TOKYO ⇔ SAIGON そしてたくさんの街へ

東京とサイゴン、そして、いろいろな街を巡ります。

Cちゃん

2008-02-10 | Weblog
娘が(私に内緒の)HPを運営していたのがわかったのは、ずいぶんたってから。彼女の友人のうろ覚えのイメージを手がかりに探しに探し、ようやくみつけたのは一ヵ月後だった。

トップページに隠したリンクから、当時はまだ違法だったmp3で音楽を聴かせていた。mp3は違法のため、見つかるとすぐに削除しなければならなかったが、隠しリンクによって見事にそのまま残っていた。

掲示板があり、多くのネット友達の書き込みがそこにあった。「めり~クリスマス!」やら「あけましておめでとう」やら、娘の死を知らない人からのコメントが、レスがつかぬまま載っていた。

私は、死後1年たつ命日まで、ここは閉鎖せずに残すことを決めた。娘の代わりに、その掲示板を1年間だけ引き継ごうと思った。娘が自死で逝っちゃったことを正直に書いた。

そうしたら、そこは図らずも、私への「応援掲示板」となった。仕事が終わって帰ってから、毎晩わたしは膨大なコメントのひとつひとつに返事を書いた。今思えば、このことはあの年の自分を、救う作業だったと思う。

一人だけ、わたしの投げかける疑問に多大な心遣いをしながらも、情緒に流されず的確に、ときにはカウンセラーのように冷静に導いてくれる人がいた。それがロンドンに住むアーティストのCちゃんだった。

娘とは性格が似ていたという。遊び好きでブラックな冗談がうまく頭の回転がおそろしく早く、なのにシャイで寂しがり屋のことろも何もかも。でも二人は合ったこともなかった

彼女はある年、突然日本の私の家に、イギリスから日本酒とワインを持って訪ねてきた。パンクなヘアで刺青が似合う、カッコいい美女だった。メールでも意気投合していたが、リアルであっても同様。

すぐに我々は「マブダチ」になった。その後彼女はいろいろあり、日本に5年前に帰ってきた。彼女の仕事は面白いほど認められた。今は、総合プロデューサーとして活躍している。

デザインの才能もすばらしいので、仕事を依頼することもある。彼女とチャットで会話していると、いつしかセッションになり、プロジェクトを完成させたこともある。なんとも不思議な関係に成長した。

もう今は、まったく娘の話はしない。彼女との会話は常に前に進むものなのだ。たらたらと過去に戻るのは、私たちの相性としてふさわしくなかった。でも私たちは「○○がくれた縁」ということで○○にはいつも感謝している。

最初に来たときに、「空ばかり見ている」私に、とロンドンの空の写真を持ってきた。アナログ一眼、紙焼きにこだわる彼女の「ロンドンの晴れ渡った空」が、この写真。

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