まさおレポート

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セレンディピティ―

2015-11-30 | AIの先にあるもの
2015年のノーベル賞に輝いた大村智さんのエバーメクチン発見、こういうのもセレンディピティ―というのか確信がもてないが、偶然の発見という定義からはそういってもおかしくないだろう。微生物にも半分ノーベル賞をあげたいと言った自然体に好感がもてるがこうした人にセレンディピティ―がほほ笑む。
 
「いろんな所に出掛けて(微生物を)集めた中から、たまたま見つけた」。ノーベル医学生理学賞が贈られる大村智さんは、世界で年3億人を救う抗生物質「エバーメクチン」を産んだ放線菌を発見するまでの努力を明かし、「人の倍、失敗している」と語った。
 発見当時、大村さんはチームを組み、国内外を歩き回って土などを採取。年間4000~5000種類の微生物などを扱い、新しい化学物質を見つけるための研究を続けていた。その中で静岡県の土から見つかったのが、放線菌だった。http://www.jiji.com/jc/zc?k=201510/2015100500863
 
セレンディピティーという言葉は「宇宙創成」サイモン・シンに詳しく語られている。
 
セレンディピティーという言葉は、1754年に作家のホラス・ウォルポールによってひねり出された造語である。 宇宙創成 サイモン・シン下巻P205
 
こういう発見を私はセレンディピティーと呼んでいます。・・・私は「セレンディップの三人の王子」という他愛もないおとぎ話を読んだのです。三人の王子が旅をしていると、偶然と賢慮により、探してもいなかったものがいつもみつかるのです。 宇宙創成 サイモン・シン下巻P206
作者ウォルポールによる説明はシャーロックホームズの推理を連想させて、現在発明発見に使われている意味と少し違う方向性を感じる。
 
かつて私は『セレンディップの3人の王子』(セレンディップとは現在のスリランカのこと)という童話を読んだことがあるのですが、そのお話において、王子たちは旅の途中、いつも意外な出来事と遭遇し、彼らの聡明さによって、彼らがもともと探していなかった何かを発見するのです。たとえば、王子の一人は、自分が進んでいる道を少し前に片目のロバが歩いていたことを発見します。なぜ分かったかというと、道の左側の草だけが食べられていたためなのです。さあ、これで「セレンディピティ」がどのようなものか理解していただけたでしょう by wiki
 
セレンディピティ―は偶然の発見ではあるが、不断の努力の思わぬ賜物であるといずれの解説でも教訓的に記されている。単に運が良かった人々とするとなんだかおさまりが悪いのだろう。
 
以下に「宇宙創成」サイモン・シンを主な引用元として興味深いセレンディピティーの例を集めてみる。
 
Twitter

エヴァン・ウィリアムズはBloggerを開発したPyra Labs社の創業者で社内でなにげなく作ったショートメッセージ交換が意外なほど魅力を持っていることに気づき、事業を長年温めTwitterへと発展させた。

バイアグラ

ファイザーのバイアグラはもともと狭心症に対する薬としてシルデナフィルという成分が開発されていたが、狭心症の治療薬としては効果がなかった。しかし、臨床研究が終わっても被験者(男性)らはシルデナフィルを返却しようとしない。強く硬い勃起を引き起こす効果があることが分かり勃起不全(ED)治療薬として売り出したところ画期的な薬となった。

研究者たちがこの薬の有用な副作用に気づいたのは、臨床試験に参加した患者たちが、心臓病にはとくに効果がなさそうだったにもかかわらず、未使用分の薬を断固返したがらなかったからだ。 宇宙創成 サイモン・シン下巻P205

ポスト・イット

強力な瞬間接着剤の開発に取り組んでいたアート・フライは、簡単にはがれてしまう弱い接着剤を合成してしまった。・・・こうしてポストイットが生まれた。 宇宙創成 サイモン・シン下巻P205

ダイナマイト

アルフレッド・ノーベルによる、ダイナマイトの発明(1866年)

ノーベルはニトログリセリンを使った不安定な液体爆弾を安定化させようと苦労を重ねるが、なかなか成功しなかった。ところが或る日、ニトログリセリンを入れていた缶に穴があき、そこから漏れ出た液が固まっているのに気づく。缶がぶつからないように敷き詰めていた珪藻土(藻類の一種である珪藻の殻の化石よりなる堆積物)が、漏れたニトログリセリンを吸っていたのだ。珪藻土は、ニトログリセリンを吸収しやすく衝撃を与えても爆発しなかった。この偶然の発見を糸口に、ノーベルは安全な爆薬を作り出すことに成功する。http://kwck.ed.jp/blog/?post=20 園長ブログ

ペニシリン

アレクサンダー・フレミングによる、リゾチームとペニシリンの発見(1922年と1928年)

「リゾチーム」
1919年、風邪をひいたまま実験をしていたフレミングは、細菌を培養しているシャーレに思いっきりくしゃみをし唾や鼻水がシャーレに飛びしばらくしてからシャーレを確認すると、彼は鼻水の飛んだ部分の細菌が死滅していることを発見、鼻水には細菌を倒す作用があることを見つけた。

「ペニシリン」
アレグザンダー・フレミングがペニシリンを発見したのは、窓から飛び込んできた一片の青カビがシャーレに落ちて、培養していた細菌をころしたことに気がついたからだった。 宇宙創成 サイモン・シン下巻P205

1928年、黄色ブドウ球菌の培養実験、シャーレのフタを閉め忘れカビが繁殖 アオカビが生えた周りだけ黄色ブドウ球菌が死滅していることを発見。

LSD

アルバート・ホフマンによる、LSDの幻覚作用の発見(1938年)

ホフマンは「奇妙な予感めいたもの」により、1943年に再びこの物質を取り扱うことにした。そして4月16日、LSDを結晶化している際に非結晶性のごく微量のLSD溶液が指先につき、LSDが指先の皮膚を通して吸収されることによって、ホフマン自身によりLSDの効果が確認された。ホフマンは眩暈を感じ、実験を中断せざるを得ない状態に陥ってしまった。そして実験を中断して帰宅した後も軽い眩暈に襲われていた。帰宅するなり横になっていたが、極めて刺激的な幻想に彩られていた。日光が異常に眩しく感じ、意識がぼんやりとし、異常な造形と強烈な色彩が万華鏡のようにたわむれるといった幻想的な世界が目の前に展開していた。その状態は2時間ほど続いた。これがLSDの幻覚作用発見の瞬間であった。

テフロン

ロイ・プランケットによる、テフロンの発見(1938年)

デュポン社の研究員をしていた1938年にテトラフルオロエチレンがガスボンベ内で自然に重合反応を起こし、偶然にテフロンが生成していることを発見した。これは現在までに見つかっている物質の中で最も摩擦係数の少ない物質である。bywiki

電子レンジ

パーシー・スペンサーによる、電子レンジの発明(1940年代)

1945年、スペンサーが作動中のマグネトロンの前に立っていると、ポケットの中のチョコバーが溶けているのに気づいた。そこで彼はマグネトロンの前にポップコーンを置く実験を行った(出力を正確に調整し、ビームの範囲外に退避した上で行った)。すると、ポップコーンが弾け、部屋中に散乱した。これがきっかけとなって電子レンジの開発を開始し、1947年にレイセオンから製品が出荷されるに至った。bywiki

マジックテープ

ジョルジュ・デ・メストラルによる、マジックテープの発明(1950年頃)

1948年のこと、ジョルジュ・ド・メストラルがスイスの田舎を歩いていると、トゲだらけの植物の種がズボンにたくさんくっついた。トゲは鉤のようになっていて、それが繊維のループにひっかかっていた。これがヒントになって発明されたのがベルクロ(マジックテープ)である。 宇宙創成 サイモン・シン下巻P206

トンネル効果

江崎玲於奈らによる、トンネルダイオード、トンネル効果の発見(1950年代)

トンネル効果(トンネルこうか、英: quantum tunneling)は、非常に微細な世界にある粒子が、古典的には乗り越えることができないポテンシャル(エネルギー)障壁を、量子効果すなわち、時間とエネルギーとの不確定性原理により乗り越えてしまう(透過してしまう)現象。量子トンネル効果ともいう。by wiki

宇宙背景放射

アーノ・ペンジアスとロバート・ウィルソンによる、宇宙背景放射の発見(1964 - 1965年)

ベル研究所は、通信技術の応用研究に加えて純然たる基礎研究にもかなりの資金をつぎ込んだ。この研究所の一貫した運営哲学は、第一級の学術的な研究を行うことにより、好奇心と言う文化を育み、大学との懸け橋となればそれがいずれは商業的な利益にもつながっていくというものだ。商業的な利益の方はさておくとしても、ベル研究所はこれまでに成し遂げられた発見は、6個のノーベル物理学賞をさらい、十一人の受賞者をだしている。宇宙創成 サイモン・シン下巻 P198
 
カールジャンスキーは弱冠二十六歳にして宇宙からの電波をはじめて検出し、その出所を突き止めた。 宇宙創成 サイモン・シン下巻P202 
(彼は1950年、44歳にして世を去った) 宇宙創成 サイモン・シン下巻P255
 
このとき彼らは(ベンジアスとウィルソンは)偶然にも、宇宙論の歴史上もっとも重要な発見のひとつに出くわしたのである。あらゆる方角からたえまなくやってくるその雑音は、ビッグバンの名残り 宇宙が膨張をはじめてまもない時代のこだまだということに、二人は全く気がつかなかったのだ。やがて明らかになるように、腹だたしいその「雑音」は、ビッグバン・モデルの正しさを示すもっとも説得力のある証拠だったのである。 宇宙創成 サイモン・シン下巻P235
 
ライルは1961年までに五千の電波銀河をカタログにし、それらの分布を調べた。・・・結果は明白だった。ビッグ・バンモデルの予測通り、電波銀河は遠くになるほどありふれた存在になっていったのだ。 サイモン・シン下巻P217
 
あらゆる方角から絶え間なくやってくるその雑音は、ビッグバンの名残り 宇宙が膨張をはじめて間もない時代のこだまだということに、二人(ベンジアスとウィルソン)は全く気づかなかったのだ。 宇宙創成 サイモン・シン下巻P205P235

ポリエチレン

ハンス・フォン・ペヒマン(en)による、ポリエチレンの発見(1898年)

1898年、ドイツ人研究者ハンス・フォン・ペヒマンは、ある日、偶然、ワックス状の物質を発見した。後に、それが「ポリエチレン」であると確認されるといち早く製品化をして一儲けを企む連中は一躍、彼を時の人に仕立て上げたそして、早くその実験を再現するよう執拗に迫った。ペヒマンは日夜、何度も何度も実験を繰り返したしかし、再現できない。何しろ偶然に発見してしまったのだから。そのうち業を煮やした連中は「本当にポリエチレンはあったのか?」と騒ぎだす。無理やり大勢の前に立たされて、ペヒマンは叫んだ。「ポリエチレンは、ありま~す・・・・・」 と。

やがてペヒマンは研究所から放出され騒ぎも一段落し、その名前も忘れ去られていく・・・・・そして時は過ぎ、35年後の1933年、英国のICI社はエチレンを高温高圧することによってポリエチレンを作る技術を発見した。しかし、またもや、実験の再現に時間がかかり何とか実用化されたのは第二次世界大戦の頃だった。そして1955年、やっと商品化され1976年大量生産が可能になり世界中に広がる。ペヒマンが「低密度ポリエチレン」を発見してから実に78年の歳月が流れていた。

「ポリエチレンは、ありま~す・・・・・」はなにやら小保方さん騒動を連想させる。

測定助手として女性従業員と東京理科大からの実習生の2名が手伝った。不純物濃度を色々変えて測定を続けていると、通常ありえない特性が現れた。


実習生に報告を受けた江崎氏は最初は間違いかと思ったが、何度でも再現できることを確認して、順方向にもトンネル効果があるのではとの考えに至った。量子力学からは逆方向にのみトンネル効果が現れるのが定説であった時代である。

そしてこの効果を積極的に利用したダイオードを開発した。この成果を多くの物理学会に発表し、後のノーベル賞に輝くのである。

この偶然をアイデアに結び付けるには、目の前の事象に対する素直な心が必要なのかも知れない。常識というベールで覆ってしまわない素直な心が。なぜそのような現象になるのかといった研究者、技術者の素直な探究心が、偶然のヒントをアイデアレベルに具現化してくれるようだ。

(順方向では与える電圧を上げていくと電流が増加し、逆方向では殆ど電流は流れない。しかしトンネル効果では、与える電圧を上げていくとあるところで電流が減る現象がある。この現象は早い速度で得られる為、コンピューターの演算速度を上げるのに効果を発揮した。)


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