まさおレポート

当ブログへようこそ。広範囲を記事にしていますので右欄のカテゴリー分類から入ると関連記事へのアクセスに便利です。 

平成テレコムの変遷8 NTT再編への道 7889文字

2019-05-15 | 通信事業 NTT・NTTデータ・新電電

NTTの再編と思惑

1989年10月2日に電気通信審議会は1988年に郵政大臣から諮問された「今後の通信産業の在り方」に関する中間答申をこの日提出した。答申では、現行のNTT組織形態での改善には自ずと限界がある、電気通信市場のさらなる競争、経営効率化等の観点から「組織の再編成が検討されるべきだ」と指摘し、具体案として次の3案が提示された。
① 域別再編成
② 市内・市外分離で市内全国1社
③ 市内・市外分離で市内複数社

1999年に③案で市内2社(NTT東西)に分かれることになる。「現行のNTT組織形態での改善には自ずと限界がある」との指摘は再編成された後の今日、携帯事業に世間の興味が集中し固定通信自体が注目を集めなくなって関係者は興味を失っているため静かである。(孫正義氏は興味をファンド経営に移しているかに見える。)日本国内に光ファイバ敷設をいきわたらせる「光の道」構想でもNTT組織問題が再燃したがラストワンマイル会社構想も頓挫した。

1988年の諮問を今日から振り返ってみると、効果の出ない持ち株会社傘下の分離という結論を出すために膨大な検討時間が費やされたことになる。NTT接続交渉を振り返ると接続料金と工事に関することに集約することができる。このうち接続料金については分離分割とは本質的に関係なく改善が進んでいる。依然として問題が存続するのは工事関係であるが携帯への重心移行のために関心は失われている。NTT民営化は第2臨調を主導した中曽根元首相によるのだが原点を確認のためにも再度中曽根元首相の「自省録」(新潮社)に述べる工事会社分離論が注目されるべきだと思う。


NTT民営化の賛否 NTTは民営化を求め郵政は反対している 事業区分による規制が郵政との妥協点と推測される。
1982年(昭和57年)に臨調答申があり、①電電公社の合理化を推進する②独占の弊害の除去③巨大経営体の規模の適正化等の問題点から、組織再編成を行った上で民営化するのがふさわしい旨の指摘があった。
しかし、上記の3つの民営化の理由は国鉄や専売公社にもそのまま当てはまるいわば一般論であり、電電公社に対して特に上記の3理由が世間で切実に問題視されていたとは言い難く、下記の鈴木氏の話に見られるように臨調側からみても本音は電電公社の民営化は他の2公社に比べて切実ではなかったようだ。三公社としてひとくくりにされた中での指摘と勧告であり、電電公社民営化の優先度は低かったとされている。中曽根元首相の「自省録」でも下記のように述べられている。

電電公社のほうは国鉄とは異なり、黒字経営でした。そのため、あえて、民有化することはないという議論も起きましたが、全国一本化のこのようなものは民営化しなければならないという考え方がまず第一にありました。しかしながら、分割する必要性は感じられませんでした。 自省録p179


電電公社側から見た民営化要望の本音は以下の鈴木良男氏へのインタビュ-で明らかなように、ひとえに経営の自由である。「独占の弊害の除去」を期待する臨調側とは同床異夢の電電公社が経営の自由を熱心に進めた民営化だと言える。
株式会社旭リサーチセンター取締役会長・鈴木良男氏が株式会社東京リ-ガルマインド反町勝夫氏から受けたインタビュ-記事 
(http://www.lec-jp.com/h-bunka/item/v267/16_19.pdf)では電電公社側が民営化を求めた事情が明かされている。

鈴木 電電公社は、民営化が最も難しかろう、という気持ちがありまし た 。ところが 、トップの真藤恒総裁の方から民営化について強い要望を投げかけてこられたのです 。電電はそれまで国家の機関として、損益を考慮しない資本投入によって通信網を広げてきたわけです。「すぐつく電話」、「すぐつながる電話」を目標としていた時代がようやく終わりを告げ 、いよいよ事業経営の時代に入ろうかという時期です 。そうなったとき、今までの財務体質、経営体質で維持できるのか。民間出身の真藤氏の頭の中には、そのような思いがあったことでしょう。

あるいは臨調の公開ヒアリングに出られた電電公社の方が、「郵政省の介入が甚だしい」ということを盛んに訴えられ たこともあります 。「毛深い絨毯の中にある塵をひとつひとつ取れと言わんがばかりの介入を受ける。これでは効率的な経営ができない。もっと経営の自由がほしい」と。

1982年1月に報道された電電公社近畿電気通信局で発生した巨大な経理不正事件もその事件の原因に公社体質を上げる関係者もいる。あまりにもがちがちの会計のために交際費等の金が自由にならないということから必然的に起きる不祥事だとの説明である。この不正経理事件当時の会計検査院職員であった大学教授が述懐している。

(これは経理不正事件の言い訳としてはかなり身勝手な言い訳に見えるが電電公社データ通信本部職員の経験がある筆者としてはある程度うなずける)

1982年4月19日には郵政省が「電電公社の経営形態に伴う支出の増加について」を発表して民営化を牽制しているが、電電公社真藤総裁は翌々日の1982年4月21日には郵政省の発表に反論して民営化しても赤字にならないことを記者会見で強調するという素早い行動を見せた。この応酬からも電電公社側が民営化を促進している当時の事情が伺える。

一方、民営化を牽制していた郵政がなぜ民営化で妥協したのか。電気通信事業者の外形区分で1種2種を設け規制下に置く展望が開けたからではないかと推測している。

1985年(昭和六十年)の電電公社民営化改革は以下の原則で行われた。

①組織再編成は行わず民営化する。

②NTTのあり方は五年以内に再検討する。

③日本電信電話株式会社法附則二条でNTT成立の日から五年以内つまり1990年三月末までに「必要な措置」を講ずることを政府に対して義務づける。

①はそのまま施行されたが②と③はその後のバブル崩壊で曲折を見ることになる。

まず②を受けて政府は、日本電信電話株式会社法(NTT法)附則第2条の「会社設立から5年以内に、会社の在り方を見直す」という条項を受けて1985年時点で約束していた1990年のNTT会社見直し問題を、1990年3月30日に5年間凍結することを決定した。

凍結の理由として郵政省は電気通信審議会最終答申(1990年3月2日)に提示された「市内・市 外分離案 」の実現に向けた案の答申後、NTTの株価(1990年7月27日にはバブル崩壊とともにNTT株式が100万円を割り込み、上場来安値を更新した)が下がり、大蔵省も「 株主 、国民の利 益が保証されなければ分離分割を承服できない」と財源確保の観点から激しく反対したためとされている。ここでいう「株主 、国民の利益」とは株価を維持することを指している。そのため政府は電気通信審議会最終答申を5年間見送くることにした。

次に③を受けて1990年3月に電電公社民営化改革の原則を受けて当時の郵政省(現総務省)から「政府措置」が発表された。これは日本電信電話株式会社法附則第二条の規定により「政府は1990年(平成2年)3月末までにNTTのあり方について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずること」とあり、これに従って「日本電信電話株式会社法附則第2条に基づき講ずる措置」が発表された。以降、新電電各社とNTTの相互接続問題はこの略称「政府措置」が影響をもつことになる。

「政府措置」を理解するためには1990年当時の新電電各社とNTTとの交渉ポイントを知る必要がある。新電電各社は電話サービスの全国展開と顧客獲得に懸命で、NTTとの相互接続問題の中心は電話交換機のID化促進やPOI設置の実務交渉だった時代である。そうした背景の元で「政府措置」には次の2点が努力目標として掲げられた。

①接続の円滑化 交換機のID化促進、POI(相互接続点)設置の円滑化等、他の電気通信事業者との円滑化を更に推進する。

②ネットワークのオープン性の確保 他の電気通信事業者がNTTのネットワ-クをNTTと対等な条件で利用できるようにするため、接続形態、技術的条件等に関する具体的な接続条件を明確にする。

当時まだ交換機が100%電子交換機(市内交換用D70型電子交換機)に置き換えられておらず、アナログのクロスバ-交換機がかなりの割合で存在し、このクロスバ-交換機使用局に収容される加入者は新電電各社を利用する際に事業者ID(どの新電電の中継網を利用するかを通知する情報 例えば0077など)が付与されず機能が具備されておらず、付加的な設備工事を必要としたため時間と費用(1コ-ルあたりにつき、付加料金をNTTから新電電各社に要求されていた)がかかり阻害要因となっていた。 このID付加機能が加入者交換機単位で追加工事されないと新電電各社は当該局の収用顧客にはサービスを提供することができないため自社のサービスエリアを示すマップは「まだら」模様となり、新電電各社の営業の大きな妨げとなっていた。


国鉄の民営化の目玉であった地域分割は電電公社の1985年民営化時点では採用されなかった。この点からも、競争導入による独占の弊害除去よりもむしろ「会社の自由」が勝ちを収めた風に見える民営化ではあったが、その後は日本電信電話株式会社法が新たにNTTを束縛する法律となった。

初代社長に就任した真藤氏にとって、この日本電信電話株式会社法が不本意であったことは事実で、当時NTT課長であった筆者も真藤氏が民営化の直後に社内放送で社員に残念そうに話すのを聞いた。(氏は既に高齢のためにぼそぼそとしたしゃべり方で非常に聞きとりにくいものであったが)真藤氏は5年後の見直し時点でこの会社法の廃止を期待していたのではなかったか。

1988年に発覚したリクル-ト事件で真藤氏は自ら廃止したかった日本電信電話株式会社法違反に問われるという結果になり、5年後の見直しを待たずして逮捕、退任に追い込まれた。ちょうどこの年、郵政省は1988年3月に電気通信審議会にNTTの在り方を諮問し、2年間の検討を経て1990年3月2日に答申を得た。これによると郵政省あるいは審議会は民営化に一定の成果があがったとの判断した。しかし、「いまだ競争全体が完全に熟した状態になっていない」と留保条件をつけて今後の推移をみる姿勢を示した。答申の骨子を以下に示す。

①1985年の電気通信制度の改革以降、多くの新しい会社が通信の分野に参入し 相次いで料金値下される等の一定の成果があったと評価した。東京-大阪間NCCは1990年当時240円、NTTは280円。

②市内網つまり電柱に張り巡らされた加入者のネットワ-ク網に競争導入が進展していないと判断している。

③結果としていまだ競争全体が完全に熟した状態になっていないと判断した。

民営化後遠距離電話料金は下がり続けており、一方地域は依然として独占が続いているので分割は見合わせてもう5年間様子を見ようとの結論であった。

上記の電気通信審議会答申を受けて、1990年3月末に政府は以下の決定を行い、1990年予定のNTTのあり方見直し、つまり再編成は5年後に「必要な規制緩和について実施する政府として「講ずる措置」の進展状況を見て検討することになった。
本来「講ずる措置」は「政府は1990年(平成2年)3月末までにNTTのあり方について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずること」とあり、再編成とセットで講ぜられる措置と読むのが自然だが、政府は「講ずる措置」のみを実施することにした。  

「講ずる措置」では公正有効競争の促進を図るため具体的に下記の決定を見た。

①NTTが長距離事業、地域別事業制を導入、徹底してその収支状況を開示するよう措置する。これを受けてNTTは初めて長距離、地域事業部ごとのコスト・データを整備することになる。その結果として接続料金の基礎データが整備されることになる。

②移動体通信業務について一両年内を目途にNTTから分離して完全民営化する。これを受けて1991年8月にドコモの前身である エヌ・ティ・ティ・移動通信企画(株)が設立されることになる。

③接続の円滑化=POIの設置が円滑に進まない問題などを改善する。これは県内複数のPOI設置にNTTが積極的に応じない問題を指しているが、これは後に一県一POIとして新電電側思惑とは反対の方向で整理されることになる。さらにその後には任意の加入者交換機にPOI設置を認めるなどの大幅な改善が見られことになる。

④内部相互補助の防止 長距離事業と地域別事業の相互補助を防止する、あるいは異なるサービス間での相互補助を防止することをうたっている。NTT長距離事業部門は常に黒字であり、地域事業部門を常に補助するかたちで経営が成り立っていた。地域事業部門に補助を行わないと基本料をあげる措置をとらなければならず、この内部相互補助は当然のこととして行われていた。従ってここでの内部相互補助の防止とは文字通りの意味でとらえてはおかしくなる。異なるサービス間での内部相互補助防止と理解すべきである。

欧米のレギュラトリ-関連では頻繁に「subsidiary」の禁止として登場する概念で、新電電各社もこの防止を訴えていた。ようやく日本でもこの政府文書として「subsidiary」防止=内部相互補助の防止の文言が登場した。新電電側がこの当時内部相互補助防止で行った得ていたのは「常温核融合」のNTT通信研究開発費が接続料金に回される不合理さだったが、テーマとしての面白さがあり、アピール狙いの側面もあった。

⑤情報流用の防止 NTTの顧客情報データベースは地域別事業部が持つが、これらの顧客情報を長距離事業部が利用できる立場にあると公正な競争が妨げられる。新電電各社に加入しているという顧客情報が長距離事業部門に流れると、その営業部門が加入状況を示すデ-タを使って効率的な顧客奪い返しが可能になるため、不公正な競争となる。

10年後のある時期、極めて短期間であるがNTTコミュニケ-ションズの社員と一緒に仕事をする機会があり、彼らのこうした情報流用などに対する企業倫理感があまり育っていないことを痛感する現場も見聞することになる。要はかつての電電公社の仲間意識がそのまま残っており、営業上の必要に迫られればかつての同僚や後輩に電話を掛けて例えば顧客情報などを教えてもらうのが当然と言う意識が多くの社員に残っていた。

⑥デジタル化の前倒し=ID送出の完全実施 電子交換機D70ではID送出機能つまり新電電各社の事業社コ-ドID4ケタを送出する機能を持つが、クロスバ-交換機では機能改造を行わなければ送出機能を持たない。電子交換機を100%にするか、存在するすべてのクロスバ-交換機に機能改造を施すかいずれかの早期達成を求めている。3年後の1993年7月26日に全NTT交換機のID発出機能化を完了する。

⑦NTTの経営の向上等を通じて、国民、利用者の利益の増進を図る。NTTにおいては徹底した合理化案を自主的に作成し、これを公にして実行する。

ここで合理化案とはNTTの抱える団塊世代の余剰人員の合理化を主として指している。こうした政府圧力がなければNTTの自助努力で自ら労働組合(全電通、後に情報労連)に働きかけて解決をはかろうとする能力は全く無かったと言ってよい。NTT接続問題といい、合理化施策の推進と言い、政府圧力を受けて確かに改善されたが、果たしてこのあまり前向きとは言えない受け身の姿勢のみでNTTの経営者として歴史の評価に耐えられるのだろうかとの疑問が以下の事実を見るにつけ消えることはない。

この後のNTT経営者が如何に合理化の推進に意を注いだかはその後の歴代の社長児島、和田、三浦各氏が労務畑の出身であったことにもうかがうことができるがやはり経営のトップが労働畑に偏ると言うのはいびつである。顧客ではなく組合のほうに顔が向いていたということなのだろう。

後に1996年にNTT社長になった宮津氏のスピーチでは団塊の世代の社員が異常に余っており、配置転換も退職もままならないので自然退職の年がくるまで何とか新規事業を創生して余剰要因を吸収してしのぐしかないと悲愴な意見を正直に述べていた。

NTTは10年後再編成されるが持ち株会社を設立することで特殊会社を維持し、又、この持ち株会社方式はNTTの希望に沿う形にもなり、政府のコントロ-ル下に置くことに成功している。

NTTの自主性を尊重するという事に関して国会で質疑があり、郵政省は「NTTは国民の共有財産として形成されてきた電気通信ネットワ-クを電電公社から承継して非常に公共性の高い事業を営む特殊会社としての性格を有する。 自主性といってもその範囲は決して無限定というものではない。法律の規定によっておのずからなる内在的な制約がある。例えばNTTの重要な財産の譲渡に当たっては郵政大臣の認可にかかる 」 と回答している。

当時のNTTの経営形態であっても自主性と完全民営化を取り違えてはいけないと主張して政府の管理下にあることを念押ししており、当時の郵政省の分離分割議論はあくまで条件付きであり、実際に分離分割議論が進み、後のJRに見られるように完全民営化へ舵がとられるのを恐れていたようにも見える。ホ-ルディングカンパニ-のもとに分離するという中途半端な再編成を実施したがNTT東西の分離は果たして意味のあったものかどうか。

NTT法に義務付けられたユニバーサルサービスとの整合性から料金さえ独自性を持ちえないNTT東西の存在は平成が終わった今日、全く無意味な分割だったことを示していると言えるだろう。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。