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下馬生活経済研究所 (Plan-Mart)

下馬在住のPlan-Mart たけうちです。
主に仕事や生活について、世の中の事について、書き込む予定です。

酒と親父の思い出

2011年05月24日 00時36分51秒 | お仕事日記
うちの親父は、歯医者でした。


東京の下町、竹町(今の御徒町辺り)で生まれ、

神田の古本屋に移り住んだ親父は、次男坊ということもあり、

実家の古本屋を継がずに、歯医者になったのです。

親父の親父、僕のおじいさんからすれば、

“自慢の息子”だったようです。


僕のおじいさんは、僕が3歳の時に亡くなったので、

僕はほとんど覚えていないのですが、

それでも、お葬式に出た覚えはありますね。


その後親父は、表通り(靖国通り)に面した古本屋の裏手に家を建て、

そこで歯医者を始めます。

歯医者としては結構評判が良かったようで、

近所のオフィス街のサラリーマンやOLさんで賑わってました。


NHKの番組に出演した事もあったのです。
(何の番組かは、覚えてないのですが…)

当時はビデオなんてもんも無かったので、

今となっては、全くわからない事なのですが、

何か、見てみたかったな、と思います。


さて、そんな親父ですが、

長年の飲酒と喫煙が祟り、

わずか51歳で他界します。

突然のことでした。

僕が22歳の年でした。



肝臓が、ボロボロだったようで、

ある日単純な“食あたり”で入院し、3日目の朝に亡くなりました。


入院する直前まで、診療してたんですよね…。

ショックでした。


ちょうど僕が就職した年で、

弟二人は、奨学金をもらって大学を出ました。


僕は、長男として、社会人として、

最初は「父親替わり」になろうとした部分もあり、

弟たちとは、結構ギスギスした関係になったのを覚えてます。


僕は、“親父”では無かったのだから、

当たり前、と言えば当たり前ですが…。



親父は、お酒が大好きだったので、

夜は必ず、酔っ払い状態で、

お袋や僕らを困らせたものですw。


そんな関係で、僕はお酒が大嫌いでしたw。

今からは信じられないのですが、

元々あまり強くなかったせいもあり、

ある意味、「お酒を憎んでいた」と言っても過言ではないかな。


大学のクラブ活動でも、

就職先でも、

頑なにお酒を拒んでいた覚えがありますね。


当時僕は“バイク命”でしたから、

ほとんど毎日バイクで動いており、

“お酒を呑む=バイクに乗れない”という図式の中、

お酒を呑む意味が、わからなかったのだと思います。


っというわけで、40歳くらいまでは、

僕はお酒を、嗜む程度にしか飲んで無かったんですよね~w。

信じられない…w


いや~、当時もう少しお酒が好きだったら、

親父と一杯、やりたかったな…。


結局一度も親父と酒を呑むこともなく、

親父は逝ってしまいました。


「親孝行、したい時には親はなし」ってのを、

地でいってる感じですね…。


もうすぐ父の日。

自分が父である、という以上に、

あの頃の「親父」を思い出します。


泉谷しげるの歌に、こんな歌詞があります。

「年をとれば、取るほどに、親父を好きに、お袋を嫌いになる」


まあ、お袋の部分はともかくとして、

男として、親父の歩いてきた道の意味がわかるほど、

親父を尊敬したり、愛おしく思ったりするようになるものです。

今は、彼が抱えていた悩みや、苦しさ・悲しさがわかる歳になったのですよw。

親父はいつも、孤独なものなのです。



今僕は53歳。

親父が死んだ51歳を超えて、生きてます。

暮らしは決して楽ではないけど、

嫁さんと協力しながら、二人の子どもを何とか世に送り出せそうな、

そんなところまでやって来ました。


親父が生きていたら、どんな言葉をかけてくれたのかな?

もし親父と話しが出来たなら、どんな話をしたのだろう?


毎年「父の日」が近づくと、そんな事を問いかけています。


さて、もう一頑張り!

僕は僕なりに生きぬいて、

そして僕の親父のように、“コロ”っと死にたいと思ってます。


皆さんは、いかがですか?

お父さんのこと、思ってますか?

お父さんへの感謝の気持ちを、こんな形で表すこともできますよ。

親子で利き酒なんて、憧れます。

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