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晴れ時々FlyFishing

   釣りにまつわる日々のこと

気仙沼・大島

2012-06-28 | 大震災
気仙沼に来ています。
ここ数日は天気もよく、大島の海は綺麗です。

都会の中学校が旅行に来て、大島の自然を楽しんでいます。




学校の旅行で海に来たら地引網!
僕も小学校の頃相馬でやったの思い出すなぁ。
でっかいスズキは汁物にしてみんなで食べて、多分コノシロかウミタナゴだったと思うけど、それは焚き火で焼いて食べて楽しい思い出でした。



今回は量的にはカゴ1杯半ほどでしたが、種類は豊富でした。
50センチを超えるサクラマス、マコガレイ、ヒラメ、アイナメ、ウミタナゴ、ブリの子供、スズキ、なんたらカスベ、ベラの仲間、クロソイなどなど、高級魚が多く入りました。

中学生も大喜び。


・・・ですが、
放射性物質を心配する声があり、せっかくとった魚は食べないそうです。
泊まる民宿で出される料理にも、地物はほとんど出せないそうです。

民宿の人は「来てくれただけでもありがたい」と言っていましたが・・・。


いろんな思いがグルグルしています。





hTC J
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気仙沼

2011-07-09 | 大震災
大変ご無沙汰しました。 昨日までまた気仙沼に行ってきました。

前回と比べると、さすがにがれきの山は片付いてきました。
しかし、交通の便が悪いところなどはまだまだ手つかずの場所もありました。

今回は復興の様子も見ることができて少し安心しました。

写真は気仙沼魚市場のカツオです。 海沿いの街は更地と化していますが、それもあってか市場はすごい活気が感じられました。
基幹産業が再開するだけで、街全体に希望が満ちてくるようです。




もうひとつ。 津波が押し寄せた小川に、無数のホタルが飛び交っていました。
塩水をかぶっても大丈夫だったんでしょうか。 満天の星空とホタルに、地域の人々も癒されているようでした。


また何度も行くと思いますが、復興の話が増えていることを祈ります。

ブックマーク追加のお知らせ

2011-06-06 | 大震災
今回の気仙沼取材で、段ボールで避難所の間仕切りや家具を作って寄付している藤村さんという大学院生と知り合うことができました。

味気ない避難所生活に少しでも豊かさを与えたいと活動する好青年でした。

寄付するにも色々と気を使うそうです。また、人数も少ない中でなかなか思うように事が進まないといったジレンマもあるようです。

応援してあげて下さい。


ブログはこちらです↓↓

「house publishing」

気仙沼取材

2011-06-06 | 大震災
先日まで3回目の震災取材に行っていました。 今回は宮城県の気仙沼市です。
ここも思い出のある場所。
子供のころ旅行に来たことや、学生時代に三陸町からわざわざマックのハンバーガーを買いに来たことなどを思い出しました。

写真は鹿折地区。 震災当日、自衛隊ヘリの映像に映っていた火の海の場所です。
火事の臭いは薄れてきましたが、がれきも打ち上げられた船もそのまんまのところがほとんどです。

そして、気仙沼に来た人が最初に感じるのはきっと「異臭」だと思います。


今回臭いが問題になっているところを取材してきましたが、大変なことが起こっていました。



黒い点は全部ハエです。

日当たりのいい家の壁などはこんなもんじゃありません。 何万匹というハエが壁を黒く染めています。

なんでこんなことになったかというと、



魚があたり一面に散らばっていて、それを餌にハエが繁殖しているのです。

この魚は、海のそばにあった冷凍工場から流されてきたもの。 食品やマグロ漁の餌として保管されていたものだそうです。

これが田んぼなどの水のあるところで腐ってものすごいにおいを出しています。
たまった水は真っ黒。 底からは嫌気発酵したガスがポコポコ湧いています。

たくさんのウミネコがやってきて何か食べてると思ったら、魚ではなくウジを食べていました。


この世の終わりはこんな風景なのかなと思ってしまうような恐ろしい光景でした。
車で5分も走れば普通にコンビニもやっているような場所なのに、このギャップは一体・・。

今回の震災の大きさと、復興への道のりの遠さを痛感しました。
今回テレビで流したことで、少しでも早く対策がされることを願います。






帰る日に撮った気仙沼駅付近です。  海から来た冷たい風で霧が出ました。
やませが吹くとこんなだったなぁ・。

気持ちがいい潮の香りが嗅げる日まで、みんなで頑張りましょう!

帰ってきています・・

2011-05-18 | 大震災
帰ってきてから半月以上も放置してしまいました。
今回は宿が携帯通じにくいところで、なかなか更新することができませんでした。
すみませんでした。

宮古の街は普通どおりに戻っていて、震災前と変わりません。
しかし、津波が来た場所はいまだにがれきの山です。

避難所に避難した方の人数は少なくなって来ていて、高齢化率が高くなっています。
学校も仕事も再開されて若い人はほとんど見られません。
津波の被害はそのままに、時間だけが過ぎて行っている印象をうけました。


取材中やその合間に地元の方と話をする機会がたびたびあります。
いろいろ話してくれるのですが、突然泣き出すということが何度かありました。
落ち着き始めた現状に、復興へ向けて気持ちを切り替えていく被災者の皆さんですが、心に負ったものは相当大きいようです。
笑顔で話をしてくれる人も、よくよく聞けば家族を亡くしていたり・・ということが多々あります。
2週間ばかり現地に行って、何もかもわかったつもりで取材するとたくさんの人を傷つけることになります。

来週末から今度は気仙沼に行ってきます。
被災者の気持ちに沿う取材を心がけます。

明日から岩手

2011-04-18 | 大震災
すっかりこちらの平和な生活に慣れてしまいましたが、明日から1週間、また宮古に行ってきます。
どんなふうになているのか、また現場の声をお伝えする予定です。
今度は復興をメインにした話が書けるといいです・・。

コメントを下さった皆様へ

2011-03-28 | 大震災
KMQさん
福島はこれからどうなってしまうんでしょう。先が見えないですね。
とりあえずご家族が無事で何よりです。
いつかはまたみんなで福島に集まれるようになるといいですね。


かじかさん
山梨も結構揺れたんですよね。 被害などはありませんでしたか?
なかなか思うようには取材できませんでしたが、少しは現場の状況が伝わったかと思います。
こういう形で思い出の地を訪れるのはつらかったです。


岡野さん
頑張れ越喜来立ち上げご苦労様です。 また、その中でこのブログを紹介していただいてありがとうございました。
おかげさまでアクセス数も伸び、多くの方々に現場の様子をお伝えすることができました。
行けたのは宮古、山田だけでしたが、最初に津波の被害を見たときには涙が出ました。
取材を進めるうちにも色々ありまして、ここでそのことを書き連ねてきましたが、たくさんの方から応援をいただきなんとか乗りきることができました。
また動きがありそうな時にはご連絡ください。


法月くん
ご心配いただきありがとうございました。 無事に帰ってきてますよ。
三陸の懐かしい景色はどこかへ消えてしまいました。 でも、海の青さは変わらずでした。
きっと復興してくれると信じましょう。


seihiroさん
三陸で育った私だからできる報道とは何かということを、seihiroさんのコメントを見てずっと考えていました。
なかなか答えは見つかりませんでしたが、この地に住んだことがある者として、被災者と同じ気持ちで取材することが私にできることだと気づきました。
今回の取材は色々勉強になりました。 応援ありがとうございました。


笠井さん
お久しぶりです。コメントありがとうございました。 僕も住んでたアパートに波が押し寄せる映像を見ました。
いまだに越喜来の町がなくなってしまったなんて信じられません。
なかなか思うように取材を進めることはできませんでしたが、できることはやってきたと思っています。
また行くでしょうから、今度は希望につながるような映像を映してきたいと思います。


金魚屋さん
現場に行く間、澄んだ美しい川がいくつもありました。 その山間部を抜けて海に出ると、テレビで流れるような津波の跡が現れました。
あちらの川は河口まで澄んでいるので、川底に沈んだ車や家の破片が悲しく目に映りました。
いつか復興したら、訪れてみたいと思っています。


Ta-2さん
応援のコメントありがとうございました。
先輩や後輩からたくさんコメントをいただき、水産の絆の強さを再認識しています。 いまさらながら、ほんとにあの大学に行って良かったと思っています。
今はまだ現状から抜け出すことすら困難な時期ですが、それを乗り越えたらみんなであの景色が取り戻せるように力を合わせていきましょう。


濱口さん
お久しぶりです。
三重の方は津波は大丈夫でしたか? 山田は大変な被害でした。実際に見た人にはかなわないですが、津波の怖さを垣間見ることができました。
越喜来の私の知り合いの方はほとんど無事でした。 そちらの知り合いは無事でしたか?


きたじさん
お久しぶりです。
レジデンスも流されてしまいましたね。
向こうに行けるときがきたらみんなで手伝いに行きましょう。


丸魚さん
あの美しい景色がなくなったわけではありません。 そこに住むお世話になった方々のために、できることをひとつひとつやって行きましょう。
子供たちは今の時点で唯一、形として見える希望です。大事にしていきましょう。
向こうの受け入れ態勢が整ったら手伝いに行けるといいですね。


悦子さん
お知り合いの方とは連絡とれましたか? 三陸はいいところですよ。都会にあるものは何もありませんが、美しい自然とゆっくりとした時間が最高です。
今は行っても悲しくなるばかりかもしれませんが、もう少し時間が経ったら是非行ってみてください。
きっと遠くから来て顔を見せてくれる人がいるだけで、被災地の方々は喜んでくれるはずです。
今回、僕がどんな気持ちで映像を撮っているのかわかっていただけて嬉しいです。
わずかな時間の映像からではなかなかそのような部分は伝わらないので・・。
お知り合いの方が無事に過ごせるようにお祈りしています。


赤い車さん
こういう形で三陸に入るのはつらいと思いますが、現地では警察、消防、自衛隊のみなさんが大きな役割を果たしてくれています。
頑張ってください。 きっと頼りにしている人がたくさんいると思います。


TORATANIさん
お久しぶりです。 なかなか三陸には行けませんが、みんなできることは何かあるはずです。
節電だって募金だって、被災者のことを考えて行動すればきっと気持ちは届くはずです。
できることをひとつひとつやって行きましょう。そして、行ける日がきたらみんなで手伝いに行けるといいですね。


スー太郎さん
お義母様、お気の毒でした。 何と言ったらいいか・・
私の映像で少しでも被災者の方が救われれば嬉しいです。
スー太郎さんも助かった家族の皆さんや他の方々と力を合わせてこの震災を乗り越えていってください。
私たちにお手伝いできることがあれば、力になりたいと思います。



コメントを下さった皆さん、今回の取材ではつらいことが多く、本当に皆さんの応援に助けていただきました。
今まで仕事のことをブログに書くのは控えていたのですが、自分がこの未曽有の災害にどう向き合い、どんなことを感じたのか忘れないようにするために、その日感じたことをその日のうちに書きました。
自分の仕事について深く考えるきっかけにもなりましたし、多くの人に報道の仕事について知ってもらうこともできたと思います。

また被災地に入ったときには書きますので、覗きに来てください。


最後になりましたが、この災害で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

戻ってきました

2011-03-24 | 大震災
きのう、名古屋に戻ってきました。
あまりの普通さに、別な国に来たような感覚を覚えました。

被災地から避難した方々の中には、後ろめたい気持ちを抱いている方がいらっしゃると聞きますが、私も第二の故郷を見捨ててきたような気持ちになり、心苦しいです。

撮ってきた写真を何枚かアップします。


これは山田町の中心部。 津波が押し寄せてきてがれきが集まった場所です。




火事があり、すべて焼け焦げています。 きな臭いにおいがずっと漂っています。
たぶん倒れたタンクから漏れた重油に火がついて、それが波に運ばれ地区全体に広がったんだと思います。


山田町の防波堤です。パッタリと倒れてしまっています。
構造をみると、並べて置いただけのような感じです。 地盤が砂だったので、渦巻く水流で洗われて簡単に倒れてしまったと考えられます。




これは大沢小学校の子供たちが書いた励ましのポスター。 集落のあちこちに貼ってあります。


子供の励ましが一番被災者を元気づけると思います。



先日書いた、ここの子供が書いた津波の新聞の話題。 昨日放送と思っていましたが、今朝やっていました。
昨日見ていていただいた方すみませんでした。

子供たちが話す言葉や表情は非常にストレートです。
インタビューをして泣かせてしまったことは心苦しいです。世間では、子供に野暮な質問をするなんて非常識だと非難する方がいらっしゃることも承知しています。
でも、子供のストレートな感情だからこそ、より伝わるものがあり多くの人の心を動かすと信じて取材しました。

また、いきなり押しかけていきなり津波のことをインタビューしているわけではないのです。 一緒にいろんな話をして、打ち解けて、その中できっと今回の経験を乗り越えてくれるだろうという子を見つけて、それから取材に入っているのです。
放送は出たものがすべてと言われますが、多くの見えない部分があるからこその数分間なのです。
そのようなことを少しでもご理解いただいて、これからの報道を見ていてください。



復興までは長いのりになります。 それまでの間、また何回も現地に入って取材します。
その時はまた日々感じたことを綴っていきたいと思います。

子供たちのポスター

2011-03-22 | 大震災
今日で一旦引き上げます。 応援のメッセージをくださった方々、ありがとうございました。

きょうは大沢地区の電柱に貼られた子供たちのポスターを撮ってきました。
「がんばろう、大沢」や、「あきらめないで」「泣かないで」など、励ましの言葉が書かれています。
被災した子供たちが純粋な気持ちで書いた、心に届くメッセージです。

映像に乗ってたくさんの方に届くことを願います。


最後に、先日書いた女の子のところに会いに行ってきました。
大変な状況のなか取材につき合ってくれてありがとう、それと、明日の卒業式を撮ってあげられなくてごめんねと、伝えてきました。
その子も、それを聞いてありがとうと言ってくれました。

今回のことに負けず、優しい気持ちを持った大人になることを祈ります。

料理の本を読んでいたので、料理をするの?と聞いたら、おなかが減ったときに見て気を紛らわすんだと言っていました・・。
そういった状況が早く改善されるように、できることをひとつひとつやっていきたいと思います。


これから何度も岩手に来るはずです。
また会いに行っていろんなことを教えてもらいたいと思います。

取材5日目

2011-03-21 | 大震災
宮古市も山田町も、がれきの片付けが少しずつ進んでいます。
宮古では歩道にうず高くつもっていたがれきと泥がずいぶんなくなりました。
でも、いつになったら元の生活に戻れるのか考えると、全く想像がつかないというのが実際のところです。
そんな中でも、私たちの車を見て「名古屋から来てくれたのか、ありがとう!」と言ってくださった方がいらっしゃいました。

頑張らなきゃと思います。

取材していて思うことがまた1つ。
私たちが取材して放送しているものを、一番見てほしい被災者の方が見られないでいるという現状があります。

電気もない、テレビもない。見られるわけがありません。
取材するのと同時進行で、情報を伝える手段を整備しなければいけないと感じました。そこまでやって放送の仕事が完結です。一番伝えたい人に伝わらなければ、課題になっている「あるのに届かない支援物資」と同じです。
帰ったら早速提案してみます。


さて今日、大船渡に住む恩師や後輩と地震後はじめて連絡が取れました。 ホッとしました。
仲がよかった漁師さんも無事が確認されています。

しばらくは取材ですが、時間ができて受入態勢が整ったら、手伝いに行きたいと思います。