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“みなこ”のジオログから“みなこ”のブログに、このたび宗旨替えすることになりました。こっちはもっと深いかもよ。

江戸時代にヨーロッパでは機械式計算機が開発されていたんですね。

2009-11-19 23:07:25 | 電気通信
 江戸時代に機械式計算機が開発されていたんですね……というお話でございます。
 機械式計算機で新しいほうなのは、手回し計算機でしょうか。タイガー計算機がありましたね。四則演算がこなせます。うちにもあったんですが、引越のときに無くなっしまいました。確定申告の医療控除の計算では、何件目のデータかがわかりやすいので電卓より使い勝手が良かったんですが。

 手回し計算機はタイガー計算機だけじゃなくて、様々な方式の計算機が日本で言うところの江戸時代に開発されていました。

 1623年にはテュービンゲン大学のヘブライ語教授であったヴィルヘルム・シッカートがシッカートの計算機を発明しています。この年死んだのが天地人でおなじみの上杉景勝……という時代です。
 時の将軍はというと、 元和9年(1623年)7月27日に二代将軍秀忠から三代将軍家光に代替わりしています。秀忠の生前中に代替わりがあったようで、秀忠が没したのは寛永9年1月24日(1632年3月14日)のことです。

 1645年にはブレーズ・パスカルがパスカルの計算機を発明。9,999,999までの数値を扱えたものの、減算がしにくかったのでじぇんじぇん売れなかったそうで、興味の対象が気圧の研究や哲学へと関心が向かっていきました。それでヘクトパスカルって単位に名を残すんですけどね。

 今はどうなっているのかわからなくなりましたが、コンピューター言語のPascalは、機械式計算機を発明したことでブレーズ・パスカルの名に由来するものです。

1645年に創業したのがヤマサ醤油ですけど、そのぐらい古いお話なんですよね。ヴェネツィア共和国のオスマン帝国に対する海上封鎖が始まった年でもありますが。 このときの将軍は三代家光。

 1623年と1645年の間になにがあるかというと、寛永10年(1633年)彦根藩主井伊直孝が井伊氏の菩提寺として伽藍を創建し整備して寺号を弘徳院から豪徳寺に改名しました。寺号は直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」によるものだそうです。
 なぜにかというと、井伊直孝が鷹狩に出た帰りに小さな貧しい寺(弘徳庵)の前を通りかかると、中に入るよう手招きする猫がいたためその寺に入った。すると辺りは突然雷雨となった。雨宿りをしながら寺の和尚と話をしているうちに直孝は和尚と親しくなり、後に寄進を受け立派に改築され井伊家の菩提寺とされ……ということで、招き猫とひこにゃんとひこねのよいにゃんこの伝説が始まった時代であります。
 ↓ひこねのよいにゃんこのページ
 http://w2.dotcom-life.com/nyanko/

 1672年ゴットフリート・ライプニッツはStepped Reckonerと呼ばれる機械式計算機を発明。ライプニッツは二進記数法の唱道者でもあったので、今日のコンピュータに影響を与えた……といってもどこが2進法なのって感じですけどね。1672年には赤穂浪士として後世に名を残す大高源五と武林唯七が生まれています。 時の将軍は四代将軍家綱の時代となります。

 もしかしたら日本にも木造りの計算機があったかも……と思ったら江戸時代後期に伊能忠敬が測量に使った量程車は歩数計って扱いですが、加算のみを扱う専用型機械式計算機かもしれませんね。伊能忠敬の師匠の高橋至時が設計したんだそうですが、元は……というと機械式計算機を元にしていると思うんですが。11代将軍家斉の頃のお話だそうです。

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