ベネツィアと言う運河の街に足を踏み入れるたびに、その美しさに心を奪われる。水面に映る古い建物の影、ゴンドラが静かに進む音。そんなベネツィアも、近年は厳しい現実と向き合わざるを得なくなっている。
2018年10月29日、サン・マルコ広場が閉鎖されたというニュースを耳にしたとき、私は驚きを隠せなかった。観光客たちは急ごしらえの高床式の歩道を歩き、地元の人たちは懸命に水をくみ出していたという。水位が観測史上4番目に高い1.5メートルに達し、この歴史ある広場が水に沈む光景は、かつてのベネチアを知る者にとって、痛ましい。
14世紀から続く驚異的な技術がある。木の杭を無数に打ち込み、その上に石を積み重ねた基盤は、自然の猛威に屈せず、時には地震にも耐え続けてきた。しかし気候変動による地盤沈下や海面上昇という新たな脅威に直面している。
2023年にも異常気象が続きベネチアは再び洪水に見舞われた。高潮や豪雨が相次ぎ、水位が危険なレベルに達した結果街中の観光地や住宅が浸水した。こうしてベネチアは環境問題の最前線に立つ都市として知られるようになった。
地中海の海面が21世紀末までに1.5メートル近く上昇するとの予測もある中で、ベネチアは日に二度、水没する危機にさらされている。専門家たちは年に4回ほど発生する深刻な水害に加え、今後さらに頻繁になると警鐘を鳴らしている。「MOSE」という防波堤プロジェクトは、この街を守るための希望であったはずだが、20億ユーロが賄賂に使われたというニュースが報じられ、世界をがっかりさせた。
ベネチアがこれまで1400年間耐え抜いてきたのは人々の知恵と工夫がその根底にあったが今やその知恵だけでこの街を守り続けることは難しい。
ボローニャから列車でサンタ・ルチア駅に着く。ここから水上バスに乗る。ベネツィアのカナル・グランデ沿いに位置しており、駅を出るとすぐに運河とゴンドラの風景が広がる。駅の正面にはカナル・グランデを渡る「スカルツィ橋(Ponte degli Scalzi)」があり、この橋を渡るとサン・マルコ広場やリアルト橋方面へアクセスできる。
サンタ・ルチア駅は1861年に開業した。この駅舎は1952年に完成したもので、モダンなデザインが特徴。駅名の「サンタ・ルチア」は、かつてこの地に存在したサンタ・ルチア教会に由来しているが、その教会は駅の建設に伴い取り壊された。
島内や島同士の連絡には水上バス(ヴァポレット、vaporetto)が用いられている。
しっかりした石組み床のレストラン。
日本語でヴェネツィア、ヴェニス、ベネチア、ベネツィア、ヴェネチア、ベニスと6種類の表記を持つこの都市は水と大地の間に生まれた。ヴェネツィア湾のラグーナ(潟)に包まれてその独特な歴史と文化を誇る。
ラグーナはヴェネツィアの命を育む源であり、この都市が数世紀にわたり海上国家として繁栄した背景でもある。自然の港は、外海との間に築かれた静かな港湾であり、水と陸が織りなす調和の象徴でもある。
この都市を縦横に走る運河は物資や人々を運び、水面に浮かぶ波紋のひとつひとつが、商人や海の男たち、芸術家や建築家たち、恋人や夢想家たちの過去の物語をささやいている。
南米アルゼンチンのラグーナ・デル・デシエルトと言うアルヘンティーナ湖のラグーナのほとりで出会ったもう一つのラグーナが思い出される。こちらのラグーナもまた、穏やかな美しさに包まれた隠れた楽園であり、澄んだ水面が空を映し出し、時間が静止したかのような場所だった。別の紀行で取り上げたい。
ラグーナは近年、地球温暖化と海面上昇がこれらの繊細なエコシステムのバランスを脅かしており、特にヴェネツィアはこの危機の最前線に立っている。アクア・アルタとして知られる高波が、この街を頻繁に襲うようになり、モータボートが波を作りそれが建物の基礎を破壊するモトオンドと呼ばれる被害と相まって今では脅威ともなっている。
「美しいものは永遠の喜びである」しかし美しさは同時に儚いものであることもわたしは思い知らされる。
写真に写っている左の建物は、ヴェネツィアのカナル・グランデ沿いにあるサンタ・マリア・ディ・ナザレ教会(Chiesa di Santa Maria di Nazareth)通称スカルツィ教会(Chiesa degli Scalzi)でバロック様式の美しい教会。
写真の右側に見える建物はわたしたちの泊まったホテルで、その前の水上テラスには色とりどりの花が飾られている。
サンタ・マリア・ディ・ナザレ教会は歴史的にも建築的にも重要で、静けさと荘厳さを備えた空間。この美しい教会がその姿を保ち続けることができたのは、ヴェネツィアの建築に使われた技術、特にその土台となる木材の水中耐久性が秘密だ。
海中に打ち込まれたオークやカラマツの木材は、1平方メートルあたり9本もの密度で配置され、その上に梁としてのカラマツ材が2層にわたって置かれる。さらに、その上にセメントが流し込まれ、1000年以上も耐えうる土台が完成する。
驚くべきことに木材は海水の中で腐らない。ローマ時代から知られていた事実だ。腐敗菌は海水中には存在せず、シロアリなどの害虫も海中では活動できず、何世紀にもわたってその形を保ち続けることができた。
この事実は、ヴェネツィアだけでなく、世界中のさまざまな場所で確認されている。オランダのアムステルダムの旧市街にあるオランダ王宮も、沼地の上に木の柱を打ち込み、その上に建てられた石造建築だ。また、度々訪れた日本の厳島神社の鳥居も、海水に長期間浸かっているにもかかわらず、その形を保ち続けている。
写真の左側に見える建物はパラッツォ・ペーザロ(Palazzo Pesaro)。パラッツォ・ペーザロは、ヴェネツィアのカナル・グランデ沿いに位置する壮麗なバロック様式の建物で、現在は現代美術館として使用されている。
17世紀にバロック様式で建てられたこの建物は、ヴェネツィアの豊かな歴史と文化を象徴するかのように、威厳と優美さを兼ね備えている。しかし、その華麗な外観の底、つまり海中には、ヴェネツィアが1400年以上にわたって築き上げてきた驚異的な技術が隠されている。
石造りの巨大な建物が、水に浮かぶ都市の上でどのようにして支えられているのか、その答えは、この都市の基礎をなす見えざる力、つまり木の杭にある。ヴェネツィアの土地はもともと湿地帯であり、そこに建物を支えるために、オークやカラマツといった木材が海底深くに打ち込まれていて、海水の中で腐ることなく、何世紀にもわたって建物を支え続けている。
パラッツォ・ペーザロもこの木材の力によって支えられている。パラッツォ・ペーザロを見上げるとき、私はその壮麗さに驚嘆するが、同時にその下にある見えざる力を讃える。
写真下部の鉄さびた門にたびたびお目にかかるが、この家のボートの発着場だ。ヴェネツィアのボート、特にゴンドラは、古くから文学や芸術の題材として取り上げられてきた。
イギリスの詩人バイロンは、その詩『チャイルド・ハロルドの巡礼』で、ヴェネツィアを訪れる人々の心に深く響く光景として、ゴンドラを描きゴンドラは「黒い棺」とも例えられたという。静かで美しいが、どこか物悲しさを帯びたその姿が、ヴェネツィアの過去の栄光と現在の静けさを象徴していると評される。
実際ゴンドラを目の当たりにみると黒い棺と言う言葉が脳裏に浮かぶ。
鉄錆びた門の奥に広がる、この家のボートの発着場はヴェネツィアにおいて日常の風景でありながら、日本人の私の目にはどこか非現実的な光景として映る。ここでは、道端に車が並ぶのではなく、家々の前にはボートが静かに浮かぶ。
鉄錆びた門の向こうに見えるボートの発着場はかつては華やかな宴が開かれ、貴族たちが豪華なボートで到着したであろう。今は静かな眠りについたかのようだ。
鉄錆びた門の背後には、数え切れないほどの物語が隠されており、静かな運河の流れを感じながら、この街を歩くときそっと囁いてくれる。
私はローマの長官カシオドルス、かつての栄光に満ちた帝国の中心で、秩序と力を象徴する存在として生きてきた。しかし、運命の導きか、私はこの水上都市ヴェネツィアに足を踏み入れ、その瞬間から私の内なる葛藤が始まった。
ヴェネツィアは、ローマとは全く異なる世界だった。ローマの壮麗で堅固な建築物とは対照的に、ヴェネツィアの建物は水に浮かび、どこか不安定で、しかしその不確実性の中に独特の美しさがあった。ローマでは、石の力がすべてを支配していたが、ここでは水がすべてを包み込む。ローマの強固な地盤とは異なり、ヴェネツィアは浮いているのだ。
私はこの地で、初めて力に依存しない生き方を目の当たりにした。ローマでは、力がすべてを支配し、ヴェネツィアでは、力に頼らずに生きることが可能であることを。空を舞うカモメの姿を見つめながら、私は思った。ここヴェネツィアでは柔らかく、流れるような美しさが存在している。
ヴェネツィアの住人たちは、まるで海鳥のように、力を誇示することなく自然の中で生きている。彼らの生活は、私がローマで見てきたものとは全く異なるものだった。彼らは、私たちがローマで求め続けてきた強さとは違う強さを持っていた。
この発見は、私にとって喜びであると同時に、深い悲しみでもあった。ローマで私が築き上げてきたものが、このヴェネツィアの柔軟さと調和の中では無意味に思えたのだ。私は、自分の生き方が果たして正しかったのか、深く考えさせられた。ローマでの私の存在が、この柔軟な水上都市でどのように意味を持つのか。
ヴェネツィアの古い建物に飾られた色とりどりの花々。その美しさは、訪れる人々の目を楽しませるが、その背後には、長い年月を経て刻まれた歴史と、それを生き抜いてきた人々の思いが秘められている。色あせた厚塗りの塗装は、時の流れを感じさせるが、窓辺に咲く花々は輝きを放っている。
アンナは、その古びた家に一人で住んでいる。彼女の夫、マルコは数年前に亡くなり、それ以来、彼女はこの家で静かに暮らしている。彼らが共に過ごした日々は、まるで昨日のことのように鮮明に思い出される。夫と二人で手を取り合い、笑い合い、そしてこの家で育んだ無数の思い出が、今もアンナの心に深く根付いている。
マルコが亡くなった後も、アンナはその習慣を続けている。花を飾るたびに、アンナはマルコが自分に寄り添っているような感覚に包まれ彼女がこの家で生き続ける力となっている。
アンナはこの家を離れることなど考えたことがない。マルコとの思い出が詰まったこの場所は、彼女にとって安らぎと希望の源であり、過去と現在をつなぐ場所でもある。老朽化が進み、家のあちこちが朽ちていくのを見ても、アンナは悲しむことはない。むしろ、そのひび割れや剥がれかけた塗装は、彼女とマルコが共に歩んできた時間の証であり、その一つ一つが彼女にとって宝物なのだ。
ある日のこと、あんなが窓から顔を出していると私と目が合った。彼女は微笑みかけてきた。私が毎日のように窓辺を眺めていることに気がついたのだろう。
ボートが岸辺のレンガの塀に近づくと目に留まるのは、青くこびりついた藻の跡。藻はこの街が長い年月をかけて受け入れてきた変化と、静かに流れる時間の証そのものだ。
ルカが幼い頃、祖父はよくこう言っていた。「藻がつく場所は、時間が止まった場所だ。」その言葉は、彼にとっていつも謎めいていた。藻は確かに静かな存在だが、それが時間とどう結びついているのか、当時の彼には理解できなかった。しかし今、この街で生き、ボートを操りながら、彼は少しずつ祖父の言葉の意味を感じ始めている。
藻は、運河の水位が上下するたびに、少しずつその姿を変えていく。水が引けば、藻は日を浴びて色褪せ、再び水が満ちれば、深い青緑色に戻る。その変化は、毎日のように繰り返されるが、その痕跡は時を経るごとに積み重なり、レンガに深く刻まれていく。藻の跡は、この街がどれだけの時間を乗り越えてきたかを静かに物語っている。
ヴェネツィアの運河に生える藻は、この街が持つ脆さと強さを象徴している。藻は、静かに成長しながらも、決して急激な変化を求めない。時間の流れに身を任せ、その中で生きることを選んでいる。ルカはこの藻の姿にヴェネツィアの住人たちの生き方を重ねることができる。
時には、藻がレンガの間に深く根を張り、そこからさらに広がっていくことがある。その姿を見つめると、ルカは、この街の持つ永続性と同時に、その脆さを痛感する。ヴェネツィアは、永遠に存在するかのように思えるが、同時に、それは水と時間に浸食される運命にもある。この二重性こそが、ヴェネツィアの魅力であり宿命でもある。
ヴェネツィアの街を歩いていると、目に飛び込んでくるのは、まるで生きている絵画のような豊かな色彩の調和だ。青、赤、緑、白、そして古びた石造りの建物の温かみのある色合いが織り成すこの景色は、ヴェネツィアが持つ特別な魅力だ。
ゴンドラは、イタリアの青空を映し取った鮮やかな青で塗られている。一階の窓には、用心のために鉄格子が施されている。頑丈な鉄の格子は、外界からの侵入を防ぐと同時に、重厚感を与える役割を果たしている。
窓の上には、鮮やかな赤い花が咲き誇り、赤は、この街のエネルギーと情熱を象徴している。古い建物の重厚な色合いの中に、この赤が映え、命を吹き込んでいる。
窓枠には緑のブラインドが掛けられている。その緑は街の中に静かな落ち着きをもたらし外界の喧騒からの避難所を提供してくれる。そして、建物の壁には白い漆喰が所々に施されている。ヴェネツィアの光と影のコントラストを際立たせる白い漆喰が、古びた石の壁に新たな息吹を与える。
ヴェネツィアの街は時間の流れで漂い続ける夢だ。静かな運河を進むゴンドラの揺らめき、青と白の螺旋模様の杭に目を奪われる。螺旋には、私の心の奥深くに響く何かがある。
螺旋は無限の象徴であり、終わりのない循環を表す。この街は、歴史の中で幾度となく変容し、再生してきたが、その螺旋の中心には常に同じ魂が宿っていた。運河の水が高くなるたびに、杭は新たな痕跡を刻む。螺旋は、この街の時間の流れを示す紋様であり、その流れの中で形作られる痕跡だ。螺旋の形は、成長と退行、始まりと終わりの間にあるあらゆる瞬間を包み込み、時間を一つの連続体として繋ぎ合わせる。
この杭を見つめるたびに、私は自身が螺旋の一部であるように感じる。私たちの人生も螺旋のように進んでいる。時には同じ場所に戻るかのように感じることがあるが、それでもその一歩が新たな高みへと向かっている。
ゴンドラの漕ぎ手たちは、ストライプのシャツを着こなし、明るい笑顔を浮かべながら話し込んでいる。彼らにとって、この運河は日々の暮らしの舞台であり、仕事の場でもある。ふとした瞬間に交わされる言葉や笑顔には、この街が持つ温かさと活気が漂っている。
岸辺には、小さな坊やがベビーカーに座っている。彼の母親が友人と話し込む間、坊やは静かにその時を待っている。彼にとって、この運河沿いで過ごす時間はいつもの日常の一部なのだろう。
ゴンドラの漕ぎ手たちの明るさや、坊やの無邪気な待ち姿。これらはヴェネツィアが持つ日常のひとこまだ。観光客が見つめる景色の中には非日常への期待がある。このバランスが面白い。
ヴェネツィアのグランドカナルに架かるリベルタ橋。この橋は「白い巨象」と呼ばれる街の象徴であり橋の美しい弧を描くデザインは直線の三角形と相まってその強度と優雅さを見事に両立させている。
当時のヴェネツィア共和国は、商業と海運の中心として栄えており、街の成長に伴い、グランドカナルを渡るための橋が必要とされていた。当初木造の橋が使われていたが、度重なる修理が必要であり、より堅固な石造りの橋が求められ今に至っている。
1571年、橋の設計が公募されアントニオ・ダ・ポンテのデザインが採用された。彼のデザインは画期的なもので、運河を大きな弧を描いて渡る大きな石造りのアーチを持つ構造だった。橋は1591年に20年をかけて完成し、以来その姿を変えることはない。
30年前、私がこの橋を訪れたとき、右手にある小さなホテルに滞在した。そのホテルは、しっかり者のイタリア女性がきりもりしており、彼女のもてなしが心に残っている。彼女は、この橋や街の歴史をよく知っており、滞在中にいくつかのエピソードを話してくれた。その時の記憶は、今も鮮明に思い出される。
そのホテルの女主人の祖父の時代、第二次世界大戦中に他のヨーロッパの都市と同様にこの橋も戦火にさらされた。橋が破壊されれば街の交通と生活が大きく乱れることを恐れ、夜になると友人たちと一緒に橋の周辺を見回っていたと言う。
ベネツィアの運河沿いを歩いていると、石造りの壮麗な建物の前に、突然目の前に現れたのは、鮮やかなピンク色の巨大なプードル風船。ふわふわと風に揺れるように見えるが、実際にはしっかりとした金属製の彫刻だとも。手で触ってみなかったので何とも言えない。パーティー会場から飛び出してきたのだとしたら風船の方があってそうだ。
このプードルを見て笑みがこぼれない人はいるのかな。運河を行き交うゴンドラの漕ぎ手たちも、このピンクの巨獣を見ては顔がほころんでいる。観光客たちもこのプードルの前で思わず足を止め、カメラを向ける。わたしも例外ではなくアップで一枚撮ってみた。
カーニバルの仮面を着けた人々が街を闊歩する風景や、斬新なアートが2年ごとに繰り広げられるビエンナーレと伝統と革新の二面性を持つこの街には、このプードルが実にピッタリなのだ。
そしてふと、このプードルの存在がベネツィアに現れた背景を考えてみる。もしかしたら、プードルはベネツィアのカーニバルで生まれたのか。このプードルが夜になると歩き出し、カーニバルの夜のどこぞの仮面舞踏会に参加するのだろう。ピンクの姿で優雅に跳ね回り、古い宮殿の廊下や運河の上を軽やかに駆け巡る。周りには笑い声が響き、ベネツィアの夜を彩る道化となる。