DUNIA

ケニア~青年海外協力隊~青少年活動~男子更生院~2年間限定

汽車ポッポ

2009-07-31 | In Othaya
良い時代に生まれたものだ。
そう感じることがkenyaで生活するようになってからは多い。
電化製品と呼ばれる品が皆無に等しい私の生活では、日本から持参したPC一台のおかげで
どれほどkenyaでの生活に潤いが齎されているかは計り知れない。
PCに詰めてきた音楽データもその一つで、日本にある私のCD rackを丸ごと持って来たに等しい。
私はほとんど邦楽を聴かない。
正確に言えば、聴かなかった。
しかしながら、現在、邦楽がとても聴きたい。
自覚は全く以って無いのだが、nostalgiaにやられているのだろうか?
年末の歌合戦を真剣に見たことはなかったが、今の私にしたら三夜連続くらいでやってほしい。


「音質≦音量」派の私は、PCからのチョロチョロ出力では到底満足できず、イヤホンでの直聴きが多い。
日本を出てきてから全くと言っていいほど更新されていない音楽データに新鮮さを求めるため、最近はshuffle modeで聴く。
音楽データがどのくらいあるのか数えたともないが、shuffleにでもしないとこの先何年も再生されずにいるような曲達が居ることも事実で、そんな曲が廻り始めた時は思わず歓声を上げてしまう。
そして全力で歌い、夜の冷え込みに冷え切った身体を温め、メロディーに乗せてストレスを吐き出し、明日への活力を蓄える。

「マコは歌が上手いのね。」

とご近所さんから幾度と無く褒められ有頂天だった私だが、
あれはもしかしたら、とても気を遣っていただいた苦情だったのかもしれない、と「たった今」気付いた私。
幼い頃、父親が入浴中に近所迷惑も憚らず大声で歌うことが恥ずかしくて仕方なかったはずなのに。
ちなみに、ご近所さんはその父親の歌声を毎晩暴走族が走り回っていると勘違いしていたくらいだ。
血は争えないらしい。
ドンマイ。


あの晩もとても寒い夜だった。
雪国生まれのくせに寒いのは苦手で、雪質を上げてくれるゲレンデでの寒さは大歓迎ではあるが、
それ以外での寒い思いはゴメンしたい我儘な私であるから、その晩はフリース、ダウンジャケット、ニット帽というフル装備。
愛用のゴーグルとグラブがあれば、それも装着したいところだが、
生憎、kenyaでのスキーは想定しておらず、それらは日本に置いてきた。
そんな寒さに加え、久々の厚着も手伝ってか、私はスキーのwithdrawal symptomsを発症してしまった。

あぁ、視界を奪う程に舞い上がるパウダーが恋しい。
あぁ、膝を砕くほどのコブを攻めたい。
あぁ、リフトに揺られながら一服したい。
あぁ、頂上で冷やしておいたビールに酔いたい。

私の思考は崩壊寸前。
そしてそのタイミングを見計らったかのようにshuffle modeからは、「choo choo TRAIN」。
ゲレンデ定番曲が廻り始めたところで私の正常回路は、敢え無く完全崩壊。


そりゃもう「独り」EXILEでしたけど、グルングルンやりましたよ。
ゴーグルの代わりにサングラスを掛けたら、あるはずもないコブが見えてきちゃって、
ニット帽に覆われたはずの耳には「キュッキュッ」と雪の鳴る音まで聞こえてきちゃって、
もう完全にゲレンデへtripした私は、上村愛子ばりの「コークスクリュー」を決めましたよ。
座りなれた部屋の椅子も、良く見たらなんだか「一人乗りリフト」みたいな気がしてきて、休憩がてらにそこで一服つけましたよ。

もう「choo choo TRAIN」最高ッス。
明日も頑張れそうッス。



日本は今年、冷夏らしい。
今冬は雪の多い冬となるのだろうか。
地球温暖化が進んだら、「スキー」という言うスポーツも昔話になってしまうのだろうか。

地球温暖化には断固反対である。



日本晴れ

2009-07-27 | In Othaya
「光陰矢の如し」のごとく、七月が終わろうとしている。
八月がすぐそこまで来ている今日、私の周囲は少しソワソワし始めてきている。
来る八月の第2週にはkenya全国が終業式を迎え、約1ヶ月間のterm休みに入る。
Kenyaではboarding schoolが日本に比べ一般的で、結構な割合の子どもがboardingにて就学しており、
term休みともなると民族大移動とは些か大げさだが、かなりの数の学生・児童がそれぞれの実家に向け帰省する。
普段はsenior citizen がinitiativeをとるothayaもterm休みの間はteensで溢れかえる。
余談だが、この時期の首都Nairobiは閑散とするらしい。
さらに余談だが、この時期になると私は自身の姿を鏡で見る回数が増える。
Othayaで生活するようになり一年が経過してはいるが、外国人である私はまだteensの間では興味の対象であり、この時期だけは芸能人並に握手を求められる。
「キャーキャー」言われながら女子に囲まれるのはやはり悪い気はしない。
独特の体臭を放ち始めた男子に「押忍!押忍!」言われながら囲まれるのも、それはそれで悪い気はしない。
であるからして、普段は鼻毛の一本や二本など気にならなくなって久しい私ではあるが、
さすがにこのterm休み期間中だけは、鼻毛が出ていては曲がり形にも日本代表としての面目が立たないわけで、多少なりとも色気付いてしまうのである。
このようにtownへ繰り出す際は、自身は日本代表のつもりで、侍の末裔として、それに恥じぬよう鏡で鼻毛のチェック、ズボンのチャックの指差し確認を怠らない私ではあるが、
teensからは十中八九、

「china!!」

と声をかけられる…。
私が中国の方と間違われるのは別にいい、自身でも欧米人よりも東洋人顔であることは百も承知しているし、私もkenyaとugandaの人々の区別はおそらくつかない。
しかしながら、彼らが発する「china」には、中国の人々を蔑むようなニュアンスを含ませたうえで私を馬鹿にしていると感じられる時があり、それにはどうも気分を害す。
先term休みにも、上記したような「china!」に加え、
おそらく、覚えたてだったのだろう、使ってみたくて仕方なかったのだろう、
私に向けてピンと一本伸びた中指。
国によっては殺されかねない行為だ。
相手が私で良かったのかもしれない。
と言うと言い訳がましいだろうか、そういった悪質?な「からかい」にキレてしまった私は、teens相手にお灸を据えた。
どんなに「キレいごと」を言っても、結局は私が馬鹿にされたことに「キレた」ことが、一番の要因になるのだろうが、なんだろう、上手く言えないが、ああいうのはとても気分が悪い。
そしてそれ以来、私はothayaのteensから「ジェット・リー (アクション俳優)」と呼ばれているらしい…。
「日本人」であることを理解してもらうまでの道のりを険しくしてしまったのは紛れもなく私であり、
それについては自業自得以外の何物でもなく、また日本人としての品格を貶めた自身の行為には深く反省している。
今term休み中に万が一にも再度キレるようなsituationがあった場合には鉄拳ではなく、侍らしく竹刀か何かを使用しようと思う。
ではなくて、
「拙者、日本からの使いの者でござる。」
と「正しい侍」の姿の伝播に努めたいと思う。
もちろん笑顔で。

と、そんな昨今であるから、お子さんの帰省を楽しみにしている同僚、term休み中に旅行を計画している同僚たちの楽しそうな話のおかげで、
最近のchai time(お茶の時間)はネタには困らない。
更生院は基本的にgeneral schoolに準じた学期編成であり、O.R.S.も例外なく八月五日からterm休みに入る予定ではある。
が、更生院という特殊な性格を持つ施設のため、term休み中は授業の実施こそないものの、更生院自体がcloseされることはなく、
PEが実施されない以外に私の日常には特段変化は見られない。
むしろ、上記したような同僚たちの業務helpに入ることが多く、
また、授業もなく退屈した彼らが思いつくことと言えば、大抵「ロクこと」でないため、彼らを退屈させないためにも私は結構忙しい。
プロレスのタイトルマッチは連日のように開催されるし(※champion参照)、
朝から晩までサッカーなんて日も珍しくない。
彼らの無尽蔵とも言える体力には感心するばかりで、私もこの時期ばかりは自身の「体力強化合宿」のつもりで臨む。
彼らと過ごす時間が必然的に増えるterm休みを私は同僚たちとはまた違った意味で楽しみにしている。


私と同様、Boysもまたこのterm休みを楽しみにしているようだ。
毎日大好きなサッカーを存分に楽しむことができるし、何と言っても授業が無い。
家族(親戚、保護者含)が更生院へ面会に訪れてくる可能性もある。
そして何より、term休みはreleaseの時期にあたり、毎度数名のboysはこの更生院での生活を終え、家庭(親戚や保護者含)へ帰る時期にあたるのだ。



「マコ!マコ!マコ!」

と、releaseの決まったboysは満面の笑顔で私のところへ報告に来てくれる。
更生院で暮らす彼らにとってはこれ以上ないhappyな出来事であり、
彼らにとってhappyな出来事は私にとってもhappyであるはずなのに、

「そっか、良かったなぁ。」
と、ぎこちないほどの明るい声と、精一杯努力して作った「作り笑顔」しか出てこない。
そしてそれを隠すように、慌てて煙草に火をつける私。



「いつでも戻って来いよ。」
って言いたいのは山々だが、ここは更生院であり、彼らは二度とここに戻ってきてはならない。

「絶対ここには戻ってくんなよ。」
そう告げる頃には、もう「作り笑顔」すら無理な状態。
そしてまたそれを隠すように機関車のごとく煙を吐く私。

「いつでも戻って来いよ。」
と言ってやれない代わりに、私はreleaseされていくboysに20ksh玉を一枚、電話代として渡している。

「なんかあったらいつでも電話してこいよ。」
「うん。」




releaseが決まった彼は、更生院で大切に育てた鶏を売り、そのお金でサッカーボールを買って家に帰るそうだ。
そして町内でサッカーチームを作り、そこで選手兼監督をするのだという。

「サッカーで大切なものはなんだ?」
「UPとDOWN、グランド整備と道具の手入れ、一番はteammate。」

合格だ。
立派な選手兼監督になるだろうし、
今日の彼の立ち振る舞いから見ても、もうここに戻って来るようなこともないだろう。



「good-bye!」
「グッド バァァイ」と言う変な発音に救われ、ようやく自然に笑えた私の元をスキップで去る彼の後姿がとても輝かしく見える。


たまには俺のことも思い出してくれよ。
そんな少々押し付けがましい思いを煙と一緒に空へ吐き出す。
明日も晴れそうだ。
門出にはやはり日本晴れが相応しい。

射程距離

2009-07-20 | In Othaya
まるで合成写真のように近代建築と原始建築がアンバランスなまでに軒を並べ、
祖父母の時代に生産されたような車種から、先進国でも新車として発売されたばかりの車種が入り混じりながら完全舗装とは言い難い道路は慢性的な渋滞を病む。
毎日のように洗車された車で通勤をする人々がいる一方で、生活用水を求め毎日4時間以上かけて徒歩で川まで往復する人々がいる。
貴金属や香水で着飾った人々が買い物袋で一杯のカートを押して出てくるスーパーマーケットの隣では、
もう落とせないであろうほどに垢の染み込んだTシャツに裸足の人々が露天で商いを行う。
腰に巻かれたHolsterに収まる三台の最新型携帯電話が着信するたびに薄給を嘆く男性の座るベンチの脇では、
通行人からの小銭が入ったカップを握り締めた男性が遠くに視線を据えたまま動かない。
飴玉とアイスクリームを両手に駄々をこねる子どもの傍らでは、ストリートチルドレンがシンナーを片手に歪んだ笑顔を浮かべる。
娘の英語の上達を危惧する教員が教鞭を執る学校の子どもたちは自分の名前すらスワヒリ語で書くことが出来ない。
参列者達が家族の幸せを祈る週末のmassに参列する家族の顔すら知らない更生院の子どもたち。

東アフリカNO.1と言われるkenyaの首都Nairobi、そして私が暮らす片田舎Othayaで見られる人々の対照的な生活の営み。
水道から当たり前のように湧き出る水をdirectlyに飲める国で育ち、
中学生時点で月々のお小遣いを3000≒$30をもらい、
現在に至るまで約20カ国を訪れ、世界情勢には決して疎くないと自負してきた。
自分の置かれた生活環境は恵まれたものだと意識しながらも、
自身がこれまで訪れた国々やmediaから発せられる開発途上国の惨状は、ごく一部の限られた国々の特別な事だと思っていた節はある。
その特別な国々を援助するヒーローにでもなったかの如く私はkenyaに来たつもりだったのかもしれない。

世界には現在、約200の国があるとされ、そのうち開発途上国は約150カ国あり、世界の国々の8割を占める。
世界の人口は約65億人とされ、そのうち開発途上国の人口は約48億人おり、世界人口の7割を占める。
1日/1ドル≒100円未満の生活を強いられている人口は約11億人、
栄養が足りないとされる人口は約8億人、
安全な水を飲めない人口は約10億人、
学校に行けない子供たちの数は1億1500万人、
読み書きができない人々は8億7600万人、
そして、日本国の人口は1億2700万人。
特別な事だと思っていた開発途上国の現状は決して特別な事ではなく、むしろmajorityであり、minorityだったのはヒーロー気取りの誰かさんだった。

様々な社会的格差を生み出し、時に尊い命を奪う起因と為り得る「貧困」は、紛れも無くその国の、そこで生きる人々を「幸福」から遠ざける。
「潤沢たる経済」が必ずしも「貧困」の免罪符になるとは思ってはいない。
「魚を与えるのではなく、釣り方を教える」など、それを獲得するまでの支援過程についても重要視すべきと感じている。
しかしながら、それでもやはり「貧困」の解決を優先することが、大多数の人々の幸福を保証し得るものだという自らの思想は否定できない。

先般、「GNH」という独自概念に沿って走る「Bhutan」という開発途上国での国勢調査で、
「あなたは現在幸せですか?」という問いに、国民の九割が「幸せだ」と回答したそうだ。
同じ問いにGDP世界2位である日本の国民の九割は「幸せ」と回答するだろうか。
「GNP」や「GNI」、「GDP」の値では、一概にその国の「幸福度」を測ることはできない、という自身の思想に突きつけられた皮肉なまでのParadox。
どちらが「developed 」とclassifyされるべき国で、どちらが「developing」とされるべき国なのだろうか。


sterotypedしてしまった自己概念というフィルターを通し物事を見定め、
「developed 」と言われる国で育った自らの「幸福」のdefinitionがまるで万物万能な物かのように、自身の「基準」を基準とした尺度で他人の「幸福」についてを量る。
感傷的になることで、傍観を否定し、偽善を葬り、そしてヒーローを気取ってきた。


他人の幸福についてを理解できない。
これもまた人を不幸にしているのかもしれない。




今、彼のその視線の先にあるもの、
私より遥かに長い射程で見据える彼の視線の先にあるものが、
私には本当に見えているのだろうか?
彼が方位を失った時、私の指差す方向と彼のcompassが指す方向は一致するのだろうか?
最悪、それが見えず、方向が一致しなかった場合、その時私は自身の双眼鏡とcompassを疑うことができるだろうか?



「万能足りて一心足らず」そんなヒーローより、
泥臭くていいから「一心足りて万能足らず」そんな真摯たる男でありたいと思う。

MY BLESSING 2 U

2009-07-13 | In Othaya
いきなりのlove affairで恐縮だが、
現在、私は2名の女性からaggressiveなまでに交際を迫られている。 

yellow:「早くこっちに来て、私の作ったご飯食べてよ!今日はあなたの好きなゲゼリ(代表的ケニア料理)を沢山つくったんだから。」

beige:「マコはムキモ(代表的ケニア料理)が好きだったわよね。はい、ムキモ!沢山食べてね!」

yellow+beige:「もー、タバコなんて吸ってないで、どっちなのよ、はっきりしてちょうだいよ。」

そんな私を巡って声を荒げる彼女らを遠巻きに眺めながら、私は紫煙を燻らす。
煙草を揉み消した私は、重い腰を上げ、彼女らが私のために作ってくれた「ゲゼリ」と「ムキモ」を食べる。
食べると言うか、食べるふりをする。
そして食べ終えると、実際には一口も口にはしていないのだが、
「旨かったよ。」
とそれぞれに告げ、食卓から腰を上げると彼女らの口論から避難するようにまた煙草に火をつける。
彼女らと会うようになってからというもの煙草の本数が増えた。
今の私にとって煙草は都合の良い逃げ口上となっている。

私と彼女たちが知り合うまでは、
こんな風に一緒に食卓を囲むような関係になる前までは、
彼女たちは唯一無二の親友だった。
しかしながら、男女3人によって形成されたtriangleがequilateral triangleとしての体系をいつまでも維持していられるわけも無く、
いつしかそれは歪なまでに姿形を変え、友情が憎しみに取って代わり、平穏だった日々もやがて地獄絵図へと変容してしまった。
「私」と言う存在が彼女たちの友情にお互いが憎悪を抱くほどのcrackを入れてしまったという事実に自責の念を抱き、
また、彼女らに未だに真実を告げていないという良心の呵責に苛まされる私は、

「早い段階で真実の告白をしなければならない。」
と自悟してはいるものの、彼女らの屈託の無い笑顔を前にすると、
残酷なまでの真実の告白は到底出来る事ではなく、今まで先延ばしにしてきてしまっていた。
そしてついに、私が最も危惧していたその言葉を彼女たちの口から聞かされることになる。

yellow:「マコは私と結婚するのよね?」
beige:「私よね!?」

彼女たちが私に寄せてくれている好意は大変有り難いものであり、
二名の女性からの同時求婚とは、「ドン・ファン」というペンネームを持つ私としては栄誉の証でもある。
しかしながら、残念なことに私は既婚者であり、たとえそれが来世での話であったとしても、
来世においても私は現在の妻と結ばれることに決めており、残念ながら彼女らの申し入れを受けるだけのtolerant capacitiは見当たらない。

「は?ノロけ?キモイんですけど。」
という類の賛辞の声が聞こえたような気がするが、気のせいだろう。

傲慢な言い方になるが、万が一にも彼女たちにチャンスがあるとすれば、来々世になるのだろうか。
しかしながら、来々世は来々世で「滝川クリステル」を狙っている私。



yellow:「ご飯ができたわよ。今日はスクマ(代表的ケニア料理)よ。」
beige:「うちが先よ!マコ、今日はマハラグェ(代表的ケニア料理)よ!」

先ほど食べ終えたばかりなのに、もう食事の時間らしい。
煙草を揉み消し、食卓に向かう。
今度こそ真実を告げよう。
今日を以ってこの関係は終わりにしよう。
正直、もう疲れ果ててしまった。
意を決し、カラカラに乾いてしまった喉から絞るように、言葉を吐き出す。



「実は俺、結婚してんだ。」




yellow:「じゃぁ、私 karanjaと結婚しよー!」
beige:「じゃぁ 私はmwangiと結婚しよー!」

私:「じゃ、明日からしばらくお休みしてもいいかな?」

Africa特有の赤土で作られた「スクマ」と「マアラグェ」を前に、この関係に終止符を打ちにかかる私。


yellow+beige:「いーよー!」




彼女らのあの弾けんばかりの笑顔に後ろ髪を引かれる思いは否めないが、それでもやはり私には、「お飯事」よりも「サッカー」の方が性に合う。

「行ってらっしゃーい。」
の声に、

「行ってきまーす。」
と思わず答えてしまった私は、今更ながらに沸いてきた嫉妬心に、今日のサッカーでは「karanja」と「mwangi」を徹底的にケズる決意を決めた。
大人気無いと言うか、潔くない…。


出会いは偶然、別れは必然とも言う。
来々世での滝川クリステルとの「偶然の出会い」に期待することにしよう。

endeavor

2009-07-08 | In Othaya
言わずもがな、global wormingは深刻化の一途を辿っており、それが及ぼす気候変動は時に信じられないような現象まで起こしている。
まずありえないとは思うが、例えば、その気候変動により空から「cinnamon」が降ってきたら、
私はきっと意識を失い、息を吹き返す自信が無い。
私はそのくらい「cinnamon」が苦手であり、その他の好き嫌いはない。
猿の頭も美味しくいただくことができたし、芋虫も平気だった。
が、Apple Pie(with cinnamon) だけはどうしても食べれない。
おかげ様でkenyaではApple Pieを食す機会には恵まれず、本当にホッとしている。

kenyaでの食事については着任前の想像と、着任後の実際とはかなりの開きがある。
結論から言ってしまえば、私の任地othayaでは「肉」を食べる機会がほとんど無く、魚介類については皆無だ。
先日、回転寿司のレーンの皿に乗って、大好きなお寿司さん達に囲まれながら延々と廻り続ける夢をみた私の精神は既に臨界点に達してしまっているのだろうか…。
「cinnamon」は勘弁いただきたいが、もし「鰤」が空から降ってきたら…。
ピッチピチの鰤が空から降ってきて、今日も明日も明後日も鰤を食し、そして…。
これ以上は考えない方が良い。
そんなことは有り得ないのだ。
そう、有り得ない…。
しかしながら、「最後まで希望をすてちゃいかん。あきらめたらそこで試合終了だよ。」
と、安西先生も言っていたように、あきらめなければ、最後まで希望を捨てない限り…。


話題を変えよう。


私の任地であるothayaはケニアでも有数の農産地域であり、茶葉、コーヒー豆の他に色とりどりの野菜や果物がその旬ごとに市場に並ぶ。
日本でもおなじみの野菜、果物が多く、
トマト、ニンジン、キャベツ、ピーマン、ナス、ジャガイモ、アボガド、種類豊富な豆類、
バナナ(黄、緑)、オレンジ、マンゴー、リンゴ(青、赤)、パパイア、パイナップル等、
とても新鮮かつ日本では考えられないような価格でそれらは市場に並ぶ。
料理のレパートリーが貧弱な私は、これだけ豊富な食材にもかかわらず、片手で十分足りるほどのメニューを順番に回しているわけだが、その中にはもちろんケニア料理もある。
これは友人宅の食卓でご馳走いただくたびに憶えたというより、半ば強制的にご教示いただいた結果なわけだが、私はケニア料理が気に入っている。
ケニア料理は大変気に入っているものの、日本との食文化の違いについては戸惑ってしまうこともあるのは事実である。
kenyaの食文化として有名な、箸、スプーン等を使わず、右手でdirectに食べることに戸惑いは感じない。
むしろその所作には感心すらしてしまう。
着任より一年経過した今でも戸惑いを隠せないのは、ケニアの人々は何食でも同じ物を連続で食べることに飽きないらしいという点だ。

~例~
月曜日;朝 ウジ(お粥) 昼 ゲゼリ(豆、トウモロコシ等の煮込み) 夜 ゲゼリ(豆、トウモロコシ等の煮込み)+ウガリ(※遣隋使 参照)
火曜日;朝 ウジ(お粥) 昼 ゲゼリ(豆、トウモロコシ等の煮込み) 夜 ゲゼリ(豆、トウモロコシ等の煮込み)+ウガリ(※遣隋使 参照)
水曜日;朝 ウジ(お粥) 昼 ゲゼリ(豆、トウモロコシ等の煮込み) 夜 ゲゼリ(豆、トウモロコシ等の煮込み)+ムキモ(マッシュポテト+ゲゼリ)
木曜日;朝 ウジ(お粥) 昼 ムキモ(マッシュポテト+ゲゼリ) 夜 ムキモ(マッシュポテト+ゲゼリ)
金曜日;朝 ウジ(お粥) 昼 マハラグェ(豆の煮込み) 夜 マハラグェ(豆の煮込み)+ウガリ(※遣隋使 参照)
土曜日;朝 ウジ(お粥) 昼 ゲゼリ(豆、トウモロコシ等の煮込み) 夜 ゲゼリ(豆、トウモロコシ等の煮込み)+ウガリ(※遣隋使 参照)
日曜日;朝 ムカテ(食パン) 昼 マハラグェ(豆の煮込み) 夜 マハラグェ(豆の煮込み)+ウガリ(※遣隋使 参照) 

一度に大量に調理することで昼、夜が同じメニューになってしまうというわけでもなく、調理された物はその都度完食される。
使用される食材に多少の変化は見られるものの、仕上がり時の料理名は同じなわけで、味も見た目も代わり映えはしない。
盛り付けなども日本のそれとはまるで異なり、視覚効果が及ぼす影響等については全く考慮に入れられていないように個人的には感じている。
日本、kenyaの食文化にはどちらにも長短所があり、一概に良し悪しは言えないが、
そこにはそれぞれのお国柄が反映されており、食事が「文化」としてcategorizeされる所以を感じている。
日本の食文化と言えば、やはりお寿司様を差し置いては語れないだろう。
日本海側育ちの私の一番のrecommendationは「鰤」で、出世魚である「鰤」はワカシ、イナダ、ワラサ、ブリの順に呼び名が変わる。
寒ブリとも言われ、特に冬に美味なのだ。
刺身に限らず、煮物、鍋とも相性が良く…。


話題を変えよう。


そんな私の食生活であるが、最近、私は気付いてしまった。
どうやら私は「ぺペロンチーノ」の天才らしい。
先日の上ロビの際に、食のレパートリーの充実を目的にパスタを大量に買い込んで帰ってきた。
シンプルかつ大胆な「男のパスタ」を目標に、
というか、「シチリア風何とか」とか「ボンゴレ何とか」とか「カルボナーラ何とか」だか「何とかカルボナーラ」だか、そんな小洒落たパスタは作れるはずも無く、
あくまでも対象は私であり、OLではないと、自分に言い聞かせながら、「ぺペロンチーノ」を作ったみた。
結果、その日から約2週間、Nairobiから買い込んで来たパスタが尽きるまで、この「ぺペロンチーノ」ならぬ、「マコロンチーノ」を食べ続けた。

「それは「ぺペロンチーノ」じゃなくて、「焼きそば」だよ。」

と、某人物から指摘されたが、気にしない。
これは「ぺペロンチーノ」でもなく、「焼きそば」でもなく、
そう、「マコロンチーノ」なのだ。




「マコ、スパゲッティを食べてみたい。」

珍しく、Ochiengが自分から願い事を申し出た。
Ochiengとは、昨年度のO.R.S.の卒業生で、現在secondaryに通う18歳男子だ。
幼い頃に両親と死別した彼は、その後の11年をこういった更生院のような施設を転々としながら生きてきた。
昨年度のKCPE(全国進学試験、センター試験の高校版だと個人的に解釈している)をpassした、O.R.S.では極少数の進学権を手に入れたboyで、
本当に感心してしまうほどの礼儀正しさを弁え、
ルオ族であることを誇りに奏でるwadede(ルオ族伝統楽器)では全国大会3位、
180cmを超える長身から放たれるdiscus throwでは全国3位という
まさに文武両道を絵に書いたようなboyで、他のboysからの信頼も厚く、もちろん私も彼には全幅の信頼を寄せていた。
しかしながら、KCPEはpassしたものの、孤児である彼の進学費等の目処は立たず、かと言ってreleaseすべき家もなく、更生院としては八方塞がりの状態だった。
私が内心で当てにしていたJICA関連の奨学金制度も諸事情により活動を一時凍結しており、当てにならないことが判明。
私が私費で彼の学費を支払うことは簡単だった。
簡単というのは、金額の問題ではなく、彼の今後の可能性を拡げるための支援を私が行うことについてだ。
最悪の場合は、そうするつもりだった。
しかしながら、secondaryの修業年限は4年で、私の任期はその時点で一年半を切っていた。
「今、私が彼の学費を当たり前のように支払ってしまったら、私が帰国したあとの2年半は誰が支援する?」
「現状を鑑みても更生院からの支援は難しいうえに、国の提供するbursaryも当たる可能性は低い。」
「kenyaの人による支援を確保しなければ。」
毎週のようにmassにて住民に呼びかけた結果、僅かではあるが寄付金が集まり、
私の活動に理解を示してくれた人々からは友人等を紹介していただいた。
紹介いただいた方々と連絡を取り、面談のために幾度もOchiengとNairobiまで上京した。
誠意を持って話は聞いてくれるが支援までは至らないケースやドタキャンは数えられない程あった。

「マコ、もういいよ。ありがとう。十分だよ。」
Ochiengは言う。

十分じゃない。

「最後まで希望をすてちゃいかん。あきらめたらそこで試合終了だよ。」
安西先生の言葉だけを頼りに踏ん張った。

学費の支払い期限も目前に迫り、日本の家族に送金の準備依頼の連絡をした週、
ようやく1名の男性支援者(ケニア人)が見つかった。
本当に涙が出た。

その支援を承諾いただいた男性のおかげで、Ochiengは現在secondaryに通っている。
支援条件として課している成績もクリアーしており、今回のようにterm休みになると誇らしげに成績表を持ってO.R.S.に帰ってくる。
Ochiengは現在O.R.S.に収容されているboysの憧れの的でもあり、彼らの勉学等のモチベーションの向上にも一役買っていることは言うまでも無い。


私の1.5倍はある手で、タバコより短くなった鉛筆で毎日4時間の自習をする彼は、
いくら私が新しい鉛筆の買い出しに誘っても、「それは日本の家族との通信費に費やしてください。」と遠慮する。

そんな彼が、
「マコ、スパゲッティを食べてみたい。」
と言ってきたのだ。
そりゃもう、馬鹿みたいに大量に作った。
「魂」大盛りで。

が、Ochiengと言えば、「スパゲッティ」とは何たるものなのかすら見当も付かなかったらしく、
現に彼は「スパゲッティ」はsweety(甘いおやつ)だと思っており、調理過程を終始不安げに見入り、そして食すると言葉を失っていた。


世界は広い。
スパゲッティは旨い。

これからもっともっといろんな世界を見て、見聞を拡げて、そして自身の可能性を自身で拡げていってほしい。
そしていつか彼が日本に来た暁には、「鰤」っていう最強の味を教えてやろうと思う。
「鰤」とは、スズキ目の海魚で、全長1m、体は紡錘形。回遊魚で日本各地の沿岸に分布し…。

今日はこの辺で終わりにしておこう。