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DUNIA

ケニア~青年海外協力隊~青少年活動~男子更生院~2年間限定

拝啓 MR.スタローン

2010-02-10 | In Othaya
「ガリガリ君が食べたいです。」
と、日中に神様にお願いしたことが嘘のように冷え込んだ昨夜。
毛布に包まりながら、
「肉まんが食べたいです。」
と、真剣に神様にお願いし直したほどだ。

夜が明けたら、そこはまさにガリガリ君日和!
なわけもなく、今朝はkenyaで暮らし始めてから最もfoggyな朝だった気がする。

「PEどうすっかなぁ」

今までの経験から、悪天候を理由にPEを中止になんてしたら、Boysが暴動さながらに私のofficeに乗り込んでくることは目に見えている。
朝一から、約100人からの「なんで?なんで?」の波状攻撃に耐えられるほど、私の朝の血圧は高くない。

「霧雨だし、ground condition さえ悪くなければ、今日はサッカーにすっかな。」

私の授業を楽しみにしてくれているboysのために、私としても中止はなるべく避けたいと思っているわけだが、
風邪をひいてしまったたり、怪我をしてしまっては本末転倒なわけで、
そして何よりも、あの「なんで?なんで?」攻撃に打たれるくらいなら、
少々の悪天候に打たれた方がマシと言うのが本音かもしれない。

出勤の際にground conditionを確認するためグランドに立ち寄るが、
ground condition云々と言うよりも、
視界が悪い。
吐息が白い。
そして痛い。霰まで降ってきた…。

Boysには申し訳ないが、この状況下でPEを中止する理由はいくらでも見つかるが、
PEを敢行する理由がどうしても見つからない。



「風邪ひいたらどーすんだよ?注射打たれるぞ!こ~んな太いヤツだぞ!」
「ケガしたらどーすんだよ?注射打たれるぞ!こ~んな長いヤツだぞ!」
「俺が風邪ひいたら、お前が俺の代わりに注射打たれてくれる?こ~んな太くて長いヤツだぞ!」
「今日は教室でロナウジーニョの必殺技「エラシコ」についてlogicalな解説してやるからよー。なっ?」
「今日は特別に「フォーク」の投げ方も教えてやるからよー。なっ?」

しかしながら、「エラシコ」も「フォーク」も彼らの好奇心には全く響かない。
いつものことだが、当初のPE敢行という彼らの要求は次第に軌道を外れ始める。
そして、それに対する私の応対も大人の対応とは言い難いものへとstraying from its orbit.



「川で泳ぎたい?じゃ、お前一人で行ってこい。社会の荒波にのまれる前に、濁流にのまれてこい。」
「PEが中止なら、chickenが食いたい? はぁぁ?じゃぁ俺は鰤が食いてぇよ、鰤持って来い、「B、U、R、I」。」
「あぁ?ランボーⅢが観たい?お前覚悟しとけよ、あとでランボーに電話して、お前をシバいてもらうように言っとくからな。」

想像いただきたい。
これが ×100人 である…。
通常通りPEを行うより、はるかに体力を消耗することはおわかりいただけると思う。



どうにかこうにか総会屋達を押し切り、室内PE開始のため教室に向かう。
先程までの私のofficeでの喧騒が嘘のように教室は静まりかえっており、
boysも「エラシコ」と「フォーク」の奥義伝承に少しは関心を持ってくれているようだ。

と、思った私は甘かった…。


不貞寝かよ…。

ランボーに電話してシバいてもらおうと思う。

外野席から

2010-02-04 | In Othaya
いつもどおり、橋の手前までBrian(※endeavor、友たち 参照)を見送る。
いつもどおり、坂を登りきったところで彼がこちらに手を振るところまでを見届けると、
いつもどおり、禁煙しよっかななんて思いながら、更生院へ帰る道すがらたっぷり三本は吸って帰る。


先日、首都NairobiでBrianのような学業継続が困難な状況にある子どもを支援することを目的としたcharity liveを開催した。
AKIRAさん、U田先生をはじめとした多くの皆さまからのご支援を賜り、大盛況のうちに幕を閉じた。
この場をお借りして、ご厚情を賜りました皆さまに厚く御礼を申し上げます。


そのcharity開催への感謝の気持ちを直接伝えたかった、とBrianが徒歩3時間かけて私に会いにきてくれた。
もともと彼が涙もろいことは承知のうえだが、今回は涙もろいと言う次元を凌駕しており、
御礼を言いに来たのか、泣きに来たのかわからない。

「P, P,please pa,pa, pay my best respects to ur f, f, friends and all japaneseeeeeee.」
「ok, I promise.」
「A,A,And Makoto, GGGod bless Uuuuu.」
「Same to U」


「mco ame kasirika sana, Brian ana lia sana(マコ超怒ってんぞ!ブライアン大泣きだよ。)」
その様子を見たboysには、私がBrianを叱っているように見えたらしい…。
彼が落ち着くのを待って、私達は更生院を後にした。


Rehabilitation schoolを卒業し、General schoolに通い始めて1年。
並んで歩く彼の入学の際に新調した制服のズボンの裾は踝の上をヒラヒラと泳いでいる。
いつからだろう、彼との会話では英語しか使わなくなって久しい。
背も伸びたし、英語も上手くなったし、顔つきも精悍になってきたように感じる。
彼が現在通うsecondary schoolは、規則が全てだったRehabilitation schoolに比べ、
個人の自由は尊重され、
年中部室のような臭気が立ち込めたRehabilitation schoolの教室とは程遠い設備下で学べ、
共学でもある。
Brianに言わせれば「heaven」らしい。
しかしながら、彼と同じような境遇(孤児)にある者が大半を占めたRehabilitation school とは違い、
彼と同じような境遇にある者を探す方が難しいであろうGeneral schoolでの学校生活では、
孤児というdisadvantgeから、彼が様々な局面で不当な扱いや嫌がらせを受けていることに私は薄々気付いている。
が、彼は決して泣き言を言わない。
また異性に興味を持って当たり前の年齢で、
携帯電話のような流行物が全てと言っても過言ではない年頃であるにもかかわらず、
彼は私が買うと言い出さなければ、裾の泳いだズボンも半ズボンになるまで履くだろうし、
携帯電話だって、決して欲しいとは言わない。


お金の問題はとても重要なことだけれど、お金で解決できることは生きていく悩みの中ではsimpleな方なのかもしれない。
その証拠に、彼が抱える問題のうち、実質、私が支援できることはお金に関することだけのように思う。
それ以外のことについては、せいぜい彼を見守ることしかできない。
恵まれたとは言い難い自身のcircumstance、identityに彼なりのprideを持って、
この世界、この現実と精一杯対峙する凛然たる彼に、
私は外野席からメガフォン片手に応援歌を歌い、「振り抜け!」と叫ぶことくらいしかできない。



じゃぁ またな。
負けんなよ。
俺も負けねぇから。

私は彼に「誰に」「何に」負けてほしくないのか?
そして私は「誰に」「何に」負けねぇつもりなのか?




坂を登りきったところで、いつもどおり彼が私に手を振る。
私はなんだか恥ずかしいので、手は振らない。
彼が坂の向こうに見えなくなると、私は煙草に火をつけて来た道を戻る。
そしてメガフォンは無いが、彼に向けた応援歌を口ずさむ。


「ファイト!闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう。 ファイト!冷たい水の中を震えながら登ってゆけ。」    ファイト 中島みゆき



彼のズボンが半ズボンになる前に、彼とズボンを買いに行こうと思う。
彼に彼女ができる頃までには、携帯電話をプレゼントしようと思う。

そして彼が見逃し三振なんてしないように、外野席からも野次が届くようなデカいメガフォンを準備しようと思う。

phenomena

2010-01-08 | In Othaya
ゴロゴロゴロ。
そろそろ、雨や雷とは無縁な乾季が来てもいい頃なのに、今年は一向に彼らの足跡は聞こえてこない。
その代わりと言ってはなんだが、ほぼ毎日夕方になると遠くから聞こえてくる轟き。
それまでの「青」が嘘のように「黒」へと変わる空。
太陽の匂いで充填された洗濯物を幾度となく雑巾臭に変えられてきた私は、最近は昼食を挟んで洗濯物を室内に取り込むことにしている。
そのくらいの頻度で雷雨は毎日やってきて、そして電気はやってこない。
おかげ様でoilshockならぬcandleshockがOthayaの町を襲い、candleが町中の店から消え、私の手元にも数本しか残っていない。
来週の水曜日には入荷されるとのことだから、手元のcandleを日割り計算し、一日何cmと決め、そこまでの消費を終えた時点でit’s time to go to bed な毎日。
停電には慣れきってしまい特にそのことに対するコメントはないわけだが、
停電+雨はsecurityの面において好ましい状態でない。
トタン屋根作りがほとんどであるこの辺の集落では、雨の夜に押入り強盗が多い。
トタン屋根を打つ雨音で物音はほとんど掻き消され、足跡や警察犬が犯人追跡の際に追う「匂い」が消えてしまうのだ。
停電とあれば強盗達にとってはさらに都合が良いだろう。
これらのだけのことを考慮しても、雨はnot only blessing , but also curseであると青空派の私としては個人的に感じてしまうのだが、
kenyaの人々にとって「雨」は紛れもなく「blessing」そのもので、「curse」ではない。

ゴロゴロゴロ。
「雨が来るぞー!まずは洗濯物取り込んで来い。それから続きをやろう。」
一旦、サッカーを中止してboysに中庭に干してある制服やら、オネショで濡らしたマットレスやら毛布などの取り込みを促す。

再開後間もなく、気がつけば遠くにあったはずの稲光と轟音が頭上にまで来ている。
避雷針なんてあるはずもなく、どちらかと言えばグランドの木々がその役割をしていると言っても過言ではなく、
これまでに落雷した高木を幾本も見てきている私は、
「撤収~ッ!」
と、降り出した雨と、まだまだ動き足りないboysからの非難に打たれながらグランドを後にする。


ゴロゴロゴロ。
「神様、なんだか最近機嫌悪ぃみたいな?今日も怒ってんな~。」
これが私の発想。
「神様、笑ってるね~。きっと、何か良いことあったんだね~。」
これがboysのコメント。


ピカッッ!! 
「ほらほら、怒ってんぞ!へそ隠せ!取られんぞ!「高木ブー」が来るぞ^^!」
更に貧弱な私の発想。
「神様が僕らの写真を撮ってるよー。Yeh~!!!」
空に向かいポーズを決めるboys。

「きっとマコがカメラを盗まれたから、マコのために神様が写真撮ってくれてんだよ。」

なるほど。
じゃ、せっかくなので私も。

「ye~~h!!! Thanx Go~~d !!!  Fu○k off robber!!! Listen to me!! Get ready for death! I have N~O mercy!! 」
「F○ckin’ robber!!!」boysも加勢。

総勢50名が空に向かって中指を立てる。
教育上は好ましくない「絵」だが、ドンマイ。
写真展に出したらきっと「特選」だ。


神様、あの写真をdevelopしてくれないかな。
ついでに50名分の焼き増しも。

bad but bat

2010-01-04 | In Othaya
簡潔に状況を説明します。
年末30日から、三箇日はほぼ全日停電。
昨夜未明に一時的に復旧しましたが、現在目下blackout中。
先程、寝室へロウソクを取りに行った時に異変に気付きました。
私の神聖なる寝室になんかいます。
つうか、飛んでます。
蚊とかハエとかそういうかわいらしい代物ではないことは確かです。
もっとでかいです。
小鳥が室内に迷い込んでくることは頻繁にあるので経験上わかりますが、
小鳥ちゃんが迷い込んでくるのはいつだって昼間で、
こんな夜更けの非常識な訪問は小鳥ちゃんの仕業のはずがありません。

羽音が全くしません。
真っ暗なのに、壁にぶつかる様子もありません。


気味が悪いので、一旦居間に引き上げてきました。
しかしながら、アイツが誰なのかは既に想像がついてしまっています。
アイツに噛まれたら、水が怖くなる可能性があるんですよね…。
このままアイツを無視して寝室で寝る自信はありませんし、
かと言って、このまま居間で夜を明かすようではアイツにsurrenderしてしまうようで癪に障ります。

窓を全開にしてきましたので、こうしてPCを叩いているうちにアイツが自主退去していることを願いますが、
私の感では he’s still there…。
そろそろPCの電源も残り僅かとなってきました。
いよいよアイツとの決戦の火蓋が切られますが、
あまりにもアイツに関する情報が少なすぎて、どう闘えばいいのか皆目検討もつきません。
せめて、電気が復旧してくれればいいのですが…。

それでは行って参ります。
健闘をお祈りください。
今年もよろしくお願いいたします。

白檀

2009-12-25 | In Othaya
深々と降り積もる雪。
カーラジオからは定番のXmas song.
ケンタッキーのバケツやら、おそらくケーキが入っているのであろう箱を抱えて行き交う人々。
この日だけは少々寒くても、雪に降られたい。
別にchristianでもないのに、この日は何か特別な気がして、少々神聖な気分に浸る。

燦燦と降り注ぐ太陽。
週末恒例の山一つ向こうのtownから聞こえてくる大音量reggae。
タロ芋を抱えて行き交う人々。
長引く断水のおかげでしばらく風呂に入れておらず、この日くらいはシャワーに打たれたい。
Christianに囲まれて暮らしているのに、特別な雰囲気に包まれているとは言い難く、
人々と交わす挨拶の最後に「merry Xmas to U 」 が添えられなければ、いつもの週末と変わらない。


自分でも過ごす国によって、ここまでXmasの印象が異なるとは思いもしなかった。



「森林伐採反対!」と非難されるかもしれないが、
今年のXmasツリーは「kenyaで一番立派なヤツ」をconceptに、boysと裏山から木を一本頂戴してきた。
おかげ様で土台となる木は大変立派なものが用意できたが、ORSにXmas budgetなんてものがあるはずもなく、
Xmasツリーには欠かせない、肝心なあの「キラキラ」が無い。
「キラキラ」じゃなくても、せめて色鮮やかな「何か」が欲しい。
しかもfreeなもので。

「なんかねーか?おい?」
Boysと一緒に私のofficeを引っくり返す。
一服つけようと煙草に火を点けた時だ。
自分でも感心するほどの、神懸かり的な「ひらめき」が私に降りる。

「サンダルッッ!!!」

Boysのサンダルだ。
Othayaには、それを履く人の色彩感覚を疑ってしまうようなものすげぇ派手な色のサンダルが露店に並び、
片田舎のOthayaでは「おしゃれは足下から」なんて言ってられないわけで、
目が覚めるようなド派手なそれは一般的なものとして流通しているわけで、
boysもそれを支給され履いている。


枝に色とりどりのサンダルを飾る。
残念ながら、近距離では誰かさんのいたずらにしか見えない。
しかしながら、遠くからなら前衛的art調のXmasツリーに見えなくもない…、と信じたい。


「白檀」ってご存知ですか?
そう、お香なんかで有名な芳しいあれです。
「白檀」の英名をご存知ですか?
そう、「sandalwood」です。


今日、boysと一緒につくったXmasツリーもある意味「sandalwood」。
「キラキラ」が無い分、せめてお香みたいな芳香がしないものかと期待するわけだが、
Boysのサンダルでは、漂ってくるのは「匂い」ではなく、おそらく「臭い」…。
プレゼントをお願いする靴下もぶら下げたいところだが、
ORS中を引っくり返しても、穴の開いていないまともな靴下はおそらく見つからないだろうし、
サンダルをぶら下げて、さらに靴下までぶら下げたのでは、
「見た目」と言う点からも、「臭い」と言う点からも嫌味以外の何物でも無い。
仮に、この事情を知っている私がサンタだとしても、申し訳ないがこのXmasツリーはthroughさせてもらいたい。
ドンマイ。


いよいよ明日はマコサンタの出番だ。
昨年は登場でちょっとシクジッたので((※Father Christmas 参照)、今年は万全を期そうと思う。
既にちょっとバレてるけど、
あいつらとは最後のXmasだから、
後世にまで語り継がれるような伝説的な一日にしてやろうと思う。


Tremendous Christmas and Superb New Year to U.

longing

2009-12-22 | In Othaya
思った通りだ。
やっぱりまたやって来た。
あの日依頼、この日がまた来ることを覚悟して私なりに準備はしてきた。
だから、前回同様、突然の襲撃だったけれど、さして驚かなかったし、
お前の手口は知ってんだよ。
手加減はしねぇぞ。
そんな思いが沸々と込み上げ、
むしろワクワクしている自分がいた。


あっ、強盗ではないのでご心配なく。
じゃ、誰って?



手品師のprofessor blackyだ。
TermⅡ(2学期)が終了した8月に、突然やってきては更生院を風靡していったentertainerだ。
先回の大好評を受けて、今回もBoysへのXmas プレゼントとしてmanagerが呼んでくれたのだ。
Managerのとっても粋な計らい。
こういうプレゼントって素敵だなぁと思う。
私も昨年同様に(※Father Christmas 参照)、サンタをやるつもりで相当気合を入れて鋭意準備中な訳だが、プレゼントに関しては未だ未定なわけで、
こんな素敵なプレゼントを先に出されると、弥が上にもハードルが上がってしまい、正直困る。
エスパー伊藤さんとか来てくんないかな。

さて、その手品師professor blackyだが、
楽屋なんて代物はもちろん更生院にあるはずもなく、boysが着席して待つ食堂の隅っこで、着替えを行い、ネタを仕込む。
見ちゃいけないと雰囲気から察しているboysではあるが、それでも興味津津に食堂の隅で準備をする彼を凝視してしまうboysに

「こっちを見るな!こっちを見たヤツは火のマジックの時に焼いてやるからな!」

と、professor blackyは凄むわけだが、目下着替え中であり、上半身=裸、下半身=白タイツ、の姿で凄まれてもちっとも怖くない。
もうその様子が見えただけで、私的には大爆笑なわけだが、
Showが始まると、さらに涙を流して大爆笑してしまった。
手品のsKillはさておき、とにかく「ベシャリ」が上手い。
前回を凌ぐ大盛況だ。
おもしれー。

Showも佳境を迎え、いよいよ私の出番が近づく。
実は先回の8月のshowで、professor blackyからマジック対決を申し込まれていたのだ。
いつか来るこの日のために、私もコインマジックの訓練を重ねてきた(※ FANTASISTA 参照)。
練習の甲斐もあり、おかげ様で私のネタは大成功。
何度か見ているはずのBoysにも、まだタネはばれていないらしく、

「何でだよー!?」

の歓声が心地良い。
対決結果は多数決によって決められることとなっており、
多数決の結果、
申し訳ないが、本当に申し訳ないが、私はprofessor blackyに圧勝してしまった。
私に完敗してしまったprofessor blackyではあったが、さすがはプロ。
その後も手品と言うよりは、話術でboysを虜にし、大盛況のままshowは幕を閉じた。
Boysにアンコールを求められ、無謀にも、つい先程やったネタを再度披露し、ネタがばれて大爆笑を買っていた。
もしかしたらあれも計算の内なんじゃないかと思わせるほどの大失敗で本当に笑えた。


またも食堂の隅で着替えを行い、帰り支度をするprofessor blackyに一言御礼を言いに行く。

「professor blacky、今日はどうもありがとうございました。本当に楽しませてもらいました。
明日からしばらくはあなたのマネをするboysで更生院は一杯ですよ。是非またいらしてくださいね。」

「楽しんでもらえたなら私も嬉しいですよ。私も楽しめました。
子どもたちの前でのshowが一番楽しいんですよ。彼らのキラキラした目を見てると、こっちの方が嬉しくなる。
手品をやってて良かったと思える最高の瞬間です。この瞬間があるから私はmagicianを生業としていて、今後もこれを続けていくんです。貧しいですけどね(笑)。」

素晴らしいなぁ、
羨ましいなぁ、
と思った。
自分が最高と思える瞬間の素晴らしさを確信していて、それ実践をしていくことに迷いがない。

着替えを終えた彼は、本当にこざっぱりした表情で更生院を去っていった。
あんな顔に憧れる。

私にはmagicianを生業として生きて行くことは無理そうだが、
「タネも仕掛けもない」そんな生き方ができたらなと思う。

桃栗三年柿八年

2009-12-20 | In Othaya
最近、やたらにおならが出る。
ここまで出ると、地球環境に悪影響を及ぼすのでないかと心配になってくる。
もちろん、「お通じ」もterrific beyond description.


もともと更生院の給食改善を目的に自宅庭で栽培した牛蒡。
そしたら、El Niñoの雨のおかげ?で、とんでもない豊作。
更生院の給食として、また同僚、ご近所さんへおすそ分けしても、まだ消費しきれず、私はほぼ毎日、牛蒡を食している。
「ごぼうカレー」、「キンピラごぼう風」、「ごぼう炊き込みご飯風」「ごぼうサラダ風」。
いかんせん調味料が塩と砂糖くらいしかないわけで、「~風」にしかならず、残念な限りだ。
豆類、イモ類、トウモロコシはkenyaで一生分を食べることになるだろうことはkenya入国間もない頃に覚悟をしたつもりだったが、
牛蒡までkenyaで一生分を食べることになろうとは夢にも思わなかった。

Holidayにつき帰省してきているOchieng(※endeavor参照)と二人で、牛蒡畑を地下1m程まで鍬で掘る。
私の畑のshyな牛蒡ちゃん達は引っ張り上げられるような手荒な手法はお気に召さないようで、
一人ひとり(一本一本?)丁重なtreatmentを施さないと、肝心なところで「ポキン」っと鼻を曲げてしまう。
従って、私もOchiengも
「オラっ!」とか「出てこい!」など、独り言ちながら鍬を振るう。
ようやく姿を現した牛蒡ちゃんを前に
「マコ、これって葉を食べるの?根を食べるの?」
とOchieng。
「根の方だよ。だからこうしてオレとお前で掘ってんだよ^^。」
「げぇッ、根っこの方はマズそう。葉はどうするの?」
「中国なんかじゃ、漢方っていう薬みたいなものとして使うらしいけど、詳しくは知らねー。」
「葉の方が美味しそうなのに、食べないんだね。捨てるにはなんだかもったいないね。」
「葉はオレも食ったことねぇけど、たぶん苦ぇぞ。」

確かに捨てるには惜しいほどの立派な葉をつけているmy productions.
しかしながら、発想力の乏しい私には雨が降った際の傘としての代用くらいしか思いつかない。
しかしながら、漢方に使用するくらいなら食べても問題ないだろうと試しに調理してみることにした。
さすがに「生」を試すほどの勇者には私もなれず、とりあえずは炒めてみた。
嫌がるOchiengを無理やり誘い、二人で恐る恐る食べた。

「まずッッ!!」
「苦ッッ!!」
雨は降りそうにないし、庭に山積みにされた葉の処理は更生院の牛達に任せることにした。


そして今日もおかげさまでOchiengと二人で炎天下の元、牛蒡掘り。
Kenyaに来て、豆類等やこの牛蒡をおそらく一生分と言って過言ではない程に食べる。
そしてkenyaに来て、おそらく鍬も一生分と言っても過言ではない程に振っている。
鍬を一生分振る前と、振った後、いわゆるbefore and afterの飛距離の違いを、
「バッティングセンター」か「打ちっぱなし」に行って存分に実感したいと最近は特に思う。

「オリャ!」
右中間の柵越え、もしくは350yard越えをimagineして力一杯、鍬を振り下ろす。
しかしながらShyな牛蒡ちゃんはそう簡単には顔を出してくれない。

会心の一撃をお見舞いすべく、
「オリャ!」
の「オ」の部分に渾身の力を込める。
すると、「オ」と「プッ」が見事にsynchronize。
腹を抱えて笑い転げるOchieng。
「プッ」だけ済んで良かったと心底安心する私。
具が出たんではシャレにならない…。

食事中の皆さま失敬。



実はこの牛蒡ですこし商売をした。
売上金は全額、先日立ち上げた奨学金制度(※友たち 参照)の資金にさせてもらった。
多くの皆さんのご厚意のおかげで完売だった。
汗水たらして育てたかわいい牛蒡ちゃんをおいしいおいしいと言って食べてくれる人が居て、
さらにその売上金で、また別の子どもの喜ぶ顔が見れる。
そしておそらく私の飛距離も伸びている。
いい商売だ。

味を占めた私は、来週から次の作物の栽培にむけ畑の下準備を始めようと思っている。
次は何を作ろうか?
個人的には「桃」がとっても食いたいわけで、ぜひともchallengeしてみたいわけだが、
「桃栗三年柿八年、私の任期はあと半年…。」
「桃」は少し無理かもしれない。

あー、桃食いたい。



※後日、牛蒡の葉も調理次第ではとても美味しくいただけることを知った。
「調理次第」、言うまでも無くここが肝だ。
ドンマイ。

ISO

2009-12-02 | In Othaya
Five Ws and One H ?
あの事件依頼、私は「maumau」という名誉ある称号を賜り、Othayaで私は最近「マウマウマコ」と呼ばれている。
「maumau」とはkenyaがイギリスから独立する際に、先頭をきって闘ったfreedom fightersの団名であり、
私が暮らすOthaya近隣の山や森をbaseとしていたらしく、Othayaでは英雄として崇められている。

「M」:mzungu 「A」:aende 「U」:ulaya 「M」:mafrika 「A」:apate 「U」:uhuru
のそれぞれの頭文字を取り「maumau」としたらしく、「maumau」とはスワヒリ語文を略した略称であることを私も最近知ったばかりだ。

それぞれの意味も知りたいですか?
別に興味ないですか?
でも、おそらくこれを知ってる人ってあんまり居ないでしょうからお教えしておきますね。
もし、どっかでkenyanとばったり会った時、このことについてお話しできたらきっとウガリご馳走してもらえますよ。

「M」:mzungu=a white person or European 「A」:aende=he go to 「U」:ulaya=Europe 「M」:mafrika=African 「A」:apate=he get 「U」:uhuru=freedom
となる。
団名というより、スローガンみたいですよね。
「元気ですかー?元気があれば何でもできる!」 → 「げでげで」みたいな。
とにかく、皆さんがいつかウガリをgetすることを願っています。


さて最近、そんな「マウマウマコ」な私は、townでは老若男女に握手を求められ、敬礼をしてくれる警察官までいるわけで…。
「時の人」ってこういうことを言うのだろうか?

俺、なんもできなかったッス。
Maumauなんてとんでもないッス。

という謙虚な気持ちを忘れないように心がけながらも、遠慮なく調子に乗らせてもらっている。
そして、その「調子に乗ってけ!キャンペーン」の期間中である私は、最近あるセリフを身に付けた。

「ノーコメント」

これは思っている以上に便利なセリフで、その内容の曖昧さがまたいい。
当初は事件の捜査に支障をきたすことを避けるため、あの事件について興味本位で聞いてくる輩に使用していたのだが、
最近は誰も彼もへも、いかなる質問にも「ノーコメント」を一貫している私。
政治家や権力者、芸能人が好んでこのセリフを使用する理由が少し分かる気がする今日この頃。

「マウマウマコ、何を盗まれたんだい?」
「ノーコメント」

「マウマウマコ、またあいつらが来たら、返り討ちにできますか?」
「次回は金属バットでフルスイングをお約束します。」
いやいや、もとい、
「ノーコメント」

「マウマウマコ、今年のX’masの予定は? 私ならあなたとのX’masを楽しむ準備はできているけど。」
「もちろん、僕もだよ。」
いやいや、もとい、
「ノーコメント」



本日、Nyagaから教職員を対象に「ISO」についての講義を行うというお知らせがMorning meetingであった。
「ISO」とは皆さんご存知のInternational Organization for Standardizationのあれだ。
「ISO」については、日本では知らない人の方が少ないのかもしれないが、ここkenyaではおそらく知っている人の方が少ない。
ORSの教職員の中で、「マウマウマコ的勤勉ランキング」のNo.1であるNyagaが、
どうやら志願してNairobiまで講習を受けに出向いてきたらしく、そしてそれについて教職員でshareをしようということらしい。
いい流れだ。こういうことなら身を粉にしても協力したいと思う。
実を言うと、きっかけすら忘れてしまったが、私も一時、ほんの少々だけ「ISO」について学んだことがあり、
こう言うと如何にも自発的に学んだように聞こえてしまうが、もちろん自発的ではなく、半ば強制的に、mustな状況下でそれについて学んだような気がする。
大学でのテストだっただろうか?
とにかく、「ISO」という表面的な響きよりも少々突っ込んだところまで学んだ経緯があった私は、Nyagaの講義を楽しみにしていた。
あくまでも私見だが、
日本のように、ある程度の説明を省いたとしても暗黙の了解というか、常識の範囲内での一定のstandardが全員の共通認識として得られる国民性とは異なり、
説明を省くと、というか十分な説明を施しても、十人十色というか十人二十色くらいの共通認識の差異が出てしまうKenyaのような国民性を持つ国において、
「ISO」を組織として明確な基準を示す基準を供給するための手段として用いることは大変有効だと感じている。

講義が開始されてから30分経過後の14時30分。
既に熟睡してらっしゃる職員 1名様。
トイレに席を立ったまま、戻ってこない職員 2名様。
そして、溌剌と講義をするNyaga 1名様。

きっと私を気遣ってのことなのだろう、全編ENGでの講義であり、私としても大変理解し易く、
講師であるnyagaの溌剌とした雰囲気が聴講生である我々にも伝播したのか、終始質問の飛び交うとても活発な講義となった。
どこで調べてきたのか、「kai-zai(介在)」などという日本語まで使用するサービスぶり。
絶好調のNyaga先生が「kai-zai」の漢字の板書をにこやかに私に当てる。
私も試しに「介在」と「介存」を書き、どちらが正しいかを絶好調Nyaga先生に逆に尋ねてみた。
するとNyaga先生は迷う様子もなく、「介在」を選んでみせた。
「すげぇーじゃん!」
私の驚嘆ぶりに、事の凄さがわかったらしい他の教職員からもspontaneous applause.
そして、Nyaga有頂天!
Nyagaのvoltageの上昇と相まって、彼の声は更に大きくなり、
そしていつの間にか講義での使用言語は、ENGからスワヒリ語となり、スワヒリ語は間もなくORS教職員の部族語であるキクユ語となる。
ちなみに、キクユ語ってのは、「ケ」が「take」、「コ」が「where」、「へ」が「give」、「マ」が「truth」、「ウェ」が「you」を表すようなそんな言語で、
私には「ケ」も「コ」も「へ」も「マ」も「ウェ」もspellingは分からない。

「先生―!何言ってるのか、さっぱり分かりませーん。」
と言いたいところだが、
Nyagaの気持ち良さげな様子を目の当たりにすると中断も憚られ、「ノ」とか「テ」とか「アティ」とか「レレ」とか意味不明の言葉に私は悶絶する。

すると突然、有頂天Nyaga先生が私を指差し、何か言っている。
おそらく、何か問題を出し、私に答えさせようとしているのではないかと思われる、が、さっぱりわからん。
答えがわからないと言う以前に、彼が私に出した問題の意味がわからないし、
なによりも、今、彼が私に問題を出し、答えを求めているのかかどうかも定かでない。
ぶっちゃけ、彼が今、私なのか、それとも他の誰かに話しかけているのかさえわからない…。


「ノーコメント…。」

我ながら便利な言葉を覚えたものだと思う。
おかげ様で大爆笑も得ることができた。
もうしばらく「調子に乗ってけ!キャンペーン」を継続したいと思う。


unprecedented crysis

2009-11-25 | In Othaya
11月17日未明。
自分を落ち着かせるために、震える手で煙草に火をつけながら、
「今、何時なんだ?」
なんて思いながら時刻を確認した時の私の腕時計は、確か、午前3時7分だか、8分だかを告げていたように思う。

Gunshot のような轟音で目覚め、数名から発せられるスワヒリ語が私の家の中から聞こえる。
朦朧としながらも、自分が置かれた状況に危機が迫ることは感じていたように思う。
どう殴るか?、どう蹴るか?、武器になる物は何か無いか?
そんなことがおそらくマッハを遥かに超える速度で脳内を巡る。
反射的に飛び起き、ちょうどドアの前に立ち上がった途端、3重にlockedされたはずのドアが轟音と共に打ち破られ、柱のコンクリート片と共に私は飛ばされた。
起きあがろうとする私に目を潰さんばかりのライトが照射されるやいなや、こめかみに銃が押し付けられる。
そこからどれほどの時間が経過したのかは分からない。

外から聞こえてくる悲鳴に
「レイプされていなければいいな。」
「隣で独り暮らしをしているマダムは大丈夫だろうか?」
「Boysは大丈夫なのか?」
「こいつら手際がいいな、初犯じゃねぇな。」
「ここが済んだら、俺、撃たれちまうのかな。」
「何とかしないとヤベーぞ、この状況。どうする?どうする?」

走馬灯は回らなかったが、そんなことが終始頭を過ぎったことは憶えている。
無理やり膝まづかされていたため少しバランスを崩し、身体が動いてしまった瞬間、右腕を何かで叩かれた。
「オイ、コラ、テメェ、調子に乗んなよ。次会った時、絶対に殺してやっからな!」
「目は口ほどに物を言う」を実践したら、こめかみにかかる圧力が増した。

いつの間にか、先ほどまで私の部屋を物色していた男達が居なくなり、私のこめかみにかかっていた圧力も失せ、私は一人部屋に残された。
部屋に一人になった途端に、心臓が鼓膜にあるみたいに唸り始め、暑くも無いのに汗が吹き出て、手が震えた。
散らかった床に落ちている煙草を拾い、震える手でやっとこさ火をつけた。
思うようにマッチを擦れず、3、4本折ってしまったように思う。
「俺、震えてるわ(苦笑)。」
恐怖なのか、情けなさなのか、悔しさなのか、その全部なのか、涙が出そうだった。
その時も未だ外では断末魔のような叫び声が聞こえていたような気もするが、確かでは無い。

「勇気はあるか?」
煙草を吸い終わると、就寝前にベットで読んだ「罪と罰」でのワンシーンが頭のなかでrefrainされる。
どの勇気だ?
立ち向かう勇気か?
このままじっとしている勇気か?

金属バットを片手に外に出たところで、顔馴染みの警察署長がライフル片手に駆けて来た。
「Are u OK、Mco? They have gone. Please drop the weapon, please」




幸いなことに、
レイプされた女性はおらず、
Boysも無事で、
ケガ人は出たが、死者は出なかった。


そして、
私は生かされた。



現金はもちろんCamera、電子辞書、携帯電話、カバンの隠しポケットに入れてあったはずのmusicplayerまで、
金目の物は全て持っていかれた。
が、何故かこのlap topは無事だった。
足跡が付くほどに踏まれているにもかかわらず、電源は上がり、データの損傷もないようだ。
このlap top も生かされたのか?


ご近所さんみんなで無事を確認し合い、できるだけ「明るい」というか、「軽い」というか、「light」な会話をし、jokeを言い合いながら夜が明けるのを待った。
最も被害の大きかったはずの隣のマダムは、鼻唄を歌っていた。


「楽観とは真の精神的勇気だ」
という言葉を聞いたことがある。
彼らの勇気に感服すると共に、彼らのその勇気に救われた。




今回、私は「生かされた」と強く感じた。
宗教じみた選民思想的な発想は否めないが、「俺にはきっと使命があるんだ。」とまで感じたことも事実だ。
が、それは私の極度の興奮からくるただの勘違いかもしれないし、それについての答えは分からない。
しかしながら、私は多くの人に「生かされている」 そのことについては強く実感できた。


多くの方にご心配をいただき、またご迷惑をおかけしたが、私はOthaya rehabilitation schoolを去るつもりはない。
今晩もこの家で眠り、明日もいつもどおりPEをやる。
今晩、眠れるのかどうか分からないが、このくらいのことは乗り越えてみせる。
足跡だらけのベットで、夢も見ないくらい、熟睡してやろうと思っている。
Boysだって、ご近所さんだって、今晩はここで眠る。
私だけが尻尾を巻いて逃げるわけにはいかない。
そして何よりも、私を信じて必死に努力してきてくれたboysへ掛けてきた私の言葉を「嘘」や「裏切り」にしたくない。



「勇気はあるか?」
と問われたら、

「はい。今日、みなさんから教えてもらいました。」
今の私なら、そう答えられる。




≪18th/Nov/09 21:34 as a備忘録≫

マコリン

2009-11-16 | In Othaya
「どした?」
「…。」

「マコ、なんだか毎日つらいよ。」
「そうか、つらいか。」

「マコも毎日つらい?」
俺はお前が大好きなサッカーもしないで、そんな顔して下向いて、「なんだか毎日つらい」とか言うことが何よりもつらい。
そう正直に答えたならきっと、足をケガした年下のboysを教会から一人でオブって帰ってくるような優しいコイツのことだから、
「僕がなんだか毎日つらいことが、マコをつらくしてしまって、そのことが更につらい」なんて風になってしまうんだろう。

例えば、
身体の調子が悪くてつらい、
週末のmassでしか会えないgirl friendが素っ気なくてつらい、
サッカーでのボールコントロールが思うようにいかなくてつらい、
と言うような具体的な事項が彼をつらくしているのではないのだろう。
むしろそういった彼をつらくさせる事項が具体的であったのなら、彼にはそれに立ち向かうだけの勇気と根性はある。
自分が勇気を奮うべき相手が見えず、というか見つけられず、もっと言えば見つける術さえ知らず、
そしてその不安が、人並み以上であったはずの根性の持久力を奪い、そしてやがてそれは萎えてしまう。
「夢」や「希望」について、自分の将来について、それらをembodyし始める年齢に達した彼は、
最近そのことに気付き途方にくれてしまったのではないだろうか。


正直、どんな言葉を掛けることが適当なのか、私には分からない。

「みんなつらいけど、頑張ってんだ。お前も頑張れ!」
「くよくよしてたって始まらないだろ、元気だせ!」
「夕日がきれいじゃないか、あの夕日に向かって走ろう!」

こういった類の言葉を掛けたら彼の「つらさ」は和らぐだろうか?
おそらく、今、彼が必要としているのは、彼が考えるための手伝いであり、彼を更に追い込んでしまうような精神論や、
ましてや地平線に沈み行く夕日でない。

願わくば、私の彼への言葉もその半分が「優しさ」でできているバファ○ンように、
intenseかつtenderなpainkillerとなるべく、私が持つ語彙を総動員する。
考えれば、考えるほど、慎重になってしまい、言葉が出てこない。
そうこうしているうちに、涙ぐみ始める彼。



Kenyaは言わずもがな著しい発展を日進月歩で遂げている。
発展に伴い、総体的に国民の生活レベルは向上し、乳児死亡率は低下し、国民の平均寿命も延びた。
片田舎である私の任地のOthayaでさえ、不安定ながらも電気は供給されているし、その気になればinternetにも接続できる。
これはあくまでも総体的に見た場合のkenyaでの発展がもたらした喜ぶべき点である。
もしかしたら、スタート時点でのそれは「国の発展」を到着点とした、みんなで足並みを揃えて歩く「遠足」のようなものだったのかもしれない。
しかしながら、先にも述べたように、日進月歩で発展を遂げている今日、
トップギアにてアクセルをベタ踏みの状態にある商業主義下では、遅れた者が追いつくまで待っているような牧歌的な光景はない。
今日のそれはまさにレースであり、先頭を行くものは日々努力を重ね更なるスピードアップを目指し、後続もそれに追いつけ追い越せで続く。
いつのまにかそれはみんなで楽しいはずの「遠足」から、生存競争の厳しい「競争」へと取って代わり、
先頭を行く者は後ろにいる者のことまで心配はしていられなくなる。
先頭は世界的に見てもかなり良いlap timeを記録しているのだが、最後尾はもうretireに近い。
故に、国としての平均値はさして上がらず、数値として著しく上昇したのは、先頭と最後尾との間の格差の値だ。

あくまで私見だか、
国立の機関に勤務している両親を持つ私のご近所さんのような子どもの将来の明るさを、仮に100Wの蛍光灯だとしよう。
一方、single parentがilligalな商売で生計を立てている「なんだか毎日つらい」と言う彼の将来のその明るさは10Wに届けば御の字のロウソク数本程度ではないかと思う。
いわゆる経済格差などの社会的格差は新石器時代から存在すると言われており、
このことについて、どちらが善いとか悪いとか、こうならしめたその責任の所在について誰かを詰問したいわけではない。
先程のレースの件しかり、先頭を行くものは先頭に君臨すべく努力をしているわけだし、遅れを取ったのは努力を怠った者の結果なのかもしれない。
国立の機関に勤務するためには彼らも並々ならぬ努力をして来たのだろうし、illigalな商売自体許される行為ではないと思う。

それにしてもね…。
上司は選べないとよく言われるが、生まれてくる子どももその境遇は選べない。
子どもたちの努力次第でどうにかなるという次元を超えてしまっているという感も否めない。

私一人がどんなに憤慨してみたところで、雲行きどころか、風向きすら変わらない。
気張って奨学金制度を立ちあげたところで、全員は救えない。
私は無力だ。
認めたくはないが、今の私には、社会に存在する格差を是正するだけの、「ロウソク」を「蛍光灯」に変えられるだけの力はない。
負け犬の遠吠えめいているが、例えできなくても、常にそれに立ち向かうだけの気概と態度を持ち合わせる自分でありたいと思う。
行動は必ずしも幸福をもたらさないかも知れないが、
行動のない所に、幸福は生まれない。
私が後悔することは、おそらく、「しなかったこと」であり、「できなかったこと」ではない。




Handle with careな年齢の彼だけに、言葉の一つひとつのニュアンスを重んじたい。
英語ならともかく、残念ながら、わたしのスワヒリ語では思うようにそのニュアンスを出せない。
どうせ思うように言えないならと、魂を込めて日本語で言ってみた。

「mco、sielewi ^^」(マコ、何言ってるかわかんないよ 笑。)

じゃ、英語なら?
「mco、it’s too difficult for me ^^^^」(マコ、難しすぎるよ 笑笑。)

筆記話法ならどうだ?
「mco、haielewi ^^^^^^」(マコ、(余計に)わかりにくいよ 笑笑笑。)

「sasa, pia mimi sijaelewa^^^^^^^^.」(俺もわかんなくなってきた笑笑笑笑。)
「mco、usijali^^^^^^^^ !」(マコ、ドンマイ笑笑笑笑!)


結局、
「頑張れ。」だの「お前ならやれる。」だの、「ゆっくりでいいから。」とか「俺も手伝うから。」みたいな、
その程度のニュアンスが、私のスワヒリ語では精一杯だった。




私はまだまだ「バファ○ン」には程遠い。
しかしながら、仮にも私の半分が「優しさ」では些か気持ち悪いし、
仮にも私が「バファ○ン」になれたとしたら、名前は「マコリン」になる。
誰も飲んでくれないような気がする…。

個人的には、ポパイの「ホウレン草」みたく、食べたらモキモ元気が出るような、そんな感じでいきたい。
「俺は苦ぇぜ。でも効くぜ。」みたいな。
優しさについては「organic」、「additive free」ということで勘弁してもらおう。

おし。それでいこう。



disappearance

2009-11-10 | In Othaya


三日前から行方不明です。
見かけた方、ご連絡ください。
また見かけられなくても、「今晩はご馳走だぞ。犬シチューだ。」みたいな噂を聞かれた場合も、至急ご連絡ください。
有力な情報をご提供いただいた方には「unga(ウガリ粉)」を差し上げます。
保護いただいた方には「ugali(ウガリ)」を調理して差し上げます。
多くの皆さまからのご協力をお待ち申し上げております。 

名前:Rex (レックス)
犬種:不明 おそらくmongrel
性別:female
年齢:7ヶ月
特徴:全ての四肢において中指の爪が白色
特技:「お手」、「お座り」 の無視
好物:ugali(ウガリ)、kumbikumbi(クンビクンビ=降雨後、大量発生する羽の生えた白蟻)

paralysis

2009-11-01 | In Othaya
「おっさん、足痛くねぇの?」
「お前が私に煙草をくれたら治る。」
なかなかjokyなおっさんと知り合った。

彼の足は膿んでおり、その傷口には蝿が概算でも30匹は屯している。
傷口の様子から見ても、もう既に痛みと言う感覚を通り越し麻痺してしまっているのかもしれない。

「俺が思うに煙草じゃ、きっと治んないぜ、それ。」
「お前はdocterか?chemistか?そうは見えないけどな。」
「あはは。俺はただの日本人。」

彼の隣に腰を下ろして、彼と一緒に煙草に火をつけて、そして10秒もしないうちに、鼻が曲がった。
嗅覚が麻痺し、目にも沁みてきて涙まで出てきた。
私もしばらく身体を洗っておらず、人の事を言えた義理ではないだろうが、それでもおっさんの圧勝だ。
臭ぇ。

我家からtownへの一本道の途中に、
townへの最後の心臓破りの坂の途中に、
数日前から彼がそこに住まいを構えたことは知っていた。
彼に限らず、townへの道中にはいくつもの、いわゆるhomelessが住居を構え生活をしている。
だから別に珍しいことじゃないし、特段、気にも留めていなかった。
カメレオンがカバンから出てきても、
自宅の屋根に名前は知らないが「ペリカン」みたいな鳥が止まっていても、
特段、気にも留まらなくなって久しい。
そして「カメレオン」でもなく、「ペリカン」でもなく、
彼のような人々の生活を目の当たりにしても「気に留めなくなっている」自分に気付いたことの方が驚くべきことのようになってしまっている私は、
おそらく心のどこかが麻痺してしまっているのだろう。


私見だが、彼のような生活を営む人々は昼間に住居にいることはほとんどなく、昼間はこちらが感心してしまうほどせっせと働いており、
実際に重そうな頭蛇袋を担ぎ、瓶や金属類を拾い集めている姿を見かける。
私が事業主なら彼らのような働き者を雇いたいと思う程だ。
そしてこれも私見だが、彼らが昼間から住居にいる場合は、
遠くからでも臭ってくるほどに酔っ払い、呪文さながらの独り言を発しているか、通行人に何かを強請っている事が多い。

が、彼は私の私見から大きく外れ、そのどちらにも当てはまらない。
昼間はいつも住居にいるし、
かと言って、酒の臭いを漂わせながら呪文を唱えているでもなく、何かを強請ってくるわけでもない。
坂の途中の見晴らしの良いところに寝転び、空を見ているだけなのだ。
その達観した姿に妙な魅力を感じ、とうとう今日声を掛けてみた。

私の経験から言うと、どの国においてもこういった場合にこちらが変な遠慮をしてしまい、
「ちょっとお話伺ってもいいですか?」的な雰囲気で行くと大抵がっかりする結果になる。
(本来は遠慮というか、最低限の敬意は払うべきである。突然襲いかかられた場合の対処くらいは考えておこう!)
「まずはお金を払え。」とかそんな流れになってしまうことが多い。
が故に私は遠慮無しでズカズカ近づき、相手が警戒心を抱く前に相手の懐に入ってしまうといういつも通りの作戦に出た。
が、肝心のおっさんは全く以って私には無関心。
私よりも空を行き交う「雲」の方に興味があるようで、私に視線すら遣さない。
おっさんに近づいたところで、
真っ先に目に入ったのが、彼の足の傷。
真っ先に鼻を突いたのが、この世の物とは思えない程の激臭。
そして次出てきた言葉が、「おっさん、足痛くねぇの?」であり、その後間もなく鼻が馬鹿になったところまでは、既にお話したとおりだ。

「おっさんさ、何してんの?」
「お前からもらった煙草をお前と吸っている。」
もしかすると彼は森の仙人で、
とうとう私のkenyaでの活動もその仙人に認められ、
仙人が私との面会の機会を与えてくださったと思ってしまうようなphilosophic speechだ。
かっけー!超cool!


「写真撮ってもいいかな?」
「好きなだけ撮ればいいさ。」
英語で聞いたら、英語で返ってきた。
んだよ、おっさんカッコ良すぎんぞ!




彼の魅力を余すところなく収めようと、彼の周囲をcamera片手に動き回ると彼の生業が見えてきた。

プラスティックケース:1kg/7ksh/10yen
ガラス瓶: 1kg/20ksh/30yen
だそうだ。
ビニール袋の中身については微笑むだけで教えてくれなかった。
私の第六感も「それ以上は聞かない方が良い。」との判断を下していたため、私も笑顔をお返ししておいた。
ここまでは日本や今まで私が訪れたことのある国のhomelessの人々とさした違いは見られない。
が、やはり仙人然とした彼だけあって、他とは大きく違いを記すものがあった。

おびただしいほどの「骨」が彼の背後に広がるのである。
ご安心あれ、人骨ではない。
正確には「人骨でないと思う」だが。
おそらく牛、山羊、羊等の骨だ。
そしてもう一つ特筆すべきはそこに群がる蝿の数だ。
私が近寄った際に飛び立つ蝿の羽音はバイクが猛スピードで通り過ぎた時のようで、蝿が飛び立って始めてそれが骨だとわかる。
また蝿がたかってくると骨の本来の色であるはずの「白」はあっと言う間に「黒」に変わる。
食事中の皆さまごめんなさい。





「これ何に使うの?」
「コップを作る。」
「おっさんが?」
「お前が手伝うなら、私とお前、と言うことになる。」
なんなんでしょう、このあらかじめ用意されていたセリフのような彼の返答。
彼は本当に仙人なのかも知れません。


「どんなコップ?完成品とかないの?」
「今はない。これから作るところだからな。」
「これ骨でしょ?この状態からどうやって作るの?作り方を教えてくださいよ。」
「お前、私の話を聞いていなかったのか?これから作るんだよ。」
どうやらこれから「コップ一号」の製作に取りかかるらしい。
そのためにここへ越してきた、とも彼は言う。



「お前、骨からコップを作る方法を知らないか?」

いや、ほんと申し訳ないッスけど、自分は知らないッス。
笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑。
失礼だとは思ったが、腹を抱えて笑ってしまった。
久々に大笑いした。
私見だが、彼はおそらく骨からコップを作る技巧について昼夜思いをめぐらし空を眺めていたのではないかと思う。


「骨を砕いて粉々にして、それをどうにかできないスかね?」
大笑いのせいなのか、激臭のせいなのかわからないが、こぼれる涙を拭きながら彼に提案してみた。


「日本人は偉大だな。」
お褒めのお言葉を頂き光栄です。



「また来るわ。」
「お前が来たい時にいつでも来ればいい。」



次回の訪問時までに「コップ一号」が完成しているとは到底思えないよなぁ。
家に消毒液は残ってたっけなぁ。
あいつは絶対仙人じゃねぇな。
このことは絶対blogに書こう。
そんなことを考えながら、思い出し笑いを堪えながら家路に着いた。


どなたか、骨からコップを作る方法をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご一報いただければ幸いです。

wet day

2009-10-24 | In Othaya

「マコ、今日もPEは無し?」
頼むからそんな泣きそうな顔をしてないでくれ。

「こんだけ雨降ってたら無理だろ?さっきグランド見てきたけど田んぼみたいだったぞ。」

「おい、田んぼってなんだ?」
「知らねぇよ。お前がマコに聞けよ。」
「お前の方が英語の点数良かったじゃねぇか!お前が聞けよ!」

著しく英語の点数が悪かった先回のexam後、火曜日と木曜日を「English day」と名付けた私は、
一定の学年以上のboysとは火曜日、木曜日に限り、英語以外での会話を受付けないことに決め、
彼らの語学力向上を図っている。
脳細胞の活動が未だ上昇曲線を描く彼に比べ、もはやそれらが下降曲線を描き始めて久しい私にでさえも
一年程で日常会話であれば不自由を感じない程のスワヒリ語を身に着けることができた。
もちろん努力もしたわけだが。
ちょっとしたきっかけさえあれば、水を得た魚のごとく彼らの語学力も向上するのではないか?
そんな風に思ったからだ。

「What ni Tanbo?」
しばしの押し問答の後、boys代表から発せられた言葉がこれで、
これはKenyan(私の周辺の)が英語を話す際に見られる特徴を顕著に表しており、
一文に英語とスワヒリ語がmixされてくるのだ。

「Can u go over it again? I could’t make out what u’were getting at.」
彼らが何を言わんとしているかは、彼らが交わしていたスワヒリ語での会話の際にわかっているのだが、
今日は「English day」。
もう少し頑張らせてみようと、困惑顔のboysに発破をかけるつもりで再度ゆっくり言い直す。
「Can you go over it again? I could’t make out what you were getting at.」
(もう一度お願いできますか?あなたの言わんとしていることがわかりませんでした。)


「お~!! なるほどね。」
「そっか、そっか、そういうことね。」

おいおい。
俺はまだ「田んぼ」について何も説明してねぇぞ。
なにが「なるほどね」なんだ。
これもkenyan(私の周辺の)が英語を話す際に見られる特徴の一つで、わかってないのに、わかった振りをする…。
結局は先程の英文の説明をスワヒリ語でする必要があり、そしていつの間にかEnglish dayはkiswahili dayになってしまう。
English day は失敗に終わってしまうだろうか?
そんな不安は否めない。


小雨季に入ったとは言え、私の暮らすOthayaでは「小」らしからぬ相当量の降水量が連日見られる。
Kenyanにとって雨とはまさに「恵み」であり、雨が降ることは歓迎される。

「おはよう。今日は雨が降っていていい一日になりそうね。」

そんな挨拶が交わされるほどだ。
私はと言えば、小説などに見られる「雨音が私の心を癒してくれる」などという心境は全くもって理解できない性質であり、断固青空派である。
しかしながら、常時水が不足している地域に住む者たちにとっては、好きか嫌いかとは別問題に、雨は貴重な「恵み」であることは間違いない。
もちろん私も例外ではない。
おそらく信じてもらえないだろうが、
私自身も信じ難いし、そのことについては忘れてしまいたいが、
断水中であった一昨日にどうしてもシャワーを浴びたいと思い立った私は、
自宅裏庭にてスッポンポンになり、降り注ぐ雨にて石鹸をふんだんに使用し、行水を敢行。
水量、水圧ともに申し分なく、キレイさっぱりタマゴ肌を手に入れることに成功した。
どうか、このことは内密にしていただきたい。


「ねー、マコ。グランドがダメならさ、今日のPEは川で泳ごうよ。」
なんとしてもPEの中止は阻止したいらしく、氾濫に近い状態まで増水している川ですら泳ぎたいらしい。

「お前らが溺れても俺は助けねぇぞ。」
「大丈夫!溺れないよ!」

穏やかな状態での川ですら犬掻きが精一杯な彼らのその勇気は評価してあげたいが、残念ながら彼らは100%溺れる。

「じゃあ、川の様子見てこいよ。それとよー、今日はEnglish dayだろー。頑張って英語で話せよー。」

川の様子を見てきたboysが無言でいるのは川の状況を理解し今日は泳ぎには行けないことを悟ったのか、
それとも感情を表現するに相応しい英語が出てこないのか、しばらく様子を伺っていたが、
「Oh my GOD!」
悩んだ挙句にそう言っていたので、おそらく今日は泳いではいけない日であると言うことが理解できたのだろう。



小雨季ではあるものの、その尋常ならぬ降水量をもたらしている原因は「エルニーニョ」にあるらしい。

「エルニーニョが来てるらしいぞ」
「マジ!マジ!いつ来るの?」
「もう来てるってよ。新聞に書いてあった。」
「どこから?ブラジル?」
「俺も詳しくはわからないけど、ブラジルじゃねーだろ?」
「でもエルニーニョってブラジル人でしょ?他には誰が来てるの?」
ん?なんだか、会話が噛み合わない。

「おい!エルニーニョがkenyaに来るんだって!」
「マジ!じゃぁ、カカも来るかな?」
「ハランベースターズ(サッカーケニア代表)とはいつ試合するのかな?」

完全にサッカー選手である「ロナウジーニョ」と勘違いしている。

「what are u talking about ? Do u mistake El Niño for Ronaldinho?」
今日はEnglish day。
根気良く、私も頑張る。


「お~!! なるほどね。」
「そっか、そっか、そういうことね。」

だからさ…、何が「そっか、そっか、そういうことね。」なんだよー。

「English day」 については見直しの必要があるようだ。

おっさん

2009-10-20 | In Othaya
家族が「私に会いに」というよりは、「boysに会いに」来てくれた。
訪ケ(ケニア訪問)の日程の半分以上を私の任地であるOthayaで過ごす(移動も含め)という私の計画を同期隊員たちは「軟禁」と呼び、真顔でその計画の見直しを私に諭す。
24時間かけ、日出る国からやってきて、
この国の目玉であるnational parkの一つも満足に案内もせず、
水や電気の供給すら危うい我家でのstayは「軟禁」と言う言葉の他には、「罰ゲーム」以外に適当な言葉が私にも見つからない。
妻よ、弟よ、後日、野生動物の写真を送るから勘弁してくれ。


ORSに収容されているboysの大半が家庭に何らかの問題を抱え、それが理由でstreetでの生活を余儀なくされ、
ある者は犯罪に手を染め、ある者は薬物に手を出し、そしてある者はその両方の誘惑に負け、
そして「運悪く」と言うか、私としては「運良く」と言いたいが、警察に保護されORSに収容されている。
matherless、fatherless、orphan である彼らがstreetでのsurvivalにおいて渇望していたものは、
お金や食料、もちろん薬物などでもなく、きっと「家族」なのではないかと思う。
しかしながら彼らの想いとは裏腹に、彼らが家庭へ帰ってくることを望まれているcaseは残念ながら少数だ。
私の業務の一つにboysの保護者の連絡先の確認がある。

「そんな子は我家にはいない。」

「家に帰してもらったところで迷惑だ。」

「もしもし。」
「はい、もしもし。」
「ORSですが、○○さんですか?」
「…。ツーッ、ツーッ、ツーッ…。」

私は保護者との会話についてboysにどう説明すべきなのだろう。


家族と離れて暮らすと言う意味では、私はboysと対等な立場にあると思っていた時期があった。
しかしながら、今回の家族の訪ケからもわかるように、私は「一人暮らし」をしているだけであり、
保護者との会話にあるような「一人ぼっち」であるboysの状況とは異なる。
「一人暮らし」≠「一人ぼっち」 
この差は大きい。
とても「対等」などと呼べたものではない。
「一人ぼっち」な彼らをせめて私との「二人ぼっち」にまで感じてもらえるところまで到達しなければ私の存在意義は無いようにも感じる。

肌の色も異なり、未だに「n、m」のpronunciationが曖昧な私が
「おい、俺はお前の兄貴だぞ!」
では、違和感にプラスしてトラウマを植えつけてしまう可能性が危惧されるため、私は最近、
「俺はお前のbrother in lawだ。」
ということにしている。
どのような親戚筋であるかは聞かれてから考えようと思う。
ドンマイ。

であるからして、今回の家族の訪ケについては私の家族として、またboysの家族としての訪ケとなった訳で、
そのことを理解してくれている家族は、私に会いに来たと言うよりも、boysに会いに来てくれた訳で、
「罰ゲーム」さながらの今回の訪ケにも文句一つ言わず?私のplanに帯同してくれた。
野生動物たちの写真は帰国してからでも許してもらえるだろうか…。




当初の私の予定では、私がNairobiから帰省した時のような有刺鉄線越しにboysが駆け寄ってきてくれるような感動的なboysとの再会。
しかしながら、様々なaccidentに阻まれ、Othayaに到着したのは午前0時。
日本ではお目にかかれない程のお星様たちの歓迎にそれはそれで感動していた家族ではあったが、私が当初予定していた程の感動はもちろん無い。
家族も予想外のaccidentに振り回され、グッタリ。
Boysの熱烈歓迎についてはもう仕方無い。一刻も早く汚れに汚れた洋服を脱ぎ捨て、横になりたい。
これが3人の正直なところだった。
しかしながら、信頼していたはずのtaxi driver と料金で揉め始め、私のイライラは臨界点到達間近。
度重なるDriverの過失により大幅に予定が狂ったことは火を見るよりも明らかな事実で、
そのことについて未だdriverから謝罪の言葉を聞いていないことに先ず以って私はイライラしており、
その上、当初契約していた料金への上乗せを「お願い」ではなく、それが当然のように「要求」してきている。
「お客様」という概念が日本のそれと比べ、非常に希薄なここkenyaでは時に戸惑ってしまうようなsituationが多々あるのは事実だ。
それもお国柄と、「郷に入ったら郷に従え」の如く、上手い具合に受け流す忍耐力も体得してきたつもりだった。
が、今回だけはそうもいかない。まるで私が彼にお願いしてtaxiに同乗してきてもらい、その御礼を支払う必要があるかのような彼の言い分だ。

「私にもプロのdriverとしてのPRIDEがある。」
と彼。
なんのこっちゃ?
申し訳無いが、私には彼の言うところの「プロのdriverとしてのPRIDE」については全く以って納得がいかず理解もしがたい。
ズブの素人である私ではあるが「プロのdriverとしてのPRIDE」についてなら言及させていただきたいことは山ほどある。
恥ずかしながら、あまりにも聞き分けの無いというか、傍若無人なdriverに、
ヤツがその気なら武力の行使も致し方無いと手首、足首を回し始めていた頃だ。

「おう!マコ! どうした?なんか問題あんのか?」

すでにdriverを視線での威嚇射撃に入っていたせいか全く気が付かなかっただが、
いつの間にか私とdriverの背後に若者数名を乗せた車が止まり、窓から顔を出している。
私が生活するのはrehabilitation school であり、上記のようにいわゆる非行少年の更生も目的とする施設である。
職業柄、私はいわゆる「柄の悪い」仲間がOthayaに多い。
今まさに声を掛けて来た彼らはnice guysなわけだが、first impressionはとてつもなく悪い。
二言、三言彼らと挨拶を交わし、driverに向きかえると、「もう帰りたい。」と泣きべそを掻き始めていた。
driverよ、お前の「PRIDE」はそんなもんか?
そんなdriverを見ていると、なんだか私が彼を苛めているような気がしてきて、
もちろんそんなことは無いわけだが、
絶対に謝罪だけはしてもらおうと思っていたことも忘れてしまい、「もういいよ。」と帰してしまった。



「PRIDE」ってとっても響きがいい。
多くの者が確固たる「PRIDE」を持っているということを自負していたいし、
中には他人にその「PRIDE」の価値査定を求める者すらいる。

「PRIDE=自尊心」とネット辞書にある。
「自尊心」?
一応、日本人であるはずの私だが、恥ずかしながらイマイチ、ピンとこない。
「自尊心」をネットで検索するも30分以上も画面が変わらないため、現在の私にははっきりとした「PRIDE=自尊心」の定義が分かりかねるが、
「PRIDE」とは、自身が望む自身であるために自身を律するため、鼓舞するための基準というかbarometerであり、
それは自身の内側に向くべきものであって、外側に向きべきものではないと考える。
また「PRIDE」とは「個性」とも「その人らしさ」とも言い換えることができるのではないだろうかとも考える。


「いつから「男らしさ」を女が決めるようになり、「女らしさ」を男が決めるようになったんだ?本来、それぞれはそれぞれの同姓が決めるものだろ?」

誰の言葉だったかは全く思い出せないが、コンビニで何気なく立ち読みしたmagazine articleの一節を思い出す。
私はその言葉に偉く感慨を覚え、
「男らしい」という言葉は男の私にとっては同姓である男性からの褒め言葉であると自悟するようになり、
男の私からの「女らしい」という、それまで女性への褒め言葉だと思っていたその言葉は女性に対して極力使わないようにしている。

ちなみに以前、
「君はなんて男らしいんだ。」
と、私としては褒め言葉のつもりで妻に言ったのだが、彼女の機嫌を損ねた経験がある。
使い方には注意しなくてはならない。


「PRIDE」とは、その当人が自身がこうありたいと望み、そうあるための基準のようなものであり、
「その人らしさ」とも置き換えられる?であろうことから、その「らしさ」については「男らしさ」、「女らしさ」のように自身が決めるべきで、
自身と彼我にある他人が基準でもなく、他人によって査定され、その評価を期待するようなものではないと言うことだ。
そもそも「個性」や「らしさ」とは、そのものが持つoriginalty、individualityであり、自らがappealするまでも無く、他と際立った違いが見られるもののことを言うのだろう。
自らappealしなければ、周りが気付かないものや、
他人に「ね?俺らしいでしょ?」なんて同意を求める、もしくは他人に認めてもらうための「らしさ」なんてものは、如何なものかとも思う。


こんな徒然もない話を、未だ不完全燃焼の怒りに任せて、あのdriverに向け力説しているのではない。
そう、私自身にcontendしているのだ。

幸か不幸か、今現在の私には日本で生活していた頃のように溢れんばかりの情報は到底手に入らない。

「今秋 大注目!デニム靴下!」
みたいな流行情報は皆無だ。
実際に弟が持参したi-△odには目を疑った。
もう少し「リンゴ」が頑張ったら、一般家庭にPCなんて必要の無くなる日も近いんじゃないスか?
つうか、もうそうなっちゃってる?

溢れんばかりの情報が入手できることをいい事に、他人に受ける、大げさに言えば世論として好感をもたれるような物をpick upし、
物であろうとideaであろうとlogicであろうと如何にも自分らしく自分に取りこんだ。
「自称おしゃれ」を気取り、服装や髪型から乗ってる車、他人の思想を脚色したものにすぎないそれにさえ「PRIDE」を持っていると言って憚らなかった私。
なんのこっちゃ?
今思うと本当に恥ずかしい。
穴があったら今からでも隠れたいほどだ。

しかしながら、
「あの当時の僕と今の僕を比べるのは、今の僕に失礼だと思う」
と、あのイチロー大先生もおっしゃっていたように、私も今の自分に失礼の無い様に振舞おうと思う。
悪しからず。



今月で誕生日を迎え、「兄さん」という呼称から、いよいよ名誉ある「おっさん」という呼称を授かっても良い多感な年頃の私。
服装とか髪型とか車とか肩書きとか、世論としての好感度の有無とかは、正直、もうどうでもいい。
余計な装飾を外したところでの「自分」に猛烈にこだわっていきたい。


頭を下げることを拒むことで「PRIDE」を保持してきたつもりだった私だが、
頭を下げた後に残るものが「PRIDE」なんじゃないかともようやく最近思えるようになってきた。
「PRIDEの高いおっさん」を目指していこうと思う。

友たち

2009-09-30 | In Othaya


「人間の価値はその友を見ればわかる。」
ある本にそう書いてあったことを憶えている。

もしそうだとすれば、
私の友人にとっては、私が「友」では散々なのかもしれないが、
私は、私の「友たち」のおかげで私の「価値」を上げてもらっているのだと思う。
私の「友たち」は私の自慢であり、宝だ。




先日来、計画していたkenyaでの奨学金制度を立ち上げるべく苦心していた。
と言うのも、昨年度末のOchieng(※endeavor 参照)の進学の際には奇跡的に支援者が見つかったものの、
個人としてできる支援については限界を感じており、何とか組織として支援できないものかと思い悩んでいた。
恥ずかしながら、
「Kenyaの子どもたちに教育の機会を!」
というような寛大かつ博愛な動機を発端としたものではなく、
Ochiengにどうしても学業を継続させたい、という個人的な動機に基づいたものだった。

そんな私の構想から約半年。
友たち11名が奨学金制度を立ち上げることに賛同してくれた。
私としては、私と同じような案件を抱え悩む者が数名集まってくれれば御の字だと覚悟?していたわけだが、
実際には、11名もが賛同してくれ、そしてその11名の中に私のような案件を抱えた者は一人としておらず、
私のように個人的な動機絡みでこの活動に賛同するのではなく、当面はOchieng一人を支援するためにご尽力いただけるというのだ。

「マコ兄、その子何とかしようよ。」
皆が異口同音にそう答えてくれた。






「人間の価値はその友を見ればわかる。」
その友でその人間の価値を計ってもらえるなら、私は確実にworld ranking 上位だ。

S也、まYまY、S元さん、Kブト、流氷、ranran、nyeusiちゃん、todayちゃん、まkky、客~No、Tクロウ、
今回は本当にありがとう。
次回はちゃんと身体洗っておきますんで、多めにhugさせてください。




現在、ボランティア事業に携わっている私ではあるが、実は私は「ボランティア」という言葉にあまり良いイメージを持っていなかった。
それはおそらく私が「ボランティア」という言葉と出会った遠い昔に抱いてしまった誤った認識のせいなのかもしれない。
道徳の時間だったと思う。
なんだかちょっと胡散臭い話をみんなで朗読し、「ボランティア」についてを学んだ。
通知表には必ずと言っていい程、「落ち着きが無い」と書かれていた当時の私の理解不足も往々にしてあると思うが、
困っている人がいたら助けなければならない、情けは人の為ならず的な結論付けに違和感を感じていた。
他人を「助ける」ことが「ボランティア」で、「ボランティア」は高尚な行為だと思い込んでしまった私は、
そんな「ボランティア」に催す違和感を拭えないまま大人になった。

私の場合、
どんなに「人のため」などとキレイ事を言っても、結局は自分のために行動しているのだと自覚している。
誰かのために何かをするのは、その人が喜ぶのを見ると自分が嬉しいからであり、その人が悲しむのを見ると自分がつらいからなのだと思う。
ここで念を押して起きたいのは、その行為のベクトルは自身に向いているということで、他人ではないということだ。
そこをmisunderstandしてしまうと、「自分はこんなにしてあげた」などというお門違いな優越感が生まれ、その見返りを期待してしまう。
それでは本末転倒だ。

私にとっての「ボランティア」とは、
他人のためのものではなく、また特別で高尚な行為でもなく、自分自身が満足するための手段であり行為である。
と言うことを肝に銘じ、日々の活動に臨むよう努めている。
そして、そんな風に思えるようになった今、「ボランティア事業」に携わっている自身に以前のような感覚を催す頻度は減少したようにも思う。




先日、近所のオヤジに煙草をねだられ、一本差し上げた。
卑しいことを付け加えると、その一本は私の最後の一本だった。
そして彼の喜ぶ姿を見て満足した。
はずだった…。
そして今日、調子に乗ったか、そのオヤジがまた煙草をねだってきた。
私の手元に三本あることがわかると
「兄弟の分も含め三本くれ。」
と言う。
彼の襟首を思わず掴みそうになったというか、かるく掴んでしまった私。
このように偉そうなことを言っておきながら、全く以って説得力がない私。
こんな私を私自身もとても遺憾に思う。
ドンマイ。



先週末、あるイベントで「友たち」と募金活動を行ってきた。

「Nairobiまで募金活動に行って来る。」
と言う私を鼻で笑う一部の更生院の同僚もいるなか、

「あいつらの目が飛び出るほどの成果を収めて帰ってきてやる!」
と心に誓いマタツに乗り込みNairobiへ向かった。

結果、昨年度末に孤軍奮闘した経験のある私からしたら、それこそ私自身の目が飛び出るほどの成果を収めることができた。
同僚には集まった金額のことももちろん自慢したいが、
それよりもむしろ、
こんな風に募金箱とチラシを手に一緒になって頭を下げてくれる「友たち」が私にはいることを自慢したい。



10月中旬になるとOchiengが更生院に帰省してくる。
今回の奨学金制度の話をしたら、涙もろい彼はきっと泣いて喜ぶだろう。
私はそれが見たいんだと思う。
そして今後はその話を聞いて喜んでくれる友も増えた。
友たちの笑顔もそりゃ格別だろう。



「誰かのため」なんてかっこつけなくても、
「自分のため」それで良いのだと思う。