子供の頃すぐ近くに豆腐屋があった。働き者の一家は早朝から豆腐を作る。小学校に登校するために横を通るとそのあたり一帯に濃厚な大豆の匂いが立ち込める。匂いは芳香といってよいくらいで、今でもその匂いの記憶が強く刻み込まれている。
家の前でも毎朝その芳香がした。ふとみると近くの牛を飼う農家が大豆の白いゆで汁を一杯いれた桶を天秤で担いで運んでいる。牛の飼料にするためで、冬などその桶のあたりに湯気が漂っていた。この匂いと湯気が毎日の無意識の愉しみになっていたようだ。
豆腐屋の親父は寡黙な男で、今頃の季節には手の切れそうな冷水に手を突っ込んで黙々と豆腐を扱っていた。この親父は夕方になるとちりんちりんと鈴を鳴らして豆腐を売り歩く。豆腐、厚揚げ、がんもなどが扱う品だが、大阪に納豆はなかった。この親父の鳴らす鈴の音が外で遊んでいる子供達の家に帰る合図で、自転車に乗った豆腐屋が長い影とともにやってくると遊び友達はおのおの暖かそうな灯りのつく家に帰った。
私は遊び友達が夕食に帰ってしまうこの夕方がとても嫌な子供だった。今でもその頃のこの時間帯の空虚な感覚は胸がキュンとなる体の記憶としても思い出すことができる。
家の前でも毎朝その芳香がした。ふとみると近くの牛を飼う農家が大豆の白いゆで汁を一杯いれた桶を天秤で担いで運んでいる。牛の飼料にするためで、冬などその桶のあたりに湯気が漂っていた。この匂いと湯気が毎日の無意識の愉しみになっていたようだ。
豆腐屋の親父は寡黙な男で、今頃の季節には手の切れそうな冷水に手を突っ込んで黙々と豆腐を扱っていた。この親父は夕方になるとちりんちりんと鈴を鳴らして豆腐を売り歩く。豆腐、厚揚げ、がんもなどが扱う品だが、大阪に納豆はなかった。この親父の鳴らす鈴の音が外で遊んでいる子供達の家に帰る合図で、自転車に乗った豆腐屋が長い影とともにやってくると遊び友達はおのおの暖かそうな灯りのつく家に帰った。
私は遊び友達が夕食に帰ってしまうこの夕方がとても嫌な子供だった。今でもその頃のこの時間帯の空虚な感覚は胸がキュンとなる体の記憶としても思い出すことができる。