goo blog サービス終了のお知らせ 

DUNIA

ケニア~青年海外協力隊~青少年活動~男子更生院~2年間限定

self-hate

2009-06-02 | In Othaya

所用にて首都Nairobiへ向かうマタツ(乗り合いバス)。
乗り心地はもちろん良くない。
でも今日は天気がめっちゃいい。
朝日に彩られた車窓からの景色がとても良い。
だから、エコノミー症候群を起こしそうでも、
最後部座席の下に押し込められている山羊のおしっこが足下まで流れてきても、
隣のオッサンが随分と長い間体を洗っていないような臭いを放っていても(これはお互い様)、
後ろの席のおばさんが、せっかくの車内ラジオが聞こえなくなるくらい全力で歌っていても、
今日は気分がいい。

今日の座席は運転席の真後ろ。
「そーいや、随分と長い間、運転してねぇな。」
何気無しに、運転席のメーター周りを覗いてみる。
おそらく80kph以上のスピードは出ているだろうが、スピードメーターは「0」を指している。
定員13名のところに18名を乗せて坂道を登っていても、タコメーターは「0」。
オイルゲージランプ点灯。
その隣のランプによれば、全ドアが半ドアらしい。
ウィンカーが点滅して左折をアピールしているが、今走っているのは一本道で、左折した記憶も無い。
何かが引っかかってギアチェンジがうまい事いかないようで、ギアワークは常にlowからTop。
Nairobiまで約4時間。
無事、到着するだろうか?
考えないことにしよう。

僭越ながら、某会の役員を仰せつかっている私は2~3ヶ月に一度meetingのため首都Nairobiへ上京しなければならない。
久々の首都Nairobiへの上京だ。私は勝手にこれを「上ロビ」と呼んでいる。
テリヤキバーガー、刺身、ラーメン、マルボロライトのように、一層のこと、どう足掻いても手に入らないのであればあきらめもつくわけだが、
東アフリカNO.1都市と言われるNairobiには私の住まいがあるothayaではおおよそ手に入らない物が手に入る(大抵は口に入る物のわけだが…)。
であるからして、弥が上にも私のvoltageは上がってしまう。

キンキンに冷えたビール:そもそも「冷たい」、「冷たくない」に関わらず、酒自体もう2ヶ月以上、口にしていない。知覚過敏大歓迎!
肉:これもおそらく1ヶ月以上、口にしていない。 第一希望「豚」 第二希望「鶏」 第三希望「牛」。丸焼きで、一匹持ってこい!
乳製品:ヨーグルト、チーズ。カルシウム万歳!
安定したネット回線:もちろん日本と比べたら快適とは言い難いが、othayaとは比較にならない。送~信ッ!
日本語:会話でも文字でもなんでもいい。そんな趣味は持ち合わせていないはずだが、上ロビ時には「一句詠もうか」なんて気分にもなる。

こんな感じで挙げたら切りが無い。

PEだけは穴を開けたくないため、今回のNairobi滞在は強行日程の一夜二日。
分刻みとは些か大げさだが、本来の上ロビの目的であるmeetingの合間を縫って、果てのない欲望に溺れた。


上ロビの際には毎度こうして欲望に溺れるわけだが、
その結果、「満足度100%か?」と問われると、残念ながらそうではない。
最近は「特に」だ。

ビールの「冷え」が足りないとか、
豚肉が超rareだったとか、
チーズのはずがチーズ味の得体の知れない何かだったとか、
いくら一国の首都と言えど、ここが日本でないことは承知しているつもりだ。
それらについては我儘を言うつもりはない。
満たされないと言うよりは、私を満たしてくれるはずのビール、豚肉、チーズ等を口にしたばっかりに、
何かが胸に痞え始めると言った方が正しい。
はっきり自覚できてはいないが、それはきっと彼らに対する「申し訳なさ」なんだと思う。
そんな感情は私の独り善がりでしかなく、もしかしたら彼らに対して失礼なのかもしれない。
そうは思っていても、
「あいつらにも食わしてやりてぇな。」
なんて考えてしまう私は、「満腹感」とは裏腹に「満足感」は今一つだったりする。

そしてその胸の痞えに言い訳をするように、私は彼らに飴玉を買って更生院に帰る。
「ごめんな。留守にして。」
そう添えて一人ひとりに手渡す。



ズルい。
本当は留守にしたことを謝りたいのではない。
そもそも何のために謝っているのだろう。
「謝る」という行為によって私が楽になりたいだけだ。
あー、やだやだ、俺って最低。
訳も無く逆立ちしてみたり、腕立てしてみたり…。



もうこんな後味の悪いのは金輪際ゴメンだ。
もう飴ちゃんでごまかすような卑怯なマネはやめよう。
上ロビの際にはstoicに徹しよう。
ビールも豚肉もヨーグルトも無しにしよう。


でもな、いきなり全部無しってのもな…、
長続きさせるためにも一品目ずつ減らす作戦にしよう。
じゃぁ、とりあえずは豚肉のカットからだな。
でもよ、豚肉って「ブタミンB」って言うくらい栄養たっぷりなんじゃなかった?
やっぱヨーグルトのカットから始めよう。
でも待てよ、ヨーグルトは人間に大切なカルシウムが一杯じゃねぇか。
カルシウムが不足するとイライラするって言うしな、カルシウム不足であいつらに八つ当たりなんてしたくねぇしな。
じゃあ、ビールをカットか?
おいおいそれはちょっと酷なんじゃねーか?久々の上ロビでビールくらい良いんじゃねぇか?



一体、何様なんでしょう?
他人に厳しく、自分に甘~い私。

こんな馬鹿チンは、存分に自己嫌悪を煩えばいいと思う。
あぁーぁ…。

背中

2009-05-28 | In Othaya
「よーし!出席取るぞー。並ベー。」

私:「mwangi」
Boy:「yeah!」
私:「karani」
Boy:「ye! maco! ’am here!」
私:「ohieng」
Boy:「hey! bro!!」

「おうよ!」、「マコここだぜ!」、「ヘイ 兄弟!」…。
私の点呼に対する返答は「yes」でも「Present」でも「teacher」でもない。
良く言えば、なんともblack personらしい親しみの篭った返答。
悪く言えば、respect=0、tense atmosphere=0…。
常日頃からboysには、「俺は先生じゃない、お前たちの兄貴だ。」と訴え続けている私ではあるが、
このPEの出欠を取るくだりでは、「PEの時だけは先生ってことにしてくれない…?。」って毎度ながらに思ってしまう。
しかしながらこの点呼の際には、映画でしばしば見かけるようなblack person特有のhugとshakeまでサービスしてくれるboyもいるわけで、こんな始業風景は満更でもない私。


その日もいつもと変わらないattendanceからの始業だった。
名簿にある60人のうちの1/3程の点呼を取り終えたあたりだったであろうか、グランドを遠慮無く横断してくる人影を発見。
自慢じゃないが、継続した住民への呼びかけのおかけで、昨今は私の(更生院の)許可無しでグランドに無断で立ち入る人はほとんどいなくなった。
久々の招かれざる客である。ましてや授業中とは言語道断だ。
が、目を凝らすとその彼、どう見てもnormalじゃない。
確かにここは赤道直下のkenyaで日中はかなり気温も上がるわけだが、それにしてもパンツ一丁。
ここまででも十分挙動不審なわけだが、それに加えてこちらに向かって何やら声を上げながら走ってくる。

「飛んじゃってンな…。bangi(マリファナ)かglue(シンナー)やってやがんな。困った御仁が迷い込んでくれたな。どうすっかな?」
携帯電話も持ってないし、もし持っていたところできっと今の状況では即効性は期待できない。

「お前ら、あっちから今すぐ逃げろ。」
Boysにそう告げて、とりあえず木刀になりそうな木の棒を拾ってget ready.

「お前よー!bangiなら他でやれや!」
私の声に気付いたらしく、方向転換をしてグランドからは出たが、なおも走り続ける彼。
長年かかって整えた自慢のドレッドだろうに、パンツ一丁では何とも虚しいものだった。


彼がグランドから出て行ったのとほぼ同時に、今度はきちんと背広を召した紳士が携帯電話を片手に汗だくでグランドに入場。
今日はお客さまが多い。

避難させたはずのboysも背広の紳士に併走しており、
Boys:「マコ、アイツ泥棒だ。留置場から逃げたんだって!」
背広:「捕まえてくれぇぇ~~~」

とっさに振り返るとドレッドパンツマンはまだ私の視界の中に納まる距離にいた。
「お前らグランドから一歩も出んなよ!俺に付いてくんな!」
Boysにそう言い残し、木刀片手に猛ダッシュ!!!


なるほどね。だからパンツ一丁なわけね。


グランドを抜けて通りに出ると、
「あっち、あっち。」
と、ご近所さんがドレッドパンツマンの行き先を教えてくれる。
「いやいや、あっち、あっちじゃなくて、あんたらも追いかけなさいよ…。」
彼の逃走経路は先日の軍隊の選抜試験(※recruitement参照)とほぼ同コースな訳で、登りonly…。
しかもヤツ、やっぱり早ぇ。
「もしドレッドパンツマンを逃がしたら、タバコ止めろってあいつら(boys)に罵られるな…。」
まだまだ禁煙する気のない私はaccelerate。

何とか彼の前方に回りこむ事に成功。
私の思惑どおり、ドレッドパンツマンは今まで走ってきた道を逆走し始める。
「背広紳士の登場 → 挟み撃ち → 一件落着」を信じて、走り続ける私。
が、いくら待てども背広紳士の姿は見えてこない。
「おい背広!何やってんだよ。逃げられちまうぞ。もう疲れたぞ。」



「WOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!」
スゴイ雄叫びと共に、boysが両手に石を握り締め、前方から走ってきた。
総勢約60名。
背広は何やってんだ?
ともあれ、この迫力にはさすがのドレッドパンツマンの足も止まり、ここで一件落着。

かと思ったら、ドレッドパンツマンもなかなかの戦士だ。武器になるようなものを物色し始める。
「いよいよだな。」
と私も木刀を握り締め覚悟を決める。

かと思ったら、更にボリュームを増した雄叫びと共にboysから投石の一斉射撃。
単純計算しても60人×2個=120個の石がドレッドパンツマン目掛けて、というかその後方に居る私にも目掛けて飛んでくる。
「お~い!君たち~!君たちが投げてる方向に俺が居ることも忘れないでね…。」

さすがのドレッドパンツマンも慌てふためいている。
チャ~ンス!
彼の戦意を奪うことは容易かった。
ようやく一件落着。

が、一難去って、また一難。
今度は野次馬が集まり始めた。
やっとのことで捕まえた逃亡者を縛り上げながら、興奮したboysを落ち着かせるのも一苦労なのに、この野次馬たちと言ったら最も性質が悪い。

野次馬1~10:「泥棒か?こいつ泥棒か?」
野次馬11~25:「焼いちまえ!灯油持って来い!」

時にKenyaでは「Mob justice」という大義名分の下、悪事を働いた者にはその場で極刑が言い渡される(※重さについて 参照)。
それだけは勘弁願いたい。
そのつもりで捕まえたんじゃない。
Boysだって見てる。

「下がれ!おい!下がれっつってるだろうが!」
とにかく必死に野次馬を相手に木刀を振り回した。
木刀を振り回す相手は彼らじゃなかったはずだが…。


それにしても背広が来ない。
正直、この野次馬達を相手にしている時間の方が、登り坂で必死にドレッドパンツマンを追跡している時よりも長く苦しく感じた。


もうほとんど徒歩に近い速度でようやく現れた背広紳士にドレッドパンツマンを引き渡すと、
「本当に助かった。本当にありがとう。」
と汗だくの満面の笑みで感謝された。
警官である彼には、最低でも一般市民より機敏に動ける程度に日頃から身体を作っておいていただきたい。


間もなく到着した警察の護送車で彼らが行ってしまうと、ドッと疲れが出た。
グランドに戻る際には住民からの割れんばかりの拍手。
きっと快挙であることには違い無いのだろうが、何故だろう、あんまり後味の良いものではなかった。



グランドに戻り、授業再開。
が、その前に一言。やっぱりこれはどうしても言わなければならない。

「お前ら、ありがとな。上手くいって俺も嬉しいよ。疲れたろ?俺もめちゃくちゃ疲れたわ。警察もお前らのこと褒めてたぞ。」

「でもな、また次もこんな事があったら、次こそはグランドで待っててくれよ。」
「今日だって、俺はお前らにグランドで待ってろって言ったはずだよな?」
「俺との約束破ったら、clubは3日間中止だったよな?clubは今日から3日間中止な。」


「でもさー…。」
「マコ一人じゃさー…。」
「なんでー?意味わかんなーい…。」

私だって本当は嬉しく、彼らのことが誇らしくて仕方がないのだ。
警察からはboysを表彰してもらいたいくらいだ。
今回のことは彼らの正義感から出た行動であって、
あの投石の一斉射撃に関しては、私への加勢なのか、私に止めを刺すつもりだったのか…、
まぁ それは良いにしても、
大半は私を心配して加勢に駆けつけてくれたことは良くわかっている。

私:「お前らがケガでもしたら、俺は兄貴失格だろ?そしたら俺はもうここには居れないよ。お前らとはまだ一緒に居たいからよ、頼むわ。」
Boys「だって、マコ一人じゃ勝てないかも知れないじゃん!」
私:「俺はジャッキー・チェンより強ぇから、大丈夫。」

我ながらもう少し気の利いたことが言えないものかと、ホトホト嫌になるわけだが、
それはそれで納得してくれているboysに一安心…。


気を取り直して、再度attendance。

私:「mwangi」
Boy:「yes,sir!」
私:「karani」
Boy:「present,sir!」
私:「ohieng」
Boy:「Mr.makoto.I am here,sir!」

この珍事のおかげで、boysからの返答に「Sir」とか「Mr.」が付いてきた。
どうやら、今日は先生としてPEをさせてもらえるようだ。
Boysも私もすでに「汗だく」な訳だが、それでもやはりケガの無いように準備運動から始める。


「あぁ 良かった。」
PE後の一服で思わず洩れた一言。
ケガ人も無く、禁煙はとりあえず延期になった。


そして本日、私のofficeまで警察署長より直々にご足労いただき、boysと一緒に御礼を賜った。
今日は警察に感謝される立場であったboys。
彼らの大半が少し前まではその対極の立場にあった者ばかり。

私:「気分いいだろ?」
Boys:「うん。」

もし、また今回と同じようなことが起きたら、きっと彼らは全力で犯人を追うのだろう。
悲しいかな、今日、私と交わした約束は破られるのだろう。
それでも良いような、良くないような…。

子ども達の日々の成長を頼もしく感じるとともに、その成長を見守っていくことの難しさを感じる。
子は親の背中を見て育つらしい。
見てもらえるかどうかは別問題としても、見られて恥ずかしくない背中の持ち主でありたいと思う。




キャッチボールのすすめ

2009-05-23 | In Othaya
皆さんは「キャッチボール」の経験はあるだろうか?
いわゆるグラブとボールを使って行うあれだ。
まだ経験の無い方はぜひ今週末にでも恋人なり、ご家族なり、お仲間なり、あなたが愛する人を誘われて楽しまれる事をお勧めする。

キャッチボールの際には、できれば、やはり抜けるような青空の下がいい。
場所は、これもやはりその抜けるような青空を隔てる物の無い場所がbestである。
青空と白球のassimilationの瞬間の素晴らしさと言ったら、これはもう言葉には表し難い。
グラブは無くても「キャッチボール」は成立するが、できることならグラブはあった方が望ましい。
どんなグラブにも必ずsweet spot があってそこでキャッチした時の感触、またそこでキャッチした時にだけに発せられる快音は、これもまたbeyond descriptionなのである。
そして何より「キャッチボール」はあなたが愛する人と楽しむに限る。
些か強引な気もするが、約30年の人生の大半を野球と共にしてきた私が言うのだから、間違いないと断言したいくらいだ。
「キャッチボール経験者」も「キャッチボール未経験者」も今週末はグラブとボールを持って出かけてみては如何なものか?


「キャッチボール(catch+ball)」は、おそらく和製英語なのだろう。英語では「catchball」とは言わない。
「キャッチボール」は「catch」と言い、
「キャッチボールしようぜ!」は「Let’s play catch!」などと言う。
「catch(掴む)」と言う動作の他に、「throw(投げる)」と言う動作もあるわけだが、「スローボール(throw+ball)」とは言わないし、「throw」とも言わない。

何故か?

「投げる方は受ける相手の事を最優先に考え、受ける方はそれをしっかり受け止めることを最優先にするからだ。」

と、私は高校時代の監督にそう教わった。
今でもその話を聞いた時に妙に合点がいった事を覚えている。
要は、受ける相手の取りやすいような球筋を意識し、受け取る方はそれを確実に受け取るように意識し行うという、「受ける」という動作が主体になるから、と言うことなのである。
プロや社会人、大学、もしくは高校野球でもいい、そのチーム、選手の良し悪しはそのキャッチボールを見ればおおよその判断がつく。
素晴らしい球筋のボールが伸びていき、そしてそれは受ける相手のグラブのsweet spotに吸い込まるように快音と共に納められる。


「会話のキャッチボールを心がける」
野球のキャッチボールを引用して使われる言葉の一つだ。
これも私が監督から教わったように考え、当てはめると実に納得がいく。
もしかしたら監督は、本当はこのことの伏線として「野球のキャッチボール」の話をしたのではないかと思っている。
言葉を発する者はその言葉を受け取る相手の気持ちを考え、言葉を発し、
また、その言葉を受け取る者はその言葉を発した者の言葉、気持ちをしっかり受け止めることを考えて会話を行う。

野球の実技を大雑把に区分すると「キャッチボール」と「バッティング(相手の投げたボールをバットで打ち返すこと)」に区分される。
「バッティング(相手の投げたボールをバットで打ち返すこと)」は、練習を除いて対戦相手としかしない。
が、その半面、キャッチボールは原則、チームメイトとしかしないのである。
「会話のバッティング」という言葉を今まで聞いた事がないのは私だけではないだろう。




私はほぼ毎日、皆さんにrecommendしたような条件下でboysと「catch」をしている。
抜けるような青空の下、そしてそれを隔てるものは何も無い広大な大地で、
日本の有志から送っていただいた中古ではあるが、とても大切に使われてきたことの伺えるグラブとボールを使って。
まだ「野球」を始めて数ヶ月のboysからグラブのsweet spotに納まった時の快音が聞こえる事は稀だが、
必死にボールを捕まえようと奮闘する彼らを相手に夕暮れまで投げ続ける私。
おかげ様で毎日の私の投球数はあの伝説の一戦にもなっている松坂の甲子園での球数より多い。
「今年のドラフトこそは」などと、未だに密かに指名を期待している懲りない私。




愛するboysに目一杯の思いを込めた剛速球を放つ。
彼らの「心のsweet spot」に納まった時の快音が聞こえてくるまで放ち続ける。
そしてたとえ彼らからのそれが大暴投であっても、変化球であっても、私は必ずsweet spotで受け止めてみせる。
最高の快音を響かせて。



キャッチボールは愛する人とするに限るのである。

so do I

2009-05-19 | In Othaya


もしもーし。
半分見えてますよー。
さてはお前、パンツ穿いてねぇな。

って、最近は俺も穿いてないんだけどね。
だってよー、なんだか穿く意味が無いような気がしてさ。
洗濯物も増えて、貴重な水がもったいねぇし。

なんで人ってパンツ穿くのかな?
Sensitiveなトコを隠すため?
穿かないと何か衛生的に問題あんのか?
たしかに洗濯したてのジーンズを下ろした時はパンツの重要性について考えさせられるけど…。

ところでお前、後ろはともかく、前は大丈夫だろうな?
「象さん」が「Habari!:こんにちは」とか言ってねぇだろうな。
もしそうなら、それは事故扱いだぞ。大事故だ。

穿いていないなら、穿いていないなりに身嗜みには気を配ろうぜ。
それがgentlemanってもんだろ。

金八

2009-05-13 | In Othaya
飽きっぽいboysを相手に、限られた用具で、毎日PEの授業を展開することはなかなか難しい。
入念にplanを練らないと、酷い自己嫌悪に襲われる結果となる。
その晩も、来週月曜日からの1週間分の授業案を「あーでもない、こーでもない。」っとやっていたら、
Officeを出たのは22時だった。
さすがにこの時間ではboysは全員寝付いているのだろう。
昼間の喧騒が嘘のように、ドミトリーは静寂に包まれている。
「せっかくだから寝顔でも見ていくかな。」
イビキとも言えるboysの寝息に笑いを押し殺しながら、4棟あるドミトリーそれぞれを窓越しに覗く。
あんまりにも真っ暗でお化けが怖かったが、いつの間にかフォックスが隣に居てくれたので心強かった。

「フォックスさ、明日俺の昼飯ちょっとあげるからさ、頼むから俺ん家まで一緒に来てくれよ。」
必死にお願いするのだが、彼女は行ってしまった…。
フォックスが行ってしまった今、怖くてもう後ろも振り返れない。
何でこんな時間まで仕事をし、そして寝顔を覗いて帰ろうなんて思い立ってしまったのか、自分が恨めしい。

恐怖度、暗闇度ともに我が更生院NO.1を誇るDiningの手前に差し掛かった時だ。
Diningの屋根のあたりで何かが動いた。

怖いもの見たさだろうか?
反射的に木の陰に身を隠し、息を殺して状況の把握。
というより、お化けじゃないことだけをひたすら祈る。
見た感じ、どうやらお化けじゃないらしい。
必死にDiningに忍び込もうとしている人影だ。
「泥棒か?」
カバンを置き、上着を脱いだ私は一気に臨戦態勢。
仲間が居たら?なんて考えたが、その時はその時だ。
ヤツがDiningから出てきたところでrushをかけよう。


「何やってんだコラ。」
走って逃げ出す泥棒らしき人影。
先日othaya record を記録している私から(※recruitmento-2 参照)逃げられるとでも思っているのだろうか?
速攻一本背負い。
マウントポジションを取り、腕を掴むとノゲイラをイメージしたアームバーで絞り上げる。
「マコ、マコ、マコ、マコ、マコ。」
「あ?Nganga?お前何やってんだ?」
Ngangaは我が更生院class4の16歳。
3日前から行方不明になっており、先日私が警察署にreportを提出してきた。


原則的にboysは更生院からの外出は制限されており、日に数度の人数確認がある。
有刺鉄線が更生院の敷地を囲み、Lock upの時間になればゲートは施錠される。
が、ここは刑務所ではなく、更生院であり、刑務所のようなclose guardは敷かれていない。
高い塀に囲われているわけでもなく、監視が常駐し目を光らせているわけでもないため、その気になれば誰でも出入りはできる。
悲しいかな、boysのescapeが月に数件あるのが現状だ。
更生院での生活に馴染めない者、ストリートに多くある誘惑を振り切れない者等、
理由は様々あるようだが、
「家族に会いたい一心で」
彼らがescapeを決意する理由の大多数はそこにある。
当然そのことについては予め予測のつく事態であり、その防止策として、
boysは個々に縁のある地域(家族や保護者の住む地域)からは遠い地域の更生院に収容されることになっている。
escapeしたところで徒歩では到底帰れっこないところに収容されているのである。
そのことは当然boysも承知している。
それでもなお、彼らは家族を求めescapeして行く。
自らの過ちが原因で収容されることになったboysのescapeを引き止める理由については説明がつくが、
自らに過失はなく、家庭の事情等によりここに収容されたboysの家に帰りたいという理由からのescapeを引き止めるだけの理由については、
私はまだ彼らにきちんと説明ができない。

「残念だけど、例え家に帰ったとしても家族が歓迎してくれるとは限らないんだぞ。」
「家に帰ったら、また死ぬ寸前まで殴られる毎日だぞ。」

とは口が裂けても言えない。
況してや

「仲間や俺が居るだろ。」

なんて、まるで次元の違う話であることは百も承知している。
自ら志願してこういった状況に身を置いたはずの大人の私だって、negative cycleにハマッてしまった時は日本の家族(犬含む)が恋しくてたまらない。
「トウモロコシ酒でもエタノールでも何でもいいから酒持って来い!」って自棄を起こしたくなる時だってしばしば。
そんな時、私は初心にかえることで、また完全なる孤児であるboysのことを思うことで、自己を叱咤激励するわけだが、
それと同じようなことを彼らに強いるのはあまりにも酷だ。




私:「腹減ってんだろ?俺ん家で飯食うぞ。」
Nganga:「…。」
escapeが失敗に終わったことの不甲斐なさからなのか、安心したからなのかは分からない。
必死に涙を堪え身体を震わせているNganga。

私:「誰も見てねぇからよ、我慢してないで泣いちまえよ。」
仁王立ちのまま声を上げて泣き始めるNganga。
一体どこにそこまでの涙を隠し持っていたのだろう、と思うほど大粒の涙を流す。
「どう声をかけるべきか?」
きっと、そんな風に考えた後に出てきた言葉なんて大した言葉じゃない。
だからタバコに火をつけて、彼の気が済むまで、涙が止むまで待つ。


「飯食うぞ。」なんてカッコのいい事を言ったはいいが、我家には食パン4枚とバナナ3本しかない…。
何か温かいものでも食べさせてあげたいのは山々だが、無いものは無い…。
精一杯頑張ったところで白湯くらいしか増える見込みはない…。
期待を裏切る夕食だったからなのか、他の理由からなのかは分からない。
またも必死に涙を堪えて身体を震わせながら食パンをかじるNganga。

私:「だからよー。もう泣くなよ。さっき泣いたろ。」

聞けば三日三晩、飲まず食わずだったらしい。
赤道直下のケニアではあるが、雨季がそこまで来ている昨今の朝晩は、吐く息は白く、手袋やマフラーが恋しいほど冷え込む。
そんな中、野宿をしながら過ごしたが彼だが、空腹と寒さに耐えられず食料と暖を求め更生院に戻ってきたらしい。


私:「またここでしばらく暮らせるか?」
Nganga:「うん。」
私:「じゃ、ドミトリーに帰って寝るぞ。」



翌朝、Ngangaは廊下に正座をさせられていた。
きっとescapeのお仕置きだ。
恥ずかしそうにピースサインをしてくるNgangaに私からもゲンコツを一つ。
「welcome back.」って思いを籠めて。




毎日いろいろある。
なんだか3年B組みたいだ。
私の髪型も金八みたくなってきてるし…。


良い事ばっかじゃないけど、こんな毎日も悪くない。


champion

2009-05-02 | In Othaya
自慢じゃないが、現在 私はO.R.S.(Othya Rehabilitaion School)のプロレスチャンピオンだ。
幾度とない熾烈な戦いを制し、タイトルを防衛し続けている。
その筋に詳しいboysの話によれば、私がChampionに君臨している期間はO.R.S.史上最長を記録しているとのことだ。
当然ながら、私のベルトを狙う輩はこのO.R.S.に副とおり、対戦スケジュールはとてもtightで4試合/1日なんて日もある。
私はピンなのに、何故か相手はペアだったりする時もある。
私がカウントを取りにいく時は、「1...、2...、3!」と5秒もかけるくせに、
私がカウントを取られる時は、「123!」と2秒もかからないような依怙贔屓なrefereeも居る。

歴代の英雄とも称されたChampのほとんどが虐げられながらもその栄光を保った。
たとえどんな向かい風が吹こうとも、帰国するまでの間、このタイトルを譲る気は毛頭ない。


先週よりO.R.S.ではプロレスのトーナメントが組まれ、そのトーナメントの勝者が王者である私との対戦権を獲得する。
そしてトーナメントは終了し、私の対戦相手が決まったようだ。


どうやら今回の対戦相手は覆面レスラーらしい。
今までの戦いぶりから見ると、彼は空中戦を得意とするようで、彼のドロップキックは警戒しなければならない。
今回もstiff fightになることは必至だ。

覆面:「ドロップキックでchampを倒す!」
Champ(私):「新必殺技で覆面を倒す!」
前日からお互いのマイクアピールもheat on。

タイトルマッチは明日の午後3時。グランド特設会場にて。

前夜は入念なストレッチをして床に就き、夕食にはニンニクまで食べた私。
今日こそ「キン肉バスター」を決めたい。

勝利へのvisualizeはperfect。
試合前のwarm upもperfect。
リング登場後のPerformanceもperfect。
さぁ 来い覆面!
今日がお前の命日だ!


が、待てども待てども対戦相手である「覆面」が表われない。
見た感じそれ程準備に時間を要するような「マスク」ではなかったはずだ。
靴下を改良したそれは、シュッと上から被るタイプで、支度には3秒もあれば十分だろう。
それ故、私が勝利した際には覆面レスラーにとっては最大の屈辱である、「マスク剥がし」で辱めを与えてやろうとも考えている。

10分が経過した頃、
「もしやこれは彼の作戦なのでは?」
「私を焦らして、集中力を奪い、一気に攻勢に出るつもりなのでは?」
など、様々な憶測が脳裏を過ぎり、私も落ち着きを失い始める。
彼の策略に嵌まってはならない。
何があっても動じない、それがChampion たる者のprerequisite conditionだ。
とにかく、「キン肉バスター」の完成図だけをvisualize。



それにしても遅い。
数名のboysが彼の催促に向かったが、見当たらないと口を揃える。
彼の身に何かあったのではないかと心配になってきた。
私も臭い穴に落ちて、危うく命を落としかけた経験がある…。(※残暑お見舞い 参照)
タイトルマッチは一旦中止とし、全員で彼の捜索を行うことにした。
数隊に分かれ、グランド、教室、そして臭い穴周辺の検索にあたる。

検索を開始して程なく、彼の覆面が教室内にて発見された。
覆面レスラーにとって命の次に大切と言っても過言ではない「マスク」が放置されているとは、
やはり彼の身に何か起こったのではないか?
もうすぐ日も暮れる。赤道直下のここkenyaではあるが、標高2000mに位置するothayaは一日の中に夏と冬が同居するような気候帯地域であり、
なんとしても日没までに彼を探し出さなくては彼の命に関わる。

「居たか!?」
「居ない。」
「居たか!?」
「居ない。」
「居たか!?」
「居ない。」
際限無く、そんなセリフが繰り返される。



「マコー!居たよーー!」
Boysから発見の一報。
一目散に発見現場に駆ける。



写真をよく御覧頂きたい。
穴の中で枯葉を被り、息を潜めている彼がお分かりになるはずだ。

「何やってんだよー。心配しただろうー。それにしてもお前よー(笑笑笑笑笑笑大笑)。」


なんでもChampionの「キン肉バスター」に恐れをなし、試合直前に逃げ出し、ここに隠れていたらしい(笑)。
久々に大笑いした。
試合は行われず私の不戦勝となったが、明日はおそらく腹筋がひどい筋肉痛であることは間違いない。

ともあれ、タイトルは保持。
イチローも頑張ってる。
私も頑張ろうと思う。

続 anticipation

2009-04-24 | In Othaya
自己主張の強すぎる太陽光線にも負けず、
均等分配という言葉を知らない気まぐれな豪雨にも負けず、
ゲレンデが恋しくなるほどの朝晩の冷え込みにも負けず、
とうとう出てきた。



あいつらがネットをする機会はおそらくないだろうから、
秘密をバラしちゃうけど、
お前さんが咲いたらさ、
あいつらがここを出て行く時にお前さんをプレゼントしようと思ってんだ。
カッコとか色とかわがまま言わねぇからさ、
とにかく張り切って咲いてくれよ。

ところでよ、
種屋のオヤジに「forget me not」がほしい。
って言ったら、スゲー自信なさげにお前さんを渡されたんだけど、
お前さんの正体はホントに「forget me not」かい?

「forget me not:勿忘草」
誰が名付けたのか知らないけど、お前さんの名前かなりいいな。
花言葉は知らないけど、きっと洒落てんだろうな。


もしも、お前さんの品種改良に精出して
「litter here not」とか創ってグランドに植えたらポイ捨ては減るかな。
「destroy earth not」とか創って世界中に植えたら環境破壊は止まるかな。
「ignore me not」とか「neglect me not」とか創って世界中に配ったら救われる子どもがいるかな。
「peace more a lot」だったら、平和な世界になるかな。




近頃はまた花屋さんも満更ではない私(※生業 参照)。

かぐや姫

2009-04-18 | In Othaya
私:「Mucheru(私を息子のようにかわいがってくれるおばちゃん先生)、腹減ったよー。」
Mucheru:「じゃぁ、それをかっていきなさい。」
私:「ありがと。」

あえて、「ひらがな」で記したわけだが、Mucheruの「かっていきなさい。」は
「買って」ではない。「刈って」だ。
再度、正しく変換すると、
「じゃぁ、それを刈っていきなさい。」
ということになる。

一旦家に戻り、伝家の宝刀(着任当初にManagerから頂いたPanga ※「切れ味」参照)を携え、
Mucheru宅の裏庭というか、草むらに入る。


当初はどれが熟れていて、どれがそうでないのかもわからなかったが、最近はほぼ100%の確率でそれがわかるようになった。
当初はせっかくの伝家の宝刀も使いこなせず、時に空手チョップ、時にドロップキック…、
「刈る」というよりもどちらかと言えば、力技でネジ折っていた私だが、最近は自慢じゃないがPangaはネティブ並みに使いこなせるようになった。
当初は正直、もしチョコレートがあるなら、迷わずチョコレートを選んでいた私だが、最近はもしチョコレートがあるなら、少しは迷うであろう私。
そして迷った挙句、おそらくチョコレートを選んでしまう…。
ドンマイ。

「Suger cane」
日本でもお馴染みなのだろうか?
ジーンズの素材として、made from suger caneの砂糖 等々、私もその存在は知っていたが、ケニアに来るまでそれを直接食べたことはなかった。
実物を見たことのない方のために若干の補足をすれば、見た目は「竹」である。
であるから、Pangaでそれを刈る際にはいつも、もし「かぐや姫」が出てきたらどうリアクションしようか、などと考えてしまう。


「かぐや姫」が居ないことを確認した後、pangaを使って大胆に皮を剥く。
皮を剥き終わったら、一口大に切る。それが面倒であれば、そのまま齧り付く。
そして噛む。とにかく噛む。ガムの要領だ。すると見た目からは信じられない程の甘~い汁液がお口を包む。
ここで注意しなければならないのは、Suger caneは決して飲んではならないということ。
私は経験ないが、もしもSuger caneを誤飲してしまったならば、想像するに魚の骨が喉に引っかかってしまったときなぞ比にならない程の異物感に喉をやられるだろう。
噛んでも味がしなくなったら、吐き出し、次を頬張る。そしてまた噛む。とにかく噛む。
その繰り返しだ。
そんなこんなで一本食べ終わる頃には、種目は定かではないが、顔面強化選手にでも選ばれたのでないかと思える程のアゴ周りの疲労感は否めない。
「敵ながら天晴れ」さながらの歯に引っかかったSuger caneの執拗さと挌闘しながら、吐き捨てた残骸達の後始末をし終わる頃には、もう一本食べたくなる。
が、マラソンなどで良くあることだが、気持ちとしてはまだまだ走れるのに膝が痛んで走れない、
なんて状況と一緒で、気持ちはもう一本乗り気なのだが、アゴが付いてこない。



「あっ かぐや姫さん。幼少時には大変お世話になりました。ケニアへはご旅行ですか?ご滞在はやっぱり満月まで?」
こんな感じで失礼はないだろうか?

recruitment-2

2009-04-13 | In Othaya
さて、ひょんなことから軍の選抜試験を受けれることになった私。
野次馬を押しのけ、自宅へ猛ダッシュ。
短パンとTシャツに着替え、髪を縛る。
気合を入れすぎたか、きつく縛りすぎて頭皮が痛かったが、勝負にはこれくらいで丁度良い。

グランドに入ると、私を見た観衆がザワめき始める。拍手まで起こった。
有刺鉄線越しからはBoysからの黄色い声援ではなく、茶色とでも言うべき声援。
もう既に頭の中では運動会の定番曲「天国と地獄」が流れている私。
こんなシチュエーション久々~!!
ドキドキとワクワクで全身に鳥肌が走る。
「うぉ~!快感~ッッ!!」


鳥肌が立つほど興奮してしまっている自分がいる反面、
この選抜試験に人生を賭けて志願している者もおり、ただただ興味本位で参加していることに対する申し訳無さから、
目が合ったライバルには言い訳のするように事情を説明していた私だったが、
彼らだって私になんて負けるつもりはないだろうにと、かえって失礼なような気がして止めた。



選抜試験は20名ほどのグループに分けられ、それぞれのグループごとで体力測定が行われる。
長距離、短距離、筋力測定、の3種目からなり、私のグループは筋力測定からだった。
横一列に並ばされ、検査官の掛け声に合わせての腕立て伏せからだ。
みんなかなりゴチぃ。
DNA情報の違いなのか、「日本人はどんなに鍛えてもそうはならないよな。」 てくらい筋骨隆々。
「こりゃ、100回くらいやらないとダメだな。」と覚悟を決める。
が、以外にも30回をカウントしたところで、半数が脱落。
自慢じゃないけど、まだまだ余裕。
50回をカウントしたところで、私を含め3人になった。
自慢じゃないけど、多分まだ50はいける。
70回手前で2人になった。
自慢じゃないけど、あと30は気合でやってみせる。
80回あたりから、腕が震えてきた。
自慢じゃないけど、もうライバルの様子を伺う余裕はない。
95、96、97、98、99、100。
検査官:「やめーッ」
あぶねぇ、あぶねぇ。
もう限界だった。
結局、100回をやったのは私を含めた2人だけだったようだ。

しばしの休憩。

種目:腹筋。
自慢じゃないが、これは楽勝だった。
50回やったのは私一人。

しばしの休憩。

種目:懸垂。
懸垂って…、さっき腕立てやりましたよね…。
って、そんなことは言ってられない。
20名のグループは更に半分ずつに分けられ、10名がサッカーのゴールポストにぶら下がる。
検査官の掛け声で、上がり、そしてまた上がる。
さすがに腕がプルプルどころかガクガクした。
当初は検査官の掛け声に合わせて声を出して数えていたのだが、

「ファイト~!一発!」

に変えてからというもの調子が良い。
10回を超えたところで、腕立ての時の彼と二人きりになった。
私は私でケニアの人々にとってはかなり風変わりな掛け声を発していたと思うが、
その彼の方も相当気合の入った変な掛け声を出していた。
私の「ファイト~!一発!!」と
彼の「%&$×△*?」の掛け声がこだまする。
でもその彼ときたら、時折、声が裏返って女子Tennis playerのNavrátilováみたいな声を出すもんだから敵わない。
あれは反則を取ってほしい。
これも25回を終えたところで、「やめッ」の掛け声がかかり、腕立ての時と同様に彼との勝敗はつかなかった。
もう腕の感覚が無い。
喉も渇いた。
リポDが飲みたい。

次はどうやら短距離らしい。
いよいよ来た。
この短距離走が一番楽しみだった。
私の記憶が確かなら、生まれてこのかた短距離走で負けたことはない。
こんな機会でもないと自慢できないので遠慮なく言わせてもらえば、最盛期には50Mを5秒台で走った。

10人1組で走るようだが、一緒に走る10人のライバル達の中にはあのNavrátilováがいる。
今日、彼とは徹底的に勝負しなければならないようだ。
いよいよ次が私の組の番となったところで、お腹が痛くなり始める。
良い兆候だ。
私は「勝利の便意」と呼んでいる。
でもどうしてだろう?
どういう訳か、緊張したスタート前になるといつもウ○チが出そうになる。
私だけだろうか?皆さんにはありません?このスタート前のウ○チ兆候?

いよいよ私の組の番が来た。
ちょっといい気になって、観衆に手拍子を求めた。

「パン、パン、パン、パン、パン、パン、パンパンパンパン…。」

でも誰も応えてくれなかった…。


「早くしろ!」
Starterに叱られた。
恥ずかしい。止めときゃよかった…。

「ready、steady、、、GO!!」

申し訳ない程、ぶっちぎり。
おそらくothaya record.
気の利いた観衆が日本国旗を持っていないか探したが、ちょうどお昼時間になったようで皆さん帰り支度をしている…。
記録よりも記憶に残る選手を目指すことを自身に誓う…。


いよいよ最終種目の長距離走。
開始前の説明を聞いていてビックリというか、自信喪失。
一般道へ出ての15kmだそうだ。
マジか?
ここothayaは山間部に位置し、flatな道はないし、標高だって2000m近い。
完走を目標にした方がいいかも…。
かなり弱気の私。
が、いざスタートするとやっぱり負けたくない。
とにかく先頭集団に居ないと遅れる一方だと思い、とにかく先頭集団入りを狙う。
自分ではかなり飛ばしているつもりだが、それを上回る勢いでみんなガンガンに坂を登っていく。

「早ぇ。」


中間地点に到達した時にはもう既に「負けないで」が頭の中で流れている私。
先頭集団どころか、最下位争いの真っ只中である。
ゴールの更生院グランドが近づくとBGMは「サライ」に替わった。
最下位は免れたが、14/20だった。
これは悔しい。
Navrátilováは3位だったようだ。
さらに悔しい。



成績発表は昼食後ということで、一旦更生院に戻る。
Boysが一列に並んで、軍隊式敬礼で迎えてくれた。

Boys:「マコ大佐、お昼は何を召し上がられますか?」
私:「って、お前、ウガリ以外になんかあんのか^^? 水が飲みてぇ、水、水。」
Boys:「yes、sir!」

運ばれてきた15L満タンのバケツの水をboysと飲みながら、筋力検査、短距離走についての称賛はそこそこに、
長距離走のダメ出しをされ、だからタバコはやめろと脅され、最後は何故か謝らされた私。

しかしながら、普段からの私の言葉には少し説得力がついたようだ。
「だろ?グランド整備を一生懸命やった人のことを神様はちゃんと見てて、その人に良い結果を与えてくださるんだよ。なっ?俺100m超速かったろ?腕立てだって、モキモキかっこ良かったろ?懸垂だって、一番だぞ!」


Boys:「じゃぁ、マラソンは?」
痛いところを突かれた…。
私:「あー、だってほら、マラソンは道路だろ?次はマラソンも負けないように道路のゴミ拾いでも始めっかな^^。」
かなり形動…。
ドンマイ。


私は「野球の神様」が居ると教わり、その「野球の神様」の存在を信じずにはいられないような数々の出来事を目にし、体験してきた。
宗教については疎い私ではあるが、それでも「必ず神様は見ている。」と信じている。
そして、それは野球やグランド整備に関わらず、我々を見守ってくれているのだと今は思う。
一生懸命さ、誠実さ、優しさ、謙虚さ、それらが報われる時は必ず来るということを、なんとしても彼らに伝えたい。


「Seeing is blieving」

私が体現するしかない。
運動分野でなら、何とかなる気がする。
明日から来年の選抜試験に向けて走ろうと思う。
でも、その前に禁煙か…?





※結果について※
午前の部の成績発表ではもちろんacceptanceをget。
が、午後からの身体測定で身長170.3cmの私は、合格基準である180cm以上に達せず不合格…。
まだ背って伸びるんかいな…。
自分の可能性を信じて、明日から牛乳を毎日飲みつつ、厚底の靴を探そうと思う。

recruitment - 1

2009-04-08 | In Othaya
朝から何だかやかましい。
「ここに並べ!」
と、メガホンを使って指示する威圧的な声がグランドから聞こえてくる。
我家からグランドは見えないものの、そのザワつき具合からも相当数の人間がグランドに集まっていることはわかる。
そしてそのザワつきの様子から、先日、更生院のグランドを使って開催された近隣のコーヒー農家たちの集会らしきを思い出した。
その時も相当数のコーヒー農家が集まり、また相当数の警察が動員され集会を監視していた。
「また集会かよ…。」
思わず舌打ちしてしまう。
先回のコーヒー農家の集会後のグランドは酷かった。
意図的にやってもここまでは汚せないだろうという程、グランドは散らかっていた。
紙屑、食べかす、ペットボトル、ガラスの破片…。
更生院のboysには靴がない。PEも、football clubも彼らは裸足でグランドを走る。
もしBoysが心無い誰かさんが捨てていったガラスの破片でも踏んだら、破傷風が容赦なくboysの命を狙う。
グランド整備の目的はもちろんPLAYERの安全確保であるのだが、
素晴らしい指導者に恵まれた私は、幼い頃から安全確保とは別の意味でのグランド整備の大切さを教えられて育った。
今でもグランド整備を一生懸命にやるPLAYERは大事な時には必ず結果を出せると信じている。
受け売りであり、押し付けであるようだが、私もかつての私の指導者がそうだったように、グランド整備には重点を置いて指導をしてきた。
毎日一人20個のゴミを拾うことから始め、穴を埋め、無断立ち入り禁止の看板を立て、それでもバイクや車で乗り入れてくる輩がいれば幾度と無くバットを持参して退治に走った。
ようやく毎日20個のゴミは拾うまでもない程にゴミも減り、バイクや車で荒らされた後も消えてきたというのに…。
警察が来ているということは容赦なく大型車両がグランドの乗り入れ、その車体にふさわしいだけの傷跡をグランドに残していく。

Manager:「今日開催するなんて聞いてないのよ。まったく勝手なんだから。
今日はあれだけの人間が集まっているから防犯上、全ゲートを施錠して部外者の立ち入りは禁止にしましょう。」
同僚:「マコ、またグランドの清掃が大変だな(苦笑)…。」
私:「俺、ちょっと文句言ってくる。」
おかげさまで、地元の警察署長とは懇意にしていただいている私。
Manager:「ダメダメ。今日は警察じゃなくて軍よ。止めなさい。」
私:「軍って!?」
Manager:「定例のofficial recruitmentよ。」

なんでもケニアでは、軍隊が国内の各地域で入隊志願者を募り、実地試験(体力テスト)を実施するシステムがあるそうだ。
我々日本人には失業率のrateとしては俄かに信じられないような値が公表されているケニアでは、学校を卒業しても職に就けない、いわゆるjoblessが副といる。
この選抜試験に受かれば、軍隊への入隊が認められ、衣食住が提供されるうえにsalaryまでが支給されるそうだ。
志願に係る費用は無料で、男女問わず誰でも志願できるとのこと。
American dream ならぬ、Kenyan dream なのだそうだ。
毎年行われるこの選抜試験に向けトレーニングをしている人もいるとか。
たしかに、志願者がどれくらいいたのかはわかりかねるが、野次馬を含め1000人以上がグランドには居た。
ちなみに、今日グランドに集まっているであろう約1000人から5名の合格者が出れば御の字だそうだ。

Boys:「マコ、またグランドが汚されてるよ…。」、「今日はPE、clubはないの?」
Boysが私がまだ日本に居る頃に流行った某CMに出演していた某チワワのようにウルウルの瞳で訴えてくる。
私:「そうだな。大切に使ってください。って言ってくるよ。」
Boysの手前もありカッコをつけて意気揚々とグランドに向かったものの、
そこに集まった人の多さ、
完璧に統制の取れた設営、
首尾よく動く兵士、
実際にグランドに来てみると、これから行われることが相当な大掛かりな行事であることを思い知らされる。
何とも言い知れぬ雰囲気に包まれたグランドからは、
本来のグランドの所属部署の人間である私がまるで部外者であるかのように感じてしまう程だった。
そんな雰囲気に圧倒されてしまい若干の尻込み感を否めない私の背中には、
グランドの有刺鉄線越しから送られてくるboysからの熱い視線が突き刺さっている。
まさか踵を返してノコノコと帰る訳にもいかない。



私:「おはようございます。グランド管理責任者です。本イベントの責任者の方とお話がしたいのですが。」
グランド管理責任者とは大きく出たものだと我ながら感心するほどのbig mouth。
兵士:「あぁ?部外者は線の後ろまで下がれ!」
なんとも威圧的な態度。
たかがマシンガン、されどマシンガン。
でもやっぱりマシンガンを担いでいるくらいで、いい気にならないでほしい。
私に言わせれば、我々のグランドを無断使用している貴方達の方が部外者だ。

私:「同じ事を二度言うつもりはない。英語が話せるヤツを連れてくるか、責任者を連れて来い。」
噛まずにバシッと言えた。
そんな自分にちょっと酔った。
ドンマイ。

映画でおなじみの軍隊特有のmoss greenのテントに案内される。
が、先ほどまでの自己陶酔はどこへやら?
恥ずかしながら、その時点でもうその先の会話の展開についてのシナリオは描けない程、緊張していた。
何名がテント内に居たのかは思い出せないが、誰がBossかはすぐにわかった。
一人だけ色の違うベレー坊を被り、ハンパない数のバッジを肩やら胸やらにぶら下げ、そしてやはりハンパない貫禄を携えた男性だった。
その彼が席を勧めてくれ、私も席に着く。
席に着いた私をマシンガンを担いだ兵士が囲む。
斜め後ろで「カチャッ」っていう、これも映画でよく聞く安全装置を外すような音が聞こえた。
「ビビッたら負けだ。」
そう思った時点でもうビビッており、きっと負けているのだろうが、精一杯気張って自己紹介をし、
言葉を慎重に選びながら、グランドの使用申請が為されていないこと、
boysの怪我の防止のためと自分の指導方針から毎日グランド整備をしていることを伝え、理解と協力を賜りたいと続けた。
すると、
Boss:「karibu kenya! ;ようこそケニアへ」
と満面の笑顔のBoss。
あんまりにもホッとし過ぎてちょっとチビッたかもしれない。
ドンマイ。

しばしの沈黙の後、Bossが部下に何事かを指示したかと思うと、すぐさまメガホンでゴミの持ち帰りの放送が為された。
その後はどのケニア人ともそうするように日本に関する様々な質疑応答が繰り広げられ、しばしの間盛り上がった。
丁重に御礼を述べ、テントを後にしようとすると、
Boss:「もし時間があるなら、体力テストを受けてみるか?入隊はできないけどな。」

おいおい。これは私に対する挑戦状だろうか?
「テストが終わってから、どうか入隊してくださいなんて言うなよ。」
「ちなみに俺はこの前「ランボー」シリーズを全部観たばかりなんだぜ。」
思わず、口元から笑みが漏れる。

私:「ぜひ!!」

≪続く≫

anticipation

2009-03-29 | In Othaya
柄じゃないけど、花の種を植えてみた。
自慢じゃないけど、小学生の時のアサガオ以来。
根拠はないけど、赤い花が咲く予感。

なんかいい感じ。



Dear Pastor

2009-03-25 | In Othaya
サイレンは鳴らしてはいないが、轟音と共に救急車が更生院に入ってきた。
直感的にヤバイと感じ、グランドに居た私は全力疾走で救急車の後を追う。
救急車に群がるboysを押し分け、荷台を確認するが誰も乗っていない。
事情を聞くために運転手を探すと、運転手は笑顔で手を振っている。
Managerのofficeを覗くと、なんだかソワソワしながら出かける準備をしている。

私:「何事です?」
マネ:「理由はわからないんだけど、病院長からお呼びがかかったの。支払いの件かしら…?」
私:「ケガ人や病人が出たわけじゃないんですね?」
マネ:「それはないわ。支払いの件かしら…、先月分はしっかり払ったはずなのよ。」

マネ:「マコも一緒に来てくれないかしら?」
私:「俺ッスか?」

今日中に仕上げたい仕事があり出来れば断わりたかったが、彼女の心細そうな表情を見たら断われなかった。
とても膨よかなmanagerが、もう少し詳細に描写するなら、横綱級の彼女が助手席に乗ると救急車が傾いた。
助手席には2人分の座席があるのだが、彼女が乗車すると満員御礼だった。
私は荷台に乗る。
その様子を見たBoysは私が先日の足首を患わせて病院へ行くと勘違いしたらしく、えらく心配してくれた。
相変わらずこいつらは優しい。
「すぐ戻るよ。」と荷台の観音扉を開けると、何故かMucheru(同僚)が居る。

私:「あれ?何やってんの?」
Mucheru:「一度乗ってみたかったの。私も行くわ。」
Mucheruの動機については不謹慎な気がしたが、「カメラ持って来れば良かったな。」などと、
こういった機会でなければ冷静に居られないであろう救急車の荷台での記念撮影を考えた私も不謹慎極まりない。

救急車はレンジローバーを改造した車両で、荷台は文句なしに広い。
が、その広い荷台にあるのは木製ベンチと充填されているのか疑わしい酸素ボンベ1本。
救急車で搬送されるべき人間のためのストレッチャーは無い。
車内で応急処置を行えるだけの設備も装備も皆無だ。
今年で51歳になるMucheruは、まるで子どものように喜んでいたが、
私は先日の自身の病院受診での時同様に、心のプログラムが自己処理しきれずにエラーを起こしてしまったような感覚に包まれる。

「援助ってこういうところまで届く前に消えちまうのかな?」

開発途上国でDonationとして入ってきている衣類等が売り物になってしまっているという話を皆さんはご存知だろうか?
全てがそうではないだろうが、皆さんが善意、厚意で開発途上国へと送った衣類は、いつの間にかBrokerに渡り、
Donaitionとして送ったはずが、いつの間にかMerchandiseとして露店に並ぶ。
もともと無料だった物であるから、値段も破格の安値。
先進国からのDonationの品々は中古と言えど、qualityも高い。
当然、それらは売れる。
結果、当初にDonorがDonationの品々に期待した役割は掏り替えられ、本当に衣類を買えずにいる人々には行き渡らず、
衣類を買える余裕のある人々にそれらは行き渡り、そしてその過程で付加価値を手にする者が出てくる。
更に付け加えると、こういったDonationのサイクルがその国の産業の発展の妨げとなる。
Donorはもちろんそんなつもりは毛頭無いのだろうが、こういった現状があることは事実だ。


病院に着くと、すぐに病院長のofficeに案内された。
院長とDoctorが深刻な面持ちで並んで座っている。
この二人の表情を見た時も私は、支払いに関する話であることに疑いを持ってはいなかった。

Doctorがとても慎重に言葉を選び話し始める。
が、Doctorが話す英語が途中から、理解できなる。
単語が難しい、聞き取れない。それが理由ではない。
Doctorの言っている内容が信じられないのだ。

「He passed away. I’ m so sorry….」

その先の内容はmanagerとMucheruの慟哭で聞き取れなくなった。

「Pastor:牧師」というnicknameのboyが天に召された。
10日程前から体調不良を訴えていたPastorは先週からこの病院に入院していた。
一昨日、私もお見舞いに彼のベッドを訪れている。
私が持参した大好物の食パンを嬉しそうに食べながら冗談を言う彼の姿に
「退院は近いかもな。」
と思ったはずだった。


「Pastorに会いたいです。」
放心状態の2人を残し、DoctorとPastorの居るwardに向かう。
Pastorはwardの廊下にあるベッドでベッドシーツに全身を包まれていた。
Doctorがベッドシーツを捲ってPastorの顔を見せてくれた。
寝てるみたいだ。
顔だってまだ温かい。
声をかけたら目を覚ますような気がして、
「おい、マコだぞ。起きろよ。」
と声をかけてみたが、聞こえてきたのはDoctorが繰り返す「I’m sorry.」だけだった。

彼女の「I’m sorry.」は誰に向けられたものなのだろうか?
Pastorだろうか?
私だろうか?


そんなことを考えていたら、必死に堪えていたはずなのに、一筋溢れてきた。
そしたらもう我慢できなかった。


退院手続きを済ませ、Pastorと一緒にmortuaryのある病院へ先ほどの救急車で向かった。
ストレッチャーが無いため、Pastorは紐で括られている。
車が揺れるたびに、紐がPastorを絞めるようで、それがとても痛そうで、紐を解いてPastorの手を握った。
約2時間の道程のうちに、pastorの身体から体温は失われ、硬直が始まっているのがわかった。
彼はもう目覚めない。


英語をとても上手に話すPastorは私の良い話し相手となってくれ、いつだって私のofficeに居た。
Pastorと呼ばれるだけありとても正義感の強い男で、みんなを救うためにboysを代表して罪を被り、私に殴られたこともある。
孤児である彼は、家族を知らない。だからだろう、彼は家族への憧れが強く、将来の夢の話になるといつだって話す内容は一緒だった。
とびっきり美人のお嫁さんをもらい、子どもは6人。たくさんの牛を飼い、日本に戻った私に毎月milkを送ってくれる約束だった。
13歳。本来あるべき順序と違う。
今までだって十分すぎるほど辛い人生だったはずだ。
彼を天国に連れて行ってくれないなら、私は神様を呪う。


孤児である彼の葬儀がいつになるのかは誰にもわからない。
明日から教職員を総動員した気の遠くなるような身内検索が始まるのだろう。
彼はWEST出身であり、更生院があるCENTRALとは部族majorityも異なり、部族言語も慣習もCENTRALのそれとは大きく異なる。
最悪の場合、彼の出身地の人々とは教職員でさえ意志の疎通も難しい。

身内が見つからなかった場合、私が喪主を務めたい。
明日managerにそう話してみようと思う。



この更生院で暮らし始めて8ヶ月。
僅か8ヶ月の間に、もう既に2人の幼い弟達が天に召された。
いつしかこういった現状にも慣れてしまう時がくるのだろうか?
いつしか仕方無いと思えてしまう時がくるのだろうか?
こういったことも含めてその国を愛せなければそこでは暮らしていけないのだろうか?
少し自信がない。

取扱い注意

2009-03-19 | In Othaya
約100人のBoysに対し、更生院にある机は約40台。
椅子も大差はない。
単純計算しても机一台に対してboys2名~3名。
一脚の椅子に少なくても2名以上が仲良く座り、一台の机に一冊の教科書、一本の鉛筆で授業を聞く。
ただでさえ羨ましいくらい長い睫毛にパッチリ二重を更にキラキラさせながら、黒板に向いている。
もちろん、先ほどから自慢のオメメを閉じたっきり、頭が右へ左へと空中遊泳しているboysもいる。
彼の元には近いうちに先生からのチョークミサイルが発射されるだろう。

先生からの質問にはほぼ全員が元気良く挙手し、発言の機会を求める。
そして答えが間違っていようが、いまいが、臆することなく発言する。
もちろん間違っていた場合は、容赦ない野次が発言者へと飛ぶ。
が、先生のフォローがとても上手い。野次はあっという間に聞こえなくなる。
わかり易い授業内容展開はもちろんだが、臆することなく発言の出来る雰囲気作りも先生の腕の見せ所だと感じさせられる。

先日、教室の外から「社会科」の授業を眺めていた時のことだった。

先生:「マコの国、日本はどこにある?」
Boysほぼ全員:「はい!」「はい!」「はい!」「はい!」「「はい!」「はい!」

指名されたboys:「アメリカ!」
全くもって先生の意図するところから外れてしまったであろう回答に、野次の嵐。
しかしながら、この回答、もしかして日本がアメリカに従属しているというironyを含むのだろうか…。
などと感じてしまった私は、野次を飛ばせずにいる。
そして先生のフォローに期待する。

先生:「近いけど、違うな。惜しかったぞ。」
えっ、近いんですか、先生!?
それは正解に近いという意味!?
それとも距離が近いという意味ですか!?
どちらにしても腑に落ちず、思わず挙手するも、教室の外の私に先生は気付いてくれない。

授業を終えると大切な教科書、鉛筆、ノートは共用の机の引き出しにしまわれ、銘々が鍵を掛ける。
私の学童時代に貸与されていようなロッカーや下駄箱の貸与はなく、教科書、鉛筆の他にboysが所有する全てがこの机の引き出しに入れられるといっても過言ではない。
サンダルだって、マンゴーだって何だってここに入っている。

「何がそんなに詰まってんだよ?整理しろよー。」
物理的にどう見ても閉まらないだろう引き出しと必死に格闘しながら無理やり押し込めようとしているboysに忠告。
トイレットペーパー、スプーン、歯ブラシ、歯磨きペースト、石鹸、ワセリン、傑作なのであろう自作のボードゲーム。
そして一番奥にまるで「壊れ物」かのように大切にしまわれている新聞の切り抜き。
ちなみにそのお気に入りの切り抜きには、下着姿の女性が艶かしいポーズで微笑んでいる。
そりゃ、一番奥に入れて大切にしないとな。

「たくさん宝物があっていいな。でも引き出しが閉まんなくて困ってんなら、俺がその新聞預かってやろうか?」
ちょっと意地悪をしてみる。

「ダメダメダメダメダメー!これは絶対ダメ。これは僕のお母さんの写真なんだから!」

いやいや、下着モデルでしょ? と思うと同時に彼は3歳の時に母親を亡くしていることを思い出した。
もしかしたら、生前の彼の母親に似ているのかもしれないと思ったら、先ほどの自分の意地悪がとても酷い仕打ちであったように感じてきた。
が、そこまで感じておきながらも、もしかしたらあれは単に彼の照れ隠しであり、
新聞記事上で微笑んでいる彼女はやはりただの下着モデルなのかもしれないと思ってしまう性格の悪い私。
そしてこんな時こそ的確なフォローが求められると自分にプレッシャーをかける。
どうする俺?
どう答える俺?
出て来いアドリブ。

私:「お母さんも下着姿じゃ恥ずかしいだろうから、どうせなら服を着てる写真の方がいいんじゃねーか?」
Boy:「えへへへへへ。そうだね。探してみる。」

多感な年頃。
複雑な人生背景。
いわば“Fragile”。

彼らがこの更生院を卒業する時、社会に巣立って行く時、彼らは胸元に“Fragile”ってステッカーを貼って出て行くわけにはいかない。
万が一にも、そんなステッカーがあったとしてもこの更生院の外では無意味だろう。
だとしたら、私にできることは割れないようにのみに配慮して大切に取り扱うことよりも、
すでに形成されてしまっている傷、罅がないかを丹念に調べ、そしてそれが見つかったならばそこに丹念な修復を施し、
その強度をあげていく努力ではないかと思う。


その日以来私は、
彼のための彼のお母さんに似た女性の切り抜きと、
私のための滝川クリステルの切り抜きを探している。
捜索は難航しているが、諦めず頑張りたいと思う。




killer

2009-03-14 | In Othaya
「痛ッ。」
起床時に足首に鈍痛を感じるも、とりあえずはおしっこが先。
昨夜、就寝前に尿意を催してはいたが、ちょっとお化けが怖くて我慢して寝た経緯がある。
そんなこんなで、足首は痛いが、とりあえずは用足しを優先。

用足しを済ませ、お湯が沸くのを待ちながら、足首をチェック。

最近、俺、コケたっけ?
最近、俺、ぶつけたっけ?
最近、俺、傷めるほどの自主トレしたっけ?

どれも該当しない。
一過性のものだろうと、特段気にはしなかった。

PEの時間を迎え、boysといつもどおり張り切って準備体操を始めるも、どうも痛い。
痛くてどうにもならないという感じではないのだが、痛い。
「ズーん」と痛い。「ズーん」と。

一日を終え、帰宅する頃にはなんだかちょっと熱っぽい。
熱を計ると、37.1℃。
う~ん、微妙。
風邪っぽいっちゃぁ そんな気もするし、何ともないっちゃぁ 何ともない気もする。
今晩はおしっこをちゃんと済ませて、とりあえず早めの就寝。
寝苦しい夜だったせいか、内容は思い出せないが後味の悪い夢を見たような気がする。

翌朝。
足首が更に痛い。昨日が「ズーん」となら、今朝は「ズズーん」と痛い。
熱は未だに微妙値の37.2℃。
風邪か?
足首もそれから来る間接痛か?

PEの時間を迎えるも、
「俺、今日足が痛ぇから、椅子に座ってやってもいいか?」
Boysの承諾を得、カッコ悪いけど椅子に座ったまま指示の笛を吹く。

それにしても足首が痛い。風邪から来る関節痛にしては手強過ぎる。
今一度、頭の中を整理。
コケたか? → did not.
ぶつけたか? → did not.
風邪から来る関節痛だと思うか? → I don’t think so.
他に思い当たることはないか? → I haven’t the slightest idea about it…。
足首を撫でながら、ここ数日間の自分の行動を思い返す。
すると、脛に擦り傷を発見。
疑うに足りない程の小さな傷で、傷自体もう治りかけているのだが、数日前に棘のある雑草に引っ掛けたことを思い出した。
「傷の大きさの割りに痛ぇな。」
なんて思ったことも思い出してきた。

「もしかして、こいつか?」


一日を終え、帰宅すると停電。
蝋燭の灯りの中で、検温。
37.6℃。
どうやら熱も上がってきた。
なんだか足首も腫れたきた。
今まで数え切れない程のキャンドルナイトを過ごしてきたはずなのに、なんだか今晩の停電は妙に心細い。

「明日には良くなるさ。」なんて自分と、
「ここは日本じゃねぇーぞ。早めに対処しろ!」なんて自分が葛藤し始める。
「もう一度検温して37.5℃以上だったら、JICAの健康管理員に相談しよう。」などという、まるで根拠の無い決め事を作り、再度検温。
37.5℃。
う~ん。微妙。
確かに37.5℃以上と決めてはいたものの、一層のこと37.8℃とか38.0℃とかだったら迷わず連絡するのに、border lineに乗っかってしまった…。
が、結局JICAの健康管理員に連絡し、隣町の病院を紹介してもらう。

翌翌朝。
「万が一、plasterを巻かれたら、しばらくは水浴びが出来なくなるな。」
と、出発前に水浴びを済ませる。
準備は滞りなく整ったわけだが、隣町に行くには先ずもってマタツ(乗り合いバス)に乗らなくてはならない。
そのマタツステージまでは我家から健康体で徒歩20分。
その道程については一切考えていなかった。
「マコ、マタツステージまでおんぶして行こうか?」と優しい言葉をかけてくれるboysもいたが、
普段から「I never surrender to myself.」を言い張っている私だけに、
「おう、頼むわ。」の一言が出ない。
汗だか冷や汗だか判断のつかない分泌液に包まれ、ようやくマタツステージに到着。
せっかく水浴びしてきたのに…。

隣町に到着してからも、難関は続く。
病院の位置はあらかじめTELして把握していたつもりだったが、行けども行けども病院は見つからない。
道行く人達に尋ねるも、
「あの辺だと思う。」
と何とも曖昧な答え。しかも彼らが示すその辺はもう3周している。
ケニアの病院は日本の病院のそれのように決してわかりやすい佇まいではないことが多い。
時に信じられないような小道を入ったところに、ひっそりとある。
思うように歩けないイライラ感。
痛みとダルさ。
さっきから携帯電話を使って、病院に連絡しているのだが 「line is busy.」だそうだ。
なんだかとてもDoCoMoが恋しい…。
絵に描いたようなシチュエーションだが、雨も降ってきた。
ただでさえ目立つ外国人が、人通りの少なくなった道を足を引きずって一人で歩いている。
もし私が強盗なら、私を狙う。
いつもなら、もちろん相手を見てからの判断になるが、強盗に負けるつもりなどないけれど、
今日は全く以って勝てる気がしない…。

やっとのことで繋がった電話で、
「申し訳ないけど、通りまで出てきてくれませんか?」
とお願いし、ようやく病院に到着。
病院内では外国人が来たと大騒ぎ。
温かなお心遣いからすぐにも診察室へ通してくれるようだが、私の前に待っている人達に申し訳ない。
「この人達の後でいいですから。」
と辞退すると、私の前に待っていた人達が揃って、
「いいから先に行きなさい。」
と言ってくれる。
「温かなお心遣いになんと感謝を申し上げればよいのか」的な心境ではあるのだが、なんだかとても気が引ける。
待合室では泣いている子どももおり、
「じゃぁ、その子の後にお願いします。」
と言うと、
「この子は病気じゃないのよ。外国人のあなたに驚いて泣いてしまったの。」
「そうですか…。ごめんよ。驚かせちゃって。」
泣き止んでもらいたくて言ったつもりだったが、彼女の泣き声は更にボリュームを増す…。

診察室では先生によるとても丁寧な問診と、日本とケニアとの経済関係に関する先生の意見発表が行われた。
問診と意見発表の結果、ポリオや破傷風と言うような物騒な病気ではないだろうということだった。
infection、painkiller、もう一つはよくわからなかったが、合計3種類の薬の処方箋を書いてもらうと、ご丁寧にも先生自らが薬局まで帯同してくれ、薬剤師に直接注文してくれた。
きっちりとした医薬分業が為されていることにはとても驚いた。

清算時にReceiptを手にしながら何気なく思った。
「これって、ケニア家族の約一ヶ月分の生活費と同額だ。」
薬局に来る前に病院の受付で支払ってきた診療費と合わせると明らかに1ヶ月分以上の金額になる。
「あの待合室にいた人達って、薬買えるのかな…。」
もしかしたら診療だけを受け、薬は買えず帰路へ就く人達もいるのかもしれない。
「医薬分業」。本来それが期待するところは、こういった現状ではない気がする。
いわゆる先進国と呼ばれる国々には資本主義が導入され発展を遂げており、ケニアのような開発途上国も追いつけ追い越せで後を追う。
そのおかげで富裕層も増え、国としては発展を遂げてはいることは事実だ。
が、なぜだろう、「ナチスが600万人を虐殺したと非難されるが、資本主義が奪ってしまった命、そのことに対する非難はないのだろうか?」
というような先日読んだ本の一文を思い出した。
ここまで偉そうな事を申し上げておきながら恥ずかしい限りだが、私にはoriginal scheme があるわけでもない。
私にできることは精々、それを感じ、それを思い、それについてどう行動すべきかを悩む程度だ。
が、いつだって自分を納得させられるだけの答えは見つけられない。
だから、こうしてまた「自分の肌で感じた世界」を世界に向けて発信する。



「Painkiller」のおかげで、「ズズーん」が「ズっ」まで治まった。
「Povertykiller」とか「hungerkiller」なんて薬が出たらすげぇなって思う。

今晩もちゃんとおしっこを済ませて早めに寝ようと思う。

chain wish

2009-03-08 | In Othaya
「あなたが幸せでありますように。」


あなたの幸せを願う時
あなたの幸せっていうのはきっと あなたに繋がる人達の幸せと繋がっているから
あなたとあなたに繋がる人達の幸せを願う。


「あなたとあなたに繋がる人達が幸せでありますように。」


あなたの幸せを願う時
あなたの幸せっていうのはきっと あなたに繋がる人達の幸せと繋がっていて
あなたに繋がる人達の幸せっていうのはきっと あなたに繋がる人達に繋がる人達の幸せと繋がっているから
あなたとあなたに繋がる人達とあなたに繋がる人達に繋がる人達の幸せを願う。


「あなたとあなたに繋がる人達とあなたに繋がる人達に繋がる人達が幸せでありますように。」




「あなたが幸せでありますように。」


あなたの幸せを願うこと それはきっと世界中の人達の幸せを願うこと。
きっと そういうことなんだと思う。