しばらく前に書きかけたコラムを発掘(苦笑)外伝『盲目の錬金術師』絡みで考えていたことです。
知ることが幸せなのか、不幸なのか。
知らぬことが幸せなのか、不幸なのか。
真実・真理。この話では、それは生命に帰結している。
真実:嘘偽りのないこと。(仏教用語では絶対的真理のことも真実と言う。)
真理:普遍的で妥当性のある法則や事実。(ハガレンにおける真理は、哲学的真理なのだが同時に科学的真理でもある。)
ならば、最も知るものこそ最強であり、幸福か・・・?
とりあえずこの真理を一番探究しているのは「お父様」であろう。そしてその元で暮らしているホムンクルスたち。
しかし知るという要因と、幸福の度合いという要因に相関関係はない。(正比例も反比例もしないということ)
何も知らぬものも幸せでありえるし、すべてを知って幸せであることもありえる。その逆も然り。
錬金術で人間をよみがえらそうとした盲目の錬金術師ジュウドは、「私の理論は証明されたのですか」とまるで実験のようにそれを語る。
それは最大の真理である自然の摂理に反して(錬金術は摂理に反していないはずなんですがね。科学だから(笑)ここでは、自然妊娠を第一摂理として考えます)、人を甦らせたり生み出したりするのは、やはり”神の領域”への冒涜だと思っていて、自分が行なうのはおこがましいと、これは神への挑戦ではなく実験であるというような気持ちがあったのかもしれない。
ハガレンでは普通のアメストリス人の宗教はあまり描かれない。コーネロなどは新興宗教のように扱われていた。だからここで神という表現を使うのは不適切かもしれない。自然妊娠などを含む大自然の生命力、アミニズム的な神をイメージして欲しい。
ジュウドが自分の「実験」が失敗したことに気づかないわけがないと思う。視力を犠牲にしただけで、等価交換として一人の人間を作れるわけがないからだ。しかし誰も失敗したとは言わない。自分は視力を失い、「結果=真実」を確認することができない。
「娘は帰ってきた」という優しい嘘。騙される優しさ。みんな優しいんだ。でも、その優しさは、真実からは遠い。
この人たちが幸せなのか?と言ったら、破綻しなければ幸せだといえるだろう。無理が通れば道理(理論=真理)は引っ込む。破綻するキッカケになりかねないエドたちの訪問。
みんなが自分の何かを守ろうと優しい嘘をつく。エドの言うとおり、確かにみんな救われないよね。
エドは真理に手足を、アルは肉体を持っていかれた。ヒューズは真実に近づきすぎて死んだ。ロイは真実を求める。ホムンクルスでさえ真実として存在するならば、幸福を得る資格はある。
少しづつでもみんなが幸せに近づくといい。
知ることが幸せなのか、不幸なのか。
知らぬことが幸せなのか、不幸なのか。
真実・真理。この話では、それは生命に帰結している。
真実:嘘偽りのないこと。(仏教用語では絶対的真理のことも真実と言う。)
真理:普遍的で妥当性のある法則や事実。(ハガレンにおける真理は、哲学的真理なのだが同時に科学的真理でもある。)
ならば、最も知るものこそ最強であり、幸福か・・・?
とりあえずこの真理を一番探究しているのは「お父様」であろう。そしてその元で暮らしているホムンクルスたち。
しかし知るという要因と、幸福の度合いという要因に相関関係はない。(正比例も反比例もしないということ)
何も知らぬものも幸せでありえるし、すべてを知って幸せであることもありえる。その逆も然り。
錬金術で人間をよみがえらそうとした盲目の錬金術師ジュウドは、「私の理論は証明されたのですか」とまるで実験のようにそれを語る。
それは最大の真理である自然の摂理に反して(錬金術は摂理に反していないはずなんですがね。科学だから(笑)ここでは、自然妊娠を第一摂理として考えます)、人を甦らせたり生み出したりするのは、やはり”神の領域”への冒涜だと思っていて、自分が行なうのはおこがましいと、これは神への挑戦ではなく実験であるというような気持ちがあったのかもしれない。
ハガレンでは普通のアメストリス人の宗教はあまり描かれない。コーネロなどは新興宗教のように扱われていた。だからここで神という表現を使うのは不適切かもしれない。自然妊娠などを含む大自然の生命力、アミニズム的な神をイメージして欲しい。
ジュウドが自分の「実験」が失敗したことに気づかないわけがないと思う。視力を犠牲にしただけで、等価交換として一人の人間を作れるわけがないからだ。しかし誰も失敗したとは言わない。自分は視力を失い、「結果=真実」を確認することができない。
「娘は帰ってきた」という優しい嘘。騙される優しさ。みんな優しいんだ。でも、その優しさは、真実からは遠い。
この人たちが幸せなのか?と言ったら、破綻しなければ幸せだといえるだろう。無理が通れば道理(理論=真理)は引っ込む。破綻するキッカケになりかねないエドたちの訪問。
みんなが自分の何かを守ろうと優しい嘘をつく。エドの言うとおり、確かにみんな救われないよね。
エドは真理に手足を、アルは肉体を持っていかれた。ヒューズは真実に近づきすぎて死んだ。ロイは真実を求める。ホムンクルスでさえ真実として存在するならば、幸福を得る資格はある。
少しづつでもみんなが幸せに近づくといい。
そのポジティブさがこのマンガの救いであり、魅力の一つだ。