未来圏

2009-06-07 | In Othaya

宮沢賢治 曰く、

「諸君はこの颯爽たる 諸君の未来圏から吹いて来る 透明な清潔な風を感じないのか。」





そりゃもう ガンガンに感じてるっつうの。