防衛庁が省に格上げされるのではといわれる昨今、滅多に防衛など考えたことが無いというより考えようとしなかったが、原爆が日本に落とされ、
終戦記念日を控え首相の靖国神社の問題で騒がれ世間では又、マスコミでは盛んに書きたてているので、人並みにチョッと「歴史認識」なるものについて考えてみた。
司馬遼太郎著「世界の中の日本・防衛のこと」(P271)を読んで防衛について、いろいろ考えさせえられたのが、その切っ掛けになった。
中国、韓国の2国(北朝鮮も入るが論外にして)が(戦争責任を擦り付ける為の)歴史認識を国家間の問題と唱え又マスコミも迎合していろいろ議論盛んな今、その歴史につい考えてみた。まず、その切っ掛けとなった「世界の中の日本・防衛のこと」より一部を抜粋
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【薩摩藩主島津斉彬という人は幕末のぎりぎりではすでにこの世になかったが、この時期のあらゆる人物の中で、学殖識見ともにもっともすぐれた人物であった。
かれは、オランダ語と中国語が出来たばかりで無く、この時代の日本という制約かにあってあつめられるだけの海外情勢の情報をもっていた。この斉彬は安政四年(1857)の段階において「清国(中国)は長髪賊(太平天国の乱)のためにその国土の大半をうしない、国家としては殆ど滅亡しようとしている。
おそらく将来は外国のわけどりになるであろう。日本はこの外国の属領になるであろう中国大陸から大きな脅威をうけざるをえず、日本防衛のためにはすすんで中国大陸をかこむかたちをとらざるをえない。
そのためには山陽山陰の大名に対してはオーストラリヤを制しめよ。九州の大名には東南アジアをおさえしめ、東北の大名は、沿海州から満州へ入らしめよ」といっている。
肥前佐賀藩の藩主でこの藩に洋式産業を導入した鍋島閑叟の意見はやや規模が小さく「九州の大名は西からくる外国の侵略から日本をまもらなければならない。
このため国内防衛に任じ、東北の大名をして沿海州、満州をおさえしめるがよい。そのためには首都を思いきって秋田あたりにおく必要がある」といった。
19世紀の半ばというのは、地球上を帝国主義のエネルギーがおおっている。
その被害の立場にあった日本ですら、この世界史的な風潮の例外ではなく、その防衛論ですら、帝国主義であった。むろんこれをもって後世のわれわれは、斉彬や閑叟の愚をわらうことはできないが。
その時代に対してはその時代の条件で歴史を見てやらねばならないからである。
このようなことどもを列挙したのは、日本の防衛問題というものの原型は幕末にあり、いまも日本列島の地理的条件がかわらない以上、参考材料としての価値はうすらいでいないとおもうからである。
話が飛躍するが、この島の防衛は至難さから考えて、一発の弾ももたずに日本の防衛をなしうる魔術的な政治力だけが、今後の日本の首相になりうる唯一の条件ではあるまいか。】以上引用終わり
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この島の防衛問題というものの原型は幕末にあるとして、当時を考えるとまず、米国の東インド艦隊の司令長官ペリーが1853年琉球那覇港に入り、ここをもって米国の海上基地とし、さらに小笠原列島を米国領と宣言した。
又ロシアが対馬を占領して独立国と決め付け幕府と交渉して幕藩体制の曖昧さを暴露した。この当時の開国、佐幕、から尊王攘夷と入り乱れ防衛問題が噴出した時代でもあった。
夷人を斬って海岸へ追い払えと粗暴の攘夷浪士が闊歩したり「ナポレオンを起こして自由をとなえ」と吉田松陰のように「とりやすい朝鮮、満州、シナを切りしたがえ」とすさまじい時代だった。
徳川幕府も幕藩体制の曖昧さから崩壊し絶対主義的統一国家の誕生となるのだが、この時代はこの時代で純粋に国を守るという防衛問題が沸騰した時代でもあった。
翻って靖国史観を含む太平洋戦争の歴史を考えみるとき、地球上を帝国主義のエネルギーがおおっている、その時代の条件で事象を見なければ正確な判断が出来ない。一方的に現在の尺度で、その昔の事象を当てはめて戦争責任を云々するのは、平行線を辿って結論の出せない、捏ね返し論にしかならない。
その昔蒙古が攻め、その後英国が海軍力を駆使して植民地を作り日清日露戦争を経て、太平洋戦争にいたった帝国主義の時代背景で歴史を辿って戦争とは何かを考え、その時代に対してその時代の背景と条件で歴史を見てやらねばならないのではないか。
A級戦犯合祀、南京大虐殺、従軍慰安婦云々の中国、韓国の圧力に屈して自虐的な戦争の歴史認識で靖国史観を論じる報道には目を覆いたくなる。
又現在の経済条件で昔の靖国問題を論じたりする経済団体が存在したりする。歴史を取引に利用しようとする中国の本性を見てか見えないのか知らないが、経済団体の金優先主義の経済まで利用して、日本の戦争の歴史が書き換えられようとしている。
近隣の中韓によって教科書を使って歴史認識を歪めてまでして追及しようとする意図は何処にあるのだろうか。
やはり最終的には済んでいるはずの戦争責任による賠償が目的ではないのだろうか。
「この島の防衛は至難さから考えて、
一発の弾ももたずに日本の防衛をなしうる魔術的な政治力だけが、今後の日本の首相になりうる唯一の条件ではあるまいか。」とこの項で締め括っているように次期首相が取りざたされている今、果たしてこの魔術的政治力を駆使できるに値する人であるかどうか、願いをこめて期待したい。
又、一発の弾も持たないこの島の人間として参拝するしないの「不毛」に魔術的な政治力で早く終止符をうってもらいたい。