goo blog サービス終了のお知らせ 

DUNIA

ケニア~青年海外協力隊~青少年活動~男子更生院~2年間限定

weakness of mine

2008-08-13 | In Nairobi

もうすぐ約1ヶ月間過ごしたNairobiを離れ、任地であるOthayaという町へ赴任になる。
NairobiとOthayaは好対照な町であり、Othayaを例えるならば、一昔前の 吉 幾三 氏の流行歌のようだ。

「はぁ 電気もねぇ uchumi(Nairobiに多数あるスーパー)もねぇ、車もあんまり走ってねぇ 
オラ Nairobiさ 行くだ オラ Nairobiさ 行くだ キバキ(Othaya出身の現大統領)に会うだぁ~」

Nairobiを離れると、その後の2年間をOthayaで過ごすことになるわけだが、やはり1ヶ月間を過ごしたNairobiには少なからず愛着が沸いている。
Nairobiにおいて、とりわけ私が愛して止まないものは、写真の彼が売る「炒りピーナッツ」だ。
彼は毎週土日限定で朝早くに遠くの町から歩いて炒りピーナッツを売りに来る。
彼は炒ってきたばかりのピーナッツをバケツに入れ、コップ一杯を10ksh(約17円)で売る。
なんと、買って食べる時はまだほのかに温かい。
たかがピーナッツ、されどピーナッツ、侮るなかれ、
まさに、止められない、止まらない。mco(私のニックネーム)まっしぐらだ。
元来、ピーナッツ好きの私はこの1ヶ月間で数々のピーナッツ売りからピーナッツを買い、食してきたが、彼以外のピーナッツでほっぺたが落ちたことはない。
そんな彼のピーナッツのおいしさを知っているのは、もちろん私だけではないわけで、彼が売るピーナッツはすぐに売り切れてしまう。
故に、毎週土日曜は朝早くから彼の販売ルートを先回りし、半ば張り込みのようにして彼を待つ。
彼が来るまでの間、早朝ということもあり、時にラジオ体操をしちゃったりもする。
調子が良い時は「第二」までやっちゃったりする。

いよいよ明日だ。
30ksh用意した。
Nairobiでの最後の週末になる明日は思い切って大人買いだ。

波状攻撃

2008-08-09 | In Nairobi
「ゆっくり昼寝でもしたいな」とJustusに話をしたところ、
「昼寝ならUhuru parkへ行け。」と言われ、徒歩30分かけてNairobi uhuru parkに到着。
絶好のポジショニングを取るべく勇み足で園内へ。


そこはまさに昼寝のメッカ!
みんな昼寝してる。立っている方が目立つくらいだ。
「ありゃ? それにしても今日は水曜日で、今は午後2時。みなさんお仕事等は?」
「これもT.I.Nか。」と余計な心配はやめる。
が、イビキを掻いてマジ寝しているあのおばさん、お腹全開だ。起こしてあげたほうがいいかな?

隣昼寝人と適度な距離があり、平らで芝がふんだんに生い茂っているベストポジションをゲット。
「よぉし 寝るぜ!」と横になる。
「痒ッ痒ッ痒ッ」。
アリ?のような小さな赤い虫達が(以下、アリとする)が首、手の甲、足首を噛む。
マジ痒い。ここは巣の真上?
まさにアリ達の波状攻撃だ。
なるほど、それでこんなベストポジションにもかかわらず空いていたわけだ。

仕方なく新たなスペースを求め、サイドチェンジを試みるも、さっきのおばさんの隣しか空いてない。
他は酔っ払いさん達が「寝てる」というよりは「倒れてる」ような所しか空きがない。
仕方なくあのおばさんの隣へ。イビキは止んでいるが、未だお腹は全開。
「よぉし 寝るぜ!」と気を取り直して横になる。おかげさまでアリさんの攻撃もない。
いい感じにウトウトしてきた頃だ、おばさんのイビキが始まった。
ヒドい。
いわゆる無呼吸症候群のようで、時折、呼吸が止まる。5回に一回くらい呼吸が止まるので心配で寝てもいられない。
完全に目が覚めてしまった。
「大丈夫かな?起こした方がいいかな?」と、おばさんを見ていると、ムクッと起きた。恥ずかしそうに全開だったお腹を直す。
そして「どこ見てんのよ!」の目線。

「いやいや。」

「☆%#$=@*+|*:>!!」

きっと捨て台詞なんだろう言葉残し、行ってしまった。
周りの人たちも、ほぼ全員が俺を見てる。

「違ぇんだ!冤罪だ!」 思わず、日本語が出た。
悔しいから 「アホ!」 って言ってやった。
もちろん彼女には届くはずもない。

なるほど、それでこの場所も空いていたわけだ。

後味の悪さと言ったらない。
いつかあのアリ達があのおばさんに波状攻撃をお見舞することを願い、私は公園を後にした。
Nairobiでの昼寝はベットに限る。

生業

2008-08-07 | In Nairobi
ふと思った。
「2年後、ケニアで就活してみようかな?」


《花屋さん》
その昔、バラを100本贈ろうとして、あまりの巨額さに断念した経験を持つ、自称「ロマンチスタ」の私にとって「花屋さん」という職種は憧れ以外のなにものでもない。
もし私が花屋さんになったなら、バラ100本はもう少しお求めやすい値段設定にしようと思う。



《靴屋さん》
「おしゃれは足元から」という言葉を鵜呑みにしている私は昔から靴にはうるさい。
そんな私にとって「靴屋さん」という響きは満更でもない。
このお店、ディスプレイの方法に若干問題があるような気がするが、それも店長の方針であれば仕方がない。
出店場所も店長の方針で線路のすぐ脇と決めている。ちなみにこの場所は電車が停車するような集客力のある場所ではなく、
むしろ電車は軽快な速度で通過していくポイントである。
ディスプレイ、出店場所といい、いまイチ店長の販売戦略が見えてこないが、靴屋さんも捨て難い。



《職人》
男たるもの一度は、肩までまくった袖口から見える日焼けしたゴツイ腕、足袋にくわえタバコ。
そんな職人の姿に一度は憧れたことがあるのではないだろうか?私も例外なくそんな職人の姿に憧れた一人である。
彼が白衣?をまとっているのは、これもまた時流によるものだろうか?
足袋ではなく、ビジネス革靴であることも残念であるが、あのゴーグルはぜひかけてみたい。
火花にビビッて、若干腰が引けている気もするが、あれが正しいフォームなのだろう。
あの紳士的な職人の感じを私が醸し出せるか自信はないが、ぜひチャレンジしてみたい職種である。



《伝統医療師》
どちらかと言えば、この人が先ほどの職人で、先ほどの職人がこの伝統医療師という方がしっくりくるのは私だけだろうか?
彼曰く、彼が調合した薬にかかれば治らない病気は無いそうで、薬草の品揃えも豊富とのこと。
時期ごとに手に入る薬草が違うそうで、彼が自ら森へ採りに行くそうだ。
「この中には効き目が強すぎて、時に死んでしまうような強力な薬もあるんだ。」
と言っていたが、それはどうかお願いだからあなたがしっかり調節してほしい。
彼の得意分野は「惚れ薬」だそうで、何でもその薬を飲んだ後、最初に話をした人が好きになってくれるそうだ。
ただし苦いとのこと。初恋の「すっぱさ」を知っている私には苦いくらいでちょうどいい。
「良薬、口に苦し」だ。


ふと思った。
「やっぱ日本帰ろ。」

表面張力

2008-08-02 | In Nairobi

東アフリカ最大級のスラムと言われる「キベラスラム」へ行ってきた。
キベラスラムの人口は80万人とも100万人とも言われている。
大通りから小道へ入る。そこがキベラスラムの入り口だ。
急に通りが狭くなり急激に増加した人口密度にさすがに緊張が走る。
アジア人としての私の顔は相当目立つのだろう。みんな見てる。
friendlyとは程遠い視線が容赦なく私を刺す。
「あぁこの感じだ。」と思った。
ナイロビのタウンが危険と言い聞かされ、実際に歩いてみてもピンとこなかった。今まで訪れた他の都市の方が、格段に危険な臭いが漂っていたように感じていた。
そう、ナイロビのタウンにはこの感じが欠けていたのだ。
ここは「どビンゴ」でヤバイ。私の視界には笑顔が一つもない。この通りに笑顔があるとしたらおそらく私の愛想笑いだけだ。

「Habari?」(お元気ですか?)
中でも一番感じの良さそうなおばちゃんに声をかけてみる。
「…。」(…)
おっと、無視か…、とあきらめかけたその時、
「How are you ?」(ご機嫌いかが?)
と笑顔全開、鼻水かぴかぴの子どもがおばちゃんの後ろからピョコっと顔を出した。
「I’m fine. Na wewe je?」 (おう、いいよ。で、君は?) スワヒリ語で聞いてみる。
「Nzuri sana!」(絶好調さ!)
その答え方が愛らしく、思わず笑ってしまった。
するとおばさんの方から、
「Unasema Kiswahili? Wajapani?」(スワヒリ語を話せるの? 日本人?)
「Ndiyo,ninasema kiswahili kidogo. Ninatoka japani..」(うん。少しなら。日本から来たんだ。) 
この時ほど、訓練言語がスワヒリ語であったことを感謝したことはない。
話が弾む弾む。
不思議なもので、さっきまで誰に襲われてもおかしくないと思っていたこの通りの住民が、なんだか急にみんな兄妹のように見えてきた。


表面張力:温度が上がれば低くなる。温度が上がることで、分子の運動が活発となるためである。

ここキベラスラムは先般の大統領選を起因とした暴動の最前線であった。
その暴動によりたくさんの被害者が出た。殺人、レイプ、強盗、警察との衝突、修羅場と化したそうだ。
つい昨日までご近所さんとして暮らしていた者同士が殺し合い、女性、少女を犯す。
子どももたくさん死んだ。
それまで感情の横溢を表面張力を以ってしてなんとか阻止してきたキベラスラムも、今回の暴動で人々の様々な感情は沸点まで達した。
その結果、キベラスラムは表面張力を失い、感情の堤防が決壊してしまったのである。

暴動が沈静化した今、隣人に殺人者、レイプ魔、強盗がいることを知りながらキベラスラムでは当然のように日常が営まれている。
そして100年という歴史のあるキベラスラムでは独自のコミュニティールールが施行され、「暗黙の了解」という言葉で多くが処理され、無視されていく。
極限の生活の中で健全な精神状態を保っていくために、いったい彼らは何を信じ、何を希望として生きているのだろう。
「キベラの人々にために何かできることはないか?」などという未だ 「上から目線」 の私が、到底彼らと同じ土俵でキベラスラムについて語る資格など無いとわかってはいるものの、

「人々の歓喜という感情の温度上昇が表面張力を奪い、夢や希望が絶え間なく横溢する。」

キベラスラムはそんなコミュニティであってほしいと願う。
またキベラスラムに行こうと思う。


FANTASISTA

2008-07-29 | In Nairobi

ケニアでは至る所で子どもを目にする。日本に比べ子どもの絶対数が多いのだと感じる。
男の子、女の子、裕福な家庭の子、おそらくストリートチルドレンであろう子。
別に高感度をあげるつもりはないが、どの子もとてもかわいい。その点においては日本に居てもとケニアに居ても一緒だ。

そんな私を悩ませるのは、ストリートチルドレンの存在である。

往々にして彼らは目が据わり、覇気がなく、笑顔もない、いわゆる子どもらしさが欠けている。
もっとも彼らの境遇もろくに知らない私が彼らに子どもらしさを求めること自体間違っているのかもしれない。

「 Bwana,tafadhali, nipepesa. 」(旦那、どうかお金をください。)

こんな好青年を捕まえて旦那はねぇーだろ!っと精一杯の笑顔で、
「 Samahani, sinapesa. lakini ninawezakufanya magic. Unatakakuona,sindiyo? 」(ごめんよ。お金はないんだ。でも手品がきるんだ。見たいだろ?)

すると、かなりの確率で笑顔を見せてくれる。この瞬間が最高だ。手品が成功した時よりもうれしい。

「 Hivyo. Kwa nini ? Kwa nini ? 」 (おぉ~。なんで?なんで?)
いつの間にか、5人、6人と増えた仲間達と手品のタネについて、語り始める。

お役御免ということで、
「 kwa herini. 」(じゃあな。) 
我ながらスマートな去り方だと自己陶酔していると、
さっきまで最前列で手品を見ていた少年が

「 Bwana,tafadhali nipepesa. 」(旦那、どうかお金をください。)


おいおい。

もう一回手品をやるべきか、否か?

私を悩ませるのは、ストリートチルドレンの存在である。

FREE

2008-07-26 | In Nairobi
こともあろうに、メガマックを食べる夢を見てしまった。
無類のマック好きの私は、居ても立ってもいられない。
そこでまた、事もあろうに気づいてしまったのである。

「ケニアにマック無くねぇ?」

たしかに、ケニアに来てからハンバーガー屋さんは何軒も目にしてきたが、マックは見ていない。
これは一大事とばかりに朝一でJustusに確認。
答えはなんと

「ケニアにマックは無い。」

「…。」

驚くべきことに、

「ペプシも無い。」

確かに~ッ!ペプシも見ていない。
何でも現大統領の経済政策により、米企業はあまり進出できてない?とのこと。
そう言われてみれば、ケニアの道路では、時に 「ここは日本か?」 てなくらい日本車をお目にかかるが、
いわゆるアメ車は走っている車の割合で考えると非常に少ないような気がする。
ちなみにケニアは日本と同様に左側通行(右ハンドル)である。
「ガソリンも高騰中なんだし、そんなに思いっきり踏みなさんな、そんな運転じゃ 燃費悪ぃぞ!」
ってくらい皆さんグイグイアクセルを踏む。
日本での運転暦が約10年あり、どちらかと言えば運転好きである私でもケニアでの運転は遠慮させていただきたいと思っている。

そんな車の往来の激しいケニアの道端では宣伝効果が高いのか、否か、道端でハンバーガ屋さんの宣伝旗を掲げているアルバイトの若者をよく見る。
宣伝旗の内容はこうだ。

「Buy one , get one FREE .」 (1個買ったら、もう1個を無料でサービスしますよ。)

そう言われると、いったい1個いくらなのかが気になり、
「1個いくらなの?1個無料でくれるくらいなら、1個で十分だから半額にしてくれない?」
とアルバイトの青年に冷やかし半分で聞いてみたことがある。
すると、アルバイトの青年は
「半額にはできないよ。僕はアルバイトだから。それよりも1個で十分なら、FREEの方を僕にくれないか?ハンバーガーっておいしいのか?」

私は言葉を失い、自分自身に言いようの無い嫌悪感を催してしまう。
何かハッとさせられるような、自分の価値観や主義主張をリセットしてしまいたくなるような瞬間がここケニアにはある。
ケニアでの2年間はまだまだ始まったばかりだ。

犬s

2008-07-24 | In Nairobi

三面鏡があるわけではない。お気づきかと思うが、そう、三匹いるのだ。

ここNairobiではペンチ如きでは絶対切れないであろう鎖とハンマー如きでは壊せないであろう南京錠でロックされた重厚な鉄製のゲートを開け、
ようやく「ただいま!」となる。
ゲート内に入って最初に私を迎えくれるのは彼らである。
shyな彼らは、大概、ノソノソと近寄って来て、ゴロンである。
そしてお腹を撫でてくれのおねだり。そのうち目を閉じて寝てしまう。そして上載の写真のとおりだ。
お腹を撫でた後の手と甘噛みされた箇所の臭さと言ったら、この世のものとは思えないが、
「ただいま」の声に「お帰り」をくれる彼らは私にとって貴重な癒し的存在である。

「行って来ます」 に 「行ってらっしゃい」 をしてくれるようになったら、ペティグリー○ャムを買って帰ろうと決めている。

重さについて

2008-07-20 | In Nairobi

Justus 曰く、
彼は1997年から今日まで合計13台もの携帯電話を買い換えたそうだ。
今は2008年であるから、単純計算しても1年に1台、もしくは2台のペースで買い換えてきたことになる。
さすが、携帯電話大好きケニア人!と、冷やかしたところ、13台のうちの2台は自分の不注意で失念し、他の11台はタウンで強奪され、やむなく買い換えることとなったそうだ。
日本人を含む外国人だけでなく、ケニア人も同様にターゲットとなるということには正直驚いた。盗品である携帯電話は売買しても足がつきにくく、需要も多いため狙われやすいそうだ。
特にタウンでは、歩きながらの携帯電話の使用はやめたほうが良いとのこと。
どうしてもタウン内で携帯電話を使用するときは、ホテル等安全な建物に入るか、それが難しい場合は、
「壁を左側に置き、左手で電話を持ち、右手は攻撃に備えフリーにしておく」というような、なんとも物騒なアドバイスを頂戴した。
ナイロビはヨハネに肩を並べる犯罪多発都市であると聞かされ続けてきているが、私が今まで旅をしてきたいくつかの都市の方が、格段に危険な臭いが漂っていたように感じてしまう。
ただ私はまだ数回しかタウンに出ていない。あくまでも私見である。
マタツ(庶民的乗り合いタクシー)、バスの中でも注意が必要で、ジャケットの内ポケットを狙って後ろからジャケットを切り裂くという手口が多発しているらしい。これは携帯電話や財布を失うばかりでなく、ジャケットも台無しになってしまうという点からダメージは非常に大きい。そのジャケットがお気に入りだったなんて日にゃ、しばらく立ち直れないだろう。
なぜなら、ケニアで私好みの洋服を見つけることは、不可能に近いからだ。
ただ私はまだ数回しかタウンに出ていない。もしかしたら大人買いしたくなるような服屋さんがあるのかもしれない。あくまでも私見である。

ここまでの強奪、スリ等の話はケニアにかかわらず、他国においても似たような話は聞くことがある。
衝撃的であったのは、ここからの話の続きだ。
実に衝撃的な内容になるため、ここから先へ読み進むことにより、場合によっては気分を害してしまう可能性もある。そういった可能性が考えられる方はここから先は読み進むことはお勧めしない。あらかじめご了承いただきたい。

悪事に失敗し、「mwizi!(泥棒~っ!)」の掛け声を上げられ、逃亡に失敗した輩は、市民により捕らえられ、集団リンチに合う(時にこの段階で殺されてしまうこともあるそうだ)。
その後、車のタイヤをフラフープ状にかけられ、悪事の結果の見せしめとして界隈を引きずられる。ここまでの様子は、キベラスラムを題材とした写真集で同じような光景を見たので、真実なのだと思う。

その後、ガソリンをかけられ、火をつけられることもあるそうだ。

「Mob justice. African culture.」
と、彼は当然のように言い切ったが、その話を聞いて私は言葉を失った。
日本では考えられないことだが、ケニアでは泥棒は交番に逃げ込むのだそうだ。

Mwizi(泥棒)も失敗すれば死が待っていることを覚悟の上で、悪事を働く。
「自らの命」と「shillings(お金)」を天秤にかけて。
この国では時に「自らの命」よりも「shillings(お金)」の方が重くなる。

私は約1ヶ月後に、ナイロビから約200キロ離れた othaya rehabilitation schoolへ赴任となり、孤児や様々な理由で保護者と暮らせなくなった子どもたち、元ストリートチルドレン達と生活をともにすることになる。
彼らの中には、犯罪を犯して入所している子どもたちも少なくない。
othaya rehabilitation school にて子どもたちに伝えなければならないことが一つ明確になったような気がする。

蝶々の飛行速度

2008-07-19 | In Nairobi

私が御贔屓にしているcyber café 、日本で言うところのいわゆるネットカフェだ。
その名も「cyber café」。店名に全くヒネリなし。
写真を見てわかるように、そこは森の中?なので簡単には見つけられない。彼らの商売気についても疑いたくなるくらいだ。
店内がまたいい。日本のネットカフェの店内を想像して入ってしまうとおそらく声が出るだろう。

「え゛っ」 って。

いくつかの途上国のcyber café の利用経験がある私は店内がどんな感じなのか、あらかじめ想像することができたから、初めての入店では、もちろん声が出るはずも…

「え゛っ」 
声が出てしまった…。

型の古~いPCが数台とバイトの兄ちゃんが一人いるだけ。日本のネットカフェのような設備の良いマシンはもちろん無いわけだが、接客サービスも皆無だ。
強いて言えばコーヒーは出てこないが、時折、屋根で行われるおサルさん達の歓迎ダンス?のせいで、すごい量の砂埃、天井の残骸、白アリ君達がテーブルにserveされる。
きっと伝わらないだろうが、そんな「cyber café」は私にとって本当に居心地がいい。
そんな居心地が良いところから送信するメールは、それこそ送信先へ「スキップを踏む」ような感じで飛んで行くのだろうなと想像しながら送信ボタンをクリックするわけだが、メールを1通送信するのに5分かかるということは必ずしもそうではないようだ。
ちなみに「E-mail」のことをスワヒリ語で「barua pepe」という。baruaは手紙、pepeは蝶々を意味する。
「蝶々であれば5分は必要だな」と、日本では考えられないことだったが、今はその待ち時間も心地がよい。
ここ「cyber café」はナイロビ人の口癖でもある「T.I.N.(this is Nairobi)」的で非常に良い。
私も「T.I.N.」という言葉を誰かから言われる立場ではなく、誰かに言える立場になる日は近いのかもしれない。

simba(ライオン)にお目にかかる方法

2008-07-18 | In Nairobi
任地赴任までの約1ヶ月間、語学学校での語学授業、ケニアをより理解するためのさまざまなプログラム、また任地での活動を展開するために必要な手続き、予防接種等、首都ナイロビにて赴任準備をしながらの生活が続く。
さすが東アフリカNO.1の都市といわれるだけあり、日本と比べてしまえば不便さはあるものの、ナイロビでの生活は快適そのものであり、快適すぎるゆえにJOCVとして訪肯尼亞(ケニア)している私は若干の疑問すら感じ始めている今日この頃である。
語学授業については、既に日本での訓練でケニアの公用語であるスワヒリ語を訓練語学として学んできている私は、他の隊員とは別クラスの、一応、「advance class」ということで毎日約5時間の授業を受けている。
語学授業はMr.Justusという、とても紳士的かつ、話好きなケニア人男性による、スワヒリ語と英語でのMIX language で進められていく。もちろん日本語は一切無いのだが、これがなんとなく理解できちゃってるから、我ながらスワヒリ語の上達具合を褒めてあげたい。
しかしながら、私の任地othayaでは「キクユ語」という部族語を話す人が多いとのこと…。スワヒリ語もキクユ語も同じ国で話されている言語のわけで、日本でいう標準語と関西弁くらいの違いでしかないと高をくくっていたが、実のところスワヒリ語とキクユ語は英語と中国語くらい違うらしい…。

「えっ、じゃぁ「キクユ語」を勉強した方が良くね?…。」
まぁ、この際細かい事は気にしないことを心に誓う。

毎日の語学授業では、「Justus 風を読む」的コラムの時間があり、その内容が毎回とても興味深く、ケニアを理解するうえでとても参考になる。ただ、もちろんそれは彼の私見そのものであるため、一側面として捕らえなければならないのだが。それにしてもJustusは話がとてもうまく、私にとって「Justus 風を読む」は毎日の楽しみになりつつある。
ナイロビは日本で言うところの東京にあたる首都であり、東アフリカNo.1の都市でもある。
にもかかわらず、ほんのちょっと中心地から離れると「おサルさん」「カメレオン」は日常茶飯事的風景で、ナイロビ内にあるナイロビ国立公園では運が良ければ「ライオン」も見れるとか?
来週はそのナイロビ国立公園へ行く予定だ。ぜひともsimba(ライオン)にお目にかかれるべく、一日一善を心がけたい。