1月20日 ブッシュ大統領が就任する。
9月11日 ニューヨーク ワシントンで同時多発テロが発生。ソフトバンクの仮設社長室(当時ADSLの開始時で作業場に仮設社長室を設けていた)に入ると孫正義氏と他に一人がいて大型プロジェクタに映し出された画面に見入っていた。最初は映画でも映しだしているのかと思ったが、CNNのキャスターが何度も何度も叫ぶようにアナウンスしているのでリアルタイムの事件だと知って驚愕した。
<2月21日 公正取引委員会がNTT西日本に対して口頭注意>
公正取引委員会がNTT西日本に対してコロケーション(他通信事業者が接続に必要なモデムや配線用MDF、電力設備などを設置するためNTT局舎を間借り利用すること)の工事を意図的に遅らせて新規参入を妨001害したとして独禁法違反(私的独占の禁止)に抵触の疑義ありとして口頭注意した。前年のNTT東に対する同様の警告に続いての口頭注意となる。
9月1日にソフトバンクのADSL事業が始まるが、この後もコロケーションの工事がスムースに行ったことがなく、被害妄想も多少はあったかもしれないが常に遅れ気味であった。こうした遅滞はすでに去年の2000年から始まっていたことになる。遅らせたところで特に上役からその遅滞を叱責されるわけでもなく、NTT相互接続推進部が社内でいくら声をからしてその担当部門へ工事促進を促しても埒のいかない社内風土が出来上がっていたのではないかと推測している。その気持ちはわからないこともないが、結局そういった社員のマインドがNTTへの批判を強めさせることになり、社員の間違ったロイヤルティーと潜在的サボタージュがNTTの分割へと導いたことになったのではないか。
<2月27日 ボーダフォンが日本テレコムの株10%をAT&Tから取得すると発表>
既に前年の2000年12月にはボーダフォンがJR東海とJR西日本から株15%を取得済みであり、さらにこの日の取得で積みあがって合計25%となり、JR東日本を抜いて筆頭株主になる。かつての親会社のうちの2社から見放され、外国資本から狙われた日本テレコムはこの年の12月にウィリアム・モロー氏が社長に就任するまであっという間の出来事だった。冷徹な資本の論理である。
5月2日 ボーダフォンはさらに日本テレコムの株20%をBTから買い取ることで経営権掌握の意図を正式に発表し、6月1日に買い取り完了し買収後の出資比率は45%に積みあがる。10月にはボーダフォンがTOBにより、日本テレコム株式の約21.7%を取得、TOB後の出資比率は約66.7%にもなる。12月1日には日本テレコム社長にウィリアム・モロー氏が就任し、日本テレコムは2000年12月に始まる15%の買収からわずか10か月でボーダフォンの手中におさまったことになる。
その後日本テレコムは日本テレコムホールディングスとなり、携帯部門と固定通信部門に解体された後に2003年8月には固定部門はリップルウッドに売却されることになる。この売却で日本テレコムホールディングスつまりボーダフォンはわずか2年足らずで2613億円の売却益を得る。やがて2004年5月に日本テレコムホールディングス固定部門はソフトバンクに買収されソフトバンクテレコムに3400億円で売却され、携帯事業もソフトバンクに1兆7500億円で買収されソフトバンクモバイルへと繋がっていく。
ボーダフォンは日本テレコム買収により最終的に1兆5千億円程度の売却益を得たことになる。リップルウッドはわずか9か月で800億円の売却益を得る。日本の通信事業関連益が外資に喰われた構図になる。
<2月29日長期増分費用方式を適用した接続約款変更認可>
NTTの1999年度平成11年度接続会計の費用をベースに総務省は長期増分費用方式を適用した接続約款変更を認可した。
<3月 地域電話番号ポータビリティ開始>
この当時番号ポータビリティーを開始できたのはケーブル統括運営会社のジュピター・テレコムのみである。この番号ポータビリティー実現に努力したのはジュピター・テレコムへ吸収されるまえのタイタス・コミュニケーションズであり、柏市内での地域電話番号ポータビリティーが最初であった。研究会を主導した齋藤主査(当時東大教授)の貢献が大きい。
<3月1日 日米間「規制緩和と競争政策に関する強化されたイニシアチブ」のもとに電気通信作業部会が開催される。
米国側は①独立規制機関の設置②支配的事業者規制の拡充③光ファイバーのアンバンドリングを要求する。
①の独立規制機関の設置は欧米諸国のかねてからの提案である。福島原発事故の後も独立規制機関の設置提案が出た。日本政府は米国等ではポピュラーな独立規制機関の設置をためらうなにか特別な要因があるに違いない。組織の肥大化を抑えると言うのが表向きの理由だが根深い原因があるように思う。
<3月27日 最高裁がダイヤルQ2の無断使用に対する情報料請求を不当と判決>
下級審では弟が無断使用したダイヤルQ2を兄が払う義務があると判決があったが、最高裁では逆転となり、NTTの敗訴が確定する。4月24日にはNTT東西はダイヤルQ2の利用にパスワード制を導入することを決める。しかし廃止する決断には至っていない。1989年7月10日に始まったこのサービスは2014年にようやく幕を閉じると発表されている。
<4月1日 フュージョン・コミュニケーションズが市外電話サービスを開始>
全国一律3分20円。日本高速通信株式会社時代の上司や部下が多数この会社に移っていた。大手町のNTTデータ所有のビルの中に入っていて一度何かの相談があって孫正義氏と角田社長をこのビルに訪れたことがある。NTT持ち株会社もこのビルに入っていることをその時に知った。
<4月2日 ADSLのイー・アクセスが116を利用した不正顧客獲得活動があると総務省に意見申し立て文書を提出>
顧客窓口の116にイー・アクセスのADSLについての問い合わせをするとNTT東西のサービスへの乗り換えを勧誘される。
4月25日 総務省 NTT東西にDSL顧客獲得を巡って指導を求める行政指導を。
<4月2日 NTT東西が電柱や共同溝の開放条件をまとめた標準実施要領を公表>
調査期間の標準を設定することや設備使用料などを明記。電柱使用料が年額1600円。電柱はNTTと電力会社が所有者であり、NTTがこうした標準実施要領を出してももう一つの大所有者である各電力会社が足並みをそろえないとうまく運ばない。
<5月1日 優先接続制度マイラインが午前2時に開始>
10月31日 優先接続マイラインの無料登録が終了。
<4月20日 ニューヨーク州で携帯電話の電波が人体に及ぼす影響で損害賠償などを求めて大規模な集団訴訟>
5月22日 米国会計検査院GAOが携帯電話の電波と健康問題で報告書を。①国際的な研究動向への注視②国民への情報公開③安全性評価基準の国際的統一基準を求める。
6月5日 J-フォン西日本四国支社が近隣住民への事前説明なしで2000年8月に40メートルの鉄塔建設したとして住民から抗議。
<9月1日 ソフトバンクがADSLサービス開始 >
ベストエフォートの速度8Mbpsで2280円。ISP料金としてYahoo BBの1200円と合わせても3480円となり圧倒的な廉価で参入する。
この年10月から8Mbpsの提供を5000円程度で計画していた模様のイー・アクセスも大幅に価格を下げて3000円程度で対応せざるを得なくなった。旧知のイー・アクセス幹部から既にソフトバンクに転職していた私に怒りの電話が入ったのもこの頃である。採算が合わない価格でやっていけるのか。業界を混乱させるだけで孫正義氏はスピードネットのように早々に撤退するのではないかとの非難であった。当時としてはソフトバンク社内でもそうした声があったくらいで、この知人の非難もそれほどおかしなものではない。
{大量申込みに混乱}
これに先立つ6月に営業のみ開始しており、数十万の申し込みが営業開始とともに殺到した。オペレーションの準備ができていない事やNTT局舎準備工事が完了しないことの理由によりサービス開始は9月1日と1か月遅れたが、サービス開始後も申込みは増え続け11月末には100万を超えることになる。サービス遅れに対する行政指導を総務省から受けるなど混乱はこの年の終わりまで尾を引いた。
混乱の原因は①ソフトバンク側のオペレーションの不慣れと準備不足そして②NTT局舎の工事に想定外の時間がかかったにつきるのであり、双方ともに反省すべき不備な点は多い。この混乱の問題点をつきつめるとソフトバンクが提供価格を半値にして採算分岐顧客数を一桁引き上げた点にある。しかし競合する独占企業NTTは局舎建設やコロケーション依頼に対して従来通りの採算分岐顧客数つまり各社50万顧客を3年ないし5年で実現すると言う想定での工事体制しかとらなかったという事に尽きる。
尚、この後にMDFスペースを大量確保してあたかも悪意を持って他社の利用を妨げているとして他事業者から非難を受けることになるが、ソフトバンクは300万顧客を採算分岐点としていたために確保したまでであり、これはむしろNTT側の貸し付け条件が不備(利用しない場合はなんらかのペナルティー料金が発生する等の措置がなかった)であったことによる。
尚、混乱の要因には名義人不一致もあげられるがこれは別稿に述べる。
{他社の料金値下げを誘因}
当時のブロードバンド市場では8Mbps程度の高速ブロードバンドサービスはCATVやFTTHしか選択肢がなく、いずれのサービスも1万円程度した。ADSL1.5Mbpsでさえ5000円程度であったので8Mbps2280円という価格が如何に業界や消費者に衝撃を与えたものであるかは容易に想像ができよう。
NTT東はこの年10月1日に1.5Mbpsを2900円で提供することになる。(合わせてフレッツとISDNも値下げする) 他のADSL事業者ものきなみ値を下げて3000円から5000円台となった。この価格競争はそのまま2003年まで継続し、平均3000円程度にまで下がることになる。
{他社の採算分岐点まで拡大}
他のADSL事業者は採算分岐点を50万顧客程度において経営計画をたてていた。その前提では5000円を超す価格も収支計画上では妥当な価格であって決して不当に高止まりした価格ではなかったのだが、いきなりこの年にソフトバンクが採算分岐点を300万加入を前提に2280円をはじきだし、これを販売価格とした。
結果的にはADSLは伸び続け2004年3月末には1027万加入を超えることになり孫正義氏の見通しは正しかったことになる。同時に悲鳴に近い非難の声を上げたADSL他社も大量の顧客獲得により大幅な価格下げにもかかわらず無事に乗り切ることができた。
{東京めたりっくを買収}
なお、この営業開始に先立つ5月29日にADSL事業者のパイオニアである東京めたりっく通信の社長東條氏が資金難を認める談話を発表した。(氏の回顧談によると朝日新聞の原淳二郎氏のインタビューを受けて資金援助を募るような話をしたところいきなり経営が行き詰ったというスクープになったとのことである。記者を相手にするときは極めて慎重な発言を要するという教訓が得られる。ちなみにこの原記者は1990年代の早い時期に電気通信事業者協会で講演をお願いしたことがある。)主としてNTTコロケーションにかかる設備投資による債務30億円で資金繰りが行き詰る。6月21日にはソフトバンクが東京メタリックを4万5千の顧客とともに救済的に買収を引き受けることを発表する。
尚、社長東條氏の回顧談によると株式は額面でソフトバンクに引き取られ、NTT債務はソフトバンクが引き受けたとある。又この回顧談には孫正義氏の話としてADSL事業に乗り出した動機が語られている。以下の条件が見えてきたので事業開始を決断したとある。
{孫正義氏のADSL事業開始の決断要因}
1.MDFが開放されたこと。コロケーションに必要な諸条件が総務省から出されてことをさしている。これは米国1996年法をお手本にしたもので、これがあるためにADSL事業各社は創業した。
2.公正取引委員会が動いたこと。イー・アクセスの訴えによりこのとしの2月21日に公取がNTTの建設工事の遅延に対して指導したことをさしている。
3.NTTダークファイバーが開放されたこと。NTT各局で集めたADSLをリング状につないでインタネット基幹ネットワークにはこぶにはNTTのダークファイバ―を借り受けることがポイントになる。(回線に空きがない時はKDDや電力系子会社のファイバーを借りてでもリングを形成しなければならない。
<7月18日 KDDIが米国回線卸大手のウィリアムズ・コミュニケーションズと国際データ通信に関する包括的提携を発表>
ウィリアムズ・コミュニケーションズは主としてガス配管を利用して全米で6.4万キロメートル保有。12月26日 ウィリアムズ・コミュニケーションズ社が日本で第一種電気通信事業者免許をとり事業開始。
1995年当時住商がウィリアムズ・コミュニケーションズの全米映像配信網に着目して、その伝送システムそのものの日本導入に関心を示したことがある。日本高速通信在社当時にこの調査に米国出張を行った。オクラホマ州の中心部にあるビルの一角にガラス張りの監視センターがあり、ショッピングのために行きかう人々がこのガラスのケージの中を見れることになっている。スタッフの緊張感を高める仕組みだと説明を受けた。
その後1996年にウィリアムズ・コミュニケーションズが日本高速通信株式会社訪問に来日するなど交渉があったが、5年後にようやく日本でのサービス開始にたどり着いたことになる。業界動向としてはそれほどインパクトのある出来事ではないが、個人的な感慨がある。
<8月31日 NTTは施設設置負担金不要の料金体系を導入する方針を発表>
大抵の人が電話加入権として認識している施設設置負担金72、000円は、実は基本料の前倒し的性格を持ち、税制上「圧縮記帳」とされNTTの収益とはみなされず、この収益の税相当は免除される特別な優遇措置を受けてきた。この電話加入権の取引市場が形成され、質権の設定が認められ、法人税法上非減価償却資産とされる等の優遇措置がとられてきたが、固定電話市場が減少に転じた為にその意義も薄れてきた。また諸外国にならう事もあり、本来の基本料に転嫁する方向でNTTが舵を切りだしたことになる。
タイタス・コミュニケーションズに在社していた頃、ケーブルを利用した電話サービスを開始したが、ケーブル電話に加入するとNTTの電話回線が不要になる。ケーブル電話会社がその加入権売買を仲介すればケーブル電話加入時に顧客は便利になる、そう考えて電話加入権市場や買い取り会社を回って買い取りの現状調査をしたことを15年ぶりに思い出した。当時はこうした電話加入権市場が立派に成立していた。
<8月16日 米国ハリウッド5社がインタネットで映像配信へ共同計画を発表>
米国ではADSLによるブロードバンド時代が早くも到来しており、映画コンテンツがインタネットで視聴できるようにハリウッド5社(パラマウント・ピクチャーズ、ソニー・ピクチャーズ、ワーナー・ブラザーズ、MGM、ユニバーサル・スタジオ)が共同で映画配信市場に乗り出そうとしていた。この後日本でもソフトバンクBBテレビがハリウッド映画をインタネットで配信するサービスを始めることになるが、映画コンテンツの購入価格の問題や映像配信時期など、上記5社以外が参入するには相当高いハードルがあることを知ることになる。