ユングの体験
1944年のはじめ(69歳)に、私は心筋梗塞につづいて、足を骨折するという災難にあった。意識喪失のなかで譫妄状態になり、私はさまざまの幻像をみたが、それはちょうど危篤に陥って、酸素吸入やカンフル注射をされているときにはじまったに違いない。
幻像のイメージがあまりにも強烈だったので、私は死が近づいたのだと自分で思いこんでいた。後日、付き添っていた看護婦は、『まるであなたは、明るい光輝に囲まれておいでのようでした』といっていたが、彼女のつけ加えた言葉によると、そういった現象は死んで行く人たちに何度かみかけたことだという。
私は死の瀬戸際にまで近づいて、夢みているのか、忘我の陶酔のなかにいるのかわからなかった。とにかく途方もないことが、私の身の上に起こりはじめていたのである。
私は宇宙の高みに登っていると思っていた。はるか下には、青い光の輝くなかに地の浮かんでいるのがみえ、そこには紺碧の海と諸大陸がみえていた。脚下はるかかなたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。私の視野のなかに地球全体は入らなったが、地球の球形はくっきりと浮かび、その輪郭は素晴らしい青光に照らしだされて、銀色の光に輝いていた。
地球の大部分は着色されており、ところどころ燻銀のような濃緑の斑点をつけていた。・・・
どれほどの高度に達すると、このように展望できるのか、あとになってわかった。それは、驚いたことに、ほぼ1500キロメートルの高さである。この高度からみた地球の眺めは、私が今までにみた光景のなかで、もっとも美しいものであった。
1500キロメートルの高さとは米の通信衛星や地球観測衛星の高さという。
私が岩の入り口に通じる階段へ近づいたときに、不思議なことが起こった。つまり、私はすべてが脱落していくのを感じた。私が目標としたもののすべて、希望したもの、思考したもののすべて、また地上に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった。この過程はきわめて苦痛であった。
しかし、残ったものはいくらかはあった。それはかつて、私が経験し、行為し、私のまわりで起こったすべてで、それらのすべてが、まるでいま私とともにあるような実感であった。それらは私とともにあり、私がそれらそのものだといえるかもしれない。
いいかえれば、私という人間はそうしたあらゆる出来事から成り立っているということを強く感じた。これこそが私なのだ。「私は存在したものの、成就したものの束である。」
この経験は私にきわめて貧しい思いをさせたが、同時に非常に満たされた感情をも抱かせた。もうこれ以上に欲求するものはなにもなかった。私は客観的に存在し、生活したものであった、という形で存在した。
最初は、なにもかも剥ぎとられ、奪われてしまったという消滅感が強かったが、しかし突然、それはどうでもよいと思えた。
すべては過ぎ去り、過去のものとなった。かつて在った事柄とはなんの関わりもなく、既成事実が残っていた。なにが立ち去り、取り去られても惜しくはなかった。逆に、私は私であるすべてを所有し、私はそれら以外のなにものでもなかった。
またもう一つ、病気によって私に明らかになったことがあった。それを公式的に表現すると、事物を在るがままに肯定するといえよう。つまり、主観によってさからうことなく、在るものを無条件に「その通り(イエス)」といえることである。
実在するものの諸条件を、私の見たままに、私がそれを理解したように受けいれる。そして私自身の本質も、私がたまたまそうであるように、受けとめる。
病後にはじめて、私は自分の運命を肯定することがいかに大切かわかった。
私はまた、人は自分自身のなかに生じた考えを、価値判断の彼岸で、真実存在するものとして受けいれねばならないと、はっきり覚った。
(ユング自伝より)