うちの親父は、歯医者でした。
東京の下町、竹町(今の御徒町辺り)で生まれ、
神田の古本屋に移り住んだ親父は、次男坊ということもあり、
実家の古本屋を継がずに、歯医者になったのです。
親父の親父、僕のおじいさんからすれば、
“自慢の息子”だったようです。
僕のおじいさんは、僕が3歳の時に亡くなったので、
僕はほとんど覚えていないのですが、
それでも、お葬式に出た覚えはありますね。
その後親父は、表通り(靖国通り)に面した古本屋の裏手に家を建て、
そこで歯医者を始めます。
歯医者としては結構評判が良かったようで、
近所のオフィス街のサラリーマンやOLさんで賑わってました。
NHKの番組に出演した事もあったのです。
(何の番組かは、覚えてないのですが…)
当時はビデオなんてもんも無かったので、
今となっては、全くわからない事なのですが、
何か、見てみたかったな、と思います。
さて、そんな親父ですが、
長年の飲酒と喫煙が祟り、
わずか51歳で他界します。
突然のことでした。
僕が22歳の年でした。
肝臓が、ボロボロだったようで、
ある日単純な“食あたり”で入院し、3日目の朝に亡くなりました。
入院する直前まで、診療してたんですよね…。
ショックでした。
ちょうど僕が就職した年で、
弟二人は、奨学金をもらって大学を出ました。
僕は、長男として、社会人として、
最初は「父親替わり」になろうとした部分もあり、
弟たちとは、結構ギスギスした関係になったのを覚えてます。
僕は、“親父”では無かったのだから、
当たり前、と言えば当たり前ですが…。
親父は、お酒が大好きだったので、
夜は必ず、酔っ払い状態で、
お袋や僕らを困らせたものですw。
そんな関係で、僕はお酒が大嫌いでしたw。
今からは信じられないのですが、
元々あまり強くなかったせいもあり、
ある意味、「お酒を憎んでいた」と言っても過言ではないかな。
大学のクラブ活動でも、
就職先でも、
頑なにお酒を拒んでいた覚えがありますね。
当時僕は“バイク命”でしたから、
ほとんど毎日バイクで動いており、
“お酒を呑む=バイクに乗れない”という図式の中、
お酒を呑む意味が、わからなかったのだと思います。
っというわけで、40歳くらいまでは、
僕はお酒を、嗜む程度にしか飲んで無かったんですよね~w。
信じられない…w
いや~、当時もう少しお酒が好きだったら、
親父と一杯、やりたかったな…。
結局一度も親父と酒を呑むこともなく、
親父は逝ってしまいました。
「親孝行、したい時には親はなし」ってのを、
地でいってる感じですね…。
もうすぐ父の日。
自分が父である、という以上に、
あの頃の「親父」を思い出します。
泉谷しげるの歌に、こんな歌詞があります。
「年をとれば、取るほどに、親父を好きに、お袋を嫌いになる」
まあ、お袋の部分はともかくとして、
男として、親父の歩いてきた道の意味がわかるほど、
親父を尊敬したり、愛おしく思ったりするようになるものです。
今は、彼が抱えていた悩みや、苦しさ・悲しさがわかる歳になったのですよw。
親父はいつも、孤独なものなのです。
今僕は53歳。
親父が死んだ51歳を超えて、生きてます。
暮らしは決して楽ではないけど、
嫁さんと協力しながら、二人の子どもを何とか世に送り出せそうな、
そんなところまでやって来ました。
親父が生きていたら、どんな言葉をかけてくれたのかな?
もし親父と話しが出来たなら、どんな話をしたのだろう?
毎年「父の日」が近づくと、そんな事を問いかけています。
さて、もう一頑張り!
僕は僕なりに生きぬいて、
そして僕の親父のように、“コロ”っと死にたいと思ってます。
皆さんは、いかがですか?
お父さんのこと、思ってますか?
お父さんへの感謝の気持ちを、こんな形で表すこともできますよ。
親子で利き酒なんて、憧れます。

東京の下町、竹町(今の御徒町辺り)で生まれ、
神田の古本屋に移り住んだ親父は、次男坊ということもあり、
実家の古本屋を継がずに、歯医者になったのです。
親父の親父、僕のおじいさんからすれば、
“自慢の息子”だったようです。
僕のおじいさんは、僕が3歳の時に亡くなったので、
僕はほとんど覚えていないのですが、
それでも、お葬式に出た覚えはありますね。
その後親父は、表通り(靖国通り)に面した古本屋の裏手に家を建て、
そこで歯医者を始めます。
歯医者としては結構評判が良かったようで、
近所のオフィス街のサラリーマンやOLさんで賑わってました。
NHKの番組に出演した事もあったのです。
(何の番組かは、覚えてないのですが…)
当時はビデオなんてもんも無かったので、
今となっては、全くわからない事なのですが、
何か、見てみたかったな、と思います。
さて、そんな親父ですが、
長年の飲酒と喫煙が祟り、
わずか51歳で他界します。
突然のことでした。
僕が22歳の年でした。
肝臓が、ボロボロだったようで、
ある日単純な“食あたり”で入院し、3日目の朝に亡くなりました。
入院する直前まで、診療してたんですよね…。
ショックでした。
ちょうど僕が就職した年で、
弟二人は、奨学金をもらって大学を出ました。
僕は、長男として、社会人として、
最初は「父親替わり」になろうとした部分もあり、
弟たちとは、結構ギスギスした関係になったのを覚えてます。
僕は、“親父”では無かったのだから、
当たり前、と言えば当たり前ですが…。
親父は、お酒が大好きだったので、
夜は必ず、酔っ払い状態で、
お袋や僕らを困らせたものですw。
そんな関係で、僕はお酒が大嫌いでしたw。
今からは信じられないのですが、
元々あまり強くなかったせいもあり、
ある意味、「お酒を憎んでいた」と言っても過言ではないかな。
大学のクラブ活動でも、
就職先でも、
頑なにお酒を拒んでいた覚えがありますね。
当時僕は“バイク命”でしたから、
ほとんど毎日バイクで動いており、
“お酒を呑む=バイクに乗れない”という図式の中、
お酒を呑む意味が、わからなかったのだと思います。
っというわけで、40歳くらいまでは、
僕はお酒を、嗜む程度にしか飲んで無かったんですよね~w。
信じられない…w
いや~、当時もう少しお酒が好きだったら、
親父と一杯、やりたかったな…。
結局一度も親父と酒を呑むこともなく、
親父は逝ってしまいました。
「親孝行、したい時には親はなし」ってのを、
地でいってる感じですね…。
もうすぐ父の日。
自分が父である、という以上に、
あの頃の「親父」を思い出します。
泉谷しげるの歌に、こんな歌詞があります。
「年をとれば、取るほどに、親父を好きに、お袋を嫌いになる」
まあ、お袋の部分はともかくとして、
男として、親父の歩いてきた道の意味がわかるほど、
親父を尊敬したり、愛おしく思ったりするようになるものです。
今は、彼が抱えていた悩みや、苦しさ・悲しさがわかる歳になったのですよw。
親父はいつも、孤独なものなのです。
今僕は53歳。
親父が死んだ51歳を超えて、生きてます。
暮らしは決して楽ではないけど、
嫁さんと協力しながら、二人の子どもを何とか世に送り出せそうな、
そんなところまでやって来ました。
親父が生きていたら、どんな言葉をかけてくれたのかな?
もし親父と話しが出来たなら、どんな話をしたのだろう?
毎年「父の日」が近づくと、そんな事を問いかけています。
さて、もう一頑張り!
僕は僕なりに生きぬいて、
そして僕の親父のように、“コロ”っと死にたいと思ってます。
皆さんは、いかがですか?
お父さんのこと、思ってますか?
お父さんへの感謝の気持ちを、こんな形で表すこともできますよ。
親子で利き酒なんて、憧れます。
